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応用人間科学研究科 震災復興支援プロジェクト

8月10日~8月30日 青森県むつ市「東日本・家族応援プロジェクトむつ in 2015」




「東日本・家族応援プロジェクト2015 in むつ」を開催しました 

(応用人間科学研究科教授・村本邦子)

   「東日本・家族応援プロジェクト」も、はや5年目を迎え、十年の折り返し地点です。今年も、むつ市、むつ市連合PTA、下北地域県民局地域健康福祉部(青森県むつ児童相談所)との共催で、8月10日(月)~30日(日)、 団士郎家族漫画展をむつ市立図書館にて、8月28日(金)、支援者支援セミナーをむつ市役所、お父さん応援セミナーをむつ市中央公民館、8月29日(土)、漫画トークをむつ市立図書館にて開催しました。 

   それぞれの内容については、以下に報告がありますが、支援者支援セミナーでは、昨年より一歩進んで、事例提供をしてくださった現地の支援者の協力を得ながら進めることができました。毎回、参加者の対象地域を変えているため、新規の参加者も多いのですが、年々、継続参加者も増え、ワークショップ方式の研修にも慣れてきたのか、スムーズに議論を進めることができるようになってきました。最初の頃は参加型のセミナーに戸惑いが大きかったのです。こうなってくると、せっかくの議論を深めるために、もう少し時間が欲しいところです。アンケートや反省会では事例をひとつに絞るか、あるいは事前に資料配布するかなどしてはどうかなどの意見も出されました。今後の課題ですが、セミナーの進行についても主体的に考えてもらえるのは頼もしいことです。多職種連携や力に焦点をあてた援助視点がむつの支援者の日常業務に反映されていけばよいなと思っています。

    昨年に引き続き、むつ市長も顔を出してくださり、ご縁の拡がりの面白さについて語り合いました(2015年3月、NYで漫画展をしたさい、中村さんと私がセミナー講師をした在米領事館はむつ市長の元職場であり、元同僚たちとご一緒したのです)。一貫したコンセプトで長く仕事を続けていると、偶然のように見えて実は必然なのだと思いますが、いろんなことがつながり拡がっていきます。アンケートや反省会では、毎年楽しみにしていること、「2020年までとお話がありましたが、その後なくなるのであればさみしいです」という声も聞こえてくるようになってきました。この取り組みが十年後も何らかの形で地域につながりと拡がりをもたらし続けてくれるよう、考えていきたいなと思っています。

 むつ市図書館へ、2015 (応用人間科学研究科教授・団士郎)

   ◆ギャラリーアンケートに中学生の書いたものが数枚、入っていたのが印象に残る。多くは、作品「いじめた側の」に関するものである。いじめはいけない!という声の延長だが、漫画を見て、心の中でザワザワしたものがあって、なにか書いてみたくなったのだろう。誰かに何かが届いて、そこに揺らぎが生まれるのはいい。アンケートやノートの記述も増えている。

   ◆むつ市図書館のギャラリー展示はますます必然のように納まっている。作品の順番をどうするか、桜井副館長が、絵の背景色彩を見て悩んだと語る。このサイズ(B全パネル)の作品には慣れてきているが、せっかくの大きな壁面を持つこのギャラリー。2015年3月のNY展用に制作した掛け軸、巻物を持ってこられたら映えると思うと話す。毎年のレギュラーとは別に、英語版掛け軸と日本語版の並列展示企画があっても良いなと思った。

   ◆マンガトークの経過

    マンガトークはどのようなテーマで、どれくらい踏み込んだ話にするかが、いつも思案のしどころだ。分かりにくくて、専門家しか興味の持てない内容にするのは本意ではない。しかし、分かりやすすぎて、自明の結論のような話もしたくない。その中程の言及を毎年考える。今年も、まずまず分かりやすすぎはせず、分かりにくくもなくで、話せたのではないか。ただし、参加聴衆に専門関係職種の人が多いことに対応しているとすると、一般参加をもっと工夫するためには、PRだけではなく、この点もまだ工夫在りだ。

   ◆「今年も又、約束通りにやってこれました」と挨拶をしながら、むつ市にたどり着くまでの今年の道中を思っていた。五年目のここに来る直前、福島の原発汚染地域、「希望の牧場」のフィールドワークに入った。330頭余りの家畜ではなくなった牛たちが、寿命を終えるまで暮らす最後の場所である。放射能汚染は目に見えない。緑豊かな広大な放牧地に、たくさんの牛が点在している。知らされなければ、周囲の山々も含め、美しい牧場である。しかし線量計の値は、牧場では0.5。関西の十倍の数値を示す。ここでたくさんの牛を世話し、週末には政府・東電に抗議に東京に向かうという吉澤さんの戦いの話を聞いた。

    牧場にいる牛達は繁殖しないよう去勢されている。しかし飼い主が居なくなって放たれていた野良牛の中には妊娠して迷い込んできたものもあり、新しく生まれた子牛もいた。2015年一月生まれとラベルされた牛が、最後の子牛だと吉澤さんは語る。

   ◆温泉で一息ついた翌日、新幹線とレンタカーを使って、東北自動車道を駆け上がった。途中、小岩井農場を訪れたが、昨日訪問した細川牧場や希望の牧場との違いに、ため息が出た。被災地から少し離れたこの場所には、観光牧場があり、そこで絞ったブランド牛乳で作ったソフトクリームを、高値で販売していた。

    その後、下北半島に。三沢市を抜けて六ヶ所村を通り、原子力施設やPRセンターの看板をやり過ごしながら、これが今日の日本の姿だと実感する。どこが被災地になるのか、どこは安全なのか。そんなことは誰にも言えない。いつまでこんな状態が続くのか、それも確かなことは分からない。分かっているのは、福島では帰宅制限区域解除の動きが急なことだ。良い変化があって解除に向かっているとは思えない現実の動きだ。

 2015年度むつ市での取り組みの報告 (応用人間科学研究科教授・中村正)

   1)支援者支援セミナー

    今年は5回目となりました。地元から二つの事例を提供してもらいました。私が担当したのは2つめでした。狙いはいつものとおり「事例研究をとおした家族理解と地域における支援の協働」です。いつものように多職種の方々が顔をあわせられるように数名程度のグループになってもらいました。

    2例目は就学前の子どもを抱えて母親が孤立している様子の家族でした。この家族に対して地元の民生委員は何ができるだろうかと問いかけました。問題の見立てをおこなうのですが、そこには意見を述べる人の観点がでてきます。専門家はその見識と過去の知識にもとづき、民生・児童委員は地域に暮らす人の目で、それぞれ意見を述べていきます。一見するとリスクだと思われることも、何かのシグナルのようにもみえてきます。きちんと言葉にして伝えることができていない、その意味での課題はあるのですが、それでもここまできちんと子どもを育てているのです。それは一つの力ではないかと思えてきます。母親としての役割を果たしてきたことになります。こう考えると、地域のひとたちには何ができるのでしょうか。

    いとぐちの一つは、母親へのアプローチです。母親の気持ちに寄り添うことで手がかりができそうです。二つは父親へのアプローチです。幸いなことに父親との接点の可能性も見えてきました。三つ目に、こうした家族の姿が子ども相談の係には見えているということです。問題が大きくなっていく家族は秘密ができます。閉じていくのです。でもこの家族はそうではありません。結構情報が集まり、課題がみえている面があります。これらをもとにしていかにして対話の回路を開き、みまもりを続け、この家族自体のもつ力をひきだすのかがテーマだとなりました。

    最後にまとめた私の言葉は「この家族は現在、むつのどこかに暮らしていて、みなさんのお隣さんかもしれません。ということはこうしたニーズをもった家族が少なからず存在しているということだと思います。専門家が対応するという次元だけではなくそれぞれの立ち位置からできることをするというのが地域における家族の支援だと思います。その家族のもつ力を認めて、何かのシグナルを発信しているとみると問題ばかり見えていたシーンと異なるものが見えてくることもあります。」だった。感想文の多くはこうしたグループで討論することの意義について記している方が多かった。多職種連携はまだまだ開発の余地がありそうだと思った。

   2)お父さん応援セミナー

   同じく5回目です。場所も同じ中央公民館でした。8月28日金曜の午後6時半から90分間です。22人が参加してくださいました。リピーターは半数程です。4回目という方もいます。毎年一定数ですが動員されて参加される方がいます。どちらかというと自発的ではないお父さんたちです。今年の参加者でいえば、PTA、学校、教育委員会の関係者にこうした方々が少しいるように思いました。まあそれでもいいのです。だいたいがお父さん応援セミナーって何をするのかまったくわからないのですから。お父さん応援セミナーと題した催しに参加されるくらいの方なので、動員されてであれ、きてくれるのだから、それはありがたいのです。動機はどうであれ、男性として生きてきた経過はあるので、その過程に注目していろんな社会的な課題を探ることが私の主眼です。個人の体験に根ざしつつも、共通して男性性ジェンダー体験を探ることなのです。息子、夫、父親、仕事人と男性は生涯かけて男性性の位置や立場を変容させていきます。

   今回焦点をあてたのは、男性の生き方がステレオタイプにならずに自分の人生で持ちこたえてきた背景をみつめてみるという課題です。とくに暴力と攻撃性とリーダーシップが混同されている様子もあり、躾にしても体罰をもちいてまできちんと育てるべきだとか、いじめたらいじめかえせばいいという父親の指導もまかりとおっている面があり、社会的にもまだまだ合意が必要な事態があることを紹介しました。その上で、みなさんはそんなことはないと思いますが、上の世代や友人たちにはそうした人たちもいるのに、みなさんはどうして非暴力であることが可能なのですかと問いかけたのです。

   男性たちは改めて自己の来し方を考えてくれていました。しかしそれは当たり前だとおもっていたがそうさせたのは何だったのかは十分には言葉にできにくいようでした。この点をきちんと言葉にしていくことで、そうではない選択をしている人(つまり暴力に頼って生きている人)に対案を示すことができると考えての質問だったのです。多くの人にとっては規範が定立できているので暴力をもちいて何かを強いることは良くないことだと考えているのですが、男性の人生からするとその脱暴力の選択はとても大切なことだったはずなので思い出して欲しいと話をしました。しかしなかなかその言葉がでてきません。大半は親父が範を示していたようで、暴力を使わずに躾をしていたようです。でもなかには反面教師だったという人もいました。その方がたは周囲をみて試行錯誤の父性や夫であることを育んできたようです。

    なかでも印象的だったのが、自衛隊の家庭相談室の臨床心理士の話でした。むつの特徴は自衛隊の人々が多いということです。その方の発言が印象的でした。「不適切指導」という言葉があり、暴力や体罰を用いて指導をしてはいけないということになっているのだそうですが、現実的にはではどうすればよいのか悩む隊員たちが多く、心理職としてもアドバイスに困ることがあるという話をしてくれたのです。確かに厳しい訓練の現場では行動や言葉に暴力性はつきまといます。攻撃性が出やすくなるので、この点は要注意点となります。暴力的ではない攻撃性とリーダー性の調和がテーマとなってグループで討論をしていました。即座に答えがでるわけではありませんが、心地よい指導だったと思える体験や厳しい指導でも受け入れた場合の事などを話しあいながら、経験に即して、納得のいく議論をしていました。本気でこうしたことを話題にできたことにみなさん満足げでした。

   私からは、「言葉、配慮(ケア)、コミュニケーション」を重視して相手を尊敬するかどうかがカギだということを話ました。厳しい指導の前に、関係性がどうなっているのかが大切だという点です。この点についてはどちらかというと動員されてきた方々からの気づきがありました。非暴力で、コミュニケーションもでき、相手への配慮でも自分はできていると思っていたが、妻との関係では必ずしもそうではなかったし、自分の息子にはコミュニケーションと称して説教し、子ども相手に論破してしまっていた自分に気づいたといった方がいました。暴力、攻撃性、指導性、リーダーシップ等は紙一重に男性性や父性や管理職者の役割と重なることが多いのです。男性性ジェンダーの理解としてはこうした気づきがまずは大事となります。

   参加者の感想をいくつか紹介します。「自分は敬意を払われたい人になっているのか?」と思います。ということを改めて考える時間になりました。ありがとうございました(40代)。ちがう仕事の方と最後に肩をもみながら、いい話ができてうれしかったです。妻のありがたさや自分、人の攻撃性と生きていく力について考えさせられました。堅苦しい雰囲気で進むのかと思いこの会にのぞんだが、なごやかな感じで行えてよかった。父との関係はあんがい悪いものではないと思えた(20代)。ふだんできない話ができてよかったです。自分と妻や父母、周囲の人たちとの関係を考えるよい機会となりました。参加された方と様々な形でコミュニケーションがとれて、とても楽しい時間でした(40代)。ようするに、「男もしゃべりたい!」ということでしょうか。お酒もないのに。

   最後に今回4回目の男性の感想は「参加するたびに少しずつ内容が違うので、あたらしいオドロキがあります。4回目で『あ、ステップバイステップでつみかさねているんだ』と気がつきました。来年も、少しの変化を楽しみにしています(50代)」でした。また来年も少しばかり工夫をしてみます。「男たちが変われば社会が変わる!」を実感しています。

「東日本・家族支援者セミナー2015 in むつ」に参加して(対人援助学領域M2 真鍋 拓司)

    電車を乗り継ぎ約8時間。沢山の風車が並ぶ光景を青い森鉄道の中から見たときにやっとむつに着いたのだなという感覚を覚えたことが悲しかった。私は今年で2年目のむつであったが、車窓からのその人工的な眺めがむつの印象となっていた。いかに去年の私が「原発」や「基地」といったものからむつをみていたかが分かった。

   2年目のむつで私は地域の力をとても感じることができた。支援者支援セミナーでの活気のある議論や頼もしい意見は去年よりも迫力のあるものだった。この参加者の中には去年もお会いした方もいらっしゃった。そこには確かに人びとの暮らしを想う方々がいて、その力は広がりを持っていることが分かり、その一助となっていることが嬉しかった。

    またもう1つ、このプロジェクトが掲げる「現地に新しい風を吹かせる」という言葉を肌で感じることができた。年に1回、それもたった3日間という短い期間で私たちは一体何ができるのだろうという問いがあったが、現地を訪れ、プロジェクトに参加することでその答えが見つかったように思う。地域を巻き込みながら進んでいくこのプロジェクト、私たちが通り過ぎて行った後も地域の中で風は吹き続け、その中でどんどん成長していく姿があった。このことに気付けたのは去年に引き続き参加できたこと、そして何より5年間継続して協働してくださっている関係者の方々あってのことだ。

   10年このプロジェクトを続けるということで、この風は今後も大きく成長し続けることだろう。私自身、この2年目の参加でむつの暮らしや思いというものに触れることができ、対人援助学の大きな学びがあった。

「東日本・家族応援プロジェクト2015 inむつ」の活動から ~歴史の縦軸/社会の横軸の中で向き合ったこと~(対人援助学領域M1 高井小織)

   今回、私は震災復興支援プロジェクトへの初めての参加で、青森県むつ市を訪問した。下北半島についてはむつ市以外にも訪れたいという思いで、チームよりも一日早い現地入りをしたので、その部分も含めて報告をする。

8月26日(水)建設中の大間原発の様子から

   一日早く下北半島に入ったのは、大間原発を実際に見たかったからである。しかし、仏ケ浦で思ったよりも時間がかかり、大間町に着く頃は、日もかなり傾いていた。南の佐井村から向かうと、大間の町並みの手前に建設途中の大間原発が現れる。鉄条網が累々と続いている。距離にして 2,30mのすぐ真下が海。原発の敷地内で反対運動をしている「あさこはうす」まで行こうと、あらかじめ調べてあった住所の近く、ナビでこのあたりだろうと思う近くに車を停めて、歩き始める。鉄条網に沿って歩いたが、たどり着けなかった。広大な敷地の中、非常に巨大な送電線が目につく。翌日に東通トントゥビレッジに行ってわかったことだが、これは大間から東通を通り、下北半島の南にまで、ダイレクトに電気を送るためのものだった。  

   せっかくなら本州最北端まで足を伸ばそうと、大間崎へ。原発からは車で15分。曇天の下、絵になるようなカモメが風を受けている。おばちゃんが割烹着を着て海岸沿いを歩いているので、声をかけると昆布を拾っている、とのこと。7月から10月まで、毎日夕方にこうして昆布を拾い、乾燥させて売るのだそうだ。一袋500円。黒々と立派な昆布だった。

   周囲には多くの警備員がいる。地図で見た限りは、入れそうな側道のようなところもあったのだが、そこに車を寄せようとすると何度も警備員から×の合図をされた。建設計画から既に40年近く。津軽海峡を隔てた函館市から起こされた訴訟も気になる。かなり日も暮れてきたので、後ろ髪を引かれながら、大間原発を後にする。

8月27日(木) 朝の県道

   朝8時すぎに出発。大畑・関根を通ってむつ市街地近くへのルート。下北半島の平日の朝が始まっている。朝8時台の道路は、デイサービスの送迎車が目につく。道路沿いの大きな建物は、学校関係か老健施設などの福祉施設が多い。コンビニは目につかない。お店や飲食店も多くはない。津軽海峡を臨む道に沿って所々に小さな漁港と漁船。この地域の産業や、人々の生活を想像しながら走る。

下北バス

   下北バス本社前の古いビル1階、地元の御用達といった雰囲気のスーパーで海鮮丼を買って、バスの中で軽い昼食。下北バスは乗客のほとんどが地元の方。おばあちゃんらは顔見知りで、大声で話をしているが、全くといっていいほど聞き取れない。何の話だろう?病院へ行くらしいので、体のことか。家族のことか。スーパーの大きな荷物を持っている方は何日に一度かの買い出しか。杖をもっている人も多い。必死で耳をそばだてているが、ところどころ単語がわかる程度だ。まるで見知らぬ外国に迷い込んだようで、この音響経験がとても面白い。車がなければ、生活できないような土地だが、こうしてバスを生活の手段にしている人たちもいる。おばあちゃんらが乗り降りする度に運転手は「座ってくださいよ」「つかまって」と声をかけている。おばあちゃんが二人で降りた、と思ったら一人はまたバスに戻ってきた。足の悪いおばあちゃんの降りるのを助けてあげていたようだ。日常の風景。

   吹越でチームと合流後、六カ所村原燃PRセンターと東通村トントゥビレッジを見学し、宿泊所に向かう。

28日(木)

むつ市市役所での支援者支援セミナー

   「連携と融合」について、考えてみたい。このプロジェクトが、本学とむつ市やむつ市連合PTA、むつ児童相談所の四つの共催として取り組んでいることに大きな意味がある。

   支援者支援セミナーの開かれた大会議室には、ワークグループが12、総勢60人以上が参加した。院生はファシリテーター役として、事前に参加者の名簿が配られ、時間配分や事例についての説明を受けた。「困難なケースについて、マイナス面の原因探しをしたり責任の追及をしたりするためのものではない。逆に、何が強みか、どのような可能性が考えられるか。という視点から意見がでるようにしたい」と先生が何度も強調された。

   私を含めて5人でのグループワーク。私の他は、むつ市内で民生委員をしている60代男性Aさん。町で長く続いている電気店を営み、仕事帰りなのだろう、ユニホームで登場。同じく60代女性Bさんとは、東北北部に多い名字のことで朗らかに話が始まった(『あまちゃん』に出てくる、アキの初恋の相手の名字)二人とも、民生委員として近所の一人暮らしの高齢者を気にかけている、という。むつ市内で保健師をしている30代女性Cさん。「私はもっと目の前の人に優しくなりたい」とセミナー参加の動機を率直に語った。下北半島の西、佐井村で子供や障害のある人を支援しているDさん40代男性は、往復で3時間かけての参加だった。

   二つの事例報告を受け、ワークが始まる。私は白い紙に5人の中央に見えるようにキーワードを書きながら、話をすすめた。「お母さんが、ようやってきたんやなあ」「近所の人も見守ってたんやろう」温かい視点からの発言や、穏やかな表情が、参加者の日常の支援を彷彿とさせた。

   自由に話せる雰囲気、同じ地域で支援する方々がこうして集い、前向きに語り合う姿が、とても貴重なものだと感じた。

「お父さんセミナー」の裏スケジュール 女性のフィールドワーク 海望館と安渡館へ

   暗闇の中を走り、着いたところは海望館。今年春にオープンしたばかりの新しい観光名所で、15mの高さにある塔から大湊湾や市街地を一望できる。ちょうど満月で、雲間から顔をだす月の光から海面へ月の道が続き、幻想的な風景だった。

   その後、安渡館でティータイム。ここは実在した旧海軍大湊要港部庁舎をイメージした建物だ。

   『下北 百年』という写真集があった。明治期、斗南藩の姿を想起させるような写真から始まり、新しい町、学校、子どもたちや漁師の姿。第二次大戦前には青森から大間までの鉄道を敷く計画もあり、実際に朝鮮人労働者が強制的に労働をさせられたという。そういえば。大間からむつへの道のりで、山ぎわに線路やトンネルの跡とおぼしきものもあった。それほど昔から、下北半島と都市部を結ぶ計画は(誰のためのものか)あったのかと感慨深い。また、昔の子どもたちや学校生徒の人数の多さ、村や町の活気にも驚く。確かに現在の日本は、県庁所在地とその他の郡部の人口差が著しいものになっている。この日の朝みた郡部の日常の風景を思い描きながら、それぞれの地域を考えることはどういうことか、と思いをはせていた。

よりよいコミュニケーションのために

   ひとつ、提案したい課題がある。支援者支援セミナー、団先生の講演などの内容は、基盤に「人の話を聞く」ことから始まる。今回の参加者の方々のお顔を見ると、むつという地域である程度の年齢、50歳以上の方々の割合の多さに気づく。私も左耳が聞こえないことで、こうした場でいつも思うことなのだが、「よりよく聞こえる環境作り」にもう一工夫できないだろうか。

   手話通訳が必要というわけではないのかもしれない。50代以上の人間は誰もが少し聞こえにくくなっている。少し子音だけを強調してよりはっきりした音声をとどける簡便な音響機器も最近はいくつかでている。指向性のあるスピーカーを使って、全体には影響は出さないで必要な方に音を届けることができるものもあるので、グループに分かれての時などに用意できればいいと思うのだが。

終わりに

   「歴史の縦軸と社会の横軸。原点ゼロの私」。私にとっての東日本震災復興プロジェクトは、始まったばかりである。単に一度の通行人ではなく、関わり続けることで、私自身の歴史観・社会観が構築される。それを裏打ちするためには、私はこれから知ろうとし続けなければならない。表面上、情報社会といわれているが、現在の報道は誰の立場からなされているか、を眉につばつけながらしっかりと見定め、知りたい。「蟻の目、鷹の目」と言う言葉がある。固有名詞をもつあなたと再会して、より深く語りたいと同時に、世界情勢とも密接に関わる日本の安全や原発を含めた社会状況を厳しく見て判断する目をもちたい。

   今回、むつのみなさま、地域でたくさん話をしてくれた方々、また先生方や仲間に感謝をして報告を終わります。ありがとうございました。

 「東日本・家族応援プロジェクト2015inむつ』に参加して (対人援助学領域M1 前阪 千賀子)

   8月27日からのプロジェクトにあたり、6月から研究会や院生同士で学習内容を共有し、歴史、土地柄、名産物、そして原発施設、自衛隊関連施設など、多少なりとも私なりに青森県むつ市について学習してきた。そして、正直なところ知れば知るほど、だんだん私の勝手な偏った印象で膨れあがり、いざ出発を前にするとそれを確かめにいく感が否めなくなっていた。しかし、東北新幹線の車窓からは、私たちの生活と何ら変わらない日常が送られている。そんな被災県の光景を目にして、机上の知識は脇に置いておき可能な限りの先入観を捨てて、「ありのままに感じることを学びに行こう」と自然と想いが変わっていった。また、むつ市に近づくにつれて、それが初めてその地を訪れる者の礼儀かもしれないとも思ったのだ。

   むつでは、「支援者支援セミナー」「お父さん応援セミナー」「団先生の漫画トーク」の3つのセミナーが用意されたが、「お父さん応援セミナー」だけは男性のみに参加を許されているため、それ以外についてお話したい。

「支援者支援セミナー」

   むつ市は東日本大震災の際、同じ東北東に位置しているが、実際は被災していない土地であり、そのため専門職者や地域ボランティアの方々はこれまでに「震災被災者の支援者」という立場で関わってこられた経緯がある。またむつ市は青森市から約100キロ離れており、にもかかわらず交通網も便利とは言いがたく、やや孤立した土地柄であるそうだ。そういう意味でも、この支援者支援セミナーはニーズにあった期待の大きいセミナーだといえるのではないかと思った。むつ市職員をはじめ、青森県職員、施設職員、弁護士、民生・児童委員、海上自衛隊職員などなど計73名が参加された。

   セミナーでは参加者がグループに分かれて、用意された困難事例についてディスカッションをする。私のグループは半数以上が60才半ばの民生・児童委員さんで、地域ボランティアである立場から住民目線の意見が活発に出た。なかでも、事情を抱えているのに保育園に預けられない母親の事例に対して、保育園入所の条件に民生・児童委員がせめて推薦できるようなシステムを作ってはどうかという、メゾ的視点に立った建設的な意見が出た時には、地域に根ざすパワーを感じ、こういう力こそが地域を支え変えてもいけるのだと思った。が、その一方で「民生委員の見守りは、どうせおせっかいだと思われるから」と地域住民との関わりを躊躇される何かがあるように見受けられ、自分の価値を見出せずにおられるのも現状であると知った。

   しかし、そんな人達もこのセミナーが終わる頃には、「元気をもらった。」「また来年も来たい。」と言っていただき、本当に意義のあるセミナーであったと実感している。そして、このように人々をエンパワメントし、地域の力として社会に還流させることができる、立命館大学の教授陣が届けた対人援助の学びが、とても誇らしく思えた。

「団先生の漫画トーク」

   「団先生の漫画トーク」に赤ちゃんをしっかり抱っこした女性が、土曜日にもかかわらず一人で来られた。お話を伺うと、会場である図書館は自宅から近いため頻繁に訪れていて、自然に漫画トークを知って参加されたとのこと。4ヶ月の娘さんがぐずったらすぐに退室するからと会場後方に控えめに立っておられた。途中、何度もぐずる子どもを必死にあやしておられたが、泣き声が高らかになってきた頃、やむを得ず退室されることを決心された。別の院生から聞けば、その母親は結婚後むつ市にやってきた滋賀県出身者で、娘が託児サービスを泣いて嫌がったので、やむなく会場へ連れて来られたらしい。今日まできっと遠い故郷を思い出しながら、ギャラリーでの漫画展を幾度もご覧いただいたことだろう。懐かしい立命館大学の名に色々な思い出を重ねておられたかもしれない。はるか遠いこの地においても、こうして団先生の漫画が誰かの気持ちに寄り添い、また漫画展を訪れる方にとって心を休める「止まり木」のような役割を果たしていることを思い知った。来年、また私がこのプロジェクトに参加することができるなら、彼女も必ず再会したいと思う一人となった。そして、来年こそは心に浸みわたる団先生のトークを最後までゆっくりじっくり聴いてほしいと願っている。

   このプロジェクトの全日程を終えた今この瞬間、私に浮かんだ言葉は「絆」である。これまで4年間にわたり先生や諸先輩方が築いてこられた「絆」なくして、むつ市側スタッフとの関係性は言うまでもなく、今回お会いできなかった方々が大勢おられたことは間違いない。もちろん今回私ができたことは、まだまだ「絆」という大それたものではないことは確信している。が、私が繋がることで5年という月日で培われた、むつとの「絆」の橋渡しができたとすれば、こんな本望なことはないと思う。

   今、はるか遠い地、むつを思うとき、第2の故郷ができたような優しい温かい気持ちで満たされる。繋がりを通して、私自身に起こっている、そんな変化もまた感じている。

   最後に、目新しいフィールドワークに連れ出してくださったSさん、観光に行けない私達を観光がわりだと言って、写真パネルで紹介してくださったSさん、私の関心事の一つである精神科医療について情報提供くださったSさん、方言や食べ物、日常の暮らしについてどんな質問にも応じてくださったMさん、八戸駅の電車が出発するまで私達を見送ってくださったIさん、美味しい地酒について教えてくださったOさん・・・私達を暖かく向かえてくださった、むつ市の皆さんに感謝を込めて・・・。

 東日本家族応援プロジェクトinむつを通して感じたこと (対人援助学領域M1 地下昌里)

   このプロジェクトを通して、感じたことは2点ある。

   1点目は、むつの人たちのあたたかさである。出会ったどの方も、気さくに声をかけてくださり、楽しいお話も、教育現場などの真剣なお話も一緒にさせていただいた。むつでのプロジェクトにガチガチに緊張して参加していたのを、いい意味でほぐしてくださり、充実した時間を過ごすことができたように思う。

   2点目は、綿密な連携があってこそのプロジェクトだということだ。5年目に突入したこのプロジェクトに参加して、教授たちと杉浦さんをはじめとするむつ市の職員さんたちには、阿吽の呼吸のようなものがあるように感じた。どんどんとテンポよくスケジュールが進んでいき、さらに来年に向けての改善点の話し合いも、ふとした会話の中で、当たり前のように見られた。「連携が大切」ということは耳にすることが多く、分かっているつもりでいたが、実際に連携というものを間近で感じることができたのは初めてだった。その連携も、これまでのいろいろな成功や失敗が積み重なって、いまがあること、継続が力になるということを覚えておきたい。

   今回のプロジェクトで、これまであまり知ろうとしてこなかった原発について考えたり、地域に入ってそこに暮らし働く人たちと一緒に何かに取り組んだり、連携の大切さなどを肌身で感じたりすることができた。10年続けるプロジェクトの一部に携わり、そこから、むつで見たこと、知ったこと、感じたことを証人として忘れないでいること、考えることを続けていきたい。

 「東北・家族応援プロジェクト in むつ」 2015から、2016へ (対人援助学領域M1 高山 仁志)

   むつ市で過ごした3日間において、もっとも印象に残っていることは、むつ市や周辺の地域に住む方たち、すなわち「人」である。むつ市に行く前は、事前調査で様々なことを調べはしたものの、やはりそれは表面的な情報でしかなく、「わかったような気になる」ことだけは避けようと考えていた。そして、「ぼんやりとしたイメージ」だけしかない状態で行った結果として印象に残ったのが、「人」だった。

   支援者支援セミナー、お父さん応援セミナー、そして漫画展。これらの準備のほとんどすべてが、多数の、本当に多数のむつ市の方達によって、組織的に行われていた。そしてまた、本当に多くの方が参加されていた。

   「地域」、そして「連携」「つながり」といった言葉が、このプロジェクトにおいては重要なキーワードになっていると思われる。しかし、ではその「地域」とはなんなのか。そして「連携」「つながり」とは、とどのつまりどういうことなのか。こうした疑問に、自分は答える言葉を持たないばかりか、ぼんやりとしたイメージすらも持てていなかった。しかし、支援者支援セミナーにおいて、ある方がおっしゃったある言葉がきっかけとなり、おぼろげながらもイメージが持てるようになった。その言葉は、「私が住んでいる場所だったら、こういう感じになると思う」といった意味のもので、自分はその言葉に「地域が持つ力」というものの一端を垣間見たように思えた。

   いまは、「地域ってなに?」と聞かれれば、「それは、人なんじゃないか」と答えるだろう。場所ではなく、あるいは物理的な環境設備ではなく、そこの住む「人」の集合が、「地域」なのではないだろうか。そして、「連携」「つながり」とは、「人と人が、実際に一緒に何かをやる」ということになるのではと考える。

   「誰かと一緒になって何かをやる」というのは、とても難しいように思われる。それも、普段から同じ会社で働いているとか、ごくごく近所で親しい間柄という関係性のない人同士ではなおさらであるし、ごくごく親しい間柄であっても、まったく新しいことを始めるのには、大なり小なりのハードルがたくさんある。だからこそ、「連携」といった言葉が強調されるようになってきているし、大事であると考えられているのだろう。そして、始めることも難しいが、続けることもまたそれ以上に難しいであろう。

   本プロジェクトは、今年で5回目であり、「10年続ける」といってスタートしての、ちょうど折り返し地点である。その中で、公的機関であるむつ市の職員の方達の中には、異動があったり、最初期のメンバーとは多数入れ替わっているといった話を聞いた。にも関わらず、しっかりと準備がなされ、そして多くの方が参加されていた。準備のために動く多数のむつ市職員の方や、他の機関方、そして多数の参加されていた方たちを見て、「これが地域であり、連携なのではないか」と、強く感じた。

   京都から参加した私たちにとっては、ほんの3日間である。しかし、きっとむつ市では、もうすでに来年度、2016年のプロジェクトに向けての準備が、始まっているのだろうと思う。翌年へ、次へとつないでいくミッションが、すでに始まっているのだ。できることなら、またむつ市を訪れて、その「つないでいく」うちの1人になれればと、強く思う。

 「東日本・家族応援プロジェクトin むつ 2015」に参加して (臨床心理学領域M1 佐々木公子)

   今回、プロジェクトに参加させて頂いた動機は、その土地を訪れ、地元の方々との出会いとふれあいを通して、初めて目に見えてくること、気づかされることがあるのではないかと考えたことによる。五感を使って自分の中に湧き起る感情と変化を体感するという経験そのものに、私は意味と必要性を感じていた。

   私の地元では、医療機関や支援機関に行かなければ支援を受けることができず、いくつかの専門機関が存在しているものの、横のつながりが希薄であることから、特定の領域に偏った支援に終始されやすい現実があった。そのため、支援を行う側にとっても閉鎖的な環境の中での活動に、限界を感じることがあるのではないかという疑問をもっていた。そこで、家族が生活をしている地域や街の中で家族を支えていく活動に関心があり、支援とは何か、連携とは何か、地域とは何かについて、考える機会を求めていた。

   私はむつ市を訪れたことで、地元の方々の心根の優しさや人柄にふれ、ありがたみを感じるとともに、目の前に広がる自然の偉大さに特別な意味を感じた。一方、自分の無知さを痛感するとともに、目に映るむつ市の様々な現実から感情が湧き起り、錯綜するとともに、その狭間で強く揺さぶられていた。その葛藤の中であらためて気づいたことは、地域には歴史があり、人は歴史とともに時代と文脈の中を生きているということであった。人は地域の中で日々を暮らし、人とのつながりのもとに成長していく。そのなかで、その人が歩んできた人生にとって大事な何かに、私は気づこうとしてきたのだろうか。また、どれほどの謙虚さをもって、人に向き合うことができてきたのだろうか。プロジェクトでの活動を通して、それらの問いを自分に投げかけていくことになった。

   2日目に行われた支援者支援セミナーでは、本人や環境が持っている可能性や健康な部分に焦点を当てていく「ストレングス」の視点と、問題を問題のままに捉えるのではなく、そこに家族のニーズがあるという視点を持つことの大事さについて学んだ。そして、2つの視点を活かすためには、同じ地域で生活を営んでいる方々の存在と力が鍵となることにあらためて気づいた。そのため、支援とは、支援者が変わることで、地域が変わっていくことなのではないか、と感じた。

   今回、むつ市で支援活動を行っている地元の方から、以前に比べて横のつながりがでてきたことや、個人的な経験談に結び付いたエピソードをお聞きする機会があった。私は、むつ市で起きつつある変化の一端とともに、その方の中にも生まれつつある変化を、直接聞くことができた。地元の方との出会いを通して紡ぎ出された言葉が、今年で5年目を迎えるプロジェクトによって引き出されたことに、あらためてプロジェクトの存在と継続的な活動の意義を実感した。横のつながりを実感できることは、地域で活動をしている支援者の方々にとっても、自分たちを支えることにもつながるのではないか。また、多職種や行政の動きといった地域に開かれた窓をひとりひとりが持つことで、支援のすそ野が広がり、結果的に、当事者の声にはならない声にたどりつくことができるのではないだろうか。ひとつの変化は、やがて、お互いに芽生えてきた思いを、具現化していこうとする動機づけになり、人と人とを結びつけていくのではないかと、地元の方の言葉から感じた。

   連携や協働という文字をよく目にするが、これまで、専門家同士の連携や協働にばかり目が奪われていた。地域には着目すべき資源があり、その一つが、地域で支援活動をしている人たちの存在と潜在能力の大きさにある。今回、地域で生活を営む人たちが抱えている問題を、地域の力で支えていくことが、自分の中でより身近に感じられた。また、これまで慣習的に行われてきたことのなかにこそ、見つめ直し、視点を変えることで、開けてくるものや見出せる可能性があることを学んだ。

   今回、プロジェクトに参加させて頂き、短期間で多くのことを感じたことで、まだ、言語化しきれずに残っている思いがある。だが、それらの思いをすぐに整理しようとは思わず、時間をかけて意味づけを繰り返していきたい。

   最後に、杉浦さんをはじめ、むつ市の皆様、下北地域県民局地域健康福祉部福祉こども総室(青森県むつ児童相談所)の皆様、むつ市連合PTAの皆様、村本先生、中村先生、団先生、立命館大学大学院の皆様、清武さん、そして院生の方々、本当にありがとうございました。今回、このような貴重な機会に参加させて頂いたこと、これまで継続されてきた活動の一環に携わらせて頂いたことに、心から感謝いたします。

 むつ市でのプロジェクトから感じたこと (臨床心理学領域M2 朴 希沙)

   私は、今年度初めて東日本家族応援プロジェクトに参加し、むつ市に行きました。青森県出身の友人がいたことから、一度は青森に行ってみたいと思っていましたが、なかなか機会を得られず、このプロジェクトに参加することで初めて訪れることができました。

   東日本家族応援プロジェクトは、東日本大震災を受け発足したものです。そのため、最初はどうしても福島や宮城といった被災が大きかった地域のことが頭に浮かび、青森県むつ市がプロジェクトの行き先であることについて、どのように捉えていけばよいか少し戸惑った記憶があったことを覚えています。

   しかしプロジェクトに参加する過程で、東日本家族応援プロジェクトは単に被災地を直接的に支援するだけではなく、東北の魅力や歴史、抱えている状況について学び、自分たちの日常とつなげていくための場であることが分かってきました。またそれと同時に、京都から行った先生方や学生たちが、地域の方々と連携しひとつのプロジェクトを継続してつくりあげていく様子を学ぶことが出来る場であることもわかってきました。

   事前学習では、私は主に六ヶ所村にある核燃サイクル施設について調べたことを発表しました。その過程で、自分の住んでいる地域に原子力発電所関連施設が建つことの困難さを感じました。地域に原子力発電所や核燃サイクル施設ができることは、健康への被害や、事故への不安が生じるだけではありません。それはその地域の人々の関係を大きく変えてしまいます。個々人や各家庭が原発と具体的な関係を持つことによって、意見や立場が大きく異なり、それまでは存在しなかった対立が生じてしまうからです。今まで、原発について考えるときにはまず放射能の危険性がまっさきに頭に浮かんでいました。しかしそれだけでなく、利害関係によってそこに住む人々の関係性を破壊してしまう問題を孕んでいることが分かり、原発が持つ問題の複雑さや被害の新たな側面を学ぶことができました。また他のメンバーの発表を通して、むつ市の歴史や文化についても知ることが出来ました。

   実際のプロジェクトでは、むつ市の職員の方を初めとして多くの方々にお世話になり、様々な交流をすることができました。例えば一日目、青い森鉄道に乗っていると、「ここに席が空いているので座ったらいい」と声をかけてくださったむつ市の方がいらっしゃいました。どこから来たのか、「なんでむつに来たの?」と聞かれ、お話したり、恐山やむつのイカ寿司などについてお話を聞くことができました。この体験を通して、私にとって遠い場所であったむつ市で生活を営んできた方々の息遣いを身近に感じることができました。また同日の歓迎パーティーでは、職員の方々と京都とむつとの比較についてや、むつでの児童相談所のお仕事の内容などを聞くことができました。この歓迎パーティーでは、職員の方同士が、家族ぐるみでお知り合いだったりするなど、地域の関係性の密度の高さについても印象的に感じました。

   また二日目のお父さん応援セミナーの後に、夕飯を食べながらセミナーに参加された方とお話をする機会を持つことができました。その方は、連続してセミナーに参加しておられる方で、参加することによってご自身の変化を感じておられる方でした。男性が自分の感情について話すことの難しさや、女性との関係においてすれ違ってしまうことについて率直に意見を交換しました。私は関西弁で、その方は青森の方言で話されていたのですが、互いの異なる言葉の響きや話されている内容が面白く、あっという間に時間が過ぎたのを覚えています。また継続的に男性だけで自分の気持ちを話し合い、学びを深める場所があることの重要性を感じました。

   このように、様々な交流ができただけでなく、地域との連携についても学ぶことが出来ました。支援者支援セミナーや、お父さん応援セミナー、団先生の漫画トークといったイベントは、当日までのたくさんの準備を地域で行っておられます。その過程でむつ市において様々な連携がなされるだけでなく、それが来年、再来年にも続いていくという継続的な関係を構築することができます。このプロジェクトは10年間行われるということですが、継続してひとつのプロジェクトを行っていくことで生まれる深い連携の形について学ぶことが出来ました。継続して関係を持ち続けること、考え続けることを通して作り上げられていく人々の関係性に大きな可能性を感じつつ、報告を終えさせていただきます。

 むつを訪ねて (対人援助学領域M1 吉尾玲美)

   私は今まで青森を含め、東北には全く行ったことがなかった。青森についてのイメージは「りんご」と、あとは四年半前に起こった東日本大震災の「被災地」でもある、それぐらいのものだった。旅行に出発する前の調べ学習をしたことで、「原子力関連の施設がある」「海産物がおいしい」といったいくつかのイメージが加わった。

   実際に訪問してみると、木々がとても多いこと、空が広いこと、海が綺麗であること、まだ8月の下旬なのにとても涼しいことに気がついた。それから、現地の方々と、いくつかの企画に一緒に参加する中で、自分の住む町から遠く離れたこの場所で、人々が暮らしているのだという、そんな当たり前のことを実感していた。私は今までずっと京都に住んでいて、その中で自分の生活を送ることばかりに集中していて、ニュースを見ても、画面の向こうの人達の暮らしを想像しようとすることが無かったし、そうしようと思ってもできなかった。それで今回、本州のてっぺんであるこの町にやってきて、自分の狭い世界が少し広がったような気がした。

   きっと大きな事件や事故、災害が起こった時、遠く離れた町にいる誰かにたいして、私個人が直接的に支援できることというのはほとんどないだろう。でも、相手にとって今どんな支援が必要なのか、どんな支援が必要でないのか、想像することができれば、できることがほとんどなくても、何か見つけることができるかもしれない。支援者支援セミナーで同じテーブルにいた民生委員の方の「1人じゃ生きていけないからね」という言葉が、忘れられない。その時初めて聞いた言葉ではないけれど、その時私は本当にその通りだと思った。個人の単位で、困っている誰かに対してできることはささやかだ。でも、ほんの少しの誰かの助けがあれば、力を発揮できるのが人間なのかもしれない。今回の旅で生まれた人と人との繋がりを、大切にしたいと思った。

 漫画展のアテンドinむつ (対人援助学領域修了生 清武愛流)

   5年目のプロジェクトスタート。私は4回目の参加となった。いつもと変わらず漫画展の会場である、むつ市立図書館が私の主な活動の拠点だった。ここに至るまでを振り返ると、多くの気づきやそこから想像することあった。これらを通し、次の開催日に向けて共に動き、次回の活動を思案し、足を運ばせていただきたいと思った。これらは、私がプロジェクトにおいて楽しんでいること、また、現地の方々に成長させられていることでもある。以降に、このように思った体験を書き、活動報告とさせていただきたい。

   感想ノートやチラシ、そして冊子が置かれている台が、昨年度とは異なる配置になっており、来場者に向けた工夫を検討してくださっていることを改めて感じた。普段の図書館に目を向けても、ソファーの位配置が変わっており、図書館内の光景も毎年少しずつ変化を感じる。こうした館内には、2年前に見かけた、汁物を食べる人や弁当を食べる人がまた、戻ってきていたような気がした。一瞬だけしかいない漫画展のアテンドであるから、厳密ではない。しかし、がらりと変わることでなくても場の居心地の良さは、ちょっとしたことを行う館内の人がいるから生まれるのだと思った。

   私も心地よく過ごさせていただいた一人だった。去年から置かれるようになった、木陰の物語の小冊子の貸し出しも続けられていた。新しく始められ、また、継続されていることを知った。小冊子は、届けるプロジェクトとして、人の手から手へ渡されていく『ホンブロック』の被災地支援の一環である。研究科とそしてむつ市、ホンブロックといった別の場で働く人々により、展開されていた一面を意識する機会となった。図書館内での展開は、昨年度の冊子は貸し出し中だったこと。途中からプロジェクトを知った方も、参加しやすい形式を職員の方が生み出していると気付かされたからだったのだろう。こうした目に見える形があるのも縁の下で動いている人が、心地よい場を生み出しているのだと思う。安定した展示となされる工夫、両方があるから、心地良く過ごせる人が出てくるのだろう。

   人との再会も含まれていた。館内の方や準備から携わっている児童相談所の職員さんをはじめ、2時間かけて来てくれた異動した職員の方がいたこと、来られなくても連絡し合える職員の方がいたこともとても嬉しかった。プロジェクトがなければこうした体験は意識されることはなかったかもしれない。こうしたささやかな喜びは、日常の中に無数に起きているように感じ、違う地に行くが故に知った人の営みだったと換言できる。

   最後にフィールドワーク実現から、報告をしたい。今回フィールドワークを行いたく、現地の方に相談させていただいた。ご足労やご面倒をおかけしながら、院生と一緒にジャンボタクシーを使い吹越駅から、六ヶ所原燃PRセンターと東通原子力発電所PRセンターに立ち寄りつつ、むつ入りができた。プロジェクトにおいて、むつ市で中心となって動いてくださっている方が段取りをしてくださったことで実現できた。いかにして新しい機会を作っていくのか、段取り、さらには、現地の状況やその方の心配りを知ったのだった。この体験を契機に、次の場でも共に楽しむ活動に向け考えていきたいと思う。

むつ市役所にて支援者支援セミナー



むつ市公民館にて お父さん応援セミナー



むつ市立図書館にて 家族漫画展と漫画トーク



宮下市長との懇談

スタッフ記念撮影

反省会


海望館と安渡館へ







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