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応用人間科学研究科 震災復興支援プロジェクト

2015年9月12日・13日「東日本・家族応援プロジェクト2015 in 石巻」




「東日本・家族応援プロジェクト2015 in 石巻」を開催しました 

(応用人間科学研究科教授・増田梨花)

   9月11日(金)~13日(日)、「チーム石巻」は、「見て、聴いて、感じて、考えて、行動する」をテーマに掲げ、「絵本と民族音楽のコラボレーション ライブイベント」を中心とした活動を行なった。絵本の読み合わせと世界の民族楽器演奏やピアノ、バイオリンといった楽器の演奏を組み合わせることで、絵本の力と音楽の力が融合し、聴く人たちの被災地でのストレスを少しでも和らげようという意図で行われたものである。合わせて、被災地のコミュニティをエンパワーすることを目指した。

   また、イベントの当日やイベント後にはフールドワークを行ったり、現地で被災しながらもイベント活動のコーディネートを行なってくださった「石巻ライオンズクラブ中央」の阿部浩氏の話を聴く機会を持った。また、簡易宿泊所などに宿泊しながら、朝は宿泊所の食堂にて、地元のとれたての海の幸、山の幸を味わった。また、他大学からのボランティア団体とも交流を持ち、2日目の夜の夕食会ではお互いに情報交換を行い、楽しいひと時を過ごすことができた。

   イベントは3箇所ともに準備1時間、イベント約1時間~1時間半程度で、楽器に合わせて「ともだちや」「しろくまちゃんのほっとけーき」「ばるばるさん」「11ぴきのねこ」の計4冊の中から、それぞれの対象者に合わせて絵本を選択し、絵本の読み合わせと楽器のコラボレーションをおこなった。また、今年度からはじめた院生達のコーナーでは「人間っていいな♪」を院生達が歌いながら振り付けをして踊り、来場者も笑顔で応じてくれた。また、院生2人のバイオリンとピアノのコラボレーション演奏では「素敵だった」「心が洗われた」という来場者からの感想が続々とよせられた。施設の職員さんも入れると、のべ160名程度の方々の来場で、来場者は絵本の読み合わせと場面に合わせた音楽の生演奏に穏やかな表情で聞き入ってくださっていた。 

   以下、訪問先の社会福祉法人向陽会総合施設長 今野渉氏よりイベントの感想を頂いた。

   「先日は、貴重なお時間を割いて当施設にお越しいただきありがとうございました。当日の参加者は、「絵本と民族楽器のコラボレーション」と題した民族楽器と絵本の読み合わせを経験し、皆さんの一生懸命に披露していただいている姿を体験でき、とても喜んでおりました。また、一緒に歌い、初めて目にする不思議な音のする楽器を聞き、終了後にはその楽器を触らせていただきました。その時の入居者の輝いた顔がとても印象的でした。当施設は、平成23年4月の震災直後の混乱時に開設し、要介護被災者を受け入れるところから始まりました。入居者のほとんどは、震災を経験した方々です。震災直後に入居された方の中には、現在も引き続きご利用されている方も多数おります。震災から4年半。その記憶は、なかなか忘れられるものではありませんが、とても有意義な楽しい時間を過ごさせていただきました。またお会いできる機会がありましたら、よろしくお願いします。」

   また、今回の震災復興支援プロジェクトで3回目の参加になる、友人で声優の水谷ケイコ氏や2回目の参加になるピアノ教師の村田真弓氏からも以下の感想をいただいた。

    「増田 梨花教授とのご縁で、多賀城を含め「東日本家族応援プロジェクト」に参加させていただくことが4回目となりました。3年目の石巻は、通り沿いに飲食店が建ち並び、一見賑やかそうでしたが、日常生活に密着した店舗が少ない・・・と地元の方は仰っていました。津波の被害に遭われ た「大川小学校」に案内して頂いた際、「堤防」に「テトラポット」が山積みされており、まだまだ「復興」が進んでいないことを実感しました。今回はまた、伺った先で、実際に「津波」に流された方の貴重なお話しをお聴きすることができました。これも大学院のみなさんとご一緒させて頂いたからこその体験でした。毎回、院生の皆さんは熱心に活動なさっていますが、今年は「手作り感」溢れる趣向を考えていて、会場が「1つの輪」になっていくことを感じました。小さなお子さんからおじいちゃんおばあちゃんにまで、きっとその気持ちは深く届いたことと思います。ロビン・ロイドさんの心地よい民族楽器の音色、村田真弓さんのピアノといい、すべてが折り重なって、素敵な時間を紡ぎあげていきました。これからも、微力ながらこの「東日本家族応援プロジェクト」に皆様と一緒に参加させて頂き、復興を見守らせていただけたら、と願っています。ありがとうございました。(水谷ケイコ)」

    「今回 初めてチーム石巻 に参加させていただきました。2年前の多賀城の時とは違い 今回は保育園、通所介護施設、そして特別養護老人ホームと その場所に生活の時間を多くかかわらせている聞き手のかたを前にしての絵本の読み合わせでした。読んでみると同じ絵本でも年齢により反応も違い 絵本の選定もとても大切な事に気づかされました。絵本を読んだり 絵本に合わせてピアノの演奏をしていると聞き手のかたの表情にこちらが癒されていくという時間でしたが少しでも聞き手のかたも落ち着いた優しい時間が持てたなら嬉しいです。また 学生の皆さんが先生の指導のもと 真剣な眼差しで少しでもその場にいる人たちと積極的に関わろうと行動していたのも印象に残りました。今後も梨花先生の研究活動のお手伝いができるのであれば チーム石巻に参加させていただきたいと思っています。(村田真弓)」

   さらに、今回の震災復興支援プロジェクトに初参加してくださった、友人の 原田祐未氏より以下のコメントを頂いた。

   「今回のプロジェクトin 石巻「絵本と民族楽器のコラボレーション」は、私にとって初めての被災地訪問でした。(中略)3箇所(石巻ひがし保育園、めだかの楽園、万葉苑)で行ったプロジェクトにおいて、私は絵本をスクリーンに映す書画係として携わらせて頂きました。読み手である増田教授、4名の院生、声優の水谷氏、ピアニストの村田氏のタイミングに合わせて、自分も一緒に絵本を読んでいるように1ページ1ページめくりました。どの開催地でも、私たちを温かく受け入れて下さり、「楽しかった」「ありがとう」の言葉を頂く度に、こちらの胸が熱くなり、笑顔になりました。自身が一番印象に残っているのは、めだかの楽園でのプロジェクトを終了した後、帰り際にずっと手を握って、「ありがとう。楽しかった。」と言ってくれた方がいたことです。何気ない触れ合いなのですが、この瞬間に、人と人との繋がりはこうして生まれて、こんなにも暖かな物なのだと感じて、目頭が熱くなり、思わず涙がこぼれそうになりました。プロジェクトの合間をぬって、現地コーディネーターであるライオンズクラブの阿部氏に日和山神社、門脇町(がんばろう石巻)、大川小学校へご案内頂きました。今までテレビや新聞等、何かを介してしか目にして来なかった被災地を目の当たりにし、何も言葉が出ませんでした。震災から4年半経った現在では、緑が生い茂った地となってはいましたが、津波が来るまでは、そこに人々の暮らしや日常があったのだと思うと、失われた物の大きさや、それを一瞬にして飲み込んでしまった津波の恐怖を感じました。ここを訪れるまでは、同じ日本にいながら、どこか遠いところで起こった出来事のように思っていた自分自身が情けなく、恥ずかしく感じました。また、これまでこの地に訪れなかったこと、心を寄せていなかったことに、ただただ申し訳ない気持ちになりました。このプロジェクトでは、院生の皆さんが熱心に取り組まれており、各開催地で積極的に地元の皆さんと交流しようとする真っ直ぐな姿がとても印象に残りました。それぞれにこれからの人生の目標を持たれており、そんな院生の皆さんと行動を共にすることは、私にとってとても良い刺激となりました。全くの部外者であった私を温かく受け入れて下さった皆さんに、本当に感謝しています。(中略)最後にはなりますが、改めてこのプロジェクトへの参加を心よく受け入れて下さった増田梨花教授を初め、院生の皆様、このプロジェクトに携わられた全ての皆様に、心より感謝申し上げます。本当に、有難うございました。(原田祐未)」

   上記のボランティアでイベントをサポートしてくださった3人の方々の感想からもわかうように、「チーム石巻」の大学院生たちの真摯な姿勢が今回は特に印象に残った。初めての被災地訪問の院生達ばかりで、実際に被災地を見て、聴いて、感じ、戸惑い、言葉にならないような不安な気持ちになっていたかもしれない。しかし、イベントのときはそのような不安をおくび(噯)にも出さず、常に笑顔で訪問先の子供やお年寄りを前に、ひざをついて話しかけたり、身振り手振りを駆使して心から触れ合おうとしている姿を見るにつけ、引率している私自身が癒され、彼らの度胸に力をもらった。 

   今後も「絵本と音楽のコラボレーション ライブイベント」を通して、絵本や音楽の持つ力を活用しながら、院生達とともに被災地の人々をエンパワーし、被災地の人々との繋がり持ち続けていけたらと願う。

 石巻レポート (対人援助学領域M1 内田一樹)

   2015年9月11日。私は宮城県石巻市の土を踏んだ。

   出発前、私は京都から東北はとても遠いところだと感じていた。テレビの中でしか知らない世界だ。しかし、新幹線を使って東京で乗り換えるとわずか5時間ほどで宮城県仙台市まで来た。とても近いと感じた。実家がある熊本と京都の間で新幹線を使うと、同じぐらいかもう少しかかるかもしれない。だから、個人的に仙台がとても近いと感じたのかもしれない。仙台に到着して最初に感じたのは少し肌寒いということ。暗くなってきたにも関わらず、駅前の景色はキラキラに輝くネオンで明々としていた。 

   2015年9月11日は、また東日本で災害が起きた日でもあった。大雨により、各地で川が氾濫し、堤防が決壊した。茨城県では鬼怒川が決壊し、多数の死者や避難者を出し、家々を川が飲み込んだ。宮城県でもその被害は例外ではなく、今年開通したという仙台から石巻への列車も終日運休を発表していた。

   活動の内容は、絵本と民族音楽のコラボレーションであった。院生による発表の時間もあり、「人間っていいな」の歌に合わせてダンスをすることと、「You raise me up」のピアノ伴奏によるバイオリンの演奏であった。絵本の読み聞かせにも参加させて頂き、会場の子どもたちやおじいちゃんおばあちゃん、職員の方とふれあった。立命館からの院生やボランティアの人だけではなく、会場の子どもたちやおじいちゃんおばあちゃんとも一緒に楽しく笑顔で活動することが出来たと思う。何かをしてあげる、ではなく、何かを一緒にやる、という形であったと思う。とても楽しかった。私自身が、おじいちゃんおばあちゃんたちから笑顔をもらって元気をもらったと思う。 

   東日本大震災については、事前に勉強していた文字による知識が一気に吹き飛んだ。それほどの衝撃を実際に現地に行って感じて、受けた。例えば津波による被害について。その津波の恐ろしさは新聞やインターネットなどで調べれば、文字としてあるいは被害の数字として見ることができる。しかし、実際に現地で歩いてみるとその恐ろしさが自分の経験として実感に変わる。海まで歩いてどれくらいの距離であるのか、津波の高さは自分の身長と比較してどれくらいであるのか、どれぐらい首をかしげて見上げた高さであるのか、避難のために登られた山の石段がどれくらい急であるのか。校庭の広さがどれくらいであるのか、家々が流されて何もなくなった土地の景色がどのようなものであるのか。それは本当に実際に行って、自分なりの感じ方、感覚で経験や体験しなければ得られないものだと思う。そこにある生活が、いかにありふれていて普通の、私たち自身と変わらないものであったか。それが一瞬で全て奪われ、流され、消えること。それをイメージしたとき、東日本大震災は、どこか遠くの出来事ではなく、自分自身の体験として入ってくる。その時、初めて東日本大震災について考えることが出来たような気がした。誰かから聞いた知識ではなく、自分自身の目や耳で確かめた知識である。 

   東日本大震災について支援をしてみたい、あるいは知りたいと興味を持つ人はぜひ一度実際に訪れることを勧める。体で実感した知識から東日本大震災を考えると、今までと180度考え方、見方が変わると思う。その上で、自分にしかできない支援の方法を見つけることが出来ると思う。自分にできる方法で、自分が元気にできる人を元気にすることが出来ると思う。実際、東京から来ていたボランティアの人と交流してそのことに気づいた。被災地の中学生の学習支援をしているという彼らの話を聞いて、自分自身ハッとした。普段、何げなく私は学校ボランティアで中学校に行っている。しかし、それがここの中学生たちは受けることができない。そのことに気づいて彼らは行動していた。このようにそれぞれの視点から、それぞれの方法で支援ということは行うことができると感じた。私たちは絵本と音楽で、東京からきたボランティアの人たちが中学生に学習支援を行うということで、それぞれにそれぞれの人たちを支援している。

   最後にこの東北へ行くということは一年で、一度だけで終わらせるにはもったいないことだと思う。自分自身にとってこの経験はとても得難いものであるし、現地の人達も毎年来て欲しいとおっしゃってくださっていた。本当にボランティアで行こうとか、何か助けてあげようとか、そういう立派なことは考えずに、純粋にもう一度行きたいと思う。それは、東北が本当に楽しかったからだと思う。そしてこの気持ちはとても大切なものではないかな、と思う。大変だったとか、つらかったとかそういう気持ちではなく、現地の人と一緒に楽しむことが出来た、また行きたい。そう思うことが、震災復興について期限を設けないいつまでも続く活動に繋がると思う。そしてその体験が、普段の自分の対人援助に対する考え方や姿勢にもつながってくると思う。

   いつか、震災復興ではなくて、観光地として楽しむことができればその時本当に東北は復興していると思う。その時自分は観光客として石巻を楽しんでいることができれば良いと思う。決して忘れてはならない記憶を胸に、前に進んでいくことが出来れば良いと思う。 

 石巻でのプロジェクトに参加して(臨床心理学領域M1 中川 恵)

   2015年9月11日(金)~13日(日)の間、石巻チームとして「震災復興支援プロジェクト」に参加させていただいた。チーム石巻は、「見て、聴いて、感じて、考えて、行動する」をスローガンに、「絵本と民族音楽のコラボレーション」を中心とした活動を、宮城県石巻市内の保育園、老人施設にて行わせていただいた。多くの市民の方々と触れ合い関わらせていただく中で、私が感じ考えた被災地の一面を記したいと思う。

   初めに訪問させていただいた施設は石巻市内の保育園である。参加してくださった子どもさんが乳児から幼児までと年齢に多少の差があったことも関係し、絵本の読み聞かせや楽器演奏への関心の程度が分かれていた様子があった(年長の子どもさんは強い関心を持ってくれた印象だった)。一方で、「人間ていいな」をバックミュージックに体を使って手を取り合って踊った時には、全員で一体になり楽しめた雰囲気があった。短時間であったが、子どもに話し掛け手を取り膝に乗ってもらうなどの交流を通して、4年前の震災を経験した子ども、震災後に生まれた子どもが健やかに育ち成長している姿に、被災地の復興が感じられた部分もあった。この保育園は、昨年(2014年)9月に開設されたばかりで、ようやく1年が経過したところだった。これは、開設以前は入園児達の保護者の多くが外で働き賃金を得にくくおられた環境を意味するのではないかと思われた。保育所の設置、職員の確保など、数年かけて子どもの福祉的環境は確保されつつあるようだが、地震や津波の影響による子育て家庭の人口減少は免れなかったことも事実であるようだ。90人の園児のうち3分の1の子どもとその保護者が今日のイベントを楽しみに参加してくださったことに深く感謝の気持ちが芽生えた。「また来てください」との園長らの言葉から、“大震災を覚えていてください”というメッセージがあるようにも受け取ることができ、物理的距離が離れており簡単に会うことのできない間柄であっても、人間同士の心理的繋がりの重みを感じるような経験だった。 

   二か所目と三か所目の高齢者施設では、絵本の読み聞かせに真剣に耳を傾けてくださる多くの方の姿を目にし、絵本のセリフ一言一言を心を込めて、そしてなるべく元気な態度で読ませていただいた。ネガティブな感情を思い起こさせるようなことが出来るだけないよう、楽しんでもらえることを第一に考えた。聴く人たちの被災地でのストレスを少しでも和らげよう、被災地のコミュニティをエンパワーしたい、といった自分たちが抱いていたささやかな願いを改めて思い返す。そして、今回、初めて被災地を訪れまだまだ東日本大震災について知らない私を受け入れ、出会いの場を持たせていただけたことに感謝している気持ちを直接伝えさせていただいた。その中で、高齢の女性が私に、「津波で孫が亡くなった」と仰った。その女性はそのことを繰り返し言葉にされていた。私は驚き、頷いて返事をすることしか出来なかった。初対面の私にでさえ伝えたいと思われるほど、誰かに自分の心打ちを聞いてもらいたいという心情だったのではないかと想像し、突然襲った災害で最愛のお孫さんを亡くされた辛く耐え難いであろう心境に思いを馳せ、女性の前で自分が眼に涙を浮かべることを止められず、その言葉を受け止めさせていただいた。

   また、高齢者施設に勤務されているスタッフの一人の方から、震災当時のリアルなエピソードや当時の心情と今の心境、そして、問題点などをお話していただき、話を聞くこと理解することが自分たちに出来ることであり痛みを少し分けてもらえたと感じた一方で、その方の「家族も助かり家も残り、自分には何もダメージはなかった」と話されつつも、「(当時)人を蹴落としても助かりたいと思った自分に罪悪感がある」と身体を震えさせながら、また、視線を泳がせながら言葉を発せられる姿を見て、言葉と態度との間に乖離があると思った。天災が人に与える重すぎる心理的影響を感じたとともに、実害の程度がダメージの大きさと認識されやすく、心の傷については気が付かれにくいような状況に歯がゆさを感じた。

   また、そのような状況にある方に臨床心理士の存在を知られておらず、私達が目指している臨床心理士の存在意義はどこにあるべきなのか、今後どうすればよいか、ということも改めて考えさせられた。もちろん、被災者からすれば、専門性を求めているのではなく、自分の話を聴いてくれる人を求めていて、それが医師であろうと、臨床心理士であろうと、幼馴染であろうと、通りすがりの人であろうとあまり関係ないのかもしれないという側面もあるだろう。しかし、「話して良かった」と最後に言ってくださった山口さんを見ると、やはり、第三者であり心の専門家でもある臨床心理士が被災者の生の言葉を聴き共感する必要はあると思ったのだ。

   移動中に、車の中からいくつも眼にした仮設住宅の棟。周囲には布団が干してあり、花などを植えたプランターが置かれ生活感が漂ってきた。現地の世話人であるコーディネーターさんに質問したところ、石巻市では、東日本大震災前に地震保険に加入していた所帯は5割程度であるとのことであり、壊れた住居の損害補償や建て直し費用を工面された所帯は半分だけということになる。それ以外の所帯では、資産状況に差が生じ、未だ仮設住宅での住まいを余儀なくされている人も多くおられるということであった。なお、現在は、公営住宅が新たに建設され、仮設住宅から公営住宅への移住が目標となっている家庭も多くなっている現状とのこと。また、車両保険に加入していた人は全体の1%にも満たないとのことであり、震災前は一家庭につき2~3台の車を所有することが普通であったという石巻市の家庭にとって、重要な移動手段を失い混乱が生じたことは容易に想像できる。

   最後のフィールドワークとして、大川小学校跡地を見学させていただいた。広い敷地の中にレンガ造りの建物が残されていた。子ども達が勉強し遊んだ教室や校庭、学習に使った黒板を眼にし、震災前にはそこで子ども達が過ごしていた姿を想像し、今では随分と傷み朽ちて今後皆の記憶も薄れていくのかと思うといたたまれない気持ちになり胸が詰まった。校舎のそばに数輪のコスモスがささやかに咲いている様子が、なんとも寂しかった。小さな命が確かにそこに存在した尊さを思い、ただただ冥福を祈るしかできなかった。

   ただ、数年間継続して被災地に足を運んでいる方の話によると、石巻市や女川市辺りは被害が大きかった事でクローズアップされ、ボランティアの数も集まりやすいそうだが、同じ宮城県内でも宮古市などは、震災当初こそボランティアが集まったものの、今はあまり人が行かないとのことである。それはそれで、問題ではないかと感じた。他県でも、津波による死者が出ているが、あまり知られていない地域もある。また、福島へ行くと更に別の問題を抱えているとのことも耳にした。昨年から入れるようになった川俣町へ足を運んだ人によれば、商店街なのに誰も人がおらず、庭には除染の為に削った土の表面が袋に詰められ、持って行き場がなく山積みとなっていたそうだ。地元の人からは、「石巻などは復興しているからうらやましい。自分たちには復興の兆しが見えない」との話もあったそうだ。震災に関しては、まだまだ自分たちの知らない事がたくさんある。逆に、自分たちでできる事も確かにあるのだと感じられた経験でもあったので、このプロジェクトが続行されるよう、ここに記録を残し、後輩に繋いでいきたいと思う。

 石巻で「繋がる」(対人援助学領域M1 青木美穂)

   「石巻に行って、私に何ができるのか」

   着く直前まで頭の中でずっと考えていた。マスメディアでしか見たことのない石巻。石巻に行ってどのように感じるのかが全く想像もつかなかった。

   実際に石巻に到着してみると、緑が多いと感じた。次に、車の販売店が多いとも感じた。タクシーの運転手の方曰く、車がほとんど流されてしまったからすぐにでも運転できる中古車が凄く売れたようだ。震災が起きて4年半だが、店が多く建っており震災が起きたと思えないほどであった。しかし、大川小学校の現在の風景を見た時、言葉を失うほどであった。一歩一歩進む足が重く感じるほど、その地を歩くことに様々な気持ちが混ざった。今経っているこの場で多くの子ども、先生が亡くなったのかと思うといたたまれない気持ちになった。しかし、現地の石巻のことを紹介して下さった阿部さんが「この地をちゃんと踏んで自分で感じ、それを伝えることが大事」と話してくださった。私たちはこの場所を自らの足で歩き、また感じたことを伝える、そのことが今回のプロジェクトで私たちのすべきことではないのかと思った。

   「私」が石巻でできること。それはよく褒められる明るさと誰とでも仲良くなれる私の長所を活かそうと思った。イベントで、とにかく緊張して不安であったが、常に笑顔を絶やさず積極的にコミュニケーションをとることを意識した。私は、今回学生イベントのMCと「にんげんっていいな」の振りのリーダーであったため、次からはイベントで感じたことから感じた「繋がり」を述べたいと思う。

   初日の保育園でのイベントでは、みんな笑顔がとても素敵で驚いたことを今でも鮮明に覚えている。イベント中もとにかく子どもの中に混じり、コミュニケーションをたくさんとった。また、「にんげんっていいな」のダンスや声かけは私が担当であったため直前も「振りを忘れたらとうしよう。」と不安であった。しかし、実際に始まってみて子どもたちに「一緒に踊ってみよっか!」との私の声かけに笑顔で応じてくれ楽しい時間を過ごすことができた。保育園で子どもたちと「繋がる」ことで、子どもたちの笑顔や反応に逆に私が勇気をもらった。イベント最後に出口付近で子どもたち全員にハイタッチをしたのだが、「たのしかったー!またきてねー!」と言ってくれる子もいて改めて、石巻に行き子どもたちと「繋がる」ことができてよかったと感じた。

   次に、午後に老人ホームでイベントがあったが、午前の子どもたちと違い、一緒に踊ることは難しいし、伝わるように話さないといけないなと考えた。おばあちゃん、おじいちゃんに大きな声で話しかけているとおばあちゃんの中で「踊りが好き」と話してくれた方がいた。そこで一緒にリズムをとってもらえるようにお願いしてみると「にんげんっていいな」の踊りでは手を上にあげて横に振ったりとリズムをとって下さる方が多くいて嬉しくなった。またイベント終了後、「どうでしたか~?」とおばあちゃん、おじいちゃんに話しかけにいくと「あなたの笑顔いいね~、癒されるわ~。そして楽しかったよ、本当にありがとう。」と言って頂いた。老人ホームでおじいちゃんおばあちゃんたちと「繋がる」ことで、こんな私でも「本当にありがとう」と手を握りながらおっしゃってくれる方がいることを改めて肌身で感じ、嬉しくて泣きそうであった。

   また、老人ホームではイベント後に実際に津波に流された職員の方からお話を聞かせて頂いた。その方から実際に津波に流されたときのことを聞き、改めて東日本大震災がどのようなものであったかを実際に聞いたことで深く知ることができた。また、震災について改めて自分で考えるきっかけにもなった。職員の方には震災の話を、初めて会った私たちに話して頂き、また震災のことについて考えるきっかけを与えて頂いて本当に感謝の気持ちでいっぱいである。

   1日目の夜に、同じ建物に泊まっていたボランティアチームの方と交流をした。お互いどんなことを学んでいるのか、また石巻でどういうことをしているかなど交流した。東京や宮城の大学の方たちとこのように「繋がり」を持ったことでお互い刺激しあうこともでき、また学びが広がったと思う。

   次の日には、特別養護老人ホームでイベントを行ったが、みなさん90歳以上の方がほとんどで、交流をしていると今日誕生日のおばあちゃんがいらっしゃった。私自身、おばあちゃん、おじいちゃんっ子で今日誕生日のおばあちゃんはもちろんのこと来てくださった全ての方に親身になって見て頂きたかったために「自分の孫が踊っていると思って温かい気持ちで見て頂けると嬉しいです」とコメントすると、先ほどまで不機嫌そうであったおばあちゃんがニコッと笑って拍手をして下さった。「にんげんっていいな」の披露中、手を上に上げて一緒に踊って下さった方もいて本当に嬉しかった。また、披露後に「私たちのこと、京都の孫だと思ってもらえたら嬉しいです!」と言うと、会場で少し笑いがおきて笑顔で学生イベントを終えることが出来た。最後に誕生日だったおばあちゃんに「素敵な誕生日になるように精一杯披露させて頂いたのですが、いかがでしたか?」と声をかけると「本当に楽しい時間をありがとう。ありがとう。」と笑顔で手を握って下さった。また、帰り際には今回のイベントを見に施設まで来てくださった方が「あなたハグさせて!」とハグして頂いたり、おばあちゃんに「あなたこれから一緒に住もうよ!」と笑顔で手を握って下さったり今でも思い出すと微笑んでしまう楽しい時間を来てくださった方と共有できた。おじいちゃんおばあちゃんたちと「繋がる」ことで本当の孫だと少しでも思ってもらえるような距離に近づけたのかなと思う。

   全てのイベントを通して、最後には「また来てね」とおっしゃってもらえて、今回のイベントを楽しんでもらえたのだなと思った。また、それと同時にこのプロジェクトの10年かけて現地の方々と協同することの意義を強く実感した。今回石巻の方と「繋がる」ことで自分自身成長することができたと感じる。また、今回石巻の地を自らの足で歩いて感じたこと、また現地の方と交流し学んだことをこれから伝えていくことが私たちのできることなのだと思う。

 石巻でのプロジェクト(臨床心理学領域M1 谷口万帆)

   今回のプロジェクトに参加し、初めて被災地を訪れ、現在の被災地の現状を目の当たりにした。被災地に関してこれまで得る情報は、テレビやネットを媒介としたニュースなどから得るものがほとんどであった。こうした情報でさえ、震災から4年半が経った現在、年々少なくなっているように感じられた。そうした中で、被災地の「今」を自分の目できちんと確認し、この目に焼き付けたい、記録したいと思っての今回のプロジェクト参加であった。そうした思いを抱え、実際に現地に行ってみて、実際に自身の目で、体で感じて得られるものは、テレビやネットから得る情報を遥かに上回るものであること、そしてこうした情報から、自分自身どこかで被災地のこと、震災のことを勝手に分かったような気になっている部分があったのではないかということを痛感した。

   現地での活動として、今回は「絵本と民族音楽のコラボレーション」と題したイベントを現地の3箇所の施設で行わせて頂いた。私達院生も、絵本の読み合わせに参加させて頂き、院生の時間としてダンスや音楽の演奏もさせて頂いた。保育園、老人ホームなど参加する方々の年代が幅広く、現地の方々にどのように伝わるのか、喜んで頂けるのかが気がかりであったが、実際にそれぞれの施設に訪れてみると、どの施設でも暖かく私達を迎え入れて下さり、一緒に楽しんで下さったことが何よりも嬉しかった。現地の方々の生き生きとした姿を目の当たりにし、被災地の今が徐々に良い方向へと進んでいるのかもしれないと感じられた。そうした被災地の方々のために私たちができることは本当に微々たるものでしかなく、時には無力感を感じることもあるが、こうしたイベントを通して一時でも癒しや元気といった力を届けることができていれればいいなと心から思った。

   イベントの合間には、現地のフィールドワークを行うこともでき、日和山、「頑張ろう石巻」の看板前、大川小学校などを訪れた。実際に訪れてみることで、今まで文字としての情報のみしか知らなかった震災の被害の大きさや恐怖を身をもって知ることができた。特に、大川小学校を訪れた際には、津波の被害にあった小学校が当時のまま残されており、震災が起こり、津波が到達するまでの間、確かにここに子どもたちが生きていて、ここで学校生活を送っていたのだと改めて思い知らされた。また同時に、震災から時が経ち、徐々に風化している建物を見て、震災が過去の出来事として忘れ去られてしまうのではないかという不安を抱き、やりきれないような思いも感じられた。

   今回被災地を訪れて、現地の様々な方に暖かく接して頂き、震災当時の体験や出来事を教えて頂き、震災について、被災地について知ることができた。石巻の方々から得た情報は、自分がこれまで得てきた震災についてのどんな情報より遥かに貴重で、被災地の方々の思いの詰まった重要なものであるのではないかと感じる。今回のプロジェクトは自分にとって終わりではなく、むしろスタートなのではないだろうかと思う。今回お世話になった方々に心から感謝するとともに、石巻で教えて頂いたこと、知ったこと、見たこと全てをこれから被災地のために自分に何ができるのかを考えていく上での糧にしたいと強く感じる。




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