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応用人間科学研究科 震災復興支援プロジェクト

9月1日~9月29日 宮城県多賀城市「東日本・家族応援プロジェクト in 多賀城 2015」




「東日本・家族応援プロジェクト in 多賀城 2015」を開催しました 

(応用人間科学研究科教授・村本邦子)

   多賀城市立図書館、多賀城民話の会との共催で、9月いっぱいの家族漫画展、9月12日のプログラムと、前夜に支援者交流会を実施しました。今年のプログラムは3部構成で、第1部は、ボイストレーナー&パフォーマー荒井真澄さんをゲストに「お父さん応援セミナー:絵本DEヴォイスパフォーマンス」、第2部は、鵜野先生のコーディネートで、多賀城民話の会の皆さん、丸山館長、「カンガルー読書会」の皆さんによる「家族応援お話会」、そして第3部、団先生の漫画トークでした。

   できるだけ地域の方々の力を中心に、私たちはお手伝いさせて頂く形の企画ができたらと願ってきましたので、今年、地域の方々のコラボで企画が実現できたことはとても嬉しいことでした。女性陣は、お手伝いの形で、「お父さん応援セミナー」に参加させて頂きましたが、日頃から気になっていた発声と存在のあり方について「なるほど!」と考えさせられたり、最後の男性たちの朗読「あたりまえのこと」が「ジ~ン」と胸に染み入ってきたりなど、楽しく豊かな時間でした。お話会は、濃縮された企画に少し心配もあったのですが、乳幼児からお年寄りまで多世代で多様な地域の人々の交流の場となり、部屋が多賀城の人々の温かさでいっぱいになりました。そして丸山館長の奇跡の紙芝居、背景のお話を聴かせて頂いたこともあり、紙芝居を見せて語ってくださる館長の暖かい笑顔のむこうにあるたくさんの想いを頂いたような気がします。

   来年から図書館の運営体制が変わりますが、ツタヤのスタッフの方々もプログラムに参加してくださり、最初からずっと応援してくださっているおおぞら保育園にもご協力頂いて、来年はさらに多賀城の地域ネットワークが拡がっていくような展開になったらいいなと楽しみにしています。

 多賀城プロジェクト2015(応用人間科学研究科教授・団士郎)

   毎年一ヶ月の漫画展示を継続してきた多賀城市立図書館の運営形態が変更されることになって、その移行日程の関係で、例年スケジュールから変更されての開催になった。

   9月12日のイベントは図書館サイドで企画され、それを大学の対応できるスタッフで肉付けするという、現地の企画主体性が発揮されたモノになった。

   午前、午後のプログラムには、それぞれ都合のつく時間と、関心を寄せる人々が参加した。そういう意味で、参加者の自由選択の尊重も感じられ、動的な印象が強くした一日だった。

   並行して、次年度から開催を引き継いでくれることになっているC.C.C.のスタッフの人たちとの交流、意見交換も活発に行われた。新しい場所、新しい建物、組織、運営母体でスタートする多賀城図書館。結果的にそこが、市民にとって集えて、交流できて、本を中心とした今の情報が溢れる所になると良いと思う。

   図書館が様々な事情を抱えた人にとっての居場所になっている面が、どんな風にカバーされていくのかも注目しておきたい。若者に偏った利用施設になってしまうと、現実の日本の人口構成からずれてしまうことになる。実態としての高齢化は加速しているのだから、そんな中で図書館の役割が見直され、どんな新しいモノになっていくのかに興味津々である。

   小冊子の出足は好調で、多賀城予定配送分で不足が生じ、後刻、240部の再発送も行った。広く市民の手に届く道筋が出来てきているなら本望である。やはり、一ヶ月間展示の意味はとても大きいものがあると思う。

    マンガトークに関して、1時間半に中味を詳細に語ろうとしすぎたきらいがあったと反省。もっと、余裕のある、遊びのある話の展開にした方が良いというのが今後の課題。

 「東日本・家族応援プロジェクトin多賀城2015」に参加して(応用人間科学研究科教授・鵜野祐介)

   昨年度に続いて、多賀城でのプログラム(2015/09/12)に参加した。まずは前日の9月11日、企画運営にご協力いただいた多賀城市立図書館スタッフをはじめ地元関係者の方々とわれわれ立命側の教員・院生が一堂に会した懇親会がよかった。鯨の刺身も持ち込みの日本酒も旨かった。何よりうれしかったのは、一年ぶりにお会いした図書館スタッフの皆さんが再会をとても喜んでくださっていることが、言葉やふるまいの端々から伝わってくることだった。「10年プロジェクト」であることが繰り返し話題に上り、感謝の言葉をいただいた。皆さんの期待を裏切らないよう、「継続は金なり」をモットーに自分にできることを少しずつやっていこうと、ほろ酔い気分の中で自分に言い聞かせた。

   翌日のプログラムは3部構成で、特に午前中はタイトな時間割だったが、「絵本DEヴォイスパフォーマンス」の荒井さん、多賀城民話の会の皆さん、多賀城市立図書館の丸山館長さん、そして「カンガルー読書会」の皆さん、いずれもそれぞれの個性を十二分に発揮されて、消化不良に終わることなく盛りあがった。お金をかけての外注型ではなく、地元や近隣の市民グループや個人による内発型手作りイベントという本プロジェクトの趣旨が実現されたのが何よりもよかった。ご来場の方がたは小さなお子さん連れのお母さんやお父さんからご高齢の方まで幅広い年齢層だったが、皆さん楽しんでくださったと感じられ、私がこれまでに参加した、岩手県宮古市のものも含めた4回のプログラムの中で一番充実した内容だったと思う。

   プログラムが終わった後、前日の懇親会にも来て下さっていたおおぞら保育園の黒川園長先生から、多賀城民話の会と連絡を取りたい旨お申し出があり、ご紹介させていただいた。我々が仲立ちとなって、地元の方がた同士のつながりが少しずつできていくことへの手応えが感じられ、このプロジェクトにかかわれてよかったと改めて思った。

   来年4月から新たな運営母体となる図書館で、来年度もこのプロジェクトを行うことを担当の方に約束していただいた。新図書館の方向性を危惧する声は、懇親会の席でも、また滞在中に読んだ地元新聞の紙面からも聞こえてきたが、新旧スタッフが力を結集し、若い感性を最大限に発揮して、「多賀城モデル」の新しい図書館を作っていただいて、ここをベースキャンプ(拠点)として多賀城市民の多彩な連携と融合が展開していくことを願っている。そして、われわれのプロジェクトが少しでもこうした展開に貢献できたなら本望である。一年後を楽しみにしていよう。

   末筆ながら、筆者が仙台入りした前日の9月9日から10日にかけて、北関東から宮城県に及ぶ多くの地域が集中豪雨による洪水や土砂崩れに見舞われた。JRも不通となり、仙台から多賀城に向かうタクシーの中から、刈り入れを待つばかりの黄金色の稲穂が冠水してしなだれている様を目撃した。被災された多くの皆様に心からお見舞い申し上げます。

宮城県多賀城市(対人援助学領域M2 市川雅子)

   昨年に引き続き、多賀城への参加は2回目でしたが、前回は十分に時間が取れずフィールドワークもほとんどできないまま、図書館でのプロジェクトのみの参加でした。今回は支援者交流会に始まり、プロジェクト内容以外のところでも、自分の目で見て、自分の耳で聴く時間がもてたことは、大変大きな意味があったと思いました。プロジェクトとしてのイベントだけでなく、それに向けて準備をしてきた職員の方々の想い、そこから広がる地域の方々同士の繋がりを、交流会や図書館の多くの場面で知ることができました。単にイベントが終わっておしまいではなく、すでにもう来年に向けた話がされていることに、継続したプロジェクトであることの意味を感じました。次のことを考える場がともに持てること、それに参加させていただくことが、「証人」になることの意味でもあり、目的なのだとようやく実感することができました。

   去年は「初めまして」だった方々が、今年は「お久しぶりです」のあいさつに変わり、このことだけで、なんて嬉しいんだろう、来てよかった、と感じられました。何もできていない自分に対しても、温かく迎えていただいた多賀城市立図書館の皆さん、おおぞら保育園の園長先生をはじめ職員の皆さん、多賀城市民のために働いている役場の方、おひとりおひとりの気持ちが、とにかく嬉しかったです。多賀城民話の会の皆さんの昔語りや、地元の方が話してくださった一言一言が心に響きました。直接お聴きしたからこそ伝わるもの、言葉に載せて伝わる想いが、語られる中にあるのだと思いました。仙台メディアテークでは、仙台弁の昔語りを聴きながら、懐かしく思ったり、語っている方のことを身近な人に感じられたり、現地で触れた体験が自身の気持ちを、少しずつ宮城県という土地に近づけていると思えました。このことは、これからも大切に伝えていきたいと思います。

   私にとって多賀城は、もう知らない土地ではありません。まだまだ知らない部分も、見えていないところもありますが、これからも新しい発見をしていきながら、多賀城の変化に関心を持ち、見続けていくことができればと思いました。

東日本・家族応援プロジェクトin多賀城に参加して(対人援助学領域M1 下地咲紀)

   今回、私は初めて東北の地を訪れました。いろいろ場所があった中で、どうして多賀城市を選んだのかというと、学部時代に受講していた統計の授業の中で偶然宮城県のアンケートのデータを扱う機会があり、地名やアンケート結果を打ち込んだりしながら「ここはどんなところなんだろう?」と興味を持っていたからです。また、先輩にも「多賀城は地域とか人のパワーとかを強く感じられるよ」と勧めていただいたこともあって、多賀城市にしようと決めました。震災プロジェクト自体初めての参加でしたので、はじめは本当にわからないことが多かったのですが、終わってみると本当に内容も盛りだくさんで常に刺激に触れ続けている3日間だったように思います。本当に貴重な経験をさせていただきました。ありがとうございました。

   まず、初日の9月11日の夜には支援者交流会がありました。はじめの方はかなり緊張してしまい、固まってしまっていたのですが、みなさんはとてもあたたかい雰囲気で話しかけてくださりました。震災の時の話などは聞いてみたいけれど、「聞いてもいいのかな」と遠慮してしまう気持ちが自分の中であったのですが、多賀城市立図書館の館長さんは「いいのいいの。知って欲しいから。」と言って、震災のあった日やその後のことなどをたくさん私たちにお話をしてくださり、とても貴重なお話をたくさん聞かせていただくことが出来ました。実際に現地の人の話を聞くことは、文献やニュースなどで見聞きするのとでは伝わってくる密度のようなものが全然違い、改めて「語り」の力はすごいなと思いました。また、震災が起こったらまず第一に衛生面を気を付けなければいけないこと、今後の震災が起こった時に備えて、今回の東日本大震災から学ぶだろうし、今後大震災が起こると当然そうするだろうが、今回は冬だったからまだ被害が少なくて済んだという点を見過ごしてはいけないということなど今後への注意なども教えていただきました。そして、中でも印象に残っているのは、「この震災を通して多くのことを学べたが、こんな想い・経験はしなくていい。家が流されていったりだとか、周囲が全て水だとかいう目の前で起こっていることがなかなか現実として受け入れられなかった。まるで映画の中の世界みたいだった。けれど、やっぱり立ち直っていくときは一人の力では無理で、人に励ましてもらいながら少しずつ立ち直っていくということ、人の力ってすごいということがよく分かった。」とおっしゃっていたことです。支援者交流会の場に来ていた現地の皆さんはすごくあたたかく、にこにこと笑っていらっしゃる姿が印象的だったのですが、話を聞いていると「どうしてもまだあの日に戻ってしまうことがある」、「あの時は本当にどうしようかと思った」など、涙をこらえながら話していらっしゃる場面もあり、街を見ていても「本当にこの場所でそんなにすごい被害があったのだろうか」と思うくらいきれいになっていたけれど、やっぱり実際にあったことなんだなと改めて実感しました。そのようなつらさ、しんどさを抱えつつもみなさんは一歩一歩少しずつ復興に向かって歩き続けているのだなということを実際に現地に来て、現地のみなさんとの交流を通して知ることが出来ました。

   次の日の9月12日は、9時から多賀城市立図書館でプロジェクトが行われました。プロジェクトは3部構成になっており、第1部は『お父さん応援セミナー絵本DEヴォイスパフォーマンス』が行われました。ヴォイストレーナー&パフォーマーである荒井真澄先生をお招きしての発声法、絵本の読み聞かせ法などを教えていただきました。初めの方はあまりお腹から出ている感じではなかった声が、終わりの方では全身を使って体の内から外に発せられているというのが本当にわかるくらい変わっていて、驚きました。また、「おはようございますラリー」などは発声のためだけでなく、コミュニケーションをとる手段にもなるのではないかと思いました。皆さん本当に楽しそうでした。最後は男性陣のみで輪読を行ったのですが、とても良い詩で、また、男性の方々の「声の力」というものもかんじられ、会場中が温かい雰囲気に包まれました。

   第2部では、多賀城民話の会のみなさんの民話語りや、多賀城市立図書館の丸山館長の紙芝居、読み聞かせボランティアの方々による絵本の読み聞かせとペープサートなどが行われました。ここでは子どもたちの姿も多く見られました。温かみの感じられる仙台弁で語られる民話は、よく知っている話でも使う言葉が違うだけで感じ方が随分と違うのだなということが体感できました。その次は、震災の津波の中でも無傷で館長さんの元に帰ってきたという奇跡の紙芝居「パンダはなぜかわいいか?」を読んでいただきました。大人の私たちが見ていてもとても面白い内容で、一枚紙をめくるごとに会場中のあちこちから様々な声が上がっていました。最後は読み聞かせボランティアの方々による絵本読み聞かせとペープサートでした。特に、最後のペープサートでは子どもたちの元気な声がたくさん聞こえてきて、とても楽しい雰囲気でした。このように本当に盛り沢山な内容で、どれも楽しい企画でした。現地の方々のパワーや熱というものを強く感じることが出来た時間でした。

   第3部は団先生の漫画トークが行われました。「ひとつめ」という作品についてのお話で、その話をみんなで読んで、思ったことや意見を近くの人と交換し、再び団先生のお話を聞くという流れで行われました。まっさらな状態で漫画を読み、自分なりに考えて、他の人とシェアしていく中でまた広がり、先生のお話を聞くことでそこにまた変化が起きるということを体感することができました。内容は震災と直接関連している物ではなかったのですが、何事にも通じると思い、自分の中の経験と照らし合わせながら聞いたり、みなさんはどんなことを感じたのだろう、もっと聞いたり話したりしてみたいなとも思いました。

   その後は反省会、来年に向けてのアイデアなどを出し合ったりして、無事プロジェクトは終了しました。私は初めての参加だったので、意見としては本当に感想とこれからへの意気込みくらいしか話せなかったのですが、みなさんの話を聞いていて、本当にさまざまな想いを抱えていらっしゃって、でも、着実に前に進んでいるんだなということを知ることが出来ました。多賀城市立図書館は来年からツタヤ図書館になるということで少し内容や出来ることにも幅が広がったりするのかなとみなさんの話をききながら思ったり、来年の新しい図書館も見て見たいなと思ったのと同時に、来年はもうここには来れないのかと思うと少しさみしい気持ちになりました。

   最終日の9月13日は、初日の支援者交流会の時にお会いした、プロジェクトに参加したり、段取りを考えてくださったりしている方が、「午前中もしよかったら多賀城を車で案内するよ。」と誘ってくださっていたので、お言葉に甘えて連れて行っていただいきました。『多賀城碑』、『多賀城跡』、『今野家住宅』、『あおぞら幼稚園』(トレーラーハウスの方も)などに連れて行っていただき、多賀城市の魅力や多賀城市という場所を見て回ることが出来ました。史跡や歌枕がある場所には、それぞれ年配のボランティアガイドさんがおり、仙台弁でたくさんのことを教えてくださりました。歴史や史跡などについて教えていただきながらも、ボランティアガイドさんたちの地元愛も少し垣間見える感じがして、聞いていてとてもほっこりした気持ちにもなりました。その後は多賀城駅まで送っていただき、午後は前から気になっていた日本三景の一つである松島に行きました。駅が混んでいたりしていくまでに少し時間がかかり、時間は一時間ほどでした。少ない時間であったので少ししか回れなかったのが残念でしたが、松島に着くと牡蠣や牛タン、穴子のお店、地酒のお店など宮城県の名物が売っているお店などがたくさん立ち並んでいて、さすが観光地だなという感じでした。駅から歩いていく途中で笹かまぼこの手焼き体験が出来たり、こけしの絵付けが出来たりと景色を楽しむだけでなく、たくさんのことが体験できるようになっていて、一日中楽しめそうだなと思いました。今回は本当に時間が少なかったので五大堂にしか行けなかったのですが、五大堂の透かし橋(別名縁結び橋)では親切な元カメラマン?のおじいさんが写真を撮ってくれたりと人の優しさに触れることも出来ました。次に行く機会があれば、松島湾観光遊覧船にも乗ってみたいです。

   3日間で本当にいろんなことがあり、すぐには頭の整理が追い付きませんでした。ですが、今までの多賀城でのプロジェクトの歩みなどを聞いていても、本当に一歩一歩進んできているんだなということがよく分かりました。私は今回が初めての参加で、いろいろと分からなかったり戸惑うところもあったりはしましたが、多賀城の方々の復興へ向けての力や力強さ、あたたかみ、人の力を存分に感じることができ、現地に来ることの意味というのも体感できました。このプロジェクトを続けることでどんどんこの復興の物語の証人を増やし、そうすることでより多くの人に知ってもらえるということも改めて分かり、地道に続けることの大切さというのも身をもって知ることが出来ました。出来れば私も、来年も続けて参加してさらに違うことを感じ取って、さらにその先へつなげていくお手伝いが出来たらいいなと思いました。

多賀城のプロジェクトに参加して (対人援助学領域M1 藤田瑞紀)

   私は今回初めて東北を,多賀城を訪れた。多賀城に向けて出発する前日には関東や東北で大雨が降っており,河川の氾濫などがニュースで報じられ,不安を抱えながら多賀城へ向かうこととなった。多賀城の駅に着くと思っていたほどの大雨の被害はなかった。そして津波が襲ったことが嘘のように町が整備されていた。何事もなかったかのように感じられるほどだったが,新しい建物が多すぎることに気付くと,この地に地震が起こったことを町並みから少し教えられた気がした。

   多賀城では,「東日本・家族応援プロジェクト」を行った。イベントは3部構成となっており,多賀城の方々が中心となってイベントを作り上げてくれていた。特に印象に残っているのは,「家族応援お話会」である。このイベントでは多賀城民話の会,多賀城市立図書館の紙芝居,読み聞かせボランティアによるお話会の方々がお話をしてくれていた。参加者は,小さい子どもやお父さん,お母さん,ご高齢の方まで,老若男女さまざまな世代の方であった。参加者,支援者ともに笑顔がはじけ,大変和やかなムードであった。ここで感じたことは,多賀城の方々の強さや地域の活力である。震災によって大きな被害を受けたにもかかわらず,みなさんが笑顔でイベントに参加なさっており,今後の復興に向けて前向きに進んでいることが感じられた。もちろん,多賀城の方々は心に大きな傷を受けており,震災のことを忘れているわけではなく,これからも忘れることはできないだろう。しかし,震災の記憶を残しながらも一人一人がしっかりと前を向いて,この多賀城という地で生活していることが伝わってきた。そして,多賀城という歴史の残る町で,震災の思いも復興していく様子も伝承されていくのだろう。

   今回このプロジェクトに参加し,多賀城の方々とつながりを持てたこと,様々なお話を伺えたことは私の財産となった。プロジェクトに参加している間は,多賀城の方々から学び,教えられ,与えられることばかりであった。私にできることはないのか。考えてみたが,現地で伺った多賀城の方の思い,復興へ向けた状況を,多賀城を離れた関西の地で,伝承していければと思っている。

「復興の物語」に身を置いて (対人援助学領域修了生 新谷眞貴子)

   昨年、多賀城の震災プロジェクトに参加させていただき、フィールドワーク、インタビュー、プロジェクトのプログラムを通して、様々なことを知り、感じ、学んで、そして、人と関わることができました。民話の語りを聴かせていただき、その土地に根付いたものが人々を力付けていくことも知りました。一方で、「おおぞら保育園」でのインタビューでは、震災からそれまでの道のりにあった「復興の物語」に心打たれ、「被災と復興の証人(witness)」として存在することが、被災地で生きる人々にとっても、震災プロジェクトに身を置く私にとっても、相互に力を得られることが分かりました。また、人々の「復興の物語」は、年月を経てそれぞれの土地で展開していくことに気付き、その後の物語も見届けていきたいと思うようになりました。

   昨年10月に、旧園舎のトレーラーハウスから引っ越したばかりのおおぞら保育園の新園舎を訪ねた時、部屋の壁紙は真っ白でした。「来年はこの壁に掲示物がいっぱい貼ってあるんでしょうね。」と私が言ったとき、先生方は、「そうですね。」と満面の笑顔で答えてくださいました。私は、またここにきて、「おおぞら保育園の物語」の証人として、今後どんなふうになっていくのか、見てみたいと思っていました。

   おおぞら保育園は、今年度、園児15名の「小規模保育所」となりました。今年もおおぞら保育園をお訪ねして、その後の物語を見せていただき、園長先生からお話を聴かせていただきました。今年は、園児たちがお話をしながら、楽しそうにおやつを食べていました。昨年真っ白だった壁に、園児たちの作品や、先生方が創意工夫された掲示物が一杯飾られ、優しい空間を創っていました。庭に続く畑には、ひまわりが咲き、真っ赤なトマトやなすびが実っていました。「園児たちに温かい給食を食べさせたい」という願いが実現し、調理室からいい匂いが漂い、食欲をそそられた園児たちは給食を楽しみにして、毎日食欲旺盛だそうです。新しい園舎は、園児たちの愉快な毎日の物語が詰まったお家のような場でした。旧園舎のトレーラーハウスも、まだまだ健在で、子育ての集まりに一役買っています。以前そこで遊んでいた園児たちが、今にも園庭やデッキから顔を覗きそうな感じがしました。

   この4年半、被災地で生きるお一人お一人に物語がありました。このおおぞら保育園は、震災が起こり、前身のクローバー保育園が廃園になり、子どもたちと保護者のために、先生方が、一日も早く保育園を再開させたいと奔走されました。さまざまな形で展開されてきた「おおぞら保育園の物語」には、先生方の努力があり、多くの方々の支援があり、子どもたちが希望の灯りとなってきました。そして、その「復興の物語」は、まだまだ続きます。

   一方で、今年の震災プロジェクトのプログラムは、とても変化のあるものでした。今年は、プログラムを地元の図書館の職員の方が企画してくださったり、自ら出演してくださったりする新しい試みがありました。

   昨年、プログラムの後、歌枕「末の松山」の地でご一緒した、みやぎ民話の会の方が今年も来てくださり、再会を喜び、民話を隣で一緒に楽しみました。多賀城民話の会の方々の民話の語りで、民話と方言の世界に引き込まれ、懐かしい幼い頃の感覚になりました。

   「お父さん応援セミナー 絵本DEヴォイスパフォーマンス」の輪読は、生活感のあるお一人お一人の男性の声が、何とも言えない情感を漂わせていました。絵本の読み聞かせの皆さんが創意工夫して作ってくださったペープサートは盛り上がり、子どもたちと子どもたちを取り巻く父親や母親に、周りに来ていた人々が温かい眼差しを送り、和やかなムードに包まれました。

   団先生の漫画トークでは、地元の方々や専門職の方々で会場が一杯になり、一人一人が今の自分の状況と向き合い、思いを交わす機会になっていました。団先生のお話の場は、ある人や家族を題材にしながら、それを聞く人が、自分の話として置き換え、自分の未来を考える場になっていると感じました。

   森に囲まれた多賀城市立図書館の一室に、さまざまなプログラムが展開し、心地よい風が通り過ぎ、そこに居る人々が一体化しているように思いました。来年、この図書館は、新しい建物になり運営形態が変わり、そのなかで震災プロジェクトのプログラムが進みます。新しい場でも、地域の方々と一体化できるこのような空間が出来、しかも、地域の方々がエンパワーするプログラムになることを願います。そのことをこのプロジェクトに関わってきてくださった地元の支援者の方々も強く願い、新しい図書館の運営を担う方々に、このプロジェクトの継続を熱心に話されていたことが印象的でした。また来年も、そのなかに自分が身を置き、感じ考えていきたいと思っています。

   プログラムが終わって部屋を出ていかれるときの参加された方々の笑顔。地域のそれぞれのポジションで自分のできる支援をしておられる姿。震災プロジェクトで訪問させていただくことで、地元の方々が元気になるとおっしゃってくださったこと。1年目は福島に、2年目・3年目は多賀城に参加させていただき、違う土地に参加して見えるもの、同じ土地に2年参加したからこそ見えるものがありました。

   とりわけ、一見復興しているように見える土地の外観や人々の生活状況のなかで、今年の支援者懇親会に参加して感じたことが心に残っています。支援者懇親会には、行政の方、図書館の職員の方々、地域のアドバイザー的存在の方、新しく図書館運営をする方々、震災プロジェクトの先生方・院生が参加しました。この懇親会のなかで、震災のことを振り返り、それぞれの方々の胸に、あの日のことが蘇ってきます。辛く不安だったときに力を合わせたこと。心を寄せあったこと。胸をつまらせながら話される話に共感し、その日に立ち戻っていく人々の思いが伝わってきました。私は、被災された方々の思いを想像し、応援することしか出来ません。行きつ戻りつしながら、復興を願い歩いている人々の証人として、また、来年もこの地に来て応援したいと思いました。「復興の物語」のなかに身を置いて、地元の方々とつながり、このプロジェクトの先生方やメンバーとつながることで、私自身が力を貰い、自分の活動につなげていきたいと今考えています。

 時間・場所の通過点における出会い〜多賀城市における活動を通して〜 (対人援助学領域修了生 清武愛流)

   ほんの一部であるが、多賀城市を自転車で回った。8月に足を運んだ、むつ市での反省会の時にあげられた、折り返し地点となる5回目の開催、初心を忘れずに、という言葉を思い出す体験があった。恥ずかしながら、参加している私が忘れていることもあるのではないかと自身を問うた経験だった。

   最終日、ホテルにあったレンタル自転車を借り、一人で海側へ出かけた。これまで事前調べや学習を行い、見聞きした場所だったが、初めて足を運んだ地域だった。宿泊したホテルが、今までより海に違い場所に所在していたことがことの始まりだった。 

   沿岸に行く道中、公園のベンチに座っている方や停まっているタクシーの運転手さんに「このまま行けば海に出る?」と尋ねながら向かった。尋ねることのない時は、サーフボードを積んだ車が通っていたため、方角はあっているだろうと思っていた。だいたい、こうして行けばたどり着くものだ。しかし、私はサーファー達がいるような沿岸にたどり着くことはなく、どんどん住宅地に入り、立ち漕ぎをするような坂道を走っていた。気づけば、ホテルから出た時、すぐに見つけた大通りに出ていた。そもそも、直進すれば着いたと思うが、私が気まぐれに曲がったため着かなかったようで、私は海沿いを走っていたのだが、高台方面へ向かっていた。

   ホテルに戻り、この話をフロントの方としていた。当時の様子が映された写真を見せてもらいながら、当時の状況や今の思いを話してくださった。地元の人は、4年も経ったのにまだ見つかっていない身内がいたり、そうした方の知り合いだったりするから、まだ海水浴場の方へは行けないこと、行く人は地元の人ではないことを話していた。確かに、向かっている車は、地元ナンバーではなかった。そして私もそういう他所から来た者であるし、海の近くに宿泊をしたのだから行ってみようと思ったのだろう。

   上述したことは、行くべきではないという話でも、行った方がいいという話でもない。私たちが活動を行える場や滞在できる場は、残った場であり、再生された場でもある。時にそこは、誰かにとって大切な場でもある。そこに避難することができた人がいたことやその場の人たちが懸命に動き、互いに支え合うことによって、次の場へ拠点を移すことができた始まりの場だったこともあるだろう。これらは言わずとも、分かりきっていることかもしれない。復興と言われている中、進んでいること、進めないこと両方を含めて復興があるということを忘れてはいないだろうか。それらを含めて過ごしている人たちがいるということを忘れていないだろうかということでもあろう。

   ホテルで風化しないという言葉をいうよりも「復興」という言葉がなくなった時が、風化されていることになるだろうし、物理的にそれなりに戻っても復興したとは思えない感情がある話をしていた。「復興とは何か」という話であり、さまざまな支援と共に私たちが行っている「復興支援のあり方」について振り返りたいと思った。私個人の関心に向ければ、漫画展のアテンド、そして、冊子の手渡しからヒューマン・サービスを問うことに迫りたいと思う機会となった。

   最後に、多賀城市立図書館にての漫画展アテンドは今回の活動で最後となった。次年度からは多賀城駅近くに移転されるため、活動時期は、次への準備期間であった。活動は来年も開催されるが、もうあの場で行うことはないと思うと寂しさを感じ、そして、これまで展示配置や私たちを迎えてくださっていた市立図書館の方々に感謝の気持ちで胸が詰まる思いだ。今年は、図書館の方が企画をしてくださったプログラムもあり、ジェンダー、世代混合した機会もあり、地域の方々が集う場になっていた。あの場で行われることは、もうないが、こうした機会を作ってくださった多賀城市立図書館の方々、集い共に楽しむユニークな地域の方々が多賀城市にはいることに出会う一時となった。帰りの電車を待っている時、去年お会いした方に遭遇することもあった。次年度どうなるのか、気になることもあるが、こうしたたまたま再会することもあるわけで、これまで行ってきたことをふまえつつ、新しくなる多賀城駅前の図書館に参加させていただけたらと思う。







多賀城市立図書館にて





荒井真澄さんによる「お父さん応援セミナー:絵本deボイスパフォーマンス」








多賀城民話の会によるお話





丸山館長による手作り紙芝居





読み聞かせボランティアによるペープサート



団士郎の漫画トーク




スタッフの記念撮影




末の松山




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