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応用人間科学研究科 震災復興支援プロジェクト

3月5日~3月11日 ニューヨークで漫画展の開催とプロジェクト報告




ニューヨークで漫画展の開催とプロジェクト報告を行いました

(応用人間科学研究科教授・村本邦子)

   2015年3月5~11日、NYの天理文化協会にて家族漫画展を開催し、3月10日には報告会「東日本家族応援プロジェクトから見た被災地の今」を、また、3月8日、NY日系人会館にて行われた「2015年ほくほく会主催東日本大震災追悼式」で、「東日本・家族応援プロジェクトから見た被災地の現状」のレポートをさせて頂きました。

   昨年5月には上海で学会報告と英語版の漫画展示をしましたが、今回は英語版と日本語版の展示でした。被災と復興の証人として情報発信するとともに、私たちのアプローチが他の文化圏でどのように受け入れられるか受け入れられないかは興味深いものです。今のところ、まだはっきりとした手応えがわからないのですが、アメリカでも「家族の問題は国境を越えるね」というコメントがあり、いずこにおいても届く人には届くのでしょう。

   それにしてもプロジェクトがつなぐご縁の拡がりは驚くべきものです。今回、プロジェクトとは別に中村さんと一緒に支援者向けDV加害・被害の講演を行ったのですが、会場となった総領事館は、今年度のむつプロジェクトに参加してくださったむつ市長が昨年まで勤めていたところで、元同僚だった方々と御一緒しました。プロジェクトの報告をさせて頂いた話にその方をご存知の方があったり、プロジェクトで関わっている場所で被災された方々があったりと、ある種の必然性はあるのでしょうが、次々とつながっていくご縁の拡がりは、未来の逆境に抵抗する力となるものだと思っています。

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 NY・マンガ展便り(応用人間科学研究科教授・団士郎)

   思いがけない展開やご縁が連なって、NYで展覧会を実施することになった。被災地から遠く離れたニューヨークで、あれから5年、3.11のことを風化させずに、追悼集会を毎年重ねている人が何グループもあることに驚いた。

   世の中には新たな出来事が次々と起きる。その中のひとつとして埋没させてしまわず、必ず、3.11に一番近い日曜日に、人々が集い、追悼をするというのは、故郷を、日本を離れて暮らす人々のいろんな思いの表れだろう。

   そんなところで、一週間、被災地で続けてきたのと同じマンガ展ができるのは、当初思っていた以上に意義深いことであった気がする。

   「木陰の物語」が被災地の人々の届いたであろう事が、ふるさとを遠く離れた人たちのところにも届いたことだろう。

   3/5(木)スタート

   さぁ、初日。同行して、準備してくれたメンバーとギャラリーへ。昨日は昼過ぎから5時間近くかかって展示を行った。被災地で展示してきた作品の中から9点、英語版にして掛け軸形式と、一作は7メートルの絵巻物にした。その結果、広いギャラリーの壁面に負けない充実の展示になった。

   お客さんの皮切りは、元朝日新聞記者ご夫妻。NYの娘さんの所にしばらく滞在中だとか。初日のせいもあるが、それぞれが散策に出発した後、会場に一人で一日詰めていると疲れる。

   昨日、展示作業中の作品を見て、引き込まれたと言ってくださったNY在住のiku higuchiさんが呼び水になったのか次々来場者あり。higuchiさんは心当たりの大学図書館に小冊子届けをしてくださるというので「木陰の物語2014年版」を15冊ほど渡す。話している内に気づいたが、この方は去年、このギャラリーを下見に来た時に、自分の作品展の展示準備をしておられた女性だ。ここで偶然、昨年もお目にかかっていたのだった。小冊子があるのは良いきっかけになる。

   黒人のお兄さん、日本人の奥さんとの間の男の子のお迎えにきたお父さん。片言の日本語を話す人等と英語混じりで話をする。

   このギャラリーは奧に併設の在住日本人の子達のための日本語教室がある。そこに付き添いで来たお母さん、お父さんが、時間待ちの間にけっこう展示を見てくださる。これは合理的だ。

   「木陰の物語」は皆、よく分かってくれているようだ。初日、どうなることかと不安もあったが、良い感じの幕開けだ。

   3/6(金)

   昨日の午後から、マンガ展はスタートしているが、ギャラリーの公式スケジュールでは本日の夕刻オープン。なかなか飛び込みでギャラリーに人が訪れるものではなく、同行して来ている娘の知人でNY在住の男性一人、その後、韓国人カップルと友人2名が来場。NYに来たら、娘の人脈の方がずっと広い。

   オープニング・レセプションがギャラリーで用意されていた。知らなかったが、このギャラリーの流儀のようで、18時開始のここから開廊。

   ワインがふるまわれるレセプションには、常連のようなタダ酒を飲むことが目的のおじさんも来る。何も話さず、作品も見ないで、赤ワインをおかわりし、おつまみを食べ続ける。そういうのもありなのである。

   ギャラリーのお客なのに、展示を見る人と見ない人がいる。私の作品の場合、読むのに一定の時間を要するので余計それが顕著になる。明らかに見ていない人もあるし、見てくれて感想を含めながら、いろいろ話す人もある。この傾向は日本より顕著。日本・被災地で展覧会のアテンドをずっとしてくれている清武君が、ここで同じようにふるまったらどうなるのだろうと思った。

   3/7(土)

   土曜日、朝、MOMA(近代美術館)に立ち寄って、一年ぶりにいくつかの絵を見てから、12時開場のギャラリーに。全作品を丹念に読んでいただくのにはかなり時間を要する。そんな中、熱心に見てくださるアメリカ人ご夫妻。話しかけてみると、応用の院生F.K.のNY勤務時代の同僚だった方らしい。少しお話しをする。

   二時頃、明日の追悼集会に寄せていただく「ほくほく会」のFさんがみえる。同じ頃に、大学院の同僚Kさんのお兄さん(プリンストン大教授)がいらっしゃる連絡もあり。

   その少し前、日本人女性がふらり。MTさんは20年前にも、13年前にもNYでお目にかかった、元神戸児相のSさんのお嬢さん(姉)。日本から出しておいた案内状は届いていたのだが、返信メールを私が受け損ねていたことが判明。この時間帯がお客さんが錯綜した唯一の時間。

   3/8(日)

   休廊日。今日は村本さんと千葉くん(応用一期卒業生)と、3.11追悼集会を二つ訪問。

   一つめ「ほくほく会」は、東北・北海道出身の方達の県人会のような集まり。指定会場に向かうが、住所も分かっているのに、なかなかその建物が確認しにくい。NYはそうだったなぁと今思う。表示が派手ではないし、ビルの中に入っているものなど、なかなか分からない。

   もう一件の集まりは、HPにNYマンガ展の告知もさせて貰ったtogether for 3.11。スタイリッシュな教会でのセレモニー。二つの集会に掛け持ちの登壇者があった。

   後で聞いたことだが、休廊日のこの日、会場ではピアノコンサートが行われた。日本から追っかけのファンがNYまで来るような、名のあるピアニストらしかった。その会場壁面に作品は展示されているので、そちらに来た人たちも多数、マンガを見てくださったとのことだった。

   3/9(月)

   あっという間だが、3日から同行してくれていた千葉くん、U田さんが早朝に帰国する。目覚めていたので、ロビーに見送りに出る。会場展示に活躍してくれた二人に感謝。代わって次の展覧会をする篠原ユキオ(京都精華大学マンガ学部教授)一行が到着する予定。同僚の中村正さん達も到着しているはずだ。

   3/10(火)

   滞在一週間が過ぎて、そろそろ長くなってきたのか疲労感。ランチに大戸屋へいって鮭西京焼定食を食べる。一口目はホットするが直ぐ慣れてしまう。わがままなものである。

   年齢のせいだろうか、会場詰めが苦痛になってきた。日本同様、ギャラリーにお客さんはそんなに多く来るわけではなく空白時間もある。そんな時、ギャラリー(天理文化協会)の人達の暖かさが身にしみる。

   夕刻6時からはギャラリーで被災地報告会を実施。協会の人たちとほくほく会の関連の方達。全部で10人程。しかし伝わったことはあっただろう。私のワンフレーズに感涙して下さった方もあった。

   3/11(水)

   いよいよマンガ展最終日。日本からこの日程に合わせてやってきてくれたという芝居作りをしている二人組みが来訪。物作りの話、日本語ニュアンス話と、多岐な立ち話に盛り上がる。年配の日本人カップルもみえた。

   夕刻16時でマンガ展は終了。撤収して直ぐ、次の篠原ユキオマンガ展の展示。私は日本への荷物発送にUPA受付店に。ここで改めて日本の配送業務処理の手際の良さに感心すると共に、アメリカの、「この程度で良いんだよ!」感漂う仕事ぶりに唖然。でも、数日後にはちゃんと大学に荷物は届いていた。

 ニューヨークで考える東日本大震災のこと(応用人間科学研究科教授・中村 正)

   人間科学研究所の取り組む大規模な研究プロジェクトに参画し、共同運営している。「インクルーシブ社会に向けた支援の<学=実>連環型研究」がテーマであり、そのなかの修復的支援に関わる研究チームを組織している(ここでいう「実」とは実践や実務という意味である)。また、立命館大学の研究機構のなかに「文理融合による法心理・司法臨床研究拠点」/「法心理・司法臨床センター」があり、そこにも関係している。これらのチームは、修復的正義・司法と回復的・治療的司法を課題のひとつとしている。

   研究の一環としてニューヨークで調査を行った(2015年3月)。主要には、第1に、John Jay College of Criminal Justiceというユニークな大学があり、そこで対人暴力に関わる研究者にインタビューすること、第2に、メンタルヘルス分野で活躍する日本人(日系人)と交流すること、第3に、応用人間科学研究科の震災プロジェクトで報告することが主たる目的であった。第4に、アメリカの「9.11」に関わる修復やトラウマの研究の動向調査もできるだけ行うこととした。

   第2については、Japanese Community of Creative Arts Therapists (CJCAT)が主催し、JAMSNETと日本国領事館が後援してくれた研究会が2015年3月9日にニューヨーク領事館で開催され、「親密な関係における対人暴力の現状—加害者への対応を踏まえて—」とした講演を行った。ニューヨークという世界都市で活躍する日系社会向けのメンタルヘルス専門家たちが多職種から参加してくれた。個人で開業している臨床心理士、精神科カウンセラー、看護師、ソーシャルワーカー、弁護士、医師たちである。そして領事館の部長さんもハーグ条約対応の活動について特別報告をしてくれた。

   ハーグ条約にかかわる問題とは、私の講演とも重なる課題が喫緊のことなっていて、国際結婚した方の離婚後の親子関係にかかわる法的問題であり、ドメスティック・バイオレンスや虐待問題に直結する。村本さんの講演とあわせて盛りだくさんの論点がうかびあがった。家庭内暴力への対応の仕方の困難とそれを乗り越える方策の日米比較も交え、白熱した討論となった。とくに海外で生活する移民としての立場の人、企業の在米駐在員として派遣されている方々、現地で結婚して市民生活を送る方などの家庭内暴力をはじめとしたメンタルヘルスニーズは実にたくさんあり、心理的、法的、福祉的なものが海外生活や移民生活というフェーズをとおして複雑に入り組むなかの相談であることが事例をもとに参加者から発言があり、こちらも勉強になった。

   また、第3の課題については、応用人間科学研究科の家族漫画展が開催されており、その会場で、3月9日の午後6時から、「TCI 震災プロジェクト報告会」があり、そこでは簡単に私の担当してきた東日本・家族応援プロジェクトの様子について話をした。東北地方各県の県人会をベースにニューヨークでも強いつながりがあり、遠隔地であるために余計にいろんな負荷が係る様子が参加者から提起されていた。親戚を探すためにニューヨークから東北の地元に駆けつけていったときの不安な様子、同伴した子どもがみた被災地の辛さをどのようにしてニューヨークに帰った後で癒やしていけば良いのかなど、日本におけるのとはまた異なる課題がたくさん出されていた。

   ニューヨークでみた東日本大震災への関係は東北地方出身者のニーズとして浮かび上がる。日頃のつながりがこうした場合に効果を発揮する。メンタルヘルスサービス関係者も同じで、大震災を契機に相互に関係ができていったという。もちろんそれらを可能にする組織者の役割が大きく、こうした企画ができあがるまでの準備の苦労を思いながらの視察だった。

NY漫画展での報告会(臨床心理学領域M2 木下大輔)

   日本語と英語の2種類の漫画。今回もこれまでの震災プロジェクト同様、さまざまな家族の物語が描かれていた。私が漫画展に訪れたのは、すでにもう何日か開催された後のことで、コメントを書くノートには結構多くの人の書き込みが見られた。日本語の書き込みが多かったが、ぽつりぽつりと英語の書き込みも見られ、東北の時よりも多様な層が漫画展に足を運んでいるようだった。

   夕方からは、関係者を交えた報告会が開かれた。そこでは、先生方がこのプロジェクトの意図や背景について説明をし、その後参加者との質疑応答をおこないながら意見をシェアするというものだった。私もこの時「院生という立場で震災プロジェクトにどのように関わっているのか」について報告をさせていただいた。改めて震災プロジェクトがどのような意図でおこなわれているのか、そこに院生として携わることで私たちがどのような視点を身に着けていくことが必要なのかを考えた。

   それは、支援を「対象」や「時間」という概念で狭く捉えるのではなく、もっと広く捉えるという視点であろう。そしてその意味で、目先の解決を目指すのでなく「問題」とされていること自体をもう一度問い直す、「問題」の原因を個人のこころに集約しない支援活動を行う必要があるのではないだろうか。団先生の報告の中で印象深かったエピソードがある。それは漫画を通して人と人とが何年も経った後につながるエピソードだ。もちろんこれは偶然の出来事であり、先生自身も初めからそのつながりができることがわかって漫画を描いたわけではないとおっしゃっていた。しかし、現実に漫画を通して人と人とがつながり、そこで勇気づけられる出来事があったのである。

   震災プロジェクトを通して私たちが東北の人々にできることは、まさしくこういうことなのかもしれない。それはつまり、「こうしたらこうなる」という因果関係で説明がつくようなことではなく、何が原因かはわからないがお互いにとって良い影響を与えているという関係を作っていくことである。そしてまた、そういった良い影響を言葉にして伝えていくことで、因果関係ではない別のエビデンスをもってアドボケイトしていく、あるいは10年間をかけて証人になるという目的は果たされるのではないだろうか。



TCIでの漫画展



ほくほく会3.11追悼式


Together for 3.11追悼式




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