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応用人間科学研究科 震災復興支援プロジェクト

11月5日~11月12日 宮古市「東日本・家族応援プロジェクト 2015 in 宮古」




「家族応援プロジェクト2015 in 宮古」を開催しました

(応用人間科学研究科教授・村本邦子)

   2015年11月5日(木)~11月12日(木)、「シートピアなあど」にて、社会福祉法人若竹会さんと宮古市社会福祉協議会の共催を得て、家族漫画展、11月7日(土)に「団士郎漫画トーク」「語り継ぎたい宮古の伝承」「アートで遊ぼう」「支援者支援セミナー」のプログラムを実施しました。

   「シートピアなあど」での開催は、以前より検討していましたが、なかなか会場の日程が合わず、今年初めての試みでした。新しい会場での漫画展にこれまでより立ち寄って足を留めてくださる方が多く、若竹会の広報もあって、プログラムの方にも昨年より多くの方々にご参加頂きました。「語り継ぎたい宮古の伝承」では、NPO法人かわい元気社事務局長の横道廣吉さんの協力を得て、また、いつものように「アートで遊ぼう」は若竹会の企画で、今年は新たに「支援者支援セミナー」の設定をも加えて、賑やかなプログラムとなりました。このプロジェクトでは、十年後も積み重ねてきたものが地域の力として続いていくように、私たちはきっかけで、現地の力を中心にプログラムを運営することができるようにと思ってきたこともあり、だんだんとそんな形になってきたことを嬉しく思っています。

   いつもながらに若竹会の皆さんのクリエイティブなアイディアには感心するばかりです。漫画展の背景に昨年の「アートで遊ぼう」で製作したシーツ絵を使ったり、今年の製作は浄土ヶ浜の立体図、福祉祭りでの展示を予定してくださっているとのこと、「支援者支援セミナー」では、土地や企画者の個性を十二分に感じ、今後に活かしていけそうな事例を提供頂きました。私たちにとっても大きな学びとなり、感謝です。

   例年、私は、個人的に1日早く前のりして、ずっと行きたかった気仙沼のリアスアークを訪れ、BRT(JR線運休のため、線路の上を走るバス)で大船渡まで行って1泊し、釜石まで三陸鉄道南リアス線に乗って、バスを乗り継ぎ宮古へ。北リアス線で久慈まで行って宮古に戻り、一行と合流しました。土地を感じるために、どうしても公共交通機関を使って移動してみたかったのです。赤や黄色に色づいた山々と輝く海の美しさにワクワクしましたが、海沿いは南から北まで延々と防波堤の工事中、これから海が見えなくなるんだなと寂しく思いました。帰路には遠野の友人宅(古民家)に立ち寄り、今年も約束通り遠野と大船渡を訪れることができて、嬉しいです。

 宮古プロジェクト2015 (応用人間科学研究科教授・団士郎)

   今年から漫画展会場が道の駅「なあど」に変わった。

   いろんな人の出入りがある施設で、その結果、通りすがりの方達にも見てもらえるようになったようだ。できれば多くの方に見ていただきたいと思うが、ゆっくり見てもらいたいとも思う。

   遠野、大船渡と会場を移動して、たどり着いた宮古開催も三年目。会場の移動は宮古になってからも続いたが、やっとこの場所で継続開催が叶いそうだ。時間はあっという間に経ってしまう。もう5年だ。

   この会場でとても印象的な人と出会ったので、そのことを書いておく。

   いつも見に来てくださる地元の人から、昨年発行の小冊子を受け取ったのだそうだ。

   それ以来、「木陰の物語」をいつもバッグに持ち歩いているという。

   何かあると、出して読んでみるのだという。

   お守りみたいだと思った。

   そして、「もっと早く出会えれば良かったけど、今からまだ5回、毎年、この漫画展に会えるのですね」と言っておられた。

   被災者だとだけおっしゃって、それ以上の事情は知らない。

   人にはみんな何かある。

   いろんなものが奪われたのかもしれない。

   そこに新たに届いたものとして、少しの喜びが成立していたら、言うことはない。

 東日本・家族応援プロジェクトin宮古2015に参加して(応用人間科学研究科教授・鵜野祐介)

   2015年11月6日、これで3度目となった宮古訪問は、前回の昨年11月と同じく盛岡駅からJR山田線の宮古行き快速を利用した。1両編成の列車は多くの乗客で賑わい、人いきれで窓ガラスが曇るほどだった。2時間余り、列車は枯れ葉を巻き上げながら、北上山地の渓谷を閉伊川に沿って東へひた走る。車窓から眺める山々は、赤や黄色や褐色に色づいた落葉樹が午後の日差しを浴びてとても美しかった。

   午後4時、宮古駅到着。駅の周辺は昨年11月とあまり変わっていなかったが、今回漫画展やイベントの会場とした「道の駅シートピアなあど」へ行く途中、湾岸道路の周辺は大規模の改修工事が進んでおり、新たな防潮堤の長大な「壁」が築かれる只中であった。「なあど」1階ロビーには、立命館大学理工学部の協力の下に地元住民が構想案を出し合って作成した「なあど」周辺の鍬が崎地区未来予想ジオラマが展示されていた。この構想がどこまで実際の復興事業の中に反映されているのか、またどのような変更や断念を余儀なくされたのか、それらを監視し報告・発信することも「witness(証言者)」としての我々の責務であろう。残念ながら今回は十分な比較検討を行うことができなかった。次回、来年11月に来た時の課題としたい。

   翌7日午前中の団先生による「漫画トーク」、午後の横道廣吉氏(宮古市小国在住)による「語り継ぎたい宮古の伝承」、いずれのプログラムにも若竹会の関係者を中心に20名余りの参加者があり、漫画展の観客数も含めて、昨年よりも賑わいを見せていた。今回はじめて「なあど」を会場に用いたことの効果もあったに違いないが、それだけでなく今回3回目となる現地の協力団体「若竹会」の方がたの地道な努力の現われとも言えるだろう。継続することの重要性を痛感するとともに、若竹会の皆さんへの感謝の念をここに記しておきたい。

   また前述したように、今回はじめて郷土史研究家の横道廣吉氏に、宮古の歴史と文化を彩る4つの出来事・人物についてスライドを見せながらお話いただいた。なかでも「源義経と静御前」にまつわる伝説は、横道氏ご自身が『静御前 早池峰物語』という著書にまとめておられることもあり、とても詳しく、また詩情豊かに語られた。歴史を学ぶことで、宮古という土地が、単なる「震災の被災地」のひとつとしてではなく、立体的で奥行きのある個性的な貌を見せてくれるようになることが実感された。直前のご依頼にもかかわらず快くお引き受けくださった横道氏に、心より感謝したい。来年度以降、子どもや家族連れの参加者の方がたにも楽しんで聞いていただけるように、例えば紙芝居や絵本の形にしたり、ストーリーテリングやうたの形にしたり、といった工夫をしていけば、さらに充実したプログラムになることが期待される。幸い、そうした共同制作に参加していただけそうな方がたが見つかったので、知恵と力を出し合って、1年かけて作り上げていければと願っている。

   8日の朝、1年ぶりに岩手県宮古市田老地区を訪れた。今回も前回同様、宮古市観光協会に「学ぶ防災」ツアーを申込み、現地ガイドの女性の案内で、高さ10メートルの防潮堤から周囲を眺めた後、津波水位17.3メートルの表示がある製氷施設や、災害遺構としての保存工事が進む「たろう観光ホテル」の傍を通り、最後に「たろう観光ホテル」社長が撮影した津波のビデオを集会所の中で見せていただいた。去年同じものを観たはずなのに、思わず息を呑み、声をもらし、涙があふれて止まらなかった。この場所に来て、ちゃんと説明を聞きながら観てもらいたいという理由により、このビデオはマスメディアには公開されていないという。

   防潮堤の内側には野球場が建設中で、「復興ただいま進行中」を印象付けていたが、市内の浄土ヶ浜で実際に津波を体験された女性ガイドの方の、「最近になってようやく自分の体験したことを話せるようになりました」との言葉や、「繰り返し、繰り返し、たとえ飽きられても語り続けたいと思っています。それが亡くなった方への弔いになると思うから」との言葉に、強く胸を打たれると同時に、「心の復興」は道半ば、まだまだ長い道のりが続くと実感させられた。

   来年はもっと多くの院生たちと一緒に、再びこの防潮堤の上に立ち、この潮風に吹かれながらガイドさんのお話を伺い、そしてこのビデオを見せていただこう。そんな想いを抱きながら、晩秋の宮古を後にした。

今年も宮古を訪れて(臨床心理学領域M2 川福理沙)

   宮古へは2回目の訪問だった。昨年から共催になってくださった若竹会の方々、そしてその利用者さんに今年も出会え、お元気そうにされていたことがなにより嬉しかった。当日のプログラムには、昨年の参加者から紹介を受けて来てくださった方や、若竹会の方が声をかけてくださった児童館の子どもや支援機関の関係者さんが来てくださった。プログラムには参加しなかったが興味を持って下さった人には、団先生の漫画冊子を渡した。人々はそれを喜んで持って帰ってくれた。こうやって人と人とのつながりがうまれ、広がっていくのだろうと思った。今年は若竹会さんが新しいプログラムを提案されたこともあり、少しずつ立命館との関係が深まってきたように感じる。あと6年の間で、どんな人とつながり、どんなプログラムを共につくっていけるのかと思うと、大変楽しみである。

   フィールドワークでは今年も田老を訪れた。昨年は駐車場だった土地がグラウンドになり、丘には復興支援住宅が建って、震災以前にあったものより4mも高い防潮堤が途中まで造られていた。現地の方が町の変化に対してどんな想いを抱いているのかは分からないが、新しく作られた家や施設が町の雰囲気から浮いているように見えた。今回の震災で得た教訓を語り継いでいく必要があると、「学ぶ防災」の案内人さんが語り、その力強さにパワーをいただいて、私も地元神戸の震災について、そして自分の防災意識について考え直したいと思った。宮古に訪問して、今年も大変楽しくて美味しい思い出をたくさんつくることができた。今年も、宮古市の皆さんと自然に感謝の気持ちを込めて、ありがとうございました。

歴史のまち,海のまち宮古(対人援助学領域M1 永井千晴)

   私は今年初めてプロジェクトに参加し,宮古へも初めて訪れました。このプロジェクトの目的として挙げられている「10年続ける,震災の記憶を語り継ぐ」とはどういうことなのだろう,どのような意義があるのだろうと考えていましたが,その答えは現地で見聞きして初めて分かったように思いました。今回,『東日本・家族応援プロジェクトin宮古』に参加することができて,本当によかったと感じています。

   義経北行伝説について

   宮古には「義経北行伝説」が伝えられています。史実において義経は平泉で自刃したとされておりますが,宮古においては,実は亡くなったのは義経の家来であり,義経は逃げ延びて東北を渡り歩いたとされています。その伝説に関わる神社やものが,今なお多数残っているそうです。今回,その伝説の舞台である黒森神社へ参拝してきました。過去にそのような人が存在した場所に現代の自分が立っていると考えると,なんとも感慨深いものがありました。

   またセミナーでは,義経伝説に興味があってセミナーに訪れたという女性2人組の方ともお話しすることができました。その方々は前日に義経伝説の地を巡るツアーに参加されたそうでした。それまでは,自分の住む土地(宮古)に義経伝説が残っていることを知らなかったそうです。そしてそのツアー後,義経伝説にさらに興味を持ち,このセミナーに参加されたそうです。私はこのお話を聞いて,このプロジェクトで伝承を語るということの意義の中に,地元の方にその地のことについてより知っていただくということが挙げられるのではないかと思いました。宮古は震災と津波被害を受けましたが,それだけが宮古の全てではありません。歴史の残る土地であるということを,私を含め多くの方に知っていただきたいと感じました。

   震災以降の宮古について

   プロジェクト3日目のフィールドワークで,震災の日のお話をお聞きすることが出来ました(学ぶ防災)。また,津波に関する映像も見せていただきました。私はその際に,津波の恐怖か,見ていることのやるせなさか,涙がこみ上げてきました。その場で感じたものを言葉にすることが非常に難しかったです。それでも見なければいけないという思いで見続けました。職員の方もその間こわばった顔をしていましたが,津波のことを「見てほしい,知ってほしい。報道の一コマで終わらせたくない」とおっしゃっていました。プロジェクトを通してこの思いを受け止め,宮古の外に伝えることにここでの意義があるのだろうと感じました。

   また,「学ぶ防災」職員のお話に“防災意識”というキーワードがありました。宮古は歴史的に津波被害の多い土地です。地震が起きれば,いつも避難していたそうです。自分の住む土地の歴史を踏まえて“防災意識”を高める必要があると思いました。それは津波に限ったことではなく,我々にも教訓となるでしょう。

   実際に岩手県の様子を見聞きして,やはりテレビ報道では伝わる情報が限られているなと感じました。関西では3.11は終わったことのように扱われていますが,実際はまだ終わっておらず,全体的に見ると復興もまだまだこれからとういところなのでしょう。私は宮古から京都に戻って,まだまだ3,11は終わっていないということを皆に伝える必要があるのだと思いました。そして,現地の方の思いは現地に行って聞かないと分からないということと,その思いを聞き取るということがこのプロジェクトにおける意義なのだろうと思いました。

「東日本・家族応援プロジェクト in 宮古 2015」に参加して ~ 三年目の変化 ~(対人援助学領域修了生 奥野景子)

   宮古に足を運ぶのは、今年で三回目になる。去年までは大学院生としての参加だったが、今年は初めて修了生として参加させていただいた。自分の中で「修了生として参加することで、何か心境に変化があるのでは…」と思っていた部分があったが、思いのほか今までと変わらない自分がいたりもして驚いた。ただ、ひとつ自分の中で大きな変化というか、発見のようなものがあったとしたら、宮古までの旅路を何となく心地よく感じられるようになったことのように思う。今までは「遠いなぁ」と感じていた旅路で、自分なりの時間の過ごし方ができたり、景色を楽しんだりすることができるようになってきた。これは、もしかしたら修了生としての心の余裕(?)なのかもしれないが、そうではないようにも思える。ただ単純に、私が宮古に行くことに慣れただけのように思う。一年に一回とはいえ、三回目にもなると見慣れた景色や‘初めまして’ではない人との再会もあったりする。それが私に心地よさを感じさせてくれたのではないかと思う。「さて、来年は…」というと少し気が早いような気もしてしまうが、これからも現地での活動を終えるとそう思っているのだと思う。私にそんな風に思わせてくれる人や景色、場所、町に出会えたことに心から感謝したい。

   また、少し話の趣旨から外れてしまうかもしれないが、もうひとつ変化があった。それは、京都に宮古の海の幸を届けたいと思える人ができたことだ。それは、職場で出会った人たちである。最終日の朝一に魚菜市場に足を運び、魚と日本酒を仕入れて京都に送った。そして、それを元魚屋さんの同じ職場のおばちゃんに料理をしてもらい、何人かの仕事仲間と美味しくいただいた。とても楽しい時間だった。

   このプロジェクトに対して細切れのように感じてしまう部分もあったが、決してそのようなことはなく、ひとつの流れの中で私自身も生きているのだということを改めて感じることができたように思う。  

漫画展のアテンドin宮古 (対人援助学領域修了生 清武愛流)

   盛岡駅から宮古駅までの快速列車。去年は2、3両だった列車が、1両になっていた。満員電車だったからか、宮古に近づくにつれ、窓が曇っていく。そこから見える緑や黄色、橙色の山や透き通る川は美しく、車内の雰囲気は都会の満員電車とは違い、のどかさを感じた。

   変わらないこともあった。お声かけはしなかったが、去年木陰の物語の冊子をお渡しした車掌さんもいた。乗り継ぎが少なく、また、毎年同じ時期に足を運ぶのだから、上記再会は必然的だと思う。しかし、1年に一回だから、そこには新鮮さを感じた。

   プロジェクト内でも変化があった。昨年度から、共に開催できることになった社会福祉法人若竹会すきっぷさん希望の支援者研修会が加わり、また、多賀城における活動からつながった横道さんにもご協力いただいた。全体のプロジェクトとしての活動や現地での経過により、始まったプログラムが加わる開催となり、あちこちで行っている活動であり、単発的のようであるが、継続していることで生まれた展開だろう。

   会場においても、定着しそうな場で開催されることとなった。宮古駅から、タクシーで10分くらい海沿いへ。今回、初めての会場となった、シートピアなあどへ。設営された漫画展をみて、限られた環境の中で見やすいように工夫をしてくださっていた。車がないと不便そうな場所だと感じ、たまたま来られた方が足を止めるか心配だったが日中はそうではなく、立ち寄られる方、そして、ゆっくりと読まれて帰られる方、その多くはプロジェクトの趣旨まで読んで帰られていた。

   これまで、他の地域でもお会いすることのなかった来場者で印象深い体験もあった。埼玉から青森までの道中立ち寄られた方がおりゆっくりと読まれ、一度出られるもまた戻り読み続けられている方だった。ちょっとだけだと思っていたけど、読みたくなったそうだ。もしかすると、たまたま、『木陰の物語』を知った来場者もその方と同じような体験をしているのかもしれない。

   これら体験を通し、自分の興味関心だけで進んでしまいやすい世の中になっていることに疑問を感じる私は、偶然何かに触れること、それは、今まで気づいていなかった何かに触れることができる出会いなのだと思った。没頭するよさと違う風が入ることで気づくよさの二つが人の営みにはあるのかもしれない。

   展示会場には、昨年、共催機関である社会福祉法人若竹会すきっぷさんが、企画してくれたアートで遊ぼうで作成したペイントが、漫画展の最後に飾ってあり、またその様子の写真をコラージュした作品も展示されていた。自由にペイントすることの楽しさを事業所の利用者さんと一緒に行ったことで知ったことを思い出した。

   今年も「アートで遊ぼう」では、昨年の参加者もおり、再会できたことを嬉しく思った。いなかった方は、就職が決まったと聞きそれも嬉しい報告を聞くことができた。学内でも同じよう、就職し参加したいけどできないメンバーもいるなか、心境は違うかもしれないが同じようなことが起きる。継続していることで当然起こることだと思うが、ほんの瞬間だけど離れていた時間と人を紡ぐことも起きているのだと思う。

   その時間軸の中に新しい顔ぶれもあった。支援者研修会では、復興の経過の中、仮設住宅から公営復興住宅に移り、住まいを中心としたコミュニティーに変化があることを改めて知った。人はどこかに行けば、適応していくこともあるが、そこには時間がかかることやこれまでと同じ了解が得られない暮らし方も目につくことに気づかされた。また、私は、開催を希望されたすきっぷさんや参加された新しい方々とお会いしたことで、地域で暮らしている人たちのことを考えようとしている人たちがいることに気づく機会となった。

   上述してきた体験は、開催までの準備といった開催当日に向け動いているすきっぷさんがいたからである。現地だからこそできること、離れているからできることを互いに知恵を合わせ、来年度の開催に向かいたい。



道の駅 シートピアなあど




漫画展



漫画トーク




語り継ぎたい宮古の伝承



アートで遊ぼう



支援者支援セミナー



スタッフ交流会




たろう学ぶ防災



大槌城山公園から



三陸鉄道南リアス線





南三陸北リアス線




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