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2012年11月5日~11月11日 「東日本・家族応援プロジェクト2012 in 二本松」




「東日本・家族応援プロジェクト2012 in 二本松」を開催しました



 二本松日誌 2012/11/11 (応用人間科学研究科教授 団士郎)

     先週の大船渡(岩手県)三泊四日に続いて、二本松(福島県)にマンガトークで日帰り参加することになった。

     前日の東京での仕事後、昼前、JR二本松駅を降りた第一印象は、先週の大船渡との風景落差の大きさだった。まず駅前の市民センターの明るい立派な建物が飛び込んできた。ここが今回のメイン会場。二本松は原発被災地である。目には見えないものの被災地であることを再確認した。

     マンガパネルは、市民センター3階の美術館前のフロアーにパーテーションを設置しての展示になっていた。展示も地元のスタッフにお願いすることになったが、会場条件がめぐまれていることもあり、シンプルで綺麗な設置になっていた。

     ギャラリー的(美術鑑賞的)過ぎるきらいもあったが、次回以降、もう少し、来場者との交流が生まれやすいような、空間構成が出来ると理想的だと思った。

     それにしても、漫画作家という立場からすると、この会場は、同フロアーの市民ギャラリースペースも含めて、立派な芸術文化ゾーンだと思った。

     午後のマンガトークは、市民センターから徒歩数分のホテルの小会場に移って開催することになっていた。告知期間の短かったこと、会場がマンガ展とは別の場所になったことなどもあったのだろうが、スタート時点での参加者は二名とやや寂しいものだった。

     その後、関係者、NPOの方達の参加で十数名となり、話のトーンも徐々に支援者支援的なところに比重をずらせて話すことで、負担ではあったが結果的にはよい時間になった。

     配布冊子は前日までで、準備していた150冊ほどが品切れになっていたそうだ。恵まれた会場条件の中、関係3団体の協力もあって、盛況裏に終えたと言える。

     終了後の振りかえりの会は、帰路の列車の時刻の関係で途中退席したが、次回以降に向けて、建設的な提案が交わされた。

 二本松レポート(その2) (応用人間科学研究科教授 徳田完二)

    昨年度に引き続き二本松で行われた支援活動「東日本・家族応援プロジェクト」(2012.11.10~11)について報告する。

    二本松駅に着いたのは、活動日前日の10月9日、午後6時過ぎだった。前回来た今年1月の末には、この地ではめずらしいほどの雪に覆われていたことが思い出された。支援活動のメイン会場である二本松市市民交流センターは駅を出るとすぐそこに見える。1階には浪江町から避難してきた方が経営しているうどんとそばのお店があり、人気メニューはB級グルメ・グランプリで上位に入った浪江焼きそばである。前回はそれを味わう機会がなく、いたく残りだったので、打ち合わせが始まる直前のわずかな時間に大急ぎで食べた。おいしかった。麺は焼きうどんのような太いが、よく見ると確かに焼きそばの麺である。

    打ち合わせの顔ぶれは、立命館のスタッフと現地の3つのNPO法人スタッフである。前回のメンバーに新たな顔ぶれが何人か加わっていた。忙しい日常業務の中でわれわれの活動にご協力いただいていることに頭が下がる思いであった。今年は会場近くのホテルが取れず、車で40分くらいかかる郡山に泊まったが、車で送り迎えまでしていただけるとのことで、ありがたかった。どれくらいの人が来てくれるのか予想できず少し不安だが、というところで打ち合わせは終わった。

    活動1日目、思っていたほど寒くなく、郡山から二本松に向かう車から晩秋の山が見えた。この地は同じ盆地でも京都よりかなり広く、山の稜線がなだらかである。頂上が雲に隠れた安達太良山の上の方には、先日降ったという雪が少し残っていた。

    午前中は、前回と同じミニ体育風の多目的室で遊びのワークショップ、それと並行して別室で子育て講演会を行った。いずれもそこそこの数の参加者があり、ほっとした。遊びのワークショップの参加者は前回と同じように幼児中心であり、講演会も幼児を持つ年代が中心のようだった。

    午後には浪江町の人たちが暮らしているA仮設住宅での活動が予定されていたので、早めの昼食を食べながら簡単な打ち合わせをした。打ち合わせメンバーは、もともと不登校の子どもを支援するNPO法人として立ち上げられた「ビーンズふくしま」と立命からのスタッフだった。

    「ビーンズふくしま」は各所の仮設住宅で学習支援活動を継続してきたが、活動開始当初、学習支援の場はいわゆる学級崩壊状態に近く、勉強どころではなかったとのことである。子ども達は落ち着かず、言葉使いも荒く、喧嘩が頻発し、あからさまないじめもあったらしい。するべきこととしてはいけないことを明示し、それを根気よく子どもたちに伝える努力を続けたおかげで最近はかなり落ち着いており、自発的に靴をそろえる、テーブルを片づけるなどの行動も見られるようにもなるなど、以前に比べれば子どもたちはずいぶん成長してきたように感じられるという。

    その仮設住宅については次のような情報も聞いた。200数十戸ある、規模の大きい仮設の1つであるが、もともと住んでいた地域が近いかどうかよりも子どもの年齢などが共通する家族を集めることを重視して作られたため、知らない者同士が集まっている。子どもたちは複数の学校に分散する形で受け入れてもらっているので、同じ仮設住宅でも通学している学校はバラバラである。子どもたちはスクールバスで通学し、近いところで30分、遠いところで40分以上かかる。現在では、ほかの仮設住宅に比べるとまとまりがよくなっており、自治会や子ども会が結成された。しかし、街の中心部から離れたところにあって交通の便が悪いため、買い物に行くくらいしか外出せず、二本松市のイベントに参加することもなく、行動範囲が狭い。

    この日は、福島大学の学生ボランティアが学習支援に来る予定であり、また、東京のNPO法人が韓国料理を作るという形で支援活動を行うことになっているとの情報もあった。それぞれの活動がどのようなものか、具体的にはわからないため、われわれとしては状況を見ながら柔軟に対応するという大まかな方針を立て、車で現地に向かった。

    びっしりと並んだプレハブ住宅の手前に集会所や診療所があった。テレビ映像でしか見たことのなかった仮設住宅は、実際に見ると予想以上に狭苦しそうに見えた。仮設住宅に着いた直後から、あいにくの小雨模様になった。

    集会所の近くに小学生が何人かいて、東京から来たNPOのボランティア学生らしき若者と名前のあてっこなどをして遊んでいた。

    今回持参した遊び道具の目玉であった巨大風船を見せると、子どもたちは興味を示してくれたが、遊んでいるうちに集会所の屋根にあがってとれなくなってしまった。それを奪回するために、持ってきた大縄飛び用の縄、近くに立てかけてあった竹の棒、はては脚立などまで持ち出しての悪戦苦闘が続いた。あれこれ試すうち、ようやく風船が戻ってきた。風船奪回作戦に参加した大人たちは子どものころ屋根にボールなどが引っかかった体験などを思い出しながらけっこう楽しんだ。この騒動をきっかけに、子どもたちとの関係も少しできたようにも感じた。

    集会所の前には線量計が設置されており、毎時0.1××マイクロ・シーベルトという値を示していた。一般の人の許容量の上限をはるかに下回るごくわずかな値だった。

    雨が降り方が少しひどくなったので、外遊びはやめて室内で遊ぶことにした。2棟ある集会所のもう一方では韓国料理を作るイベントがあり、韓国人の女性スタッフが窓から誘ってくれたので、チヂミとおでんをちゃっかりごちそうになった。若い男性スタッフと少し言葉を交わすと、大学1年生で、このNPOは何度も活動に来ているが自分は今回初めて参加したのだと教えてくれた。

    福島大学の学生ボランティアと引率の先生が到着し、その後、子どもたちが少しずつ集まってきた。ほとんどが小学生が中心だった。隣の棟では韓国料理のイベントの後はそちらでも学習支援をすることになっているとのことで、子どもたちは基本的には二手に分かれることになり、何人かは両方を行き来しているようだった。

    これまで学習支援を継続してきた福島大学の学生ボランティアは子どもたちとの関係がすでにできており、子どもたちは思い思いに遊んだり宿題をしたりしながら過ごした。立命館のメンバーもその中に混じることになった。

    数人で遊ぶトランプやUNO、1対1で対戦する動物将棋、1人でチャレンジするパズルなどのほか、空きスペースを利用して、ボール投げや風船投げ、竹とんぼなどをする子どももいて、あまり広くない室内はとてもにぎやかな空間になった。しかし、予想したよりもずっと子どもたちの行動は穏やかで、度を過ぎる攻撃性や傍若無人なふるまいはなく、喧嘩も起きなかった。そのような子どもたちをみて、これまで学習支援を行ってきた方たちの苦労がしのばれた。

    もともとは、子どもたちへの支援活動と並行して「保護者向けリラクセーション」というものも行う計画であったが、参加者はなく流れた。1人だけ様子を見に来られた方があったそうだが、子どもたちが遊んでいるのを見て遠慮し、帰られたのだという。「保護者向けリラクセーション」は子どもたちが遊んでいるスペースのとなりにある和室スペースで行うつもりであったが、全体がワンルームになっているため、2つのメニューを並行して行うのは難しかったであろう。また、リラクセーションという案内の仕方も再考する必要があると感じた。

    偶然仮設住宅に立ち寄る用事があったので顔を出したという幼児を連れた母親に、リラクセーション技法について説明したプリントを「よろしければ」とお渡ししたことが、リラクセーションに関する唯一の「活動」になった。

    子どもたちが帰った後、福島大学の学生ボランティアと少し話をした。活動の中心は3年生で、1年生はある程度の人数がいるが2年生が少なく、後継者の確保が課題になっているようだった。

    仮設住宅での活動は、「ビーンズふくしま」や福島大学のこれまでの活動にいわば相乗りする形になった。これまでの活動の下地がないところにいきなり乗り込んでいたとしたら、われわれの活動は不発に終わっていたかも知れない。やはり、外部から現地に入っておこなう支援活動は、現地の人の継続的な活動があってこそ成り立つものだということをあらためて感じた。

    夜は現地スタッフとの懇親会の席を設けていただいた。元教員で、現在浪江町のスクールソーシャルワーカーをしておられる方も飛び入り的に参加していただいた。ご自身が被災者であることから、すぐに帰れると思って自宅を出たきりもう帰れなくなった故郷の話、放置してある自宅の荒れ具合、避難してきた浪江町の家族や子どもたちの様子など、当事者ならではのお話を聞けたのは貴重な経験だった。

    仮設住宅で保護者向けリラクセーションを行う時の導入ツールとして用意していた「猫背度チェック」と「猫背を治すストレッチ」を懇親会の席の余興に使った。

    猫背とリラクセーションに関わる資料は、興味のある人に配ってもらえるよう、現地に置いて帰ることにした。

    活動2日目は天候に恵まれた。

    午前中は1日目に引き続き遊びのワークショップだった。幼児を中心に親子連れが何組か来てくださった。その中に、前日に仮設住宅で会った小学生の男の子が1人、お父さんとやってきた。お父さんは、カプラ(フランス製の積木)を勧められると、案の定すっかりはまり、高く高く積み上げることに熱中した。最後には脚立を借りて積み続け、3メートルくらいもあるかと思うほどの高さになって、会場中から注目を浴びていた。

    午後は団士郎先生の漫画トークだった。ほとんどの参加者が支援関係者であったが、人が人を支援するとはどういうことかにまつわる巧みな語り口にみな聞き入った。

    後片づけと振り返りの会をすませ、午後5時前、二本松を後にした。日が暮れると、新幹線はいつの間にか雨の中を走っていた。時々うとうとしながら、今回のこと来年のことなどをあれこれ考えた。以前から二本松に住んでおられる方への支援と浪江町から避難して来られた方への支援、そういう方を支援している人たちへの支援というおおまかな3本立てで支援を考える必要がありそうだということ、保護者向けの講演として子どもの発達をテーマにしたものが2回続いたが、「親」に焦点をあてた講演があってもよいかも知れないということ、支援者に集まっていただき、支援に関わるさまざまな「思い」を整理することに役立つようなグループワークを考えてもよいかもしれないということ……。

    今回、私としてはほとんど何もしなかったような2泊3日であったが、4、5日も二本松にいたような気分がした。

 二本松報告(応用人間科学研究科教授 竹内謙彰)

   昨年度に引き続き二本松で行われた支援活動「東日本・家族応援プロジェクト」(2012.11.10~11)を報告するとともに、オプショナルに行った津波被害地の視察についても触れておきたい。

   2012年11月9日(金)

   当日は、特別ニーズ学生支援関連の会議を終えて、急いで大学をあとにし新幹線に飛び乗ったが、郡山に着いたのは午後10時半頃。ホテルにチェックイン後、メンバーに合流し、明日の流れなどを簡単に確認して、ホテルの部屋に戻り、翌日の講演の準備を若干行ったあと、就寝した。昨年度講演を担当された中村隆一先生から資料もいただいて、自分なりに作成したパワーポイントをつくったが、講演会に来られる方がどういった人たちか予想できないことが、若干の気がかりだった。

   2012年11月10日(土)

   朝9時に、ビーンズ福島の方の車でセンターに移動し、簡単な打ち合わせの後、「子育て講演会」が行われる会場の設営を行った。あわせて、センターの別会場で行われる「遊びのワークショップ」の準備についても、若干参加した。

   荒木先生の司会で「子育て講演会」は10時30分に開始。案内では、10時開始なのか、10時30分開始なのか、少し情報が混乱していたように感じた。

   竹内が「子どもは遊びの天才―幼児期・学童期の発達と遊び―」と題する講演を10時30分から1時間行った後、荒木先生の司会により、質疑応答が行われた。聴講者は10名程度で、乳幼児の保護者が大半だった。後援会に来られる方々の年齢層がうまく予想できなかったので、幼児期から学童期までの話をしたが、発達の見通しを持っていただく意味ではよかっただろうと思われる。その中でも、やはり絵本を使った親子の交流に関しては熱心に聞いていただけたのではないか。実際、そのことに関しては、個別に質問に来られた方もあった。

   内容に関する反省点として、遊びの意義はそれなりに語ったと思われるが、どんなふうに遊んだら楽しいかという具体例を、もっと取り入れた話にした方が良かったように感じた。なお、質疑応答の中で、残留する放射性物質の影響から、子どもを外遊びさせることには不安があり、なかなかその機会を持てないが、外遊びをあまりしないでも発達に影響はないかという質問や、それに関わる心配の声が出されていた。こうした声にも何らかの形で応えていけるようにすることも課題ではないかと感じた。

   午後は、A仮設住宅での「遊びのワークショップ」に参加した。仮設住宅の会場は、デイサービスセンターとして使用されている集会場を利用して行われた。ここでの遊びの取り組みは、ビーンズ福島と福島大学の学生ボランティアグループが継続的に関わって関係を形成して来た下地があってなされているものだということは、現地に行って、初めて知ったことである。ビーンズ福島の方が語っていたが、自分たちが最初の頃ここに来たときは、「よそ者が何しに来た」というような目で見られ、子どもたちも集まらなかったとのことである。また、福島大の学生ボランティアのリーダーも、最初のうちは子どもたちも荒れていて、すぐ攻撃的な言動があったり、目に見えるいじめなどもあったが、今はだいぶ落ち着いてきて、楽しく遊べるようになってきたとのことであった。

   会場の外でもボール遊びなどがされていたが、持ってきていた大型風船(膨らませると直径1m以上にもなる)が集会場の屋根の上に上がってしまい、おろすのに苦労した。脚立の上に立ち、たまたまあった竹竿で風船をつついていると、人が集まってきて、何かイベントをやっているという雰囲気ができたようにも思う。

   なお、同じ集会場の中では、東京から来たボランティアグループが、チジミなどの料理をつくって食べさせる催しを同じ時間帯に行っていた。

   当日の取り組みも、福島大学の学生スタッフ、ビーンズ福島のメンバーに立命館大学から行ったメンバーが加わる形で遊びのワークショップが行われた。来所した子どもたちは、小学校の中高学年および中学生が中心であった。中には、借り上げ住宅に住んでいて、父親の健診のためにここを訪れ、楽しそうなので子どもを連れて参加されたお母さんと子どももいた。種々の遊びを行ったほか、宿題のプリントや作文などの学習課題を持ってきた子どもには、学習の支援も行った。現地のグループの継続した取り組みがあって、こうした取り組みができることが理解できた。

   なお、仮設住宅内には、放射線の程度をはかる線量計が設置されていた。線量計の値そのものは、生活上、何ら心配要らないレベルであったが、放射線量を心配しなくてはならない現実がここにはあるのだと言うことを意識させられた体験だった。

   夜の懇親会では、それぞれの団体の方々の思いを知ることができたことがよかった。また、飛び入り参加であったが、多くの住民が原発事故のため避難を余儀なくされている浪江町でスクール・ソーシャルワーカーをしている方の体験や思いを聞けたことは、とてもよかったと思う。

   2012年11月11日(日)

   午前の遊びのワークショップでは、幼児が多かったが、それとともに小学生も参加していた。製作をするスペース、飲み物やお菓子をつまんでほっとできるスペース、積木(カプラ)遊びなどをするスペース、様々な遊具を使えるスペース、乳幼児が落ち着いて遊べるスペースなどに場所が分かれていることで、ある程度子どもが来ても、それぞれの場所に分かれて遊ぶことができ、また飽きたら他の場所に行くこともできるので、配置の工夫としてはよかったのではないかと思われる。また、全体に会場が広く、中心のスペースが広く使えることもよかった。それと、大型ゴム風船は、弾み方もゆっくりしていて、迫力のある割には危険性が少なく、なかなかよい遊具だと感じられた。

   午後の団士郎先生の漫画トークは、聴講者の多くが支援者だった。話の内容は、支援を考える上で非常に示唆的な内容だったと思う。なお、期間中を通じて漫画のパネル展示がされていた。訪れる人が気軽に見ていくことができる場所に設置されていてよかったと思う。漫画の冊子が最終日を待たずになくなったのも、この漫画に描かれたストーリーが、人々の心に染みいるからだろうと思う。

   最後のふり返りでは、今回の取り組み関わったそれぞれの団体(ビーンズ福島、子育て支援グループ“こころ”、ボランティアグループ“ひらそる)の人たちの思いを聞くことができてよかったと思う。

   今回、初めて参加したが、実際にできたことはごくささやかなことだったと思う。それでも、前回1月に実施された遊びのワークショップの参加者がまた来てくれたというようなこともあり、継続することは大事であると感じた。また、京都から行く我々が、こちらの現実から学ぶということも意義の一つであろう。なお、仮設住宅にも出向いて遊びのワークショップを行ったが、こうした取り組みも大切だろうと思う。継続して入っている地元のボランティアの人たちがいることで、突然行った私たちも受け入れてもらえるという面があるのだが、他方で、遠くから来た我々のような者がいることは、子どもたちには目新しい刺激になるという面もあるように思う。

   2012年11月12日(月)

   今回の出張のオプションとして、午前中、南相馬市の津波被害地および避難区域(現在は帰宅準備地域)の視察に連れて行っていただいた。南相馬市の中心部は、なかなか賑わっている地方の小都市なのだが、そこから車で10分ほど走ると、津波被害に加え原発事故による避難という二重の困難を抱える地域に至り、瓦礫が片付けられないまま放置された荒廃した風景が広がっていた。また、避難地域のため常磐線の列車が不通となっている地域にある小高駅周辺は、誰も住んでいない町並みが広がっていて、一種異様な雰囲気であった。避難が急だったのか、駅の駐輪場に多くの自転車が放置されたままになっているのも、何とも言えない不思議な光景であった。

   支援プロジェクトと直接は関わらないツアーであったが、こちらの人たちの抱える困難の背景を多少なりとも深く理解する貴重な機会になったと考える。地震と津波は天災だが、原発事故は人災なのだ。原子力発電はひどく不完全な技術の上に成り立っているものだと改めて考えさせられた。放射線の心配のために避難を余儀なくされる人々が数多くいる現実を忘れてはならない。

二本松でのプロジェクトに参加して(応用人間科学研究科臨床心理学領域M1 栗原希)

   出発前、事前レポートを書きながら二本松という土地に思いを馳せた。日々向き合わざるを得ない放射線量、市内外への避難、出荷制限による経済的な打撃などが複雑に重なり合っていると感じた。以前、プロジェクトとは別の目的で一人福島を訪れたことがある。心なしか道行く人の表情が硬い印象を受けたこともあり、今回も到着するまではやや緊張していた。

   郡山駅で新幹線を降り、二本松に向かう電車に乗り換えるためホームに降りると、冷たい風を感じた。やはり東北に来たのだと思った。だが二本松駅で徳田先生とお会いして、急きょ打ち合わせ前の15分ほどで浪江焼きそばを一緒に食べることに。B級グルメ上位の美味しい太麺をひたすら口に運んでいるうちに良い意味で緊張が解けていった。ちなみに、浪江焼きそばは毎日お昼時になると行列ができるほどの人気だった。あのとき並ばずに食べることができたのは幸運だったと思う。

   最も印象に残っているのは3歳の女の子と遊んでいたときの出来事だ。竹中先生の講演に参加している母親に会いたいとぐずりだした。なかなか泣き止まず、思わず「おんも(外)行く?」と聞いたところ、こくりとうなずいた。だが、ふと外を見て気付いた。子どもを外で遊ばせることに対してご両親はどう感じているのだろうか。私の判断で勝手に外に行くことはできない。急いで他の人に伝え、結局センター内をゆっくりと回ることになった。意識していたはずの放射線のことが頭から離れてしまっていた。短時間の出来事だったが、その土地に住んでいる人の気持ちに近づいた瞬間だった。お配りしたアンケートからは「思い切り遊べる場所」を重視する保護者の方々の思いが伝わってきた。子どもを持つ親の気持ちは想像しかできず、知識もあまりない。中途半端に聞くことはできないような気がして保護者の方とはなかなかお話しすることができなかったが、日々の生活の中で一つ一つの遊びや言葉を気にしなければならないことを痛感した。

   夜は仮設住宅に避難されている方のお話を聞く機会があった。仮設での人間関係はもともとのコミュニティと違うため、隣近所との関係もすっかり変わってしまっていること。構造上わずかな音も気にして生活しなければならず、人を家に入れにくいこと。元々住んでいた地域では豚が家に入ったりしていており、お墓参りに行くにも許可が必要なこと。そして何より、今回の震災では被害者意識が強いという言葉が印象に残った。確かにそう感じる。では誰が加害者なのか。政府だけではなく、原発を地方につくり続けてきた私たち自身も問われるべき問題なのではないかと思いながらお話をうかがった。

   全体を通して最も気になったのは、放射線についての話がほとんど出ないことだった。私自身も安易に口に出すことができない雰囲気を感じ、なかなか言葉にすることができなかった。そのことについて最後にお聞きしたところ、実際に話題にすることが難しいとのことだった。放射線は子育ての方針にも大きく関わる。気にする方と気にしない方がいらっしゃるからこそ声に出せないのだという。小さなことがきっかけで「あの人の考えは放射だから」と周りに言われてしまうという現実は想像するだけで辛い。目に見えないものの、目に見えないからこそ持つ力を感じる。「メンタルケア」「心のケア」という言葉が最近よく使われるが、こういった現状を知ると言葉が一人歩きしているような印象も受ける。何も考えずにこうした言葉を使っていた自分を恥ずかしく思った。

   レポートが溜まっていたため早々に福島を出てしまったが、参加させていただいたからこそ感じたことがたくさんあった。教えていただいたことを生かさなければと思う。



A仮説住宅での遊びのワークショップ


A仮設住宅近景


センターでの遊びのワークショップ


センターでの遊びのワークショップ


センターでの遊びのワークショップ


センターでの遊びのワークショップ


マンガトーク


マンガトーク


二本松市民交流センターでの竹内先生の講演


漫画展


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