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応用人間科学研究科 震災復興支援プロジェクト

2017年11月3日~5日「東日本・家族応援プロジェクト2017 in 石巻」




「東日本・家族応援プロジェクト2017 in 石巻」を開催しました 

(応用人間科学研究科教授・増田梨花)

  今年も昨年同様、11月3日(金)~5日(日)、「チーム石巻」は、「見て、聴いて、感じて、考えて、行動する」を今年もテーマに掲げ、「絵本と音楽のコラボレーション ライブイベント」のプログラムを中心とした活動を石巻市内の2つの施設で行なった。

  3日の18時頃に私たちは石巻駅に到着。駅には一般社団法人おしかの學校の理事長で、石巻中央ライオンズクラブLCIFコーディネーターの阿部浩氏とおしかの學校、校長の木村正氏が温かい笑顔で迎えてくれた。

  その後、石巻中央ライオンズクラブ集会場に移動し、阿部氏から2011年に起きた出来事について話をうかがい、また石巻の現状についてもうかがった。阿部氏は「東日本大震災は被災地の人々の心を荒み長い間にわたり復興という二文字に翻弄され続けてきた。そんな中、一筋の光が私たちに降り注ぎ、希望と勇気を与えてくれた。それは支援という二文字。全国の皆さんからの支援の輪はやがて大きな仕組みとなり継続的な活動にもつながっている」と厚く語っておられた。院生たちは阿部氏の話を一字一句逃すまいと、ノートにしっかりとメモをとっていた。復興地の現状を一生懸命理解しようという姿がうかがわれ、院生たちを頼もしく感じた。

  阿部氏の講話の後、イベントの打ち合わせとリハーサルを行った。今年も増田の友人で、ボランティア参加の声優、水谷ケイコ氏から発声練習を教わり、院生たちは熱心に発声法を学んだ。

  声優の水谷ケイコ氏の感想を下記に記す。

  「今年のプロジェクトは学生さんが3人と聞いたときは例年に比べて、ちょっと寂しいなと思いましたが、おなじみさんもいらして不安は吹き飛びました。初日の「打ち合わせ」から「発声練習」、「読み合わせ」,,,この時点で少々、不安があったものの、翌日の「本番」では、みなさん堂々たるものでした。どうやら、特訓があったようで、驚かされるほど声もよくでており、ギターの伴奏も素晴らしかったです。また2本しかないマイクを上手にまわし、人数が少ないにもかかわらず、スクリーンの「絵」も乱れることなく「阿吽」の呼吸でした。チームワークの良さに感心してしまいました。「みんなの夢広場」さんでは、「女の子」が一生懸命リズムを身体でとっていましたし、ピアノがなかった「和光園」さんでは、ピアノの代わりにアカペラで歌った「子守歌」に、おばあちゃまが「よかった!よかった!」とずっと仰って下さっていて、感動しました。まさにみなさんが一つになって一生懸命さが伝わったのだと思います。私も、負けじとがんばりました。大川小学校や早朝の散歩などのフィールドワークで、昨年よりも感じるものがたくさんありました。それも、このプロジェクトに参加させて戴いているからでこそ、です。これからもみなさんと一緒に参加して、石巻の皆さんに寄り添えたらと思います。 ありがとうございました。」

  確かにイベントを視聴してくださった来場者は、物語の世界に引き込まれていた。絵本と音楽(ピアノやギター)が奏でるライブで、絵本の読み合わせや演奏を見聴きするという体験の視覚的刺激や聴覚的刺激、新奇性や非日常性、ライブ演奏への直接的な接触感が、復興地の人々の心と一体となり、そして、3人の院生たちはそれぞれの思いを胸に刻みながら自分たちができる最大限の「行動」を体現してくれた。

  イベントでピアノ伴奏を担当してくれた村田真弓氏の感想を以下に記す。

  「今年も参加させて頂きました りか先生の友人、村田真弓です。学生さん3人は 絵本を読むことだけではなく 石巻の現在の姿を深く知ろうとする そして出会った人々との交流を楽しむ、等 積極的に活動していました。 そんな姿に 私自身もまたあらためて勉強する事、知ろうとする事の大切さを教えられたところでした。絵本の読み合わせでの出会いを大切に また来月行われるチャリティーイベントへと広げ また読み合わせが出来る事を楽しみにしている今日この頃です。」

  さらにコーディネーターの阿部氏は、第一回目からのこのイベントを振り返り、以下のような感想を寄せてくれた。

  「瓦礫の山と仮設住宅、そんな中ピクチャーブックヒーリングはスタートしました。大街道小学校を皮切りに仮設住宅、障害者施設、老健施設、地域の子供会etc同じ施設に毎年何度も足を運びました。必ずまた来るという約束を果たすかのように子供も大人も おじいちゃんやおばあちゃんも みな笑顔になり口ずさみ、短い間ではあるけれど童心に帰り心を和ませることが出来ました。同じ場所にこだわり続け 同じ人たちと関わり続ける この活動を石巻市の人々は心待ちにし また再訪を願っています。」

  さらに、昨年は高校3年生だった、地元の高校生が「院生と交流したい」と積極的に連絡を取ってくれ、今回2日目の夜に大学生になった彼らとの交流を実現することができた。彼らは自らが被災し、今後、自分たちに復興地で何ができるかを模索し、真剣に考えていた。彼らの復興地への思いを院生たちも受け取り、彼らの質問に真摯に答えていた。

  東北福祉大学に進学した2人の大学生の感想を下記に記す。

  清水佑大氏:「 関西の大学の教授、大学院生と話し合うというとても貴重な機会を設けていただき、ありがとうございました。私は将来心理士として働きたいと考えており、そのためにはどのような知識、どのような進路を辿ればなれるか、他の心理士の資格についての説明を丁寧に詳しく教えてもらったり、大学院生にはどういう経緯で今に至るか、大学院での研究や生活についてを詳しく教わり、1つ1つのことが為になりました。

  今回の機会で一番強く思ったことは、人間関係は人生においてとても重要だと考えました。この機会に参加できたのも、たまたま空港で教授と会った拓くんと大学で知り合ったことで参加できたので、人間関係はとても重要だなと改めて考えさせられました。人間関係はカウンセリングでも必須のものなので、これから大切にしていきたいです。

  一年生だからといって、遊んでばかりではなく、将来を見据えて自分のやりたいこと、出来る出来ないことをしっかりと見つけて自分のことを知って、後悔のないようにこれからも様々なことに取り組んでいきたいと強く思いました。今回は本当にありがとうございました。」

  及川拓氏:「去年から続けて2年目の交流会でしたが、去年とはまた違う話を聞くことが出来てとても充実した時間になりました。普段大学院生の方々と話す機会があまり無く、気になることはあっても聞けない状態でしたが、色々なことを聞くことが出来て自分にとってとても良い経験になったと思います。やりたいことが出来た上で仕事を辞めて大学院に入り直す方や、仕事をしながら大学院に通う人などもいるんだと改めてわかり、学びたいという思いが強ければいつでも入れるのだなと思いました。これからの人生何があるかはわかりませんが、自分のやりたいことに向かって精進していきたいと思います。今回は交流会ありがとうございました。」

  復興という二文字に翻弄され続け、復興地という環境で暮らすストレスの多い中で課題を抱えた人々が「絵本と音楽のライブイベント」を視聴する体験を通して、MRO(Mutually responsive orientation)、即ち聴き手とイベントの行い手の双方向の応答性が絵本や音楽のリズムによって高くなるために、ポジティヴな情動を共有することができ、年々継続して訪問することで「絆」を深めているのではないかと考える。今後も「絵本と音楽のコラボレーション ライブイベント」を通して、絵本や音楽の持つ力を活用しながら、院生達とともに復興地の人々、復興地で働く支援者をエンパワーし、今後も細く長くたくさんの人々との繋がり持ち続けていけたらと願っている。

  最後に我らが兄貴でボスのコーディネーター、あべ兄ときむ兄に心から感謝の意を述べたい。特に点滴を終えた後に、笑顔で私たちを迎えてくださったあべ兄、どうかお身体をお大事に!!お身体の回復を心より祈りつつ・・・。 

 「東日本家族応援プロジェクトin石巻 2017」に参加して (対人援助学領域 M1 木村 友香理)

  石巻市を訪れたのは今回のプロジェクトが初めてだった。最初は、仕事の関係機関先があるから、昔行きたいと思ったホエールランドがある場所だから、そんな理由で選んだ石巻プロジェクト。石巻駅に着いてすぐの感想は「津波がここまで本当に来たのか?」だった。壁面に水位の跡が残っていることもなく、6年もたっているし、復興も進んでいるよな、と率直に思った。翌日、日和山公園に訪れるまでは。

  日和山公園に行くと、その場から離れられなくなった。写真で見た「更地の風景」が今も広がっていた。この広域を津波が襲い全てを巻き込んだのかとにわかに信じがたいくらいだった。そこで、日和山公園に来ることを震災後毎日続けているというご老人に出会った。震災で従業員を2人亡くされ、老いる一方の自分が生き残り、まだ若かった従業員が死ぬなんてな、と語ってくださった。シベリア出兵や第二次世界大戦もご体験されたと教えてくださり、命は本当に尊い、と言いながら「戦争や震災は力が及ばんね。」と話してくださったことが強く印象に残った。日々少しずつだが変化するこの日和山公園の景色を見に、雨の日も風の日もご自身が体調を崩されてもここに訪れていると語ってくださった。

  絵本と音楽のセッションイベントでは、残念ながら時間的な問題で施設利用者と直接お話する機会はとれなかった。しかし、6年間続けてきた「絵本プロジェクト」そのものを楽しみにしてくれているように感じた。ピアノやギターのメロディに合わせて体を揺らしたり、時には一緒に歌ったり、ただ「絵本を読む」だけでなく、オーディエンスの反応を感じながら、かつ楽しみながら絵本を読むという貴重な経験をさせていただいた。大切なことは絵本を「読む」ことではなくて、その場を共有する人と「何かを一緒につくること」であり、様々な「表現の自由」を出せる場の必要性を感じた。

  復興は進んでいる。石巻では、大幅に進んでいる部分とまだこれからの部分、今後に対しての不安や安堵、「生かされている」というある方のお気持ち、様々な「今」を見ることができた。そんな中、震災を体感していない私たちにできることは本当にごく僅かかもしれないが、一緒に前を向き進み、時には過去に対する思いを一緒に感じ、その方の経験や体感したことを伝承していくことが今の私たちにできることだとフィールドでの体験を通じて感じた。

  このプロジェクトを通じて、ここには書ききれないたくさんの素敵な出会いにも感謝すると同時に、これで終わるのではなく今後も石巻を訪れ、復興に向けて歩んでいる石巻の「その時のリアル」を体感して伝えていく一人になりたいと考えている。

 「東日本・家族応援プロジェクトin石巻2017」に参加して(対人援助学領域M1 坂本幸一)

  私が石巻で経験できたこと、それは自身の思考や生き方に大きな影響を及ぼす経験だったと今振り返る。その中でも下記二つの経験がとくに大きな経験だったと自覚しているのでここに記していきたい。

  一点目の経験は、絵本と音楽のコラボレーションイベントに携われたことである。今回のイベントは子どもたちが対象ではなく、成人のかたたちが利用されている障がい者施設、そして高齢者施設でイベントを行わせていただいた。大人が絵本を読むときは子どもとは違った読み方をすることが多いと言われている。子どもは絵本をジェットコースターのように「体験」することが多いと言われるなかで、大人は無意識のうちに絵本の内容を自身の経験や思考に重ね合わせ「理解」することが多いという。よって聞き手の解釈は人それぞれであり、聞き手の数だけ解釈が生まれることになるのだろう。利用者の方々がそれぞれどのような気持ち・思いでこのイベント、そして絵本という存在を受け取ってくださったのか。それを考えるだけでも幸せだった。また、音楽そのものに応えてくださった瞬間もあった。私のギター演奏時、高音弦の音に合わせ利用者のかたが声を出してくださった時は本当に嬉しい気持ちでいっぱいになった。このイベントを通し、皆様からいただいたあたたかい拍手とともに、私にとって絵本の素晴らしさや可能性を間近で感じられる貴重な経験ができたと振り返る。

  二点目の経験は、大川小学校を訪れたことである。いろいろな思いを胸にこの地に向かった。私自身の大川小学校に対する情報はインターネットやテレビ・新聞などメディアのみであった。現地への道中では、この溢れる情報だけで固められた私の心は一体どのような思いになるのだろうという一心だった。話が前後するが、石巻へ出発する前に学校で行われた事前事後研究会で大川小学校を訪問された方の発表を聞くことができた。そのお話を聞き、自分の中で大きな心境の変化を得ることができた。今まで自分は「是か非か」という「決着」をつけることだけにとらわれすぎていたのだとハッとした。また、その発表の中で「大川小学校での惨事に対しいろいろな人たちの話を伺う中で、現場の意見に双方から挟まれ身動きがとれなくなり、そして頭をうしろから叩かれたような気持ちになった」とその時の感覚を教えてくださった。様々な事例に対し、「どちらが是だ。どちらが非だ。」という決着や答えが大切であることはもちろん理解している。しかし、発表された方が現地でこのような心境になった事実、それこそが「答え」だったのだろうと感じた。「証人」となるためにはありのままでいい、ありのまま感じたことを言葉にすればいいのではないかという思いが心を駆け巡った。だから私は大川小学校へ行きそこで何を感じるか、何を思うか、それに対し「決着」や「答え」を急ぐより、純粋に何を思うか、何を感じるかを知りたかった。この思いを胸に大川小学校へ向かった。

  結論から言うと、インターネットなどのメディアを通し伝えられたものはあくまで「情報」であるということ。それ以上でもそれ以下でもないということだった。寒さやあたたかさ、空気の感触、耳元を通り抜ける風の音、匂い、テレビ画面やモニターを通さないで目で直接見る景色、建物の高さ、空の色、実際に歩いて初めてわかる距離の感覚、足の裏に伝わる地面の感覚、手を伸ばして触った指先の感覚・・・私が感じたそれらのすべては事前に得ていた情報を遥かに凌駕する「現実」だった。五感を通して感じるということがどれほど心に深く刻まれるのか・・・それが痛いほどわかった。そして報告等に使用するため最初何枚か撮っていた写真もそれ以上の必要性を急に感じなくなり、カメラの電源を切った。それよりも少しでも長く、深く、その場所その時間を心に刻みたかった。また、校舎を解体する要望も出ている中このように残していただけていること。それは残すことでしか伝えられないものがあると思っていただけているのではないだろうか。そのことを決して忘れてはいけないと感じた。

  慰霊碑に書かれていたたくさんの亡くなられた人たちの名前とともに、そのひとりひとりの年齢が書かれていた。その中で8才、5才、そして3才という年齢を見るたびに涙が溢れた。もちろん命の尊さと年齢が無関係なことは理解している。ただ、涙が止まらなかった。

  石巻から帰宅し、出発前の自分と今の自分について考えた。もちろん「証人」についての自分自身への問いかけだった。自分は証人になれたのか。結論は明白だった。たとえ証人になることができても、そして現地の状況を的確に他の誰かに語ることができても、「真に伝える」ということは絶対にできないのだという思いが私の出した答えだった。その地で起きた事実を真に知ること、それはその地でしか得られないということを痛いほど理解してきた今はそう感じている。

  しかし、ただそれだけでは絶対に終わらないし、絶対に終えたくない。

  「情報」と「五感で感じる現実」が別物であること、その地へ実際に向かうことがどれほど意味のあることなのかを、例えほんの少しでも伝えていきたい。伝えていかなければならない。それが自分にとって「証人」としてできることであると同時に、義務だと感じた。

  最後に、このような貴重な機会を提供してくださったプロジェクト代表の村本先生、私たち院生の身体面、そして精神面での安全を常に考慮してくださりながら全面的に引率してくださった増田先生、現地で私たちをあたたかく迎え入れてくださり、私たちの希望ひとつひとつを叶えてくださった「おしかの学校」の阿部様、木村様。

  そしてこのプロジェクトに関係してくださったすべての方々に心より感謝致しております。本当にありがとうございました。

 二度目の石巻(対人援助学領域M2 平井一成)

  昨年度に引き続き、石巻に訪れた。昨年に比べて町には活気が戻っていて、賑やかになっていたような印象は受けたが、それでもやはり、当時の傷跡が残る場所もあり、まだ完全な復興には程遠いと感じた。だが、昨年と違い、今年は比較的落ち着いて現地に接することができたと思う。昨年石巻を訪れた時は、そこで見たもの、感じたもの、全てに圧倒されてしまい、自分の処理能力を超えてしまっていたような気がする。そのため、記録を残したり、それを纏めたりすることを非常に困難に感じたが、今年は比較的落ち着いて記録のための写真を撮影したりすることができたと思う。

  2日目の夜、現地の大学生のお話を聞く機会があった。当時、彼らは小学校卒業間近の小学6年生だったという。小学生として感じたことを鮮明に話して頂いたが、それよりも自分は、当時の小学生がもう大学生になっているという時間の流れに驚いた。たった6年、されど6年である。町中には賑わいが戻ってきてはいるものの、女川のように大型の重機が入って工事をしている場所があったり、まだ仮設住宅や仮設の学校が建っている場所があったり、海岸線には家の基礎であったであろうコンクリート製の構造物が残されていたりと、復興地と呼ばれる場所の中にまだ被災地が混在しているような印象を受けた。

  また、6年という時間は、記憶よりも実際の物を風化させてしまう。3日目に訪れた大川小学校では、余計にそれを感じた。6年と書いたが、昨年に比べ、たった1年で風化はより進んでいるようにも感じた。天井は剥がれ、黒板も床に落ち、立てかけられていた。震災遺構として保存されることが決定しているらしいが、工事を早急に進めなければ、揺れと津波による被害を被った建物は取り返しがつかなくなると感じた。当時を語る「物」が風化し崩れていくということは、同時に「記憶」も風化していくことであると思う。震災を未来に語り継ぐためにも、大川小学校に限らず、震災遺構の保存工事は急ぐべきだろう。

  最後に、現地で行ったイベントについて記しておきたい。現地ではトータルサポートセンターとデイサービスセンターの2ヶ所で、絵本と音楽のコラボレーションによるイベントを行った。どちらの施設でも、音楽に合わせて体を揺らしたり、メロディや歌詞を口ずさんだりした方がいらっしゃったのが印象的であった。イベントの中で、私は「すいかだぜえ」という話を朗読したのだが、デイサービスセンターでのイベント終了後、私の所に来て「果物の中でスイカが一番好きだ」という話をして下さった方がいらっしゃったのが特に印象に残っている。また、当日私は緑色の服を着ていたのだが、その方に「それはスイカをイメージした色ですか?」と聞かれ、はっとした。服の色まで意識はしておらず、偶然もあったとはいえ、私の演技に対してそこまで言って頂けたことは、とても嬉しく思う。

  町には賑わいが戻ってきてはいるものの、まだ復興には遠い場所もあるだろう。

  石巻や女川といった、今回訪れた場所のみならず、震災で被害を受けた全ての地域の一日も早い復興を心よりお祈りしたい。


発声練習風景





2日目朝のフィールドワーク





みんなの夢広場





絵本とギターのコラボレーション





がんばろう 石巻





交流会




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