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応用人間科学研究科 震災復興支援プロジェクト


2012年10月22日~11月3日「東日本・家族応援プロジェクト2012 in 岩手(遠野・大船渡)」




「東日本・家族応援プロジェクト2012 in 岩手(遠野・大船渡)」を開催しました

(応用人間科学研究科教授・村本邦子)

   10月22日~11月3日、「東日本・家族応援プロジェクト2012 in 岩手(遠野・大船渡)」を開催しました。昨年のプロジェクトは、遠野市にて実施しましたが、今年は、会場を大船渡に置き、遠野においては、遠野市との共催で、11月2日、白岩児童館にて、村本が「支援者支援セミナー」を行いました。児童館・児童クラブ、保育所の先生方、婦人相談員さん、保健師さんなど、子ども支援に関わる支援者たちが35名ほど集まってくれ、子どもの育ちと危機、レジリエンスについてお話した後、皆で交流の時間を持ちました。セミナー開催に向けて、コミュニティのキーパーソンたちと懇談の場を設定して頂きましたので、今年は昨年より一歩近づき、遠野の家族や支援者たちのことを知ることができたように思います。遠野にもまだ仮設住宅があり、酪農や原木椎茸などを仕事としていた方々が困難を抱えているようですが、紅葉した遠野の山は美しく、遠野駅周辺もリニューアル工事が終わり、人々の生活は少しずつ日常を取り戻しつつあるようでした。 

   大船渡市では、市民交流館カメリアホールにて、10月22日~11月3日、漫画展、11月1日、団士郎による漫画トーク、2日午前に村本が「支援者支援セミナー」、渡邉佳代が遊びワークショップ「ふうせんで遊ぼう」、午後に笠井綾が「アートで遊ぼう」を提供しました。支援者支援セミナーには、仮設住宅の支援をしている方々が参加してくださいましたが、支援者自身も被災しながら、いわゆる「被害くらべ」が起こってしまうこと、心をこめて支援しようとするからこそ無力感や絶望感が生じていることに胸が痛みました。「アートで遊ぼう」には、かわいい子どもたちが参加してくれました。タッチドローイングでできた作品にペアでお話を作るワークで、私とペアになってくれた女の子は、私の作品に「ハートの天使が降りてきて、ひまわりの芽が出、新しい友達と出会いました」というお話を作ってくれました。

   大船渡の空と海は青くキラキラ輝き、心が洗われる思いでしたが、ふと眼を落すと、供え物の花束が浮かんでいたりします。陸前高田へと足を延ばすと、復興にはまだまだ遠い光景に途方に暮れる思いでしたが、広場で「産業まつり」をやっており、笑顔と活気にあふれていました。岩手の光景には、あちらにもこちらにも哀しみ・悼みと希望が散りばめられています。震災から一年半の大船渡、影があって光があるという光景をそのままに胸に刻みたいと思います。

 大船渡 マンガトーク (応用人間科学研究科教授 団士郎)

     大学主催で大船渡市の後援はいただけたものの、地元で動いてくださる方を確保できなかった。そのため、参加者を募っての告知活動や、お誘いの機会が限られることになった。加えて、被災地である大船渡市では、パネル展やワークショップ、講演会などを開催できる会場が限られている。タイトな日程の中で設定する講演会になり、結果、金曜日午前10時から一般の方達に参加を案内することになった。

    そして、参加者は一名。取材記者二名、主催関係者二名の講演会になった。

     私のこれまで経験で、一番参加者の少なかった講演は二名。それは阪神淡路大震災の直後の、豊中市庄内公民館だった。連続開催されていた子育て講座の最終回を担当することになっていた。継続参加者対象なので、とにかく最終回までやってしまいたいという事務局の要望を受けて出向いた。ブルーシートに覆われた家並みの続く阪急沿線の車窓を見ながら会場に向かったのだった。

    そして今回は、岩手県大船渡市でお一人に向けて話をした。講演の心構えとしては基本的に話しかけるのは一人である。どれだけ大人数になろうと、団体に演説するような話し方はない。一人という参加者が指し示すもののことを思いながら、多少のやりにくさと共に1時間半を乗り切った。大船渡は初めてで、去年は遠野開催だった。今年はそちらにも対応して、別部隊が支援者支援の企画を実施した。そこには、三十数名の参加があった。継続して重ねてゆくことがもたらすもののことや、現地で動いてくださる方の大切さを思った。

    午後、沿岸部被災地域を大船渡、陸前高田、気仙沼と車で回った。去年も訪れたところがあり、そのまま取り残された風景も沢山あったが、午後の光の中では復興の兆しもそこここに見られた。それにしても気仙沼の陸に押し上げられたままの巨大船舶には圧倒された。「こんな大きな船が・・・」と絶句である。そして夕刻から夜になると、まだまだ灯りの限られた、現実の厳しさも感じられる風景になった。冬が近づいていた。

     土曜日、週末の会館利用者で昨日よりは賑わうカメリアホールで、漫画展の片隅に置いてある観覧者用感想ノートを見た。ここでの二週間の展示期間中に、おそらく誰もいない会場でパネル漫画展を見て書いてくださった方の感想だ。

     それを読んで、本意だと思った。この作品で届けることが出来たらと考えたことが受け止められている。講演もそうだし、マンガ作品もそうだ。見てくれる人、聞いてくれる人の心が反応して初めて、発信されたものが完成する。

   創作物への考え方は様々だが、私の作り出しているものは、受け手との関係の中で完成する。孤高の芸術家を目指したことはない。誰かにとっての作品の意味が届いた事のフィードバックがあると、本意の完結が実感できる。

    冊子についての感想をワザワザ話しに来てくれた人からもそんな経験をした。マスコミではなくミニコミ、間接ではなく直接のやりとりが作り出すものの力を実感した岩手だった。

 「風船で遊ぼう」を担当して (立命館大学心理・教育相談センター・渡邉 佳代)

    昨年に引き続き、岩手のプロジェクトに参加しました。昨年は内陸にある遠野での実施でしたが、今年は沿岸部にある大船渡市での開催でした。昨年も夕暮れに大船渡駅周辺を視察しましたが、大船渡市の沿岸部では国道45号線(浜磯街道)を境に海側・山側で風景が異なります。海側は津波の被害の跡が大きく、大船渡駅周辺は、以前は市街地だったと聞きましたが今は見渡す限りの空地です。昨年より、やや灯りが増えたような印象でしたが、地盤沈下が1mあったそうで、満潮時に海水が入り込むと海側は田植え前に水を張った田園風景のようになってしまいます。

    ワークショップはいずれも盛駅前の大船渡カメリアホールで行われました。盛駅は一部工事中でしたが運行されています。津波は盛駅まで来たそうです。盛駅から先の大船渡、気仙沼までが不通になり、現在は振替の輸送バスが出ていると聞きました。盛駅構内に物資のスペースがあり、衣類や生活用品などが置かれ、割と頻繁に年配の方から子育て中くらいの年齢の方まで、物資を見に来られていました。

    M1の藤原さんにお手伝いをしていただきながら、「風船で遊ぼう」のファシリテーターを担当しました。9ヶ月から3歳までの子ども4名と、その保護者4名の参加がありました。普段、私がNPO法人FLC安心とつながりのコミュニティづくりネットワークのDV子どもプロジェクトで行っている風船呼吸法は、幼児~小学生までを対象としています。急遽、心理教育的な要素はなしにして、皆で楽しめる風船遊びに変更しました。

    参加人数は決して多くはありませんでしたが、その分、子どもの様子を具に観察しながら関わり、保護者の方の声を聴くことができました。保護者の方によると、こうした子どもプログラムはあちこちでたくさん開催されているとのこと。親子で遊べるもの、助産師が主催のものなど、現在は各公民館・保育所などで催されているとのことです。保護者の方のニーズとしては、親子で楽しめるものが良いと伺いました。

     会場は60畳ほどの大きな和室です。普段、家ではできないような体を使った遊びがたくさんできるといいなと思い、子どもの年齢に合わせたプログラムを実施しました。初めは親子の様子を見ながら、それぞれで風船遊びを行いました。次第に子どもたちが場に慣れきたので、新聞紙を大きくつなぎ合わせ、その上にたくさんの風船を乗せて、皆でバサバサと新聞を揺らして風船を飛ばせる遊びをしました。小さな子どもは大喜び!!色とりどりの風船と、風船に子どもたちが描いてくれた絵が飛び交いました。

    子どもたちの動きが活発になってきたので、親子でペアになり、フェイスタオルの両端を親子で持って、タオルの上に風船を乗せて運ぶ遊びもしました。ふわふわした風船は思い通りに運べないので、親子で歓声を上げながら楽しみました。その後に「だるまちゃんとてんぐちゃん」の絵本を読んでプログラムは終了です。

    子どもたちの年齢からして、どの子も震災時に生まれたばかりか、お腹の中にいた子どもたちです。どんなにかお母さん・お父さんたちは不安だっただろう、子どもたちはどんなことを感じていたのだろうと思いを巡らせました。ワークショップの終わりには、しっかりとお母さんに抱っこされて帰った親子の様子に、私たちが元気をもらいました。

    プログラムの参加者は少なかったですが、今は色々な場所で復興支援やプログラム、イベントが実施されていることも関係するのかもしれません。しかし、どれだけのイベントがこの先に残っていくのかと考えた時、10年経った時にこれまでもこの地に来て、この地の人々と関わり、「この地の人々が生き抜いてきたことを見続けてきた」と言えることは、とても意義があるように思います。私たちがプロジェクトでしていることは、瓦礫を処理したり、花を植えたりなど、目に見える形でしたことの結果や成果が見えるわけではありません。長く続けることで見えることや人々の心に種を撒いていくような関わりに、どれだけ私たちがその価値と意義を見出せるかを考えていきたいと思っています。

   実際のところ、ワークショップを実施している私は、支援する者・される者を超えて、私自身がワークショップを楽しみ、親子が遊びを通して関わり合い、笑顔になっていく様子にたくさんエンパワーされています。駅の待合室や道の駅のベンチなどでも、地元の人と隣り合わせになると、よく話しかけていただきました。地元の人々の関わり合いの中に私たちもあたたかく迎えてもらい、冗談を言ったり、「おやすみなさい」と挨拶し合ったり、一緒に笑い合うことも多くありました。そうした場面では震災の話は出てきませんが、日常を一緒に過ごし、互いに笑えるのは嬉しいなと感じた大船渡でのプロジェクトでした

 プロジェクトに参加して(California Institute of Integral Studies (CIIS) 博士課程・表現アーツセラピスト・笠井綾)

   今回は立命館の提携校であるCalifornia Institute of Integral Studies(CIIS)から被災地支援の試みに参加させていただいた。

   今回は2度目の大船渡。前回は2011年7月、遠野まごころネットでの活動に個人でボランティアに参加した。その時は保育園などにクレヨンを配りながら、子供達とお絵描きをして遊ぶ活動だった。大船渡の高台にある保育園では、あの夜子供達が先生達と共に園で不安な一夜を過ごしたお話を伺い、またここに来て継続的な支援ができればと思った。その大船渡で立命館が10年間続けようとしているプロジェクトがあると聞き、ぜひ参加させていただきたいと思った。今回は支援者支援の集いのお手伝いと、アートで遊ぼうの会を担当させていただくことになった。

   大船渡に到着すると、去年の夏はまだ瓦礫の山が続いていた海辺の土地は更地になり、その中にポツンと修復されたホテルが建っていた。地盤沈下の影響で、盛り土をして作られた道路のすぐ下まで干潮時には水が迫り、建物が海に浮かんでいるような不思議な光景だった。ホテルの向かい側には津波の傷跡が生々しいショッピングセンターの建物が解体を待っていた。道を歩くと津波で途切れた線路があった。そしてその横には楽しそうなプレハブの屋台村がある。どこを向いても復興の色々な段階にあるものが混在していた。きっとここに住むそれぞれの人々の心も同じように色々な段階にあるのだろうなと想像した。

   週末の大船渡は他にも色んなイベントがあるようで、集いはごく小さなものになった。しかしそのぶん仮設を運営する支援者の方々が直面している様々な問題について、数名から詳しく伺うことができた。支援者支援の会では、一日の仕事始めや終わりに使うことのできる、体を使ったドラマのウォームアップエクササイズを紹介した。アートで遊ぶ会では、ミニハープの音色でリラックスしながら、タッチドローイングという表現アーツの手法を使って描く版画を紹介した。これは一枚を描くのに数秒しかからず、一時間もすると十枚以上の絵ができる。これをペアになって一緒に眺めたり、タイトルを考えてみたり、絵を繋げてストーリーにしたりしてもらった。簡単で自由な表現で、大人も子供も楽しんでいただけただろうか?

   支援者が疲弊しないためのケアやトレーニングの必要性は意識されているが、継続的なサポートの実現はまだまだできることがたくさんあるし、支援が求められているという印象を受けた。被災地で働く支援者の多くも被災者だ。被災者自身が支援に参加することはエンパワメントに繋がるが、その支援者達を長期的に後方支援できてこそ言えることだと思う。支援の輪はまだまだ広げなくては。遠野ボランティアセンターに立ち寄り、スタッフの方にお話をうかがった。今は瓦礫撤去ボランティアはほぼ終わり、生活困難に対する支援、以前から続けられている仮設での「お茶会」などを通してのコミュニティー作りなどに活動がシフトしている。帰りに立ち寄った陸前高田では、ボランティアの活動の積み重ねで、カラフルなフラワーロードが出来ていた。引き続きたくさんのボランティアが参加してくださることを願う。

   私の住んでいるサンフランシスコ・ベイエリアでも、3・11以来、被災地のために何かしたいという思いを持つ在米日本語スピーカーや日系アメリカ人の人々が義援金集めから現地支援まで様々な活動に参加してきた。ベイエリアに住む臨床心理士やサイコロジスト達の間でも定期的に集って情報交換し、お互いに別々の場所にボランティアに行くよりは定期的に一つの場所に行って支援することで継続性を作ろうとする試みもある。それでも未だに「私が短期で行ってもご迷惑をおかけするだけ。」という声もちらほら聞こえる。

   長期で心理職として活動することがままならくても、もともとが対人援助職だから役に立てるボランティアも多くある。去年の夏も瓦礫撤去などの作業には数十名のボランティアが殺到していたが、傾聴やコミュニティーの場作りが目的の「お茶会」や、子供を安全な河原で遊ばせる活動に必要な数名のボランティアが集まらない日があった。「傾聴ってどんな風に接したら良いかわからないし。」「被災者の方に何を言っても傷つけてしまうような気がして。」と、参加をためらう一般ボランティアの人々にも出会った。ボランティアの内容も人によって向き不向きがあるのは当然で、私が参加したお絵描きの活動にも、対人を得意とする看護士さんや、学校の先生、ジャーナリスト、さらに退職サラリーマンや自衛官の方々などが多く参加しておられた。瓦礫撤去が少なくなった今だからこそ対人を得意とするボランティアが求められている。

   最後に、ボランティアセンターを通して個人で参加するのと、今回のように専門家のグループに組織から参加することの意味や違いについて考えてみた。ボランティアセンターに一般参加する場合、自分の専門は伏せて活動する必要があった。だけどそうすることで多くの人々や子供達と触れ合い、現地の様子を実感することができた。今回は「対人援助者のため」と対象者が絞られていたので、小さな集いだったけれど、長期的な専門支援について、つなぎ目にいる支援者の方とこれからのことをお話しでき、私自身が後方支援のつなぎ目として長期的な活動する可能性が見えた。こちらが提供できることを知っていただき、信頼を築き、今後も利用していただけたら良いと思う。また、来てくださる方は「こんなことを話したい。」という目的意識を持って参加してくださっていた。だからこそ、続けて支援していく必要性と責任も実感し、やらなければならないと思った。

  短期の活動でできることは限られているが、今回も現地の今の様子を米国在住の人々に伝え、そしてボランティアに行く事を躊躇している人々には、できることはまだまだたくさんあると伝え、来たことのある人にはまた来てもらえるように働きかけようと思う。いつも津波の爪痕と同じくらい胸を打たれるのは東北の美しさだ。輝く赤や金色の葉っぱのトンネル。瑠璃色の川。きらきら光る青い湾。これからも東北に通い続けたいと思う。

大船渡の方との出会いを通して~漫画展アテンド~(応用人間科学研究科 対人援助学領域M1・清武愛流)

   先日、漫画展のアテンドとして岩手県大船渡市に訪問した。瓦礫の山が在ったり、建物が崩壊したままだったりと津波の威力を感じた。その一方で自然に咲いた花や、人々が植えた花が開いており復興や前向きな印象を受けたのは言うまでもない。

    さてここからは私が担当した漫画展のアテンドでの関わりを紹介したい。漫画展アテンド役の目的は漫画を読んでいる方、立ち寄られた方に冊子をさりげなくお渡ししそこから会話が生まれたらその声に耳を傾けたり共に笑ったりして過ごしている。私がもっとも重要としているところは来られた方が居心地良い場であることだ。私自身の目標はその決められた空間でいかに楽しむかを常に考え行動することだった。京都で行ったアテンドで学んだことがあるそれは「あいさつ」が関わりのスタートになることだった。今回はあいさつをし難い環境ではあったが、何人かの方々と会話する機会を得た。あるお婆さんはこの施設に水彩画を習いに来たらしい。冊子をお渡しし会話をしているうちにわかったことがあった。それは彼女は震災後から水彩画を始めたとのことだった。しかし、時間となりお婆さんが別室に移動する際、「また来るわね~」と仰ってくれたので「はい!是非おまちしております!」と言ったものの私は午後からいなかった。どれだけ居続けることが重要なことなのか分かったような気がした。私自身、10年くると決めたから継続してこの活動をすると言っても今そこに住む人には何も関係がない。証人であり続ける目的があるにも関わらず得なかったと思った。今できることを大切にできるようにし、その積み重ねの10年にしたいと思った。

    そして今回も漫画展以外の場面で面白い出来事があった。駅舎にて電車は動いていないのに待合室がありそこに人がちらほらいる。昨日から同じ状況だった。そしてあいさつがきっかけで中に立ち寄ってみた。そこには仮設住宅の方が作った小物やお弁当などが置かれていた。どこから来たのかなど他愛もない話の中から冊子お渡しする機会を得た。そしてこの施設の概要を知ることが出来た。ここは、NPOに委託された事業をしており地域活性の一環だという事だった。また鉄道マニアの方が来られたりしているようであった。話をした方はNPOの方ではないとのこと。中核はもしかすると雇用なのかもしれない。しかし、そこから派生しているのは地域活性になっている。地域活性化事業が中核だとしても、それは外核であるように感じた。それは鉄道マニアが来るということから考えさせられたからだった。きっと予期していなかった人(ターゲット)がちらほら集まってくるようになったのではないだろうか。これは、私たちのしている復興支援に近い気がした。展示会場に戻ると、プロジェクトメンバーから冊子の束(80冊)置かせてもらえるのでは?と提案されたのをきっかけに持って行った。「ご迷惑でなければ、置かせてください。ご自由にお取りくださいくらいで構わないので」と伝えると「いいですよ」と明るく返事をいただいた。「プロジェクトは10年すると決めているので、またここにも来るかもしれません。またお会いできたらうれしいです」と話すと「そんなに長く?すごいね~。また会えるといいね」と言ってくれた。この関わりをきっかけにこの場所にも10年きたいと思った。何かをきっかけにし、つながっていくありようが見受けられ、その繋がりをこちらから閉ざせば支援は終わってしまうような気もした。帰宅後、この待合室のサブマネージャーにお礼のメールをした。すると、来年こられたら足を運びたい、頂いた冊子は駅の方、隣で経営されているところへもお配りしてくれたとのこと。予期せぬことが起こりがちなアテンド役なのだが大船渡の方々との関わりも楽しく、帰って来てからも繋がれたように思えた。

    今回の大船渡訪問は支援者としての在り方を考えさせられたように思う。ここでもこの先同じ方とまた出会い、他愛もない会話が生まれれば幸いだと思った。そして、漫画展に初めて来られた方にももちろん心地よく過ごしていただきたい。大船渡への訪問は私にまた一つ、考える機会を与えてくれた。また来年、同じ方と顔を合わせたときどんな会話が生まれるのか楽しみだ。

2012遠野発大船渡(応用人間科学研究科・臨床心理領域M1・藤原佳世)


   遠野物語の語り部が言った。「物語を語るときは、物語そのままを語ります。修飾を加えたり、意味づけをしたりはしません。物語の筋だけをそのまま語るようにします。」遠野物語には起承転結のない物語が多い。また、日本昔話で育った私たちはつい、物語の中に教訓のようなものを探してしまう。物語の中に因果関係が成立しないと、何か自分が置き去りにされたような浮遊感に苛まれる。遠野は被災した各沿岸部へ1時間の距離にあるため、震災直後から後方支援の基地として多くの支援者やニューズミディアがこの地を通り過ぎて来た。現代の語り部であるニューズミディアは遠野の語り部の言葉に耳を傾けただろうか?「物語をそのまま語ること」は思うより難しい。しかしそれは私たち支援者が最低限、心に留めておくべきことではないだろうか?

   
 朝から急に寒くなる。遠野の山々があまりにも綺麗で妖しい。朝から霧がかかっていて、空が刻々と変化する。まるで宮崎駿の映画のように何かがふっと物陰から出てきそうな気配がする。この町の人達は景観を本当に大切にしている。田舎に行けばどこにでも見られる大きな看板や安普請の家々は遠野市のどこにも見られない。白岩児童館訪問。「今日からストーブを炊いています」と園長先生。全館暖房でないところが懐かしい。遠野には小学校の数だけ児童館がある。白岩児童館の場合は小学校に併設していて、両開きの扉で繋がっている。全国でも珍しく、1年生から6年生までを預かっている。そして16時半までは児童館を利用している生徒だけでなくどの児童も利用できるので、利用している生徒と利用していない生徒の間に溝が出来にくい。「最近の子はすぐに骨折するので困ります」と園長先生。「こけそうになったら手を着くとかいう体のコーディネーションがないんです。」「それから子供がなんか疲れてるんですよね。児童館にはみんな休みに来るんです。」「あと、けんかの加減がわからないんですよね。どこまでならケガをさせないとか」伺っていると遠野も大阪などの大都市が辿った道を辿るのかな、という気がしてくる。しかし村本先生は「ここの子供たちは先生に恵まれている。大都市に比べてまだまだ懐の深い先生方がたくさんいる」と仰って白岩児童館に到着すると保育士さんたちが約30人、教室に丸く円になってすでに座っていらっしゃる。村本先生の講演。必要な情報は伝えながらも先生の立ち位置は聴いている人々と同じ高さだ。講演が終わった時、何か暖かいやわらかい感じだった。

  長い長いトンネルを抜けると遠野とは全く違った光景が拡がっている。山も遠野のように優しくはなく、石切り場も多い。自然も何となく荒々しい。大船渡に着くと道路の両脇が土嚢に支えられているのが見える。1m程も地盤沈下したため道路をかさ上げしたのだ。残っている建物の1階は道路よりかなり低い。町の中心であった盛駅前が殺伐としていて線路が途中でぷちっと切れている。日が暮れてきて物悲しい。私たちのホテルはそんな中にポツンと立っている。4階まで水が来たそうだ。満潮なのか、ホテルのすぐ横の敷地には水が沸いて道路すれすれまで上昇している。

   団先生の漫画展が開催されていたカメリアホール

  午前の村本先生の支援者支援セミナー設営

  渡邊先生の風船で遊ぼう。カメリアホールの和室3間をぶち抜いたスペースを楽しんだ。

渡邊先生から早々と取り上げた「魔法の杖」を覗いてみる。

 笠井彩さんのアートで遊ぼう。みんなワークに夢中で誰もふりむかない。

二人一組でひとり3枚のアートを選んでお話を作る。団チーム。






大船渡のカメリアホール




サイン




パネル展




風船で遊ぼう


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