授業イメージ写真

2013年11月1日~11月3日 「東日本・家族応援プロジェクト2013 in 宮古」




東日本・家族応援プロジェクト2013 in 宮古を開催しました

(応用人間科学研究科教授・村本邦子)

   岩手でのプロジェクトは、1年目が遠野、2年目が遠野と大船渡でしたが、3年目の今回は宮古での開催となりました。もとより同じ土地へ十年間通い続けることを希望していたのですが、遠野でも大船渡でもうまく共催して頂けそうな団体と出会うことができず、立命館大学として多層に取り組みを展開している宮古で可能性を探してみることにしました。とは言え、「また来ますね!」と言って別れた人々のお顔を思い浮かべると、とても心苦しく、今年は個人的に1日早く現地へ行って、遠野と大船渡の街を見てきました。

   遠野は、ほぼ震災前の日常に戻っているのか、田んぼで作業をしているお年寄りの姿を時々見かけるくらいで、のんびりと静かで平和な風景に見えました。遠野市は、夏に『3.11東日本大震災:遠野市後方支援活動検証記録誌』を発行しています。3.11が少し過去になったということなのでしょう。それでも、仮設はまだひとつ残っています。

   大船渡では、昨年の会場だったカメリアホールまで行ってみました。昨年は、「心を奮い立たせて頑張ろう」と大きなスローガンが貼ってありましたが、今年は、仮設住宅の地図になっていました。大船渡にはまだまだたくさんの仮設が残っています。ホールの中には昨年同様、たくさんの寄せ書きが壁に貼ってありました。

   隣にある盛駅へ行ってみると、今年の4月3日に三陸鉄道南リアス線吉浜駅までが復旧したので、待合室はにぎやかでした。2011年3月11日、ここにも津波が押し寄せ、10月には、駅舎を利用して「ふれあい待合室」が営業を開始、昨年のプロジェクト時には、80冊ほど冊子を置かせて頂きました。そのすぐ後、駅舎は「海岸のまち」を象徴する駅舎へと改装されたのですが(2012年12月15日)、昨年の冊子が3冊だけ大切にラックに立てられていました。少なくなって、持ち帰るのがはばかられるのでしょうか。

   昨年泊まった大船渡プラザホテルの改装も終わり、街中にはピカピカのマイヤを始め、新しい門構えの食事処が並び、街は少しずつ活気を取り戻しつつあるように見えました。現実には、地盤沈下のかさ上げ、区画整理地域の土地交渉、二重ローン、人口減少、高齢化と難しい課題が残っているようです。残念ながら、昨年ご縁のあった方々をお訪ねすることはかなわなかったのですが、みなさんが少しでも穏やかな日常を過ごされていればいいなと祈りながら、大船渡を後にしました。

   宮古では、11月1~3日、中央通おでんせプラザで漫画展と漫画トークを開催。1日には、FM826宮古ハーバーラジオに団さんと清武くんが出演して、プロジェクトの紹介をさせてもらったところ、たまたま放送を聞いていた知り合いのスクールカウンセラーが来てくれて、久しぶりの再開となりました。夕飯をご一緒しながら、宮古の学校の状況など聞かせて頂きました。

   2日午前は、支援者交流会として、宮古市生活復興支援センターにおける被災者支援の概要を聞かせて頂きましたが、先の見えないなか、支援員さんたちが相互に語りあい、さまざまに工夫を凝らして支援が行き届くよう努力されておられたのが印象的でした。これもレジリエンスでしょう。

   2日午後は、仮設の集会所で「みんなで歌おうヤッホッホー」と「アートで遊ぼう」のプログラム。女性ばかりでしたが、おばあちゃんや子どもたちが十数人参加してくれ、一緒に楽しいひとときを過ごしました。プログラム終了後、子どもたちが外でボール遊びをしているのを見守るなかで、子どもたちが、仮設に暮らす子、仮設の前にある新しい大きな家に暮らす子(別の場所で被災している)、地元の子らが混じっていることがわかってきました。大人たちは、地元の人と仮設の人の交流がないと聞きましたが、子どもたちは固く結束しているのが印象的でした。途中、ボールが仮設にあたって叱られてしまいましたが、「走って30分」までかかる学校まで行かなければ子どもたちの遊び場はないとのこと、なかなか厳しい状況での結束なのだと思いました。それでも、これも子どもたちの力でしょう。「また来てね!」と言ってくれた子どももありましたので、「また会えるといいね!」と返しました。仮設に貼ってあったポスターを見て、楽しみにして来てくれたのだそうです。

   空いた時間に、少し宮古の街を見て回りましたが、三陸鉄道宮古駅はにぎわっていて、夕方、電車を覗いていると、総務部長さんと旅客サービス部運転課長さんが出てきて、いろいろ説明してくださいました。「あまちゃん」ブームで三陸鉄道は大人気のようです。お二人とも「皆さんの応援でここまで復旧できて」と眼を潤ませており、鉄道や土地に対する思いと誇りが伝わってくるようでした。港で釣りをしているおじさんたちやお菓子屋4代目のおばあちゃんと話す機会がありましたが、自然とともに生きてきた宮古の人たちの豊かさや深さに感じ入りました。宮古市内は宿が不足しており、私たちは山奥の宿に泊まったのですが、こぼれ落ちてきそうな満天の星に大きな流れ星を見ました。もちろん願いをかけました。かなうといいなと思いつつ・・・。

 宮古日誌 (応用人間科学研究科教授 団士郎)

   岩手県宮古市は初めての会場である。場所はおでんせプラザ。商店街の集会場である。会場に到着して、スタッフ全員で壁面に今貼られているポスターやデコレーションを撤去し、ギャラリーに模様替えするところから始まった。 

   ここは普段、近隣住民のサロンのように使われているらしく、マンガ展期間中やってくる人には、日常と異なった設えになっているのに違和感があったかもしれない。入ってきて中央のテーブル・椅子に腰をかけ、来場者にお渡ししている小冊子を持ちながらスタッフと話し込む人が多かった。周りにマンガパネルが展示されていることには余り関心がないようで、来場しているにもかかわらず作品は見ない人が多かった。しかし、他意があるわけではなく、冊子は快く、有り難うと受け取ってくださるのである。

   さらに、年配の人が多いことと関わりがあるかどうか分からないが、皆が津波被害の話を積極的に話そうとされるのに少し驚いた。加えて、自分自身の個人史に関わる家族のことを話し始めた人もあり、一般的なギャラリーイメージとは随分異なった場になっていた。

   これは被災地応援プロジェクトとしては、意図したことの範疇であった。

   なかなか会場が決まらなかったこともあり、開催告知、PRが難しかった。そんな中で地元FM局の生放送出演は、カーラジオで聞いてやってきたスクールカウンセラーがあったように、一定のPR効果があったのだろう。

   そのSCは夕刻、ギャラリーの終わりがけにやってきた関西出身の女性だったが、スタッフが面識のある人だった。また、土曜の午後に来場し、日曜のマンガトークにも参加した人は、地元の学校でスクールカウンセラーをしている女性だった。

   マンガトークの演題をどうするかについては少し思案していた。どれくらい地元の人が来てくださるかによって、初お目見えの宮古ならば、プロジェクト初年度(2011)に話したテーマが適切ではないかと思い至った。「小冊子第三集」の最初の作品「小雨の行列」から始めて「魚の取り方」、そして「過去・現在」で結末に至るストーリーラインを準備した。

   トーク会場はマンガ展をやっている会場と同じ部屋で、従来、他会場ではギャラリースペースと講演会場は別だったので、この点にも工夫が必要だと思われた。そこで、展示パネルと同一平面上にスクリーンを設け、マンガ作品の横に、プロジェクターのパワーポイント画像が写される配置にした。その結果、パネル作品に囲まれた中で、着席した十数人が、マンガトークを聞いてくださることになった。参加者が近隣の商店の住民の方達であったことが今回の特徴だろう。

 宮古でのプロジェクトに参加して(応用人間科学研究科教授 鵜野祐介)

   11月1日‐3日、岩手県宮古市における復興支援プロジェクトに参加しました。今回おこなったいくつかのイベントのうち、私は2日午後の払川地区仮設住宅・談話室におけるワークショップ「みんなでうたおうヤッホッホー」についてご紹介します。 

   50代から70代の女性5名と、小学3,4年生の女子6名が参加し、スタッフ4名と合わせ、15名で一緒に遊びました。「せっせっせのよいよいよい」ではじまる手合わせうた、「あんたがたどこさ」や「茶ちゃつぼ」を歌いながら手を動かす手遊びうた、2組に分かれて「森のくまさん」を交互に歌う掛け合いうた、ゆったりしみじみと歌う子守うたなど、皆で一緒にいろいろなジャンルのうたを歌いながら、体を動かし、手と手を合わせて触れ合いました。学校で習った別のやり方を教えてくれる女の子や、子どもの頃の遊び方を教えてくれるおばあちゃんもいて、互いに教え合い学び合う場面もありました。最後に、わらべうた「さよならあんころもち」を歌いました。全身をゆすってゾウさんのあんころもちを作る頃には、みんなの体も心もほぐれて笑顔が弾けました。

   あっという間の45分でしたが、うたと遊びを通して宮古のみなさんと触れ合うことができてよかったです。来年もぜひ宮古に戻ってきたいと思っています。

宮古市での出会いを通して(応用人間科学研究科 対人援助学領域 M2 清武愛流)

   宮古市での活動ははじめてであり、私個人としてもはじめて訪れた町だった。漫画展の会場となった『おでんせプラザ』は、市役所方面(海側)と駅(陸側)を繋ぐ中央商店街通り沿いにあり、市役所寄りに位置する。建物は小さな2階建てだった。

   駅の近くの建物内には人が集っていたのだが、『おでんせ』近辺を通る人は少なく、集っているイメージのつきにくい場であった。たまたま通る方が足を止めるということも少ないであろうと感じていた。

   今回の会場内には、作者である団先生もいたため、私は漫画展でお渡しをしている冊子を持ち、『おでんせ』の近辺を歩くことにした。山側とふもとでは、被害の違いを感じた。ふもと側は、新しい建物が多かったり、家の壁半分より下が塗替えられていた。また、空き地になっているところもあった。もともと空き地であったかもしれないのだが、新しい家の周りに手入れがなされていない空き地があることでこの違いでも津波の被害を感じた。山側の方も壁の塗替えがなされているところもあったのだが、100年以上前からの家がそのまま残っていた。

   これを知ったのは、冊子を持ち商店街近辺のお店に入り、冊子をお渡しした際お店の方が教えて下さったからだった。ふもとの方でしていたお店が浸水し、山手でお店を再開している方ともお会いした。他にも、この近辺のお店は、昔から引き継がれ家族で経営してあるところもあった。しかし、山手でも体が浸かるほど津波の被害があったという。

   商店街に住む方は、どこに住んでいる方なのか、互いに知り合っていたようで、私が足を運んだところを言うと、どこの誰であるか教えてくれることもあった。地域の方々の日頃の暮らしを垣間見させて頂いたようだった。

   漫画展に来られた方は、移動中に入って来られる方だった。漫画パネルを読まれるのでなく、お話をして帰って行かれていた。今までの活動はたまたまであっても、漫画を読まれて行く姿があったため、どういうことが起こっているのかと関心をもった。

   この場は、日頃立ち寄られた方がおしゃべりをし、帰られる場だと知った。私たちのよう、外からその土地に入るとき、その地域の状況を知るだけでなく、地域にあるその場の使われ方を知る必要もあると感じた。つまり、その方々の日常を知ることになるからだ。

   トークショーには、商店街でお会いした方々が来て下さった。トークショーに参加したのははじめてだった。授業で団先生のトークを聞く機会があったためか、雰囲気に違いを感じた。しっかりと聞いている方の姿勢は、授業の光景と変わらないのだが、笑い声が時に聞こえるのである。また、終了後に先生のところへ話しに行く方の姿を見て、楽しんでいただけ、自身で何か行動をする機会があったのではないかと思うと、結果として支援になっているように感じた。

   また、昨年寄った道の駅に今回も寄った。トイレが新しくなっていた。今年、作り替えたと地元のおじいさんから聞いた。昨年、道の駅であったおじいさんは、自分の畑で採ったものを売りにきていると言っていた。今年のおじいさんも、自分で採ったきのこを売りに来ていると言っていた。しかし、今年度山菜から放射能が出たことで、検査と規制が厳しくなったこと言っていた。

   復興とともに明らかにされていく事実とそれに対する対応と管理をする社会、その中で暮らしている人びとがいることを感じさられる。他にも夫婦で居た方とも話した。大船渡の方だった。復興は、そこまで進んでいないことを教えてくれた。以前の仕事を定年退職し、今は他の仕事をしているそうだ。復興は進んでいないと感じながら、進んでいこうとされているように写った。

   私の出会いは、確実に再開できるものではないようではあるが、昨年お会いできなかった方とお会いしたり、はじめて出会う方と知り合う機会がある。復興の営みも、同じように、前と全く同じ復元をするには難しさがあるかもしれないが、また新たな暮らしを知ることがあるのかもしれない。そのためのきっかけとなる支援はなされているだろうか、私はできているのであろうか、と考えさせられる。

   また、どこかでお会いできたらと思う。ありがとうございました。

「東日本・家族応援プロジェクト in 宮古 2013」に参加して(応用人間科学研究科 対人援助学領域 M1 奥野景子)

   京都でのプロジェクトに引き続き宮古でのプロジェクトにも参加した。今回のプロジェクト参加に向けて掲げた目標は「被災地の今を知ること」であった。事前学習では宮古市の被災状況を中心に調べ、調べたことと実際に見たり聞いたりした風景がどう違うのかを学び、データや記録ではわからないことを感じたいと思っていた。

   実際に現地に行ってみて学んだことや感じたことは想像以上のものだった。一見何もなかったかのように流れる日常の街並みに違和感を抱き、現地の人とのふれあいから人と人との関係性に普通とは違う何かを感じた。また、今までは別の世界の出来事のように感じていた東日本大震災だったが、津波によって変わってしまった街を見て、東日本大震災は現実に起きた出来事なのだということを痛感した。

   自分に何が出来るのか、出来ることがあるのかはわからない。それでも、これからもずっと自分なりに東日本大震災と向き合っていきたいと思った。


遠野蔵の道ギャラリー 遠野の風景

大船渡カメリアホール 仮設の地図

パネル設営 中央通おでんせプラザ

FMみやこ ラジオ出演

宮古は宿がなく山の宿泊所へ 宮古市総合福祉センター

ボランティアセンター 支援者交流会

津波到来地 仮設住宅

仮設集会所 プログラムのポスター

みんなで歌おうヤッホッホー

アートで遊ぼう

スタッフ 道の駅シートピア

宮古漁港

記憶の街ワークショップ

三陸鉄道宮古駅

宮古港周辺

漫画トーク

スタッフ記念撮影 片付け

宮古の魚市場

解体が決まった大槌町役場

大槌の港


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