授業イメージ写真

応用人間科学研究科 震災復興支援プロジェクト

10月8日~10月13日 京都市「東日本・家族応援プロジェクト in きょうと 2014」




「東日本・家族応援プロジェクトin きょうと 2014」開催しました 

(応用人間科学研究科教授・村本邦子)

   今年も、きょうとNPOセンターの主催で、2014年10月8~13日、東山いきいき市民活動センターにて、「東日本・家族応援プロジェクトin きょうと 2014」を開催しました。

   プロジェクト実施に先立ち、10月7日、京都の避難者支援をされている大塚茜さん(NPO法人和 理事長)と皆川由起さん(ほっこり通信)を招き、「県外避難者の3年間」についてお話し頂きました。大塚さんが、避難者同士が交流できるサロンNagomiから、京都に避難・移住してきたスタッフとで一緒に働くキッチンNagomiをオープンさせた経緯や、それぞれ個別の事情を抱え分断されがちな中でも、目的を共有することができれば乗り越えられるということをお聞きしました。「ほっこりつうしん」は、被災地と広域避難者との架け橋として、京都から情報発信している情報紙です。お二人には2012年に出会いましたが、アイディアに満ちたきめ細かで地道な活動に頭が下がります。

   10月11日のプロジェクトでは、きょうとNPOから、「一昨年は避難者向け、昨年は支援者向けの交流会をやったが、これらの役割は一定終えたのではないか、むしろ避難者たちから私たちが学ばせてもらう機会としたい」との提案があり、茨城県から避難してこられた川﨑安弥子さんと古部真由美さんを話題提供者として、「災害時に家族に起こること~東日本大震災の経験から」というセミナーを開催しました。「災害が多発する昨今、家族に関しても災害への備えをしましょう」という趣旨です。

   川﨑さんは、夫を故郷に残し、3 人の子どもとともに京都に避難してきたけれど、高校1年生の長男は自分の意思で帰郷したそうです。仲間関係が重要になる自立の時期、自分の人生を選択した息子さんと、最終的に息子さんの意思を尊重した母親を称えたいと思うものの、その心情を思うとやるせなく、胸が痛みます。古部さんは、県外避難者を孤立させないよう、2011 年、情報で支援する「まるっと西日本」を発足させ、支援情報誌を毎月2千部発行し、関西の避難者に自治体を通じて無料配布しているそうです。川﨑さんは「ほっこり通信」や「まるっと西日本」から情報を得て、避難を決意されたとのこと、こんなふうにつながっていくご縁は不思議なものです。

   私からは、プロジェクトを通じて見聞きしてきた災害後の家族の問題を少し紹介させてもらいました。①災害時・災害後、家族がバラバラになる可能性、②支援者の家族は後回しにされてしまうこと、③災害直後は一時的に家族の絆が強まるが、④時間経過とともに、災害前からあった家族の問題からほころび始め、負荷によって問題が大きくなる、⑤避難所や仮設住宅での女性と子どもの問題、⑥避難者たちの悩み、⑦放射線が家族の食卓にきしみをもたらすこと、⑧時間経過とともに家族の問題は日常のものとなっていくこと、➈家族が安定していると子どもも安定することなどです。

   川﨑さんも古部さんも、震災前にチェルノブイリの子どもたちと接点があり、それが決断をひとつ後押ししたとおっしゃっていたことが強く印象に残りました。何が家族の備えになるのかわかりませんが、事が起こる前に見聞きしたり学んだりしたことがいざという時にきっと役に立つのでしょう。今回のセミナーが、来るべき災害に対するそのようなきっかけになるのかもしれません。

   決断にあたって、正しい情報が広くゆきわたることが不可欠です。今回は、本プロジェクトに新聞社とTV局が入り、新聞記事(添付資料参照)やTV放映(NHK京都「京いちにち」2014年10月16日)によって情報を伝えてくれました。マスコミの方々には是非とも頑張ってもらいたいものです。

 京都2014 (応用人間科学研究科教授・団士郎)

   初めての会場でのマンガ展はいつもストレスフルだ。展示壁面の条件や状況、その場を支配する暗黙のルールが見えない。パネルを壁面につるすだけのことだが、並んでいるのをみると、会場によって随分雰囲気が違うことを知らされる。作者としては、来て下さった方達に落ち着いて味わっていただける空間を用意できたかどうか、照明の具合、作品の分散など、不安のある展示だった。

   *

   大きな事が何か起きたら、その後はもう何も起こらない。そんなことが決まっているのなら、覚悟さえすれば、何とかしのげるのかもしれないと思う。しかし現実の世界は、その後にも、次々と変化が起きる。報われることも、報われないことも、それまでと同じように起きてしまう。大震災、津波、原発事故の被災者にも、同じようにそんな時間が過ぎているのだと、お弁当を食べながらの打ち合わせに立ち会いながら思っていた。

   *

   被災地からの避難者にとって、元の生活の場から離れての三年半は、どんどん個別に様々な事態が作り出されている。

   被災地の我が家に戻るか、今いる場所に留まるか、一時的なのか永遠なのか、決意するのか保留のままいるのか。そもそも、なぜ自分がそんな決断を迫られなければならないのか。

   多くの避難者達に向けた情報やメッセージを届ける支援は、被災地での直接的支援とは異なった、その後に生まれる事態への多面的サポートである。時と共に変化する現実の数だけ、まだまだ支援の形も考えられなければならないのだろう。

   *

   原発事故被害の不安から、母子避難してきた場所から、自分の意志で生まれ故郷の友人達の所に戻る決心をした息子を送り出した母親。こんな物語を生きなければならない親子には言葉がない。きっと他にも沢山の、見えるドラマや見えないドラマが錯綜しているのだろう。

   これが社会の抱えるポスト被災ということだ。それはつまり、2011.3.11を経験した日本人の全てが、あの後の社会システムが抱える物語の中に生きているということだ。誰も無関係でなど居られるはずがない。

 「東日本・家族応援プロジェクト in きょうと 2014」に参加して(対人援助学領域M2 奥野景子)

   京都でのプロジェクトに参加させていただくのは、去年に引き続き二回目になる。今回の漫画展を通して、このプロジェクトのあり方について考えることが出来たのでそれについて書きたいと思う。

   今回の漫画展では、毎回会場の出入り口に置いている大きな看板を諸事情により設置することができなかった。そのため、漫画展が開催されていることに偶然気が付くという人は少ないのではという印象を受けていた。しかし、漫画展の会場で待機していたときに元気な中年女性が「見て、この漫画おもしろいんよ~」と言いながら友人の方を連れてきてくださり、2人で楽しそうに漫画を見て笑いながら帰っていく出来事があった。私はこのときに‘何らかのきっかけで漫画に興味を持った人がそれを誰かに伝えて広がっていく場面’に遭遇することが出来たように感じている。

   私は、このプロジェクトにとって‘一人でも多くの人に参加してもらうこと’が良いことだとは思っていない。‘必要な人に、必要なタイミングで、その人にあったかたちで遭遇すること’が大切なように感じている。押しつけではなく‘いつもの季節に、いつもの土地で、いつものようにそこにあること’の意味を考えていきたいと思う。

「東日本・家族応援プロジェクトin京都」に参加して(対人援助学領域M1 山本裕子)

   今回このプロジェクトに参加して、被災は被災地のみならず、広域避難者の方々にも被災の影響は計り知れないことを知りました。少なからず、県外へ避難されている方々の情報は発信されているにも関わらず、私自身これまで目を向けていなかったことについては、少し恥ずかしさを覚えるほどです。この度改めて、関西へ自主的避難されている方々のお話を伺って、それぞれの心境には個別性の高い困難を抱えておられ、複雑な実情を伴っていることを知りました。 

   まず私たちは、被災地の方々が避難を余儀なくされるまで、またその後の広域避難生活についての経過を十分に理解し、それを真摯に受け止めていくことが必要だと実感しました。と同時に、支援を受ける側としての気持ち、有り難いと受け止めながら、反面申し訳ない気持ちとその負担感をも察していく必要が援助者として求められると感じました。

   そういった課題への取り組みとして、京都にあるNPO法人の活動を知りました。京都への避難移住によって、避難者の方々は、地域性の異なる環境のなか、個々さまざま被災による生活課題や困難を抱えながら日常生活を送られています。家族の生計を立てるため仕事で夫が被災地に残り、その妻と子どもたちは自主避難生活を送っている方々も多くいらっしゃいます。そこでそのNPO法人は、子連れでの「居場所」を提供されたことから始まり、現在は日常生活を立て直すことを目指して、被災前に郷里で行っていたように、新しい場所でもチャレンジしていけることへのサポートを実践しています。

   避難者自身の方々が、能動的に活動できる「場」が創られています。自信と希望をもつことができるこの活動は、人として、互いに尊重しながら、主体的に生きていけるための架け橋であると確信しました。素晴らしいなと思いました。

   東日本・家族応援プロジェクトは、被災地のみならず広域にわたり、私たちが住んでいる地域にも、このプロジェクトの意義は大きいと改めて学ぶことができました。また、身近にできることから、少しずつ、末永く、自律を目指しての支援がとても貴重なこととして捉えることができました。

   ありがとうございました。

「東日本・家族応援プロジェクト2014 inきょうと」に参加して(臨床心理学領域M1 土肥雅子)

   私は石巻に続き、京都のプロジェクトも参加した。京都のプロジェクトでは、県外避難者の話および漫画トークを通して家族観の揺らぎや再構築など家族の在り方について考えるきっかけとなった。 

   当初、東日本大震災というと東北に意識が向かい、県外避難者の存在を意識したこともなく震災プロジェクトと京都が結びつかずにいた。しかし今回のプロジェクトを通して、被災者は日本各地におり東北だけの問題ではないということを改めて知った。メディアを通して知る情報と当事者から直接語られる状況とでは感じ方が大きく違い、当事者の話を聞くことで震災当時の様子や避難地域外から避難を選択するまでの葛藤、京都に避難してからの想いなど今まで知らなかったことが多く新たな視点で東日本大震災をとらえることができた。何かを選ぶということは何かを手放すということでもあり、緊急事態の時にこそ何が大切かの苦渋の選択が求められ、本当の価値観があらわになる。何が正しくて間違っているのか、どの情報が誰にとってどう生きるのか、どれが最適な情報なのかわからないといった状況の中、それぞれの家族の分だけ決断があり葛藤がある。さらに理解不足や周りの評価によってさらに追い詰めてしまうことを知り、被災者・避難者ではない自分自身についても考えさせられた。

   また何気ない日常生活の中で聞いたことがいざというときの知恵になることをあることも知った。関西は「今回はたまたま被災しなかっただけ」であるという意識をもって、日ごろからアンテナを張っておく必要性を感じた。漫画トークを聞き、何かしたいという想いから始まり、いままでやってきたことが結果として活きるのだと実感した。何ができるのかわからないといって足踏みしているのではなく、今自分のできることの積み重ねによっていつか花開く時が来ると信じて、自分の場所で出来ることをやっていこうと思った。被災地・石巻に行って感じたことおよび今回の京都のプロジェクトで感じたことを融合し、私にできる支援、私にしかできない支援を探し求めていきたいと考えている。

「東日本・家族応援プロジェクト2014 in 京都」参加の経験 (対人援助領域M1 関 道子)

   東日本大震災の被災者のお話を直接伺うのは、はじめてであった。震災発生時の家族の安否についての不安、水や電気といったライフラインに生じた問題についてのお話を直接伺い、そのときどきに感じられたことが直に伝わってきて、文章で読むのでは感じることができない緊迫感を感じた。そして、その後に起こった原発事故の問題の大きさを、はじめて実感を伴って認識したことが、今回の最も大きな経験であった。原発事故については、事故直後のニュースはよく見ていたが、その後はむしろ「津波による被害の大きさ」や「犠牲者数」などのほうに目が向く程度のほうが大きくなっていたように思う。やはり距離が離れていることで、「対岸」の話と捉えてしまっていたのかもしれないが、今回のお話を聞いて目を覚まされた。 

   今回、関西に避難されているお二方のお話を伺ったが、原発事故により避難を決断され、そこには、当たり前の話ではあるが、「避難」の数だけの「決断」があったのだということを、改めて思い知った。そして、決断は、マスコミから流れる情報ではなく、ご自分たちがそれぞれ独自に調べられた情報をもとに行われていたことに、衝撃を受けた。ご家族が離ればなれになってでも、或いは人に何と言われようとも、自分と家族を守るために避難を選択された、その決断の「重み」を、直接お話を伺うことで多少でも共有させていただくことができたかと思う。そして、原発の問題については、恐ろしいことに、事故後の処理についても、今後の稼働による廃棄物処理についても、未来に向かって楽観視できるような側面は何もない。その状況で、再稼働を行おうとする国に対して、国民はもっともっと関心を向けなければならないと強く認識するに至った。

   村本先生が、最後のまとめで、震災に対する支援というより「関わり」「関心を持ち続けること」を続けていきたいとお話しされた。わたくし自身も、関心を持ち続け、見聞きしたことを次の人に伝えていく役目を微力ながら果たしていきたい。

「東日本・家族応援プロジェクトinきょうと2014」に参加して(臨床心理学領域M1 磯井知子)

   私は今回「団先生の漫画展」と「団士郎家族漫画展~木陰の物語~」に参加させていただきました。

   団先生の漫画展は京都市東山いきいき市民活動センターの交流サロンと廊下に漫画が展示されるという形で行われました。その漫画には物語と同じ数だけの人が生きた軌跡が描かれていた。話の内容は様々であるが、読み終えた者の心に静かに流れ込んでくる風を吹かせ、その風が心や人生の支えになっていく糧になるのではないかと私は感じた。また、物語を通して生まれ育ってきた家族、触れ合ってきた家族、現在一緒に生活を送っている家族と照らし合わせ過去、現在の家族というものを考えると共に、これからどのような家族になるのだろうか、なっていくのだろうかという未来の家族についても考えさせられる機会だった。

   続いて、団士郎家族漫画展~木陰の物語~に参加し最も印象に残っていることは「長い目で見たら、誰の決断が良かったのかは分からない」ということだ。人生の中で多種多様な選択を迫られることがある。目先のことだけを考えてみるとその決断が良かったと言えることも、長い目で見ると良かったとは言えなくなることもあると学んだ。選択するということは勇気がいり、選んだ道で何か不都合が起きると選ばなかった道のことを考えてしまいがちになるが、「何もしない=幸せ」ではないため、選んだからこそ現状に繋がっているということも学んだ。

   このプロジェクト全体を通して感じたことは、この震災によって負った心の痛みや抱えている不安、辛さというものは大人だけではなく子どもも子どもなりに感じており、しんどさや不安、寂しさと向き合っているのということを忘れてはならないということだ。支援者としても今後どのようにプロジェクトに携わっていき、向き合っていくかを考える機会ともなった。また、支援していく中で、私も選択していかなければならないことに遭遇した時も目先だけの考えで選択するのではなく、長い目で見た時のことも念頭に入れて選択していくことが必要だと感じた。

「東日本・家族応援プロジェクト inきょうと 2014」に参加して(対人援助学領域M1 尹 榮淑)

   10月11日、京都市における家族応援プロジェクトに参加した。企画の中、私は「災害時に家族に起こること~東日本大震災の経験から~」に参加した。

   この時間には東日本大震災により京都に避難してきた2人の方が話題提供をして下さった。現在、複数の避難当時者団体で活躍している川崎さんは大震災により3人の子どもとともに京都に避難してきたが、うち一人子(長男)は子ども本人の意思により帰卿している。川崎さんは子どもたちが放射能被害を受けたら自分の責任だと思い、子どもを守るために避難を決定した。しかし、長男は帰りたいと訴え、不登校にもなりやむを得ず帰郷しむりやりに家族・子どもを守ることは出来ない、無力感を感じたと語って下さった。

   また、本人も避難者であり「まるっと西日本支援情報ニュース」編集長として避難者支援活動をしている古部さんは当時、何が起きる前に供える、逃げるのを選択しないといけないと思い家族と逃げるようになった。しかし、自身が避難したことが正しいことだと説明できなくて苦しかったこともあり、家族が判断したことで自身の家族の生き方なのに他人から正しくないといわれたのは辛かったと語ったてくださった。0

   川崎さん・古部さんの語りで子ども・家族を守るために避難という選択をしたのに、家族中の葛藤、他人に避難は正しくないと言われるなど、違う判断をした人との分断があったことで、何で家族と自分の体を守ろうとする人が非難されるかと思う機会であった。2人の方の語りで震災後、家族には何が起きて、どのように変わっていたか、当時の様子をうかがう大事な時間であった。

「東日本・家族応援プロジェクト2014 in きょうと」に参加して(臨床心理学領域M1  伊藤ゆきの)

   この京都のプロジェクトに参加して、初めて京都にも被災された方が避難しているということを意識した。県外避難者は避難した震災の影響をあまり受けていない地域に埋没してしまうため“見えない避難”になってしまうことが問題点としてあげられる。支援も受けづらく、孤独や孤立を生みやすい。このような県外避難者への支援はまず、私のように何も知らなかった人間が、その存在を知ることから始まるのであろう。存在を知ることはこのプロジェクトが掲げる「witness証人」となることの始まりである。

   私は前半の古部さんと川﨑さんのお話の間、託児スペースで京都に避難してこられた子どもさんと一緒に遊んでいた。震災により引っ越しをするなど、環境の変化を余儀なくされた彼女と接し、彼女のこの先の未来のことを考えると、子ども達の未来を守りたいという気持ちが自然と生まれた。

   後半の団先生が紹介された漫画で、若くして子どもを産んだ母親が施設に子どもを預け、しばらくして会いに来なくなったが、また結婚してから会いに来て、今は年末に母子で旅行をしているという話があった。その話を聞いて一人の子どもと離れて暮らしている川﨑さんのことが思い浮かんだ。団先生の漫画は直接震災とは関係がない。しかし、漫画に出てくる新聞には載らないような一つ一つの家族が懸命に生きていく様子が、実際に震災に遭い家族が離れて暮らすことになった人々の心に届いて行くのかもしれないと思った。

   今回のプロジェクトは、被災地以外でもできる震災への支援を考える端緒となった。

プロジェクトに参加して(対人援助領域M1 汪 為)

   今回のプロジェクトで最も強く感じたことは、避難者の今の日常生活における困難よりも、避難者になるまでの葛藤が物凄く大変なことだった。親戚の意見もあり、周囲の声もあり、その上、どちらの情報が信頼できるかわからない。政府は最も信頼できるはずなのに、「まったく大丈夫」というメッセージを聞くと、違和感や不安を痛感する。二人の避難者は、結局チェルノブイリについての知識から、子どもを守るために避難の決意をした。しかし、避難だけでは問題の解決にはならず、逆に子どもたちに課題を突きつけ、家族がバラバラになった。震災そのものだけでなく、避難自体が普通の家庭に激変を与えたことがよくわかった。また、避難がまるで元の地域への「裏切り」という社会評価と結びつきがちなことも知った。そしてまた、新しい地域に「溶け込む」という課題も大きく出てくる。私たちは、地元の支援者というより、むしろ証人として関わっており、それしかできないということも感じた。このプロジェクトを通じて、避難者たちが自分の意志に基づいて頑張っている姿を拝見したことは、とても貴重な機会だったと思う。改めてありがどうございました。

震災プロジェクト in 京都に参加して(対人援助領域M1 渡辺 舞)

   今回京都でのプロジェクトに参加することでいくつかの「気づき」を得た。参加にあたっての事前レポートを通し、まず驚いたのが、京都への県外避難者数の多さである。889人(2014年8月現在)というこの数字を単純に多いとか、少ない等と判断するのはよくないことかもしれないが、889名もの人々が京都という同じ街で暮らしているということを恥ずかしながら知らなかった。まずは「知る」こと、その重要さに気づかされた。

   今回は、京都に避難して来られている2名の方がお話しをして下さったわけだが、避難して来られた多くの方が震災から3年半経った今でもなお、家族がばらばらに生活せざるおえない状況であり、様々な困難を抱えながら、また多くの迷いの中で日々を送っているということを知った。 「子どものことを第一に考え県外避難を決めた」というお話があったが、その判断が正しかったのか、間違っていたのかと今でも尚、日々の状況変化の中で悩まれているというのが伺えた。こういった「判断」や「決断」についてもお話しがあったが、福島の原発事故が起こった際も多くの情報が錯綜する中で、お二人ともが、「最後に役に立ったのは自らの経験・知識であった」と言っておられたのが印象的であった。日々、様々なことに耳を傾けることで、いざという時に力になるということに気づかせていただいたように思う。

   被災された方に直接お話しを聞くのは今回がはじめてのことであったが、震災を風化させないためにも「知ること」、そしてそれをまた誰かに「伝えること」で少しでも役に立つことができればと思う。

京都市における遭遇から考えさせられたこと-「周辺」-(対人援助領域修了生 清武 愛流)

   2012年から始まった京都における家族応援プロジェクト。今回は『東山いきいき市民活動センター』で開催された。ひき続き主催をしてくださっている『きょうとNPOセンター』の指定管理施設である。今回も私は、漫画展のアテンドとして参加をさせていただいた。これまでとは異なり、避難して来られた方々、支援者の方々と会話はしていない。それは、日頃からセンターを利用されている方々が、通られることが多かったからかもしれない。

   昨年度までを振り返ると、今まで同じ家で生活をしてきた家族と離れ、またこれまでと異なる地域で暮らしはじめることは大きな決断であることを感じた機会だった。離れることの決断やそこからの営みの中で、今までとは異なる暮らしであるがゆえに問題や課題があるように思われるが、そうではない側面も兼ね備えているようにも思ったからだった。それは、当時の会話を振り返ると、参加されていた方々は、何かよりよい変化があるかもしれないと思い、プログラムの参加をしていたのではないだろうか、と思ったからだった。また、プロジェクト開始の経緯であるよう、離れている私たちができることは、何だろうと考える機会でもあった。それは、離れているからできること、日常生活の中で頻繁に会わない者だから機能しうることがあるのではないだとうかと思ったからだった。言い換えれば、あまり意識していない場面であるから話せる話題があり、意識している日常生活をよりよくすることもあるのではないだろうか、と考えさせられた。

   そこで、今回の報告では、「周辺」という言葉を用いて、漫画展のアテンドをしながら感じたことを振り返り、少しではあるが活動の様子をお伝えしたい。

   会場では、多くの方は漫画を見ることなく過ぎ去っていくことが多かった。しかし、『冊子』をお渡しすることで、漫画に目を向ける、さらに、私たちの活動に関心を示してくださることで現地の様子を話す機会があった。また、ご自身の家族や日頃参加をしている地域の活動があげられることもあった。

   通り過ぎられることやかかわりあることも含めて振り返ると、人は自身の興味や関心だけに意識が向きやすい、もしくはとらわれてしまうこともあるが、他者とかかわることで気づいていなかった自身の日常生活を知ることもある。とりわけ、『家族漫画展』は、場所や開催期間を変えながら行われるため、普段かかわりがない相手であるから話されることもあるだろう。

   これらは互いに語ることや傾聴をするために起こっていたことではなく、緩やかにそしてタイミングに合わせてなされていた。漫画パネルに目を向けられていない方に『冊子』をお渡しした体験の一つだが、お渡しした『冊子』を読み、よかったと思い友人に声をかけ、会場に戻って来られた方が数名いたことから感じたことだった。また、そうした人に巡り会う瞬間は、私が居ない間に他の人がなしている行為から起こることでもある。それは、後輩の奥野が、『冊子』を持っている方が友人を連れて来場されていた人がいたことを教えてくれたエピソードを聞き、気づかされたことでもある。『冊子』が他者とかかわる機会をつくっていること、継続していることで参加者が増えている傾向があるのだと思う。

   これら私の体験は、なにか問題や課題の直接解決ではないため、なにのためになされていることであるのか、明確ではない。しかし、自ら人に働きかけようと動くことや伝えようとする行為を引き出す機会は、今の自身の日常生活をよりよくしようと思う行為として捉えることもできる。自身の日常生活には、問題や課題、自身が担っている役割だけで成り立っているのではないことに気づく機会と体験となり得ていたのだと思う。

   今回の活動から、明確に意識されている状況だけに目を向けるのではなく、「周辺」も含めて復興の営みがあることも含めて捉えていきたいと思った。それは、復興支援だけでなく、ヒューマン・サービスを実践していく上でも重要な視点なだと思う。中心に据えるものが何かによって自身が引き寄せられる関心が異なっていく。自身がもつ豊かな日常生活に気づくことができる。それが自身の力になることもあるのではないだろうか、と思ったからだった。




漫画展




セミナー




セミナー



漫画トーク



託児




acc