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応用人間科学研究科 震災復興支援プロジェクト


2013年10月1日~10月27日「東日本・家族応援プロジェクトin 多賀城2013」




東日本・家族応援プロジェクト2013 in 多賀城を開催しました

(応用人間科学研究科教授・村本邦子)

   今年は、多賀城図書館との共催、NPO法人チャイルドラインみやぎの協力を得て、10月ひと月にわたる家族漫画展、10月6日、団士郎先生の漫画トークと支援者交流会を実施しました。また、10月7日には、東京三菱UFJとNPO法人にこにこの家の後援を得て、増田梨花先生の「絵本&ジャズ」企画も実現しました。

   プロジェクトの始まる前、私は、昨年の報告で紹介した「おおぞら保育園」を訪ねました。ちょうど、昨年、話題になっていた園庭がわりのデッキ工事中で、子どもたちはお散歩に出るところでした。園長の黒川先生にお話を聞かせて頂きましたが、仮の園舎であるトレーラーハウスからちゃんとした園舎に移り、認可を取るよう準備を始めておられるそうです。昨年も、トレーラーハウスを買って園舎にしたというその行動力に驚かされましたが、今年は、さらに、常に前を見て着実に歩みを重ねてこられた経営者としてのお顔を垣間見た気がしました。いったん結婚退職してから、「これが天職だ」と思うようになる道のりについても聴かせて頂き、ひとりの女性の成長の物語としても感銘を受けました。

   支援者交流会では、食事を御一緒しながら、それぞれの皆さまの状況について共有し、今後のプロジェクトのあり方についても話し合うことができました。あらためて、支援者の方々が背負われてきた重荷や御苦労を肌身で感じると同時に、何もできなくても、私たちが「十年来ます!」と言っていること自体をとても喜んでくださっていることが伝わってきました。多かれ少なかれ、外からズカズカと入ってくることに変わりない私たちを信頼して、お話を聴かせて頂けることに心から感謝します。私たちもこれを次の何かにつなげていく責任があると思っています。

   文化センターにはたくさんのポスターが貼られ、カラオケ大会に大勢の高齢者が集まって、賑やかで楽しそうでした。何も知らなければ、2年前にはここが避難所で大変な状況だったなんて思いもよらないことでしょう。地元の方が、「水に浸かった人とそうでない人とのギャップは大きい」とおっしゃっていましたが、まだ仮設住宅もたくさん残っており、これからますます格差が大きくなっていくことでしょう。今回、奥松島の方へも連れて行ってもらったのですが、住宅があったところは草ぼうぼうの荒野、小さく残った墓地には倒れたままの墓石もまだたくさんありました。お寺も住職も流されてしまったそうです。仙石線の一部はちょうど復興工事が始まるところ、水が入って避難した方々が亡くなられたという小学校も解体工事が決まり、今は、立ち入り禁止となっていました。これから先、復興の陰に大きな喪失を抱えたままの人たちがたくさん残され、ますます見えにくくなっていくことでしょう。 

   昨年、応用主催のシンポジウムにも来てくださった上山真知子先生とモリス先生にも大変お世話になりました。こうして、昨年お世話になった方々と再会し、新たなご縁が拡がるなかで、来年の企画に向けて次の一歩をまた踏み出すことができたことを実感しています。ありがとうございました。

 多賀城プロジェクト2013(応用人間科学研究科教授 団士郎)

   多賀城市立図書館での家族応援漫画展2013、並びにマンガトーク「『木陰の物語』の物語」では、初めてのことが起きていた。

   今回、多賀城展での展示8作品(33枚)は2011年制作のものである。プロジェクトとして初年度にむつ市に持っていったものである。ところがその時、スペースの関係で結局6作品(25枚)が展示された。その後、2011遠野、2011福島と巡回したが、いずれも展示スペースの関係で、同じく6点の展示となった。

   残った2作品が初めて展示されたのは、2013立命館大学朱雀キャンパス展でのことで、2012年制作のものと併せて、一ヶ月の間にローテーション展示された。

   2013プロジェクトでは今年度制作の5作品(20点)が各地を巡回することになっていた。

   ところが開催企画プロセスにおいて、多賀城市図書館では一ヶ月の展示が叶うことになった。パネル展をやる側からすれば、条件が許すなら長期展示は有り難い。見てくださった方達の口コミで来場者が増える。展覧会の話を知ったときには既に終了しているということが解消される。

   しかし、複数カ所での展覧会を同時並行で実施してゆくと、作品のローテーション管理が適正であることが求められる。

   多賀城展開催中の10月中旬には、「ウイングス京都」でパネル展と漫画トークを開催した。ここでは2012年度制作のものが展示された。そして今年度制作作品はむつ市図書館で展示後、11月初旬、岩手県宮古市、中旬には福島県二本松市、そして12月には福島市にゆく予定だ。

   一方、今年度の漫画トークは2013版コンテンツで共通していて、テーマは「こころか、からだか」。この講演の中では2013年度制作の2作品「身体記憶」と「仮病」がスライド上映される。そして更に、配布版小冊子「木陰の物語 第三集」には5作品が収録されている。

   つまり、多賀城2013のプロジェクトにご参加いただいた方には、「木陰の物語」の作品を一番多く一度に見ていただけたことになる。

   初めて来ていただいた方々に、このたっぷり感が届いていると良いなと思った多賀城プロジェクトだった。

   私としては、復興支援の小冊子制作も三冊目に入り、全国各地から届けるプロジェクト参加表明があり、全国各地で配布活動が動いている。

   しかし一方、昨年の実績を踏まえて発送させて貰ったところから、意向確認なく押しつけられたと言う声もあって、次回からは事前確認後の継続展開が必要であることを思った。

   又、京都会場での経過の中で、被災地から京都府エリアに避難してきている人たちに行政がネットワークしている430戸の方達に、次回DMで冊子が同封発送して貰える話が進行中である。以前、この話は、配布ルートとして勝手に使わせるわけにはいかないというニュアンスの反応だったものだ。それが今、430世帯に届けられる事になり、積み重ねの実績と、意味の定着が大きいことを思う。

 東日本大震災 震災プロジェクトに参加して「今・・・わたしたちにできること」(応用人間科学研究科教授 増田梨花)

   この度「東日本震災プロジェクト」の一メンバーとして宮城県多賀城市での活動に参加した。前任校でも細々と地味に被災地支援活動を行ってはいたが、なかなか組織だった活動するところまではいかなかった。4月から立命館大学の応用人間科学研究科のスタッフの仲間入りをし、スパーウーマンと出会った。家族クラスター(正式には家族機能・社会臨床クラスター)の村本邦子教授である。被災地支援をいち早く組織化して「東日本震災プロジェクト」を立ち上げ、日々学生達とともに精力的に活動されている姿を見聞きするにつけ、「凄い!素晴らしい!!」と、ただただ憧れた。有言実行、姉御肌の村本先生から、ある日「被災地支援、一緒にやらない?」とお誘いをいただいた。新米の私に声をかけていただき、本当に嬉しく、ありがたかった。 

   幼い頃から気は強いけれど涙もろく、車に跳ねられ路上に横たえている猫を「何とかして!」と泣きながら祖母を困らせた。捨て猫がうろうろしていると、足が悪いとか目が見えないとか、いわゆる立派な猫ではない猫にどうしても目が行き、家にそ~っと持ち込んだ。親に「どうして元気な猫を拾ってこなかったの!」と叱られること度々。羽が傷ついて飛べない鳥、足を怪我した犬・・・自分こそが欠陥だらけで自身のメンテナンスも十分にできていないのに、よくもまあ次々と色々なものを家に持ち込んだものである。「三つ子の魂百まで」とはよく言ったものである。そんな性分の私の心のつぶやき(「震災プロジェクトに参加して、被災地で何かしら役に立てれば・・・」)を実にスマートな村本教授は「ピッ!」と見抜いて私の心のつぶやきをキャッチしてくださったのである。

   前任校での活動として、宮城県石巻市を中心に「ピクチャーブックヒーリング」として絵本とJAZZのコラボレーションイベントを仮設住宅など数箇所の施設で行ってきた。震災後に石巻市を訪れた時は瓦礫だらけだった。その活動の折、実に沢山のイベント活動が被災地で行われていることがわかった。国内外のタレントや芸能関係者がひと月に何度も入れ替わり立ち代りイベントを行っているという施設もあった。果たして支援を受ける側のニーズは本当にあるのだろうか?と疑問に思うこともあった。それでも何度か同じ場所に足を運んでいるうちに、現地の方々と少しだけ心の距離が近くなり、本音をオブラートに包みながらも語ってくれるようになった。現地でイベントのコーディネートをしてくださっていたある紳士が、「コーディネートは骨が折れるが、絵本と音楽は年寄りや子ども達が喜んでくれるから」と呟いたことがあった。今回多賀城市を訪問し、夜の交流会の折に話されたある女性の話が心に残った。被災後に押し寄せて来た四つの波の話である。「一つ目は津波、二つ目は援助物資があふれる波、三つ目は報道陣の波、そして四つ目はボランティアさん達の波」という話であった。今回多賀城市を訪れたが、瓦礫も壊れた建物も見当たらなかった。勿論四つの波も見当たらなかった。少しずつであるが、街が片付いていくように人々の心の波も一見穏やかになっているように思われた。

   しかし、時期が経過したことで新たに課題になっていることも増えている様子が窺われた。ハード面の雇用や住居に絡む課題は増えていると思われるし、以前からあったソフト面、すなわち地域の方々の人間関係の課題が根の部分に潜んでいるように思われた。特に子どもや高齢者といった弱者支援、そして子育て中の母(父)親の支援が不足しているという現地の方からの情報も伺った。家族の問題、地域の人間関係の問題など震災を機に大きく揺らぎ、複雑化したり深刻化したりしている様子であった。子育て中の親は不安定な厳しい状況の中で子育てをしなければならないのが実情のようであった。また、被災地における支援者の心理的な疲弊も窺われた。この度の多賀城市訪問は、上記のような方々に今後どのような直接的支援、間接的支援ができるのかを自分自身が考え直す、よい機会でもあった。

   今回多賀城市で行った「絵本とジャズのコラボレーション」イベントは、絵本の読み聞かせとジャズの生演奏という異色の組み合わせであった。絵本の力とジャズ魂が融合し、聴く人たちのストレスを少しでも和らげようという意図で行われたイベントであった。河合隼雄は「絵本の力」(2006、岩波書店)の中で、「絵本というのは実に不思議なものである。0歳から100歳までが楽しめる。小さい、あるいは薄い本でも、そこに込められている内容は極めて広く深い。(中略)それだけに絵本というものは、相当な可能性を内蔵していると思われる」と述べている。さらに、柳田邦夫(2006)も「絵本という表現ジャンルは、ユーモア、機知、悲しみ、別れ、思いやり、心のつながり、支え合い、愛、心の持ち方、生き方など、人間として生きるうえで大事なものを、深く考えさせられる」と綴っている。こうした見解から、絵本には生きる力を育む、感性を磨く、生き方を広げるなど様々な力が宿っていることが示唆される。

   絵本と音楽には「癒しの力」があると私は信じている。殊に港町から始まったJAZZの音楽は海に縁の深い被災地の人たちの魂を揺さぶるに違いない。絵本も老若男女の世代、性別を問わず人の人生に渡り人の心を耕し生涯を豊かにしてくれ、人を支えてくれる力を持っている。まだまだ頭の上のハエも追えない自分ではあるが、それでも今ここで自分にできる活動を継続しながら被災地の方々と細く永く繋がって生きたいと思う。

 多賀城のプロジェクトに参加して(応用人間科学研究科 対人援助学領域 M1  竹久 輝顕)

   今回、初めてこの震災復興支援プロジェクトに参加させていただいた。東北には、職場の震災支援で2011年に訪れたことがあるが、それから2年が経過していた。多方面から情報は入ってくるが、実際の現地の状況は行ってみないと実感を伴って捉えにくい。そのため表層しか理解できていないように感じていた。また、「復興とはなにか」という疑問を持ちつつ、外から語られる復興ではなく、その土地の中から生まれてくる復興への要素を感じ取ることができればと思い、参加した。  

   今回のプロジェクトの訪問先は多賀城。3年目のこのプロジェクトだが、多賀城は2年目である。3年目では、会場を新たに多賀城市立図書館と昨年利用した多賀城文化センターで実施された。東北には行ったことがあるものの、多賀城市を訪れるのは初めてであった。事前に多賀城市の情報を調べて、多賀城に支援に入ったことのある人にも話を聞いたうえで、今回のプロジェクトに臨んだが、実際にその土地を訪れてみると、やはり事前情報だけでは得られないものを実感できる。 

   多賀城市は小さい面積だが人口が多く、人口密度が非常に高い。多賀城市を2分するように北西から南東にかけて砂押川が流れており、沿岸部や砂押川沿いを中心に、市内の1/3が浸水したそうだ。訪れてみると、砂押川は決して堤防の高くない川で、その川を津波が遡っていったことが想像できる。また、川沿いの地域は低地であり、津波被害を大きく受けていたことも想像に難くない。一方、今回の会場になった多賀城市立図書館や多賀城文化センターは高台にあり、津波被害を受けなかったこともよくわかるものである。駅周辺地域はきれいに整備されているが、路地を少し入ると、そのまま残されて草が生えている建物も見受けられた。しかし、そうやって見ていかなければ、何事もなかったかのようにも思えてくるほどである。

   多賀城市立図書館を訪れると、漫画展のパネルがきれいに並べられていた。配置を見てみると、入口すぐ左手にある4枚のパネルを導入に、階段を上っていく形でパネルが配置されており、自然な流れで2階に上がっていくことができる。実際に自身で見てみると、自分のペースで見ていくことができた。多賀城図書館は人の出入りもあり、静まり返った雰囲気という訳でもなく、人の気配も少し感じられながらも一人で過ごせる雰囲気…というと伝わるだろうか。

   図書館には多様な人達が訪れていた。図書館のすぐ近くには小学校があり、学校帰りの小学生が話しながら勉強している様子も見られた。後に館長からお話を伺う中で「市民に限らず、どなたでも利用できる」とのことで、近隣の塩竈市や仙台市宮城野区からの利用も多いのだそうだ。そう考えると、近隣地域の人が集まってくる拠点とも言えるだろう。

   ここでは、図書館職員の皆様が非常に協力的で、積極的に冊子を配布いただいたり、配置を工夫していただいたりしていたのが印象的であった。図書館という場の持つ力もあるが、こういう人に連携は支えられていくものなのだろう。

   この漫画展は、見る人それぞれに自身の物語があって、それと照らし合わせながら見ることができるように感じる。見る人によって、意味を見出していくものになっていれば…と個人的に思う。また、今回は1か月という長期間の展示とのことで、団先生のトークでは「良かったと思った人が、誰かに紹介して人を呼んでくることができる」との話を伺った。その話からさらに1度見た人が、2度3度と見にくることも考えられるのでは…とも思われた。冊子をもらうだけだった人が、改めて見に来ることもあるかもしれない。図書館という性質上、本を借りると2週間程度でまた図書館に来館することが多い。そう考えると、短期間では出会わなかった人たちに、出会う可能性を持った期間なのではないだろうか。

   2日目の『ピクチャーブック・ヒーリング』の会場である多賀城文化センターは、昨年度の漫画展、セミナーを行った場所である。この文化センターは駅より坂を上っていく道の途中にあり、浸水被害はなく、震災後避難所としての機能を担ったそうだ。

   プログラムは、増田先生ほか、JAZZ演奏者のみなさん、朗読者のみなさんによって行われたが、絵本とJAZZのコラボレーションということで、ただ絵本を読み聞かせるだけではなく、音楽の表現もあわさり、より深い感じ方ができるように感じられた。子どもも大人も楽しめるものであったように思われた。

   今回、支援者のための支援セミナーがなかったのは残念だったが、その分多賀城市近隣の塩竈市や松島町をフィールドワークとして見て回ることもできた。また、プロジェクト終了後には個人的に石巻を訪れた。

   多賀城市に隣接する塩竈市では、もともと埋立地が多く、都市部の6割を埋め立てすることによりつくられたそうだ。街を歩いていると昔そこが海だったことが、わかるような景色も見られた。また、震災以降、地盤沈下が続いているそうで、道路と建物の段差ができている場所も見受けられた。

   日本三景の1つである松島では、海岸線に防波堤がなく、地面と海面との差が殆どなく、そう高い津波でなくとも、浸水してしまいそうに思えたが、遠浅の海であり、松島の島々が防波堤がわりになっていたため、他の沿岸地域に比べて津波被害は軽微であったそうだ。それでも瑞巌寺にまで津波は到達しており、津波到達点が示されていた。週末であったためか観光客も多く、賑わっている雰囲気であった。

   石巻市は、市町村の中で人的被害の一番大きかった市である。それだけで一概に被害の大きさを測ることはできないが、沿岸部や旧北上川沿いは非常に大きな津波被害を受けたそうだ。沿岸部の中でも特に被害の大きかった門脇町・南浜町や旧北見川沿いの地域を案内いただいたが、被害の大きさを今でも実感できる場所であった。

   その土地を訪れ、そこに住む人や支援者の語りを聞いていると、経験した人にしかわからないこともあると実感する。また、どこに焦点を当てて見るかで見え方も違う。それぞれの土地を比べて見てみると、被害状況も違えば、その土地固有の課題も違う。同じ市町村でも、沿岸部と内陸部での違いも存在している。単純に比較できるものでもない。どちらが酷いか、大変かが重要なのではなく、大きさは違っても誰しもが震災による影響を受けていると思うと、その土地自体の、その土地に住む人々自体の、力がエンパワメントされていくことが重要なのではないかと思われた。

   今回のプロジェクトでは、少しプログラムの手伝いをしながらも、現地の状況を知識だけでなく、実感を伴って自身に内在化できたことに自身にとっての大きな意味があった。また、それらは場所から受けるものと、その土地の人の語りから受けるものの2通りがあったように感じている。

   10年続けるとされているこのプロジェクトも現在3年目。これまでの経過を伺うとともに、今年度の多賀城での動きを見てきた。今後どう進んでいくのか、繰り返し訪れることで、1年1年の変化も感じ取りながら、続けていくことの意味を考えていきたいと思う。

多賀城市の方との出会いを通して〜漫画展アテンド〜(応用人間科学研究科 対人援助学領域 M2 清武愛流)

   はじめて、多賀城市へ足を運んだ。多賀城市は駅から南と北とで津波の被害が違う土地でもある。  

   京都駅から東京駅へ。東京駅から仙台駅へ。仙台駅から多賀城駅へ。乗り継ぎながら現地へ入った。現地の様子は、住宅街がある一方、仮設住宅もあった。津波の被害が大きかったと感じ取れるような、建物や瓦礫も目に入った。目に見えるものが片付くことで落ち着きを取り戻す町並みがあるだろう。しかし、そこに辿り着くまでの道のりを作っていく大変さがあることも感じた。

   今回の漫画展は、多賀城市立図書館で行われた。都会的な図書館と田舎の図書館という表現で表すなら、田舎の図書館であった。廃れているようなイメージをもつかもしれないが、地域の方が常時行き来しており、温かな雰囲気の場所であった。小学生が宿題をしていたり、おじいさんが新聞を読んでいたりと、ゆっくりとした時を感じながらも子どもの声がちらほらと聞こえてくるような場であった。

   漫画のパネルは、階段の壁や通路の空間を使い、あちこちに展示されていた。どれも、同じ間隔で、丁寧に飾られていたのが印象的だった。今回の活動の場は、現地の方が漫画展の設営をして下さった後、私の活動が始まる。時間差で地域の方と取り組み、漫画展会場を作り上げてっているのかもしれない。同じ場所で同じ時間に活動を行う協働と各自違う役割がありながら、結び合っていく協働を感じた。

   図書館の漫画展では、数名の方とかかわる機会があった。70代前後のおじいさんは、漫画を読み、よかったと思ったようで、次の日のトークショーに奥さんと出席をされていた。また、図書館の外で出会った方から、震災当初に比べるとかなり復興したこと、しかし、津波被害で多くが流されていく姿を見た者がいたことをまだ覚えている話しをされていた。復興については、中でも飲食店の復興が早かったと教えてくれた。しかし、飲食店の形態に変化が生まれたそうだ。それは、工事や除去作業、建設などの職の方が集まってきたことで、以前よりもボリュームのある食事を出す店になった、と話していた。

   復興支援を考える際、一つの変化があることで、人との関係性の変化も生まれるが、それには物理的要因、社会的要因が含まれていることを見落としてはならないのであろう。これは、先に述べた、目に見える復興と、まだそのままの状態になっていた話しとも繋がるのだが、変化に差が出ることで、人の思いや関係性にも変化が起こっていることを見落とせないと思ったからだった。

   また、私たちのように、復興支援として外からその土地に入るものもその一つの要因となりうるであろう。その方のために、と思い介入するのだろうが、現地の方々の今までの歩みと今の歩みを知りながら、復興の営みを共に作っていくことも、忘れてはならないことなのであろう。

   帰る際、一人のおじさんが声をかけて下さった。この日とその前の日に出会った方だった。「何時に帰るんだ?」「もうそろそろです。」「どこまで行くのか?車で送って行くよ。」。私と団先生は、その方の車でホテルに置いていた荷物を取りに連れていってもらい、多賀城駅まで送っていただいた。その方は、ボランティアの方にしてもらったことが多かったため、自分も何かしたい、と思ってくださったのだった。

   復興というと、無くなったものに目が行きがちであり、支援をしがちなのかもしれない。しかし、その方々が作り上げてきた道があり、これからも作ろうとしている姿がある。また、外からのものを受け入れようとしてくださるということは、共に作ろうとしてくれている方がいることも、復興の営みの中で忘れてはならないことの一つなのではないだろうか。

   最後に、来年も同じ時期に来ることを告げると、また来たい、という声をいただいた。お互い、この次の年まで元気で頑張ろうと交わした。一期一会のかかわりのため、お会いした方とまたお会いできるかわからない。しかし、ひそかに、またお会いできたらいいな、と楽しみにしている。ありがとうございました。



多賀城図書館



図書館前で



パネル展示



パネル展示



パネル展示



パネル展示



漫画トーク



支援者交流会



多賀城市文化センター



絵本&ジャズ



絵本&ジャズ



絵本&ジャズ



仮設住宅



あおぞら保育園はデッキ工事中



仙石線野蒜駅



東松島



東松島



松島



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