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応用人間科学研究科 震災復興支援プロジェクト

2016年8月10日~9月3日「東日本・家族応援プロジェクト2017 in むつ」




「東日本・家族応援プロジェクト2017 in むつ」を開催しました 

(応用人間科学研究科教授・村本邦子)

   はや7回目となる「東日本・家族応援プロジェクト in むつ」、今年も、むつ市、むつ市連合PTA、下北地域県民局地域健康福祉部(青森県むつ児童相談所)との共催で、8月10日(木)~9月3日(日)団士郎家族漫画展をむつ市立図書館、9月2日(土)支援者支援セミナーをむつ市役所、お父さん・お母さん応援セミナーをむつ市中央公民館、9月3日(日)漫画トークをむつ市立図書館にて開催した。

   現地で動いてくださっている実行委員会のメンバーは、毎年入れ替わりつつ、入念な引継ぎと継続メンバーの支えあって、今では当たり前のように、しかし実はあちこちに細やかな配慮とともに運営が回っている。自己紹介のところでも、1年目は何もわからなかったというスタッフが、回を重ね、常に変化する状況に対応しつつ、より良いプロジェクトになるよう工夫し、十年後、どのようにこれを着地させるのかという悩みも含めて共有してくれていることを知った。感謝とともに、メンバーのこんな姿勢は日常の仕事にも反映されているに違いないと思った。むつ市から移動になった元実行委員会メンバーたちが毎年、駆けつけてくれるが、それもこんな関りがあってのことだろう。「十年間のプロジェクト実行委員の同窓会名簿を作ったら、かなりのネットワークになりますね」と言ったら、「青森だけでなく、岩手や宮城、福島でも、このプロジェクトに関わった人たちの同窓会名簿を作ったら、直接会ったことがなくても、すごいネットワークになりますよ」という答えが返ってきた。このプロジェクトをそんなふうに捉えてくれているのだと嬉しかった。

   今年は、いつも一緒にやっている中村正さんが事情で参加できなかったため、地元の力に頼み、支援者支援セミナーをむつ市児童相談所の杉浦裕子さんと一緒に担当し、お父さん応援セミナーを「お父さん・お母さん応援セミナー・ほほえみ講座」として「青い森のほほえみプロデュース推進協会」にやって頂いた。支援者支援セミナーでは、毎年、むつ市の事例を提供してもらい、ワークショップ形式で議論しているが、今年の事例は、虐待、DV、精神障害を含む母子家庭を地域の支援機関と支援者たちが、丁寧な議論を重ねながら、連携してしっかり支えてきた事例だった。誰の人生にもいろいろなことが起こるものだし、この親子にこれから先もいろいろなことが起こるだろう。ちょっと困ったところもあるけれど何だか魅力的なお母さんと子どもたちを、地域が見守りながら支えている様子に、これが本来の支援だと思った。

   セミナー参加メンバーの活発さにも驚かされた。こちらも入れ替わりがあるものの、固定メンバーが増えるにつれ、このセミナーの趣旨を理解して、主体的、かつ協力的に課題に取り組んでくださる参加者が増えているので、年々、発言は活発になっていたが、今年は、セミナー開始前より、すでにグループのメンバーとの交流が始まっており、和気あいあいとしたムードが出来上がっていた。初めて会うメンバーとも、目的を同じくする同士として知り合い、知恵を寄せ合おうという姿勢は、これもきっと日常の支援の小さな変化につながることだろう。

   地元で準備してくださった「ほほえみ講座」は、ほほえみとともに暖かさを拡げていこうとする青森発祥の一種のモーブメントで、講座を受け、「ほほえみ太陽メッセージ7ヶ条」を実践する「ほほえみプロデューサー」はすでに4万5千人を超えているという。問題は専門家に丸投げというのでなく、それぞれがそれぞれの場所でできるささやかな取り組みを拡げていこうという主旨に賛同する。 

   このプロジェクトのむつでの展開を見ながら、幸運な偶然の重なりだけでなく、縁をチャンスにしようとするこの地域の力を感じ、その力ゆえに、このプロジェクトを受け入れ活用してくれてきたことを痛感する。それに比べて、立命館の側はどうだろうと思った。細々ながら受け渡されているものはあるものの、院生は初参加のM1中心になるため、事前に説明してきたつもりでも、プロジェクトについての理解は実際に参加するまで難しい。むつについては、昨年より要望があって、院生の事前勉強の報告が加わったので、やきもきさせられることも多かった。幸い、むつの人たちは暖かく叱咤激励してくれるので、院生たちの学びや成長は大きい。今年は、合わせて、職員として同行してくれた修了生の小池英梨子さんの「人もねこも一緒に支援プロジェクト」の話も紹介した。こうやって、むつの支援者たちとともに、院生、教職員がともに学び合っているなあと思った。さて、あと3年、どんなふうにプロジェクトをむつに着地させていくのか考えどころだ。  

   

  

 2017 下北への道 

応用人間科学研究科教授 団士郎

   2017年の下北半島むつ市への道中は、福島の原発事故避難指示の解除地域を通ることにした。一斉に人が立ち去って6年半。避難指示が解除されたからといって、元に戻るわけではないことを現地の風景を見て痛感した。

   私達の世界のたいていのことは、困難を伴いつつも復旧が可能だ。厳密なことを言えば昔に返るものなど何もないのだが、それでも回復や復活はある。時には、災い転じて福となすこともある。しかし主観ではあるが、唯一、戻らないのが原発事故の被災地であるような気がした。それは物理的(線量等という合理科学的な要素)なものだけではない。地域とは、そこに暮らす人々と自然環境とが相互作用で作り上げてきた長い歴史の結果だからだ。

   それらが3.11に崩壊し、時と共にその場所は、「原発事故」を含んだ、人のいない環境として新たな世界(システム)を作り出している。だから今、そこに戻る、戻らないという個人の選択で、事故前の昔が戻ることなどない事を思い知らされた。

   最初は様子がわからず どうすれば良いのか?と少し不安そうな表情にも見えた学生さん達だったが 夜のミーティングでの発声練習 読み合わせと進むと表情も柔らかくなり 翌日の 実際に聞き手を前に 絵本を読み始めると どんどん声も大きくなり午後に行った施設では コツもつかんできた学生さん達。臨機応変に動き 会話をしてスムーズに流れていたように思う。 残念ながら私は 次の日の仕事の関係でこの日の夜には東京に戻ってしまったが あとから送られてきた写真の様子からやりきったような達成感を感じた学生さん達の表情がよくわかった。

   7年目になった下北半島。ここを車で、列車で北上する度に、風力発電の風車を見る。これは日本全国で、原子力発電所のある地域で多く目にする。下北半島開拓の歴史を垣間見ると、核燃料再処理施設をはじめ、原子力施設の設置を、国策の大きなうねりの中で引き受けた地方の運命を感じる。

   福島県浪江町、双葉町、大熊町、富岡町、楢葉町。原発誘致がなければ、今のような現実を迎えることのなかった太平洋岸の静かな街。昔はそんなに語られる事もない街だった場所は今、FUKUSHIMAと世界共通語で呼ばれている。あらためて、原子力政策の結果が私達の手に負えていない技術の産物なのだと思った。

   しかし、人が作り出したものについては、その時代の人がきちんと議論しなければならない。それが次世代への責任というものだろう。みんな気づいているのに、誰も口にしないことがあるのはよい時代ではない。「それを言っちゃおしまい」ではなく、「それを言うところから始まる」のが正しいのだろう。

   

 東日本・家族応援プロジェクトinむつに参加して

立命館大学応用人間科学研究科対人援助学領域M1 上田捷悟

   今回、初めてむつに訪れ、東日本・家族応援プロジェクトに参加した。

   複数ある本プロジェクトの開催地からむつを選択したのは、顰蹙を買うようであるが、このような機会がなければ、むつは一生訪れない地域であると思ったからである。また、むつは軍事関連施設、原子力関連施設などが近接しており、それらがそこではどのような位置づけをなされているのかということを、少しでも実際に知ることができればという思いもあった。あまり褒められるような動機ではないが、このような思いでむつにおいての本プロジェクトに参加することにした。

   むつに向けて出発する前に事前学習として、むつや青森県に関する様々な事柄を調べ、私たちなりにまとめた。それを現地でむつの方々に発表をしたのだが、それのフィードバックをしていただいたり、調べるだけでは手に入れることのできないものをたくさんいただき、結果として私は、むつに大きな魅力を感じるようになった。

   また、各種セミナーに参加し、むつで仕事をする方々や、周辺の地域でお仕事をされる方と交流した。支援者支援セミナーでは、むつで起こった実際のケースを取り上げ、グループワークを行った。村本先生が「これほど発言してくるセミナーはない。」とおっしゃったように、私が属したグループでも闊達な議論や意見交換がグループ内でなされていて、私自身、社会人の方々に囲まれ、このように活発な議論をするようなことは少ないので、非常に貴重な体験をした心持である。やはり、継続的にプロジェクトを実施してきた成果なのだろうと、初参加ながら感じるところがあった。

   団先生の漫画トークでは、ある人と言葉を交わしたときに、「新しい視点を得ることができ、私生活や仕事に活かしていきたい。」といったようなお話を聴かせていただいて、「また、来年も。」といったお言葉をいただいた。団先生の漫画展を、非常に楽しみにされている方々がむつには多くおられるということを感じた。

   今回のプロジェクトで感じたことは、むつの方々がかなり準備を入念に行っていたということであった。各種セミナーはもちろんのこと、懇親会など多くの場面でそれが随所に見られた。このプロジェクトが確固たる存在として、立命館とむつとをつないでいるという風に感じた。出会いの場としてや、再開の場として機能しているこのプロジェクトに、さらなる可能性を感じるし、むつにこのプロジェクトを楽しみにされているかたがいる限り、継続していくことはかなりの苦労を要することではあると思うが、10年といわずに、もう少し続けていくことも検討してほしいとさえ思った。

   また、私は本プロジェクトをとおして、むつと出会うことができたと感じている。ただただ旅行などでそこに訪れるといっただけでは生まれない、むつに対しての“愛着”みたいなものが私の中で芽生えたと思う。だから、むつについてさらに知識を蓄えたうえで、再度訪れたいと思っている。

   

 「東日本・家族応援プロジェクトinむつ」に参加して

立命館大学応用人間科学研究科対人援助学領域M1 久住祐香

   むつ市どころか、青森県も訪れたことのない私にとって、むつは正真正銘「縁もゆかりもない土地」であった。こんなことがなければ一生行くことがないだろうから行ってみようというのが私のむつを選んだ動機だった。むつと震災の関連は、むずかしい。データ上では、ほとんど震災の被害をみつけることができない。だからこそ、現地に行って自分たちの目で確かめることが大切だという気持ちを高め、実習に臨んだ。京都から下北まで7時間。乗り換えるたびに気温が下がり、下北に到着すると、秋の空気が漂っていた。

   1日目の懇親会は、はじまる前からむつの人々が談笑していて緊張した。「普段から一緒に仕事をすることはよくあるんですか?」と聞いてみたところ「いえ、このプロジェクトで毎年顔を合わせて仲良くなったんですよ」と答えが返ってきた。支援者支援セミナーでも「こんなに多くの支援者が集まる機会は、年に数回しかない。このプロジェクトはその内の1回で支援者がつながる重要な集まりだと思っている。」とおっしゃっている声を聞き、むつの支援者同士をつなぐ役割をこのプロジェクトが担っているのだと感じた。

   むつ市図書館で行われていた団先生の漫画展を見学に行ったとき、熱心にパネルを見ている若い女性がいた。漫画トークにも参加されており、たまたまお話できる機会があったので聞いてみると、前日に漫画展を見て感動していたところ団先生に直接声をかけられて、漫画トークを知り、仕事前に参加してくれたとのことだった。私たちが京都から来たことを伝えると「いろんなところを見てきてくださいね」と言ってくださった。

   私たちが気になっていた、むつの震災被害については、現地の方がこんなことを話してくださった。「私たちはここが被災地だとは思っていない。だけど、むつの自衛隊が被害の大きかった場所に行ったり、原発関係でもたくさんの人が支援に行った。そういう意味では、自分の身の回りの誰かは、被災地に行っていて、あの頃むつに残っていた人たちはとても心細く感じていた」。

   むつに来るまで、むつの支援者同士のつながりを知らなかった。遠く離れたむつの図書館で、パネル展を真剣に眺めている人がいることを知らなかった。数字として被害はなくても、心細い気持ちを抱えていたむつの人たちのことを知らなかった。現地に来るまで知らなかったことがたくさんある。団先生の支援者支援セミナーのあいさつで「相手を理解しようとするだけで救われることがある」という言葉があった。私は今回むつのことを知った上で、むつや東北、自分の地元で何ができるのか、まだわからない。しかし、まず一歩を踏み出したのではないかと思う。

   今回、このプロジェクトを準備し、私たちを笑顔で迎え、送り出してくれたむつ市の関係者のみなさま、本当にありがとうございました。

   

 むつ市プロジェクト

対人援助学領域M1 川島英輝

   私にとって東北は、今まであまり馴染みがある地ではなかった。それに加えて、2011年に起きた東日本大震災が起きた当時、私は東京に住んでいて夏に震災ボランティアで宮城県石巻市を訪れ、震災直後の悲惨さを目の当たりにした。以後、特に震災関連で東北の地を訪れることにタブーの意識があった。一方で、私は数年後の就職という選択肢で、必要な人に必要なサービスを提供、といった考えから公的機関においての支援職を志望していた。そのため、現地受け入れ機関が児童相談所であったむつ市は現場の方々と多く交流できるチャンスと思い、どちらかといえば、震災について多く関わりたいというよりも、児童相談所など行政における対人援助の現場を知りたいという思いが強くあり参加を決めところがあった。

   プロジェクトに参加するまで、村本先生から事前調査と現地で行う青森県・むつ市に関する発表資料の作成などの課題があった。複数の項目に分けて調べを進めると、知らないことばかりあり、青森県全体とその一部分であるむつ市が少しずつ見えてくるような感じがした。震災についての直接的な被害は見えなかったが、それ以外の原子力発電所、在日アメリカ軍基地、自衛隊施設など、他の都道府県にはない青森県が抱える現状を学んだと思う。まったくもって非常識であるが、私は事前学習をするまで、原子力発電所関連が複数あることや、六ケ所村、東通村の違いや場所の位置関係をわかっていなかったり、三沢基地と大湊の自衛隊が別々の場所にあること、など青森県の人々にとって知っていて当たり前と思われることも、他の地方で日々生活していると見えてこない、わかりくいことであった。しかも、それが青森県の県民の利益ではなく、日本国民全体が受ける国益を生み出す施設であるにも関わらず、知らないということに、今まで利益を受けてきた一人の国民として考えさせられる機会であった。

   事前調査等を終え、いざ現地むつ市を訪れた。初めて訪れる土地であったため、初めて触れるもの、見るもの、感じるもの、など多くの初めてに出会ったと思う。現地に着いて早々に、東北ならではの、8月9月では考えられない寒さ、東北地方独特のなまりのある言葉、プロジェクトが始まる前から青森県・むつ市からのリアルと感じる場面があった。

   2日目から本格的に始動し始めたプロジェクトは、私にとって大変勉強になった。中でも、村本先生がプロジェクト紹介時から強調されていた、むつ市の受け入れ機関との連携の強さや人とのつながりの強さを感じる場面が多かったと個人的に感じた。現地の職員さんが公務を担いながら、実行委員を募って準備を進めていたと聞いた時には、大学と現地の職員さんを7年間もつなぎとめ、そして10年という長期目標を達成させようというモチベーションを今から引き出し、さらに前に進もうとしている姿勢に、このプロジェクトを10年続く支援という本質が見えてきた気がする。大学が提案したことに、現地の受け入れ機関が受け入れ、徐々に同じモチベーションになっていたことに驚きがあった。特に、現地の児相の職員さんは、ジョブローテーションで入れ替わりが激しい中にも関わらず、去った人、新たに加わった人、それぞれの人に本プロジェクトに対する個々のモチベーションを感じることができたことが印象的だった。

   個人的に、むつでのプロジェクトに携わっていた職員さんの結束力、つながりの強さが一番に勉強になった。組織で働くメリットやデメリットがあるようにも思えたが、私としては、組織で働く・支援をする良さ、を感じた。むつでは心理職や福祉職、一般行政職、など様々な立場や専門性を持つ人が、個々に独立するのではなく、一緒に協力をする美しいチームプレーを見ているようだった。話を聞けば、それがむつ市では普通のこと、じゃないと仕事にならない、と今回の取りまとめをして下さっていた杉浦さんが言っていたことを聞き、このプロジェクトを成功させたり、大学や現地をつなぐ力を強固にしているものが、日々の公務の場で実践されているから、7年続き、10年、そしてその先を見据えた方向に進んでいるのか、と納得してプロジェクトを終えた。

   たくさんの多々方の支えによって、多くを学ぶことができました。感謝の気持ちを持って締めさせていただきます。

   

 「東日本家族応援プロジェクトinむつ 2017」に参加して

応用人間科学研究科 臨床心理学領域 M1 西井 開

   団士郎先生の漫画展「木陰の物語」の作品を見て回っていると、会場に来ていた女性のお客様二人が、「そういえばうちの息子がね…」という会話を始めた。“漫画を通して他者の物語を知ることで、今までの自分の体験や感情が思い出され、それが思いがけず何かにつながっていく。”団先生が意図した通りの効果が生まれているぞ、と思わずニヤリとしてしまった。そして同時に物語の持つ力を再確認した。

   漫画は一方的に情報を伝達するものなので、漫画と人との間に対話は生まれない。しかし、漫画がそれを見ている人の中にある何かを刺激し、刺激された人が隣の人に「そういえばね…」と自分の物語を語りだす。すると隣の人は家に帰って家族に「そういえば今日ね…」と話すかもしれない。そうして次から次へと物語が共鳴していく。自分の中に生まれた、もしくは再発見された物語は、何らかの形でその人の生きる糧になっていく。

   そうして続いていく長い長い物語の共鳴の連鎖。もしかしたら、共鳴の連鎖の先に団先生が立っていて、その物語を漫画にするかもしれない。そうなれば、一方向的だった漫画は、大きな循環の一つになる。この漫画展は、多くの人を巻き込む物語の円環を創っている…。 そんな壮大なイメージが頭に浮かんだ。

   物語の円環を創り出す、人を刺激する何か。それは漫画でなくても、物語を伝える媒介であればいい。例えば私には「語る」という手段がある。28年生きてきた私にも物語がある。 また書物や人の話から得た物語もある。

   今回むつを訪れたことで、3泊4日という短い期間ではあるが、自分の中に新たな物語をたくさん生み出すこと、知ることができたように思う。

   支援者支援セミナーでは、取り上げられたケースの家族を「なんとかしてあげたい」と本気で取り組む参加者の皆さんの熱意と、そこで出会った、地元名産の「べこ餅」を私たちのために持ってきてくれようとした参加者の方の温かさに触れた。恐山では、亡くなった奥さんをイタコに口寄せしてもらうために遠方から来られ、とてもすっきりした顔で帰って行かれた男性と出会った。原子力発電所や六ヶ所再処理工場を直に目にし、そこに暮らす人々の生活について考えさせられた。

   本当に今回のプロジェクトでたくさんの人に出会った。むつが、「何の縁もゆかりもなかった土地」から「あの人がいる土地」になった。1000キロ以上離れたその土地と、そこに住む人たちが、自分と地続きのところにいると再認識することができた。

   外部者ではなく、むつに関係のできた1人として、むつについて語る。その伝達は、いつか何かの形で花開き、むつに何かしらの影響を与えるかもしれない。そうすることで私も物語の円環の一部になる。それが今回対人援助者の卵として参加させていただいた私にできることだと思った。

   

 「東日本・家族応援プロジェクトin むつ2017」に参加して

応用人間科学研究科 臨床心理学領域M1 有谷久美子

   むつへ向かう電車の中で、「若い人は何も持ってない。あるのは時間だけだ」と団先生がおっしゃっていた。青春18切符で行く旅、という雑談の中で出てきた言葉だったので、持ってないという言葉が指していたのはお金などの物理的なもののことだったかもしれない。しかし私はその言葉から、(様々な意味でもって)自分が何も持っていなかったことに気付かされ、密かに衝撃を受けた。今後いかに時間を経験に変えていくかが課題なのかな、と外の景色を眺めながらうっすらと考えていたのだが、そのことがまさに確信として、体感として、自分の中に得ることができた3日間だったのではないかと思う。

   今回私が「東日本・家族応援プロジェクト」に参加を決めたのは、今後自分が臨床心理士となり対人援助を行っていくうえで、被災地でどのような活動ができるのか身をもって学びたいということが大きな理由であった。東北の各地で行われる中でもむつを選んだのは、東日本・家族応援プロジェクトの説明会の時、先輩方のお話から自分がこれまでに住んでいた県や行ったことのある県とは違う魅力をむつに感じたからである。

   プロジェクト中は支援者支援セミナーや団先生の漫画展、お父さん・お母さんのためのほほえみ講座などに携わらせていただき、どのような形や姿勢で家族を応援することができるのかを学ばせていただいた。

   支援者支援セミナーでは、児童相談所、保育園、相談支援事業所、警察署等、様々な場所で働いていらっしゃる方々が集まり、事例検討会を行う形でそれぞれの意見交換を行った。これまで参加したことのあった臨床心理士の学習会や事例検討会とは違った空気を持っており、様々な視点を持って一つの事例を見ることができた。経験や知識は違う中でもどうにかこの家族の生活を、という意識は共通しており、他職種が連携して支援に取り組む時の根底の部分に何があるのかを見ることができたように思う。

   「このように多くの職種の支援者同士が交流する場はなかなかない」ということを参加者の方からお聞きした時には、参加する前にはわからなかったこのプロジェクトの意義やむつ市にどんな影響があるのかを考えさせられた。

   お父さん・お母さんのためのほほえみ講座では、青い森のほほえみプロデュース推進協会の皆様から、自らがほほえみ、周囲から微笑みを引き出すための7つのポイント「ほほえみの7か条」を教えていただいた。そのほほえみの7か条をペアになって実践した時、ペアの方がまさか京都から大学院生が来ているとは思わなかったということ、京都からむつに来ようと思った積極性や行動力に驚いているということを話してくださった。一時の関わり合いの中でも、「良い時間を過ごせますように」とのお言葉をくださるむつの方の優しさに胸があたたかくなった。このようにプロジェクトの一端を担う者としてだけではなく、自らも参加することで得ることができたものがむつでは多くあった。

   団先生の漫画展、そしてトークショーは、このプロジェクトに参加する楽しみの一つであった。感想ノートを少しだけ読ませていただいたのだが、ノートの罫線を超えて書かれた「負けないぞ」という強い意志や勢いを感じさせる文字が忘れられない。これを書いた人がどのような状況に立っており、何を読み、どうしてそのように感じたのかは想像することしかできないが、私自身その5文字から背中を押されるような思いを持った。

   感想ノートに込められた思いや言葉は、何か人を揺り動かすものがあるのだろう。少しの時間の中でもノートを熱心に読んでいらっしゃる方が複数おり、このプロジェクトが繋ぐものの多さに、継続するプロジェクトに参加するというよりもこのプロジェクトを継続したいという意思が湧いた。

   この3日間でこれまでの経験にはなかった、多くの支援者の方々と関わりを持つことができた。支援者支援セミナー、お父さん・お母さんのためのほほえみ講座、漫画展を経た今思うのは、自分にはどのような形で一個人や、家族、そして社会を援助できるのかということだ。村本先生や団先生の様に、自分自身の力でできることを見つけ出し、経験を活かすことができるようになればと思う。時間から得た経験というものが、今度はどのような形になるのか楽しみだ。

   事前学習をする中で、この10年間のプロジェクトに参加することは「点と点を繋いで線にする」―つまり、単発的な関わり方をするのではなく、継続的な支援を行ううちの1回のプロジェクトという意識を持っていた。しかし実際に参加してみて感じたのは、このプロジェクトは線のように繋がっていくというよりも、クレシェンド記号のように徐々に厚みをもって繋がれていくものなのではないかということだ。プロジェクトを重ねるごとに、これまで参加した人達の意思や経験が受け継がれていく。それまでできていた関係性や繋がりをより強くする。徐々に厚みを増し、充実していくこのプロジェクトに参加できたことを、とてもうれしく思う。是非私も、今回のむつでの経験を今後のプロジェクトに受け渡したい。

   このプロジェクトに携わり、むつであたたかく迎えてくださった方々やたくさんのむつの魅力と出会うことができたこと、そして今後の自分の糧となる経験を得られたことを、むつ市の皆様、村本先生、団先生、そして共にプロジェクトに参加したメンバーに感謝したい。 誠に有難うございました。

   

 再会と問いの再確認

修了生 清武愛流(清武システムズ)

   2012年に本校に入学して以来、足を運ばせてもらっている。今回改めて、初年度から今も尚考え続けている、ヒューマン•サービスの「サービス」とはなにかを振り返る経験となった。僕が、足を「運ばせてもらっている」というのも、むつ市の人たちがつくっている地域の中に入っている認識があるからだろう。プロジェクトが、困りごとを助ける「支援」イメージの枠組みではない。協働から始まるので、プロジェクトを共に行う中で、ネットワークに働きかける支援であり、さらに協働が生まれていく。「支援」の在り方の一つだと思う。また、重ねて足を運ぶたびに改めて、「支援」は、どちらか一方で進めていけるものではないと思った。

   これらは、地域に入る僕自身も変容していると感じたからだった。今年の反省会でむつ市のプロジェクト実行委員長を務めている杉浦さんが、「残り3年」「それ以降も見据えて」と話された。プロジェクトが、これらを意図しているとはいえ、相手がもつ力と自分たちができることを最低限組み合わせつつ、時を重ねてきたゆえだと思う。継続が前提にあること。且つ、終わりがあることも前提とし、共有し合えてきていること。だから、意識されていくステージがやってきたと思う。言い換えれば、プロジェクト始動前を想像させられ、改めて述べるが、どのようにコミュニティに入り、ネットワークに働きかけるか、支援の在り方を提示している協働活動だと思う。継続する中、プロジェクトに参画したことで知り得た大枠だろう。

   もひとつ、現地で携わる人たちの新しい支援形態を知っていく経過もあった。杉浦さんをはじめ、実行委員会の方々のご足労もあるので、現地の力を知る機会にもなっている。続けてみる意義を誰もが感じているわけではないと思うので、そうしようと挑戦する地の人がいると知る機会となっている。足を運ぶことなければ、知らないコトであろう。

   当の本人である僕は、先述した問いを持ち続け、ここ数年は、決まっている枠組みの中に入り、そこから自分なりに何ができるのかを考え、離れた後に、コミュニティがよりよく回るようになったことを意識するようになったと思う。自分の実績にはなり難いが、する、されるという関係を越えていく視点を実践に向けるように意識してきている。とはいえ、まだまだ僕は発展途上でもある。

   上記は、現地での再会が多少なりとも影響している。離れている時間の話しが湧き上がる。これまでの喜ばしい近況報告をし合えたり、もう少し話してみたいと思い起こされたり。いわば、興味をもっている間柄になっているのだ。どちらか一方ではなく、対等になることも起きているのかもしれない。

   プロジェクトにおいて、僕がどんな役割をもっているのか、何をしているのか、どんな意味があるのか分からないが、ただ、最初に惹きつけられた、ひとまずは10年行うプロジェクト。そこに惹かれ、行き続けてみようとしてきた。だからこそ、経験することができ、知り得、次に繋げていこうとする僕に気づけているのかもしれない。アドボケイトの在り方の検討中だと換言したい。この手前にできることと言えば、院生同士や院生と修了生が、それぞれの体験を通し、個々人の研究や実践にいかしていけたらいいな、と思い巡らせ続けている。これまでとは違う動きが、学内であったと思い、改めて考えさせられる経験だった。離れている間に、行くまでに、してく当然のことがプロジェクトのためというわけでなく、誰かに気に入られるためでもなく。後の自分の糧になると思うので、それも、復興の営みの1つであり、アドボケイトは生まれるのではないだろうか。

   最後に、図書館でたまたま腰を据えて話すことになったおじさんがいた。土築の仕事が2011年から減少した話しを聞いた。直接、震災の被害を受けたわけではないが…と話していた。福島の原発事故との関係が、むつ市の生活の中にある。これは、調べればわかることだが、表情やしぐさをみると切実さを実感した。僕の生活に無関係だとは、決して言えない現状だと受け止めている。今の生活の営みを紐解き、原発や政治的現状を広くみていく視界がいるのではないだろうか、と改めて問う時となった。

   生活の営みは、1つの地域だけであるものではなく、そのほかの地域。広義で言えば社会が個人に関係していないとは言えず、僕自身も同じように影響を受け、なんらか引き寄せられ辿り着いている。

   ヒューマン•サービスの「サービス」の問いは、まだまだ続いていく。

   




支援者支援セミナー







むつの空






お父さん・お母さんのための「ほほえみ講座」





2日目の懇親会の様子











家族漫画展・団士郎家族応援セミナー





集合写真




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