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応用人間科学研究科 震災復興支援プロジェクト

2012年8月17日~8月21日「東日本・家族応援プロジェクトin きょうと 2012」




「東日本・家族応援プロジェクトin きょうと 2012」を開催しました 

(応用人間科学研究科教授・村本邦子)

 2012年8月17~21日、ウィングス京都にて、「東日本・家族応援プロジェクトin きょうと 2012」を開催しました。今回は、昨年度もプロジェクトにご協力頂いた「特定非営利法人きょうとNPOセンター」の主催でした。事務局長の野池雅人さんは応用人間科学研究科の一期生であり、昨年度、福島でのプロジェクトに来てくれたことから、きょうとNPOセンターが支援を続けてきた京都への避難者の方々に対しても、是非、このプロジェクトをやりたいとのことで、今回の実施に至りました。このような形で修了生たちと対人援助のネットワークが拡がっていくのは嬉しいことです。

  京都にいながら、京都の避難者の状況をよく知りませんでしたので、プロジェクト実施に先立ち、7月10日、きょうとNPOセンターから、野池さんとともに、藤野正弘さん(前・京都災害ボランティア支援センターセンター長)をお招きし、プロジェクトメンバーでお話を聴かせて頂きました。 京都への避難者数は、行政が把握しているだけで約800人。うち7割近くが福島からで、小さい子どもを連れた若い母親が多いそうで、関西広域連合の中では滋賀と京都が福島を支援したこと、京都は支援体制がしっかりしているという口コミが広まったことも影響しているのではないかと言われているそうです。 福島には、さまざまな事情で避難したくてもできない人たちがいて、「避難できる人はいえよね」と言っている。逆に、避難してきた人たちは、向こうで歯を食いしばって生きている人がいるのに、自分だけ逃げてきたという負い目があったり、勝手に逃げたと責められ、家族・友人関係にもひびが入って孤立したりしている。二重生活を強いられ、経済的にいつまでもつのか、月に1度も家族に会えず育児ストレスもたまる、子どものためにこっちに来たけれども、この選択が正しかったのかどうか毎日悩んでいる・・・などさまざまな声がある。支援したいという人たちとのミスマッチもあり、たとえば、USJや宝塚に招待しましょうなどというイベントは一時的には嬉しいし、行くけれども、それは一時的なもので、支援を施されるばかりなのは辛い、自分も何かしたいと言う声や、自分は京都に骨を埋めるつもりでいるなど、さまざまな人たちがさまざまな思いを抱えていらっしゃるというお話でした。

   お話を聞きながら、過去の災害や事件の被害者たちのことを思い、時間の経過とともに、二次的・三次的影響が重なったり拡がったりしながら、社会からは見えにくくなっていくこと、見えなくなっていけば、関わりのない人々にとっては過去のこととして忘れられていくけれど、当事者は孤立して抱え込むしかなくなること、当事者のなかでは、そのことを忘れたい時もあれば、考えたい時もあるけれど、いずれにしても、社会が忘れ去ることを望んでいるわけではないというようなことを考え合わせていました。このプロジェクトは、だからこそ、あまりに直接的な形で被災に焦点を当てるのでなく、けれども、被災のことを忘れてはいませんよというメッセージを発しながら、災害のことを話してもいいし話さなくてもいいという形をとっています。そんな仕掛けのなかで、私たちが感じたことを発信していこうとするものです。

   今回は、地元でのプロジェクトだったため、他所とは違い、プログラム開催日以外も毎日、院生スタッフがアテンドして来客者への対応をしてくれたことで、本来の趣旨がより果たせたような気がしています。ウィングス京都では、毎日、さまざまな企画が開催されており、漫画展はその通路にあったことから、200名近くの人が前を通ったようです。もちろん、全員が展示を見たわけではありませんが、足を止めて見てくれたり、スタッフと言葉を交わしたり、直接、災害のことを話すわけでなくても、そこで「東日本・家族応援プロジェクト」を開催していることから、「忘れない」、「忘れられていない」というメッセージがあっただろうと思います。

   「お話サロン」以外は避難者に限定したわけでなく(本当のところ、誰が被災者で誰がそうでないのかという線引きができるものではありません)、「自分は避難者です」と名乗って参加してくださった方は多くはありませんでしたが、具体的な案内を出したのは避難者の方々に対してのみでしたから、子ども連れで遊びワークショップに来てくださった方などは、案内を見てくださった方でしょう。直接お話した方との会話からも感じたことですが、京都にはたくさんの支援組織があり(実際、日程の重なったイベントも多くあったようです)、すでにつながりを持っておられる方もありますが、さまざまな事情、さまざまな条件や思いから、どこにも所属していない人たちが不確かな思いを抱えておられるのだなと思いました。 事前に藤野さんから聞いていたことでもありましたが、とくに自主避難の方々には、「自分の選択は正解なのか、間違いなのか?」という迷いが日々あるのだということ、放射能に関する正確な情報が得られないまま、自分なりの判断による選択の責任を個人レベルで背負わされる厳しさをあらためて思いました。避難によって失うものと得られたものを比べた時、失ったものが大きければ大きいほど、迷いや後悔が強くなることでしょう。選択してよかったと思えるような経験がひとつでも多くあることを願うばかりです。

   たいしたことはできませんが、ささやかながらも、プロジェクトを続けていくことで、東日本大震災や原発の問題をあらためて心に刻み、「忘れない」のメッセージを伝えていけたらと思います。


京都会場で (応用人間科学研究科教授・団士郎)

  京都会場でアテンド(来場者接待)を担当していた院生のレポートを読んで、これまで何となくギャラリー空間で感じ続けていたことが、自分の中で少しはっきりした。それは、今回の復興支援プロジェクト2011と、これまで数多く経験してきたマンガ展のギャラリーでの経験との違いだ。

  ひっきりなしにお客さんが来るわけではない空間に、アテンドとして一人いるのは手持ちぶさたなものである。複数の関係者がいるととりあえず、他愛のない雑談で盛り上がる。私が街でたまに覗いたりするギャラリーは、誰もいないこともあるが、時には友人、知人らしき来客で大いに盛り上がったりしている。

  しかし、今回のプロジェクトは知り合いに来て貰うための設定ではない。先ず見ていただきたいのは、これまでお目にかかったことのない被災者だ。京都会場の場合、はるばる遠くから避難してきている人たちである。知人、友人の少ない土地で、たくさんの日常的課題に対応しながら暮らす人たち。

  そんな中で、足を運んでみようとしてくださった方達にとってギャラリーは、賑やかであってはならない。

  アテンドは来場者のふるまいを見て、そこから感じ取れる情報から、適切なタイミングで小冊子を手渡し、気配に応じて、答えやすい問いで話しかける。こういう中から、閉ざしていれば誰にも分からない来場者の「木陰の物語」が見えてくることがある。

  去年のむつ市や遠野、福島では、人手もなく、私が会場にぽつんと居るしかなかった結果、そういうことが起きた。今回の京都会場でも、私が会場に詰めていない時間には起きていた。

  しかし私が訪れて、アテンドの院生も居た時間帯は、つい私が話してしまった。あの時間帯に訪れてくださった方々の、ささやかな気配を感じ取るアテンドの仕事をじゃましていたかもしれない。

  出来るだけ多くの方に見ていただきたいという作家としての気持ちは間違いではないと思うが、今回のプロジェクトの目的は異なっている。

  毎年開催をしていたら、パネルが約25枚ずつ増えていく。そのうち100枚になるだろう。そうなった時には、団士郎「木陰の物語100点!展」として、作品展をすればよい。そこには友人や、知人、漫画家仲間や心理臨床関係者を招けばよい。

  震災復興支援家族マンガ展は作品だけではなく、その空間に仕事をして貰うために、静でなければならない。お客は少ない方が良いなんて、おかしな話のようだが、実際そうなのだと思う。


プロジェクト(漫画展のアテンド)をお手伝いして(対人援助領域 修士課程1回生 清武愛流)

  京都でのプロジェクトの5日間、私は漫画展示会場でアテンドをしていた。私は、漫画展があると知り来られた方や、たまたま寄られた方に心地よく漫画展での時間を過ごしていただきたいと思い座っていた。しかし思いのほか、じっくりと立ち止まって下さる方は少なく、みんな足早に通り過ぎていた。しかしそこに毎日いることで何かしら興味を示され、こちらからの働きかけによって漫画に目を向けて下さる方もちらほらといらっしゃるようになりコミュニケーションをとる機会にも恵まれた。今回の漫画の内容は震災をテーマにしたものではなく、家族がテーマになっており一見すると何がテーマの展示会なのかはわからない。しかし言葉を交わすことで、震災プロジェクトであることを知ってもらえることになった。この言葉を交わすことが本当に大変で、目もくれずに通り過ぎる方、何となく話しかけにくい雰囲気の方、懸命に漫画を一点ずつ読まれる方、中には道を聞かれる方やお勧めの食事処を聞かれる方まで!!本当に様々でどう声をかけるべきなのか正直、迷うとこでもあった。そこで私は、基本はあいさつからと思い何気なく「こんにちは」から始めてみた。するとあいさつとは偉大でそこから他愛もない会話が生まれ、果てには震災の話やこの漫画展の趣旨に渡るまで伝える機会を得た。こうして日々いろんな方と言葉を交わし、他愛もない会話を繰り広げ、そこに居続けることで発展することも感じた。 この5つ日間は、意識せず、身構えず!その場の雰囲気で楽しく過ごし、挨拶を大切にすることで何か関わりが生まれた日々だったのは確かだ。震災という言葉が会話に出てきたのは一回だったが、何かしら感じていただけた方は多かったのではないだろうか。そして毎日いることで何か関わりが増えたのも事実だ。直接こんな効果があった、誰かのためになったとは分かりにくい。しかし、はっきりと分かったことがある。何かしらの効果があると確信をもって行うのではなく、その場で考えながら楽しくそこで続けることが地道にこのプロジェクトの趣旨である家族や支援者、コミュニティーに寄り添い、人々が復興の物語をつくっていく声に耳を傾け、時代と社会のwitnessとして存在し続けることに近付くのではないだろうかと思った。それは関わりの中から以前に来た人が立ち止まる、声を掛けられる、漫画展がある事の気づいていたということを知ったからだ。また、今までは会話はなかったが、漫画展をきっかけに話すことになったということも生まれたからだ。


プロジェクトに参加して(臨床心理領域 修士課程1回生 藤原佳世)

  今回、「東日本・家族応援プロジェクトin きょうと」に参加して、様々な気付きがあった。ひとつは私も含めた私たちの多くが、毎日ただ同じ道を行ったり来たりして生活している、ということ。同じ道を通って、同じ電車に乗り、同じ学校や職場へ向かう。同じ人と、同じようなことを、安心して話す。知らない人といつもと違うことを語り合う機会は、あまりない。同じ道と安心と引き換えに、「他への関心」というものを失くしているのではないだろうか?ふと立ち止まって街を眺めてみると、いろんな仕事をしている、いろんな才能を持った、いろんなことに立ち向かっている人達が見えてくる。しかし、そうやって「ふと」立ち止まることは「忙しい」私たちには難しい。何故急ぐのか? 様々な個々の理由があると思うが、このプロジェクトに参加した5日間は私に「ふと」立ち止まることを教えてくれた5日間だった。


プロジェクトに参加して(臨床心理領域 修士課程1回生 飯塚梓)

  今回のプロジェクトでは、とても貴重な機会を頂くことができた。村本先生の「こころとからだ お話サロン」に参加させて頂き、京都へ避難されている方とお話をすることができた。その場でお話を聞いて、震災が起こってから現在まで、常に不安な気持ちを抱え、迷いながら生活をされてきたことを知った。被災された人々の苦しみは、形を変えつつも続いていることを実感した。同時に、京都へ避難されてきた方への支援の重要性を改めて感じた。東北からは離れているが、この地で復興支援をする意義を感じた。 京都プロジェクトに参加して、京都にも出来る支援、京都でしか出来ない支援があることを感じた。京都の支援者の人々には、今後も避難者の人々の声を反映させながら、変化していくニーズに対応して、生活を支えてあげていって欲しい。その中で、自分に出来ることがあれば、協力していきたいと感じた。 アンケートの言葉の中に「今を生きる方法を知った」という感想が記してあった。先のことは誰にも分からないが、今をどう生きるかで未来は変わる。参加者の方に、今を生きる勇気を与えることが出来たのかもしれない。今回のプロジェクトが、何かの形で役に立って頂けたらとても嬉しい。私も今回の経験を生かし、今後の支援について考えていきたいと思う。


プロジェクトに参加して(対人援助領域 修士課程1回生 荒木久理子)

  私は、今回のプロジェクトで村本先生のサロンに参加させていただいた。「被災された方が、あの時から今まで抱えてきた思いというのはこれほど大きなものだったのか」という思いがサロンを終えた今でも強く私の心に残っている。 原発事故後、目に見えない放射能がどれだけ人体に影響があるのか不明確な中で、「子どもにだけは」と思い多くの人が京都まで避難し、現在も生活している。その一方で、家族との生活を優先させるべきだったのか、それとも子どもの体を優先させるべきだったのか。この選択は合っていたのかそれとも間違っていたのか。あの時から、自分では答えの出せず、それを向ける相手も責める相手もいないこの問いを抱えている。それが、震災後そして事故後1年半が経過し、京都での生活が安定してきた今だからこそ表面化してきた問いになっているのだと思った。 今回、とても貴重な話を聞かせていただいた。京都に住み、地震を体験していない私ができることはほとんど無いのかもしれないが、今回のサロンに参加したことで少しでも意味のあるものになればうれしいと思う。


東日本・家族応援プロジェクト in きょうとを終えて(特定非営利活動法人きょうとNPOセンター事務局長 野池雅人)

  京都府内に大震災によって避難されている方々は、今年5月の京都府の発表によると、わかっている方だけでも467世帯1361人、京都市内だけでも216世帯641人にのぼります。さらに7割以上の方が福島県の方がであり、特に子育て期の親子が多いと言われています。

  今回、子育て中の親子の方々を対象に、親子で楽しみながら参加できる漫画展、遊びのワークショップ、今後の京都における子育てに役立つ相談サロンや講演会、情報提供を行わせていただきました。

  アンケートや参加者からの声をみても、団先生の漫画展、講演会、村本先生のサロン等、ゆるやかな交流の場ではありましたが、家族をキーワードに参加者の皆さんがそれぞれのこれまでを見つめ直す時間と機会になったようでした。

  今後も、すでに避難者としてではなく、京都市民として暮らされている皆さんが、自然に安心して参加できる機会や場所について、大学や地域NPOと連携しながら日常的に必要に応じた支援ができるように取り組んでいきたいと思います。また避難されている方に限らず、今回の震災を忘れない事業として、継続的に立命館大学と連携させていただきながら、京都でも展開していきたいと思っています。


2012年8月17日~8月21日「東日本・家族応援プロジェクトin きょうと 2012」(チラシ)



パネル前で



受付で



団士郎先生漫画トーク



漫画パネル




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