授業イメージ写真

応用人間科学研究科 震災復興支援プロジェクト

10月1日~10月30日 宮城県多賀城市「東日本・家族応援プロジェクト2016 in 多賀城」




「東日本・家族応援プロジェクト2016 in 多賀城」を開催しました 

(応用人間科学研究科教授・村本邦子)

   今年も、多賀城市立図書館の共催、おおぞら保育園の協力、まちとしごと総合研究所の協賛を得て、10月いっぱいの家族漫画展、10月8日のプログラムと、前夜に支援者交流会を開催しました。会場となった図書館は、今年の3月、駅前にオープンしたばかりの蔦屋図書館です。ガラス張りで天井が高く、明るくきれいな図書館で、アクセスもよく、たくさんの人々が出入りしていました。3階のギャラリーには、センス良く工夫した漫画展の展示があって、感想ノートにも早速、いろいろなコメントが書かれていました。子どもたちからの微笑ましい書き込みもありました。これまでとはまた違った層に届いているのでしょう。

   今年は、おおぞら保育園の先生や保護者の方々の協力を得て、鵜野先生との協働で、「絵本と遊びワークショップ」が実現しました。オープンスペースになっている1階の絵本読み聞かせコーナーで、保育園の保護者による絵本読み聞かせや、参加者が昔やっていた遊びを紹介し合い、子どもたちと一緒にやってみるという試みをやりました。ベイゴマ、お手玉、手遊び、ゴム飛びなど懐かしい遊びに、子どもからお年寄りまで、世代を越えて楽しいひと時を過ごしました。図書館企画の「トレジャーハンターは君だ!~図書館の謎解き探検」も子どもたちに大人気だったようです。

   前夜の交流会、当日のプログラムには、昨年までお世話になっていた旧図書館メンバーも駆けつけてくださり、プロジェクトの新しいスタートを一貫してバックアップしてくださっていたことを実感しました。こんなふうにネットワークが広がっていくのはうれしいことです。翌日は、旧図書館のスタッフもご尽力されている多賀城の万葉祭りも見せて頂きました。蔦屋図書館はスタッフの移動が激しいそうで、今後、安定した運営をいかに維持できるかが課題となっています。せっかくのチャンスですから、いろいろな知恵出しをして、新しい条件をうまく活かした創造的な展開ができるように努力したいと思っています。

 多賀城2016 (応用人間科学研究科教授・団士郎)

   TSUTAYA運営の図書館になったことが、何よりも大きな変化の6年目。下見段階で三階の広々したギャラリーは承知していたが、実際に展示されているのを見たのはオープンして一週間弱経った時点ということになった。

   準備の経過から、英語版掛け軸作品二点を含む計6話の展示になったが、見やすい全体構成になっていた。ただ、日本語訳版のパネルボードは経年劣化で接着面が著しく浮いた状態になっていることを把握していなかった。そのため、汚い展示物になってしまったのが残念だった。英語版だけを掛けるのも不親切かと思うので、今後こういう展示の可能性も含め、対策を考えたい。

   ギャラリーが建物の三階東サイド奧に位置するため、利用者になかなかそこまで来て貰いにくい弱点はあるが、関心を持って来た人にはゆっくり落ち着いて見てもらえる場所になっていた。

   新しい場所でもあり、配布用小冊子を多めに送っておいたが、受け取って貰うにもまだ工夫が必要なことも明らかになった。開催期間が一ヶ月の商業施設併設の図書館ギャラリーでどのような結果になるかは、終了後のまとめが必要だろう。  

   冊子を受け取った人、マンガ展を見た人には、それなりに届くものがあることは過去の経験で分かっていたが、新たな遭遇の起きる場としてのTSUTAYA図書館との良き相互作用を目指す工夫が必要なことを実感。

   マンガトークも新図書館オープンで、一階入り口の告知サインボードが定期的に画面変化しながら広報されていた。トーク会場はギャラリースペースの半分に椅子を置いたところ。参加者数もそう多くはないが、多賀城ではこれまでで最高だったのではないかと思う。

   通常90分の話としてまとめているのだが、直前に図書館スタッフに確認すると、一般的にこの種のイベントでは質疑応答を入れて二時間という。やや長丁場だが、他では90分の話を膨らませて実施。結果的にはやはり90分程度の話しきりがこういうイベントではよいのではないかと思った。

   内容はむつ実施と同様だが、終了後に起こったことを書いておく。

   二人の参加者が直接フィードバックをくれるため話しかけてきた。一人は被災後、仮設住宅暮らしの中で、京都の支援者から送られてきた毛糸で人形作りをしたグループの人で、制作物を京都で販売してもらった経験を持つ。2011年の秋、みんなで支援者の居る京都に行こうと出かけたのだという。その折、京都観光をする中で南禅寺境内のレンガの水道橋を見て、不思議な思いをしていたが、今日のお話にそのことが登場して、そうだったのかと合点したと語る。

   もう1人は、今日のお話に登場したことと、我が身に起きたことの重なりが面白くてとこんな話をした。

   「先生のお話に出てきたハットリテツオさん、家の夫はハットリテツ○というのです。そして、最近私は里親になりたいと思っていて、まだ夫は承知しないので、今日のお話を是非一緒に聞けたら良かったのですが、子どもの面倒を見るため今日は外にいたのです。その夫が最近私にプレゼントしてくれた本が「沢田美喜さん」の本だったのです。

   多賀城の駅前の図書館で出会った人と私の話が、時間(歴史の中)を超えて、場所を自由に交叉させながら、人の行動の選択の偶然性とも重なっていた。

    発信のなにが、なにと繋がって、なにを起こすのか。そんなことを簡単には決められない。自分の論法や、計画の中に、他者の人生を勝手に都合良く埋め込むものではないと改めて思った。なにを聞き、なにに感応するかは聴き手に委ねられたことであるのを、つくづくそうだなぁと思った次第。

 「東日本・家族応援プロジェクトin多賀城2016」に参加して (応用人間科学研究科教授・鵜野 祐介)

   <新しい会場と本プロジェクト>

   私自身、多賀城プロジェクトへの3回目の参加となった今回、前図書館館長の丸山さん、職員の国武さん、おおぞら幼稚園の黒川先生をはじめ、旧知の皆さんと1年ぶりに再会できたことがまずはうれしかった。この1年の間、今年3月に開設された新図書館をめぐって大変なご苦労があったと伺っていただけに、皆さんの笑顔に出会えてとりあえずホッとした。

   全国的に展開するTSUTAYA系民間企業への委託による新図書館については様々な評価がなされているが、ここでは触れないでおく。ただ、プログラム前日の夜遅く多賀城駅に着き、駅舎に隣接する新図書館の建物を見て、ずいぶんオシャレだなあと思った。前図書館で発揮されていた、いい意味での手作り感あふれる展示やイベントとは違う種類の良さを、スタイリッシュでモダンなこの施設で作りだすことができるかどうかが、今回のプログラムの成否のカギを握っていると予感された。

   翌10月8日のプログラムを終えてみて、結論から言えば、私が進行役を務めた「絵本と遊びのワークショップ」は、図書館1階奥に設けられたすり鉢状の絵本読み聞かせ・読みあいスペースを会場にしたことで、これまでは必ずしも十分でなかった多世代交流や子どもたち同士の異年齢交流がより可能になったように思われる。そしてまた、半分開かれ半分閉じられた、いくつかの段差を持つこの円形スペースは、たまたまこの場に立ち寄った人びとに対して、中心にいる演じ手や読み手との適当な距離を自分で選ぶことが可能な空間となっていた。さらに言えば、クッションのあるカーペットや暖色系の壁が、この空間を心持の温かい、安らぎスポットに替えることに貢献していた。そうした意味において今回の企画は、新図書館の施設をある程度まで有効に活用することができたと言えるだろう。 

   <プログラムを振り返って>

   前半の「絵本で楽しもう」のコーナーでは、父親が子どもと一緒に絵本を読みあうことを企画していたが、参加予定だった方が仕事の関係で急に来られなくなり、3人のお母さんがご自身のお気に入りの絵本を読まれた。お父さんが読むことを期待して来られた観客の方がたに対して、進行役である私が最初にきちんとお詫びすべきだった。 

   お母さんたちは小さなお子さんを連れてきておられ、母親のそばを離れたがらない子どもを抱きかかえての読み語りは、頁のめくりや読むことへの集中の難しさなどご苦労も多かったと思われるが、その分、普段ご家庭でなさっているような「自然な読みあい」が再現されていた。参加者は自然と、絵本の開かれた頁がよく見え、声がよく聞こえる場所へと移動・接近し、耳を澄ませることになった。その結果、ひそやかで穏やかな温かい空間が生まれたように思う。

   昨今、小学校や図書館での読書ボランティアによる「絵本読み聞かせ」がよく行われているが、何十人もの子どもを相手にすると、どうしても声を張り上げて表情豊かに読もうとするあまり、パフォーマンス過剰になりがちである。その点、母親や父親(あるいは祖父母)として幼い子どもと一緒に絵本の世界に入りこんで楽しむための「読みあい」には、自然な声でゆったりと読み進めていく方がふさわしいということを、今回筆者も教えられた気がした。

   一つ惜しまれるのは、選ばれた本には幼稚園ぐらいのお子さんには内容を理解するのが難しい、子どもに向けてというよりは、読み語る自分自身に向けて確認するためのものという感じの作品も混じっていた点で、読みの前後に、なぜその本を選ばれたのかについて話していただいたらよかったと思う。

   後半の「よみがえれ、故郷の遊び」コーナーでは、子ども同士の異年齢交流が実現した。特に、最後のゴムとびでは、1歳や2歳の子どもが年長の子どもの跳ぶ姿を見て、自分も跳び越えたいと、見よう見まねで繰り返し挑戦する姿が微笑ましかった。

   また、ゴムとび、お手玉送り、手遊び唄などの持つ特性により、世代を超えた参加者同士の一体感が醸成されていく様子も見て取ることができた。シニア世代の男性の方がベーゴマを、幼稚園の黒川先生が古いわらべうた「たんたんたきみち」を歌ってお手玉を、小学校4年生の女の子二人が「アルプス一万尺」を歌って高速の手合せ遊びを、とそれぞれの世代の遊びを披露して下さった。地域の子ども文化の継承と再生という観点からも有意義なひとときになったと思われる。

   <今後の課題>

   進行役として、上に挙げた以外にもいくつかの反省点がある。まず、どんな遊びをしたか、若いお母さんへの問いかけをもっとすべきだった。一番多かったこの世代の参加者からのコメントを引き出せなかったのが悔やまれる。また、自由遊びの時間を途中にはさんでもよかったのではないか。例えば、あやとり、折紙、石ナゴ、お手玉、おはじき、手合せ遊びといった少人数でする遊びをてんでに行うフリータイムをとった後、最後にみんなで輪になり、「あんたがたどこさ」を歌いながら、数珠送りのようにお手玉送りをするといったプログラム構成にした方がよかっただろう。

   来年度以降の展開として、遊びスペースの周囲にある棚を利用して、郷土玩具や歴史的な玩具の展示をすることも考えてみたい。玩具は東北歴史博物館などから借りてくることも可能かもしれない。さらに、前回までお願いしていたが今回は都合によりお願いできなかった、多賀城民話の会の方がたの昔ッコ(昔語り)もできれば復活させたい。そうすることで、参加される方がたがより一層多様なタイプの故郷の伝承文化を体験できるだろうと思われる。これらの企画については、今後組織される予定のプロジェクト実行委員会の中でもぜひ議論していただきたい。

   来年もまた、多くの笑顔と出会えることを楽しみにしている。

多賀城のプロジェクトに参加して(対人援助学領域M1 伊藤 正信)

   行ってみて初めてわかることが多い、そのことを実感した。事前学習では、多賀城市の歴史、地域性、津波被害、地域の活性化の取り組み、図書館のことなど、詳しく調べたつもりだった。しかし、実際に行ってみて、自分の目で見て、現地の人と実際に話してみて、初めてわかったことが多く、また、考え方が変化した。このプロジェクトの意義を改めて感じることができた。

   10月7日(金)、早朝京都駅より新幹線と仙石線を乗り継ぎ、昼過ぎに松島へ。松島海岸と瑞巌寺、五大堂などを見学する。多賀城に移動し、3月に駅前にオープンした新しい図書館を1時間ほど見学。夜は支援者交流会。旧図書館長の丸山さんから、新図書館に移行するにあたっての取り組みを詳細にうかがい、その熱意に打たれる。また、震災当日の丸山さんの津波に襲われた体験もうかがった。他の方々のお話も心に残った。

   10月8日(土)は終日図書館にてプログラム。参加感があり、充実していた。私たち院生は当日だけだが、村本先生や関係者、現地の方々による事前の準備がある。プロジェクトを作り上げるということが参加して初めて理解できた。図書館の方々や支援者の方々とこの日は一緒に仕事をする中で接することができた。プログラムに参加する子どもたちと接することも楽しかった。

   10月9日(日)は院生3人で終日、多賀城市のフィールドワーク。朝方の雨もやみ、多賀城駅で自転車を借りて、おもわくの橋、多賀神社、多賀城廃寺跡、東北歴史博物館をまわる。東北歴史博物館は充実しており、2時間展示を見て回った。徒歩で、多賀城碑、多賀城跡を見学。田畑や山の中に、遺跡だけがある。訪れる人もあまりいない。多賀城の昔をしのぶ。ちょうど、史都多賀城万葉まつりの行列が通りかかる。さらに、沖の井、末の松山などを見て、帰途についた。

   京都に戻り、遠く離れていても、多賀城市と、お会いした現地の方々とのつながりを今も感じる。濃い体験の3日間だったのだと思う。

 震災復興支援プロジェクト 多賀城 (対人援助学領域M1 川野 絵梨)

   今回の震災復興支援プロジェクトに参加し、自分自身、先入観やある限られた視点から現地のことを見ていたと気づくことが多々ありました。物事をありのままにみることの大切さと難しさをまさに体験を通して学ぶことができたと思います。

   また、このプロジェクトに参加するまでは、東日本大震災に対し、「私にできることはない」という無力感から、震災がテレビの中の遠い世界のものに感じていました。事前学習から現地での実習を通して、多賀城がより身近なものになったことを感じ、また原発関連のことにも関心が高まっている自分の変化に気づきました。直接的な援助が出来なくても、何が起こっているのかを知る、関心を向ける、そこから一人ひとりが真摯に何がよいのかを考えることで、世論となり世の中が動いていくということもあるのではないかと思います。そして、それがひとつの援助にもなりうると思います。

   多様な側面を持つ“人”に対して、ありのままに丸ごとみること、そこに何が起こっているのか見極める目と、役に立つものであればどのようなことでも取り入れる柔軟さが対人援助においては必要だと考えるに至りました。今後、私自身の研究においても、広い観点から物事をみるという姿勢を忘れずに、一層学びを深めていきたいと思いました。

   1日目、東京で乗り換えて仙台に行くまでの道のりでは、電車やホームはきれいでしたし、人や町の雰囲気も京都にいるときと何ら変わりはないようで、本当に東北に来たのかな…?と不思議な気持ちでした。しかし、仙台で乗り換えた後は、松島海岸に向かう各駅停車が、小さな駅に着き、ドアが開くたびに触れる冷たい風や現地の方々の話している独特の訛りに、少しずつ、東北を実感することになりました。同時に、震災が起こったことを意識的に見つけようとしている自分の姿にハッとしました。周りの景色を見ながら、「どこまで津波が来たのだろう?」と震災から5年半がたち、日常を取り戻しつつある現地の姿に勝手に被災地であるイメージを結び付けている自分に気づきました。

   交流会の前に、図書館の事前見学をしました。図書館は、多賀城駅のホームから見えるほどに近い便利な立地条件にあり、外観もとてもきれいで落ち着いたものでした。図書館の中も快適で過ごしやすい空間が確保されており、蔵書や図書配列も使いやすいものになっていると感じました。もし私が多賀城の住民であれば、喜んで利用するだろうと思いました。事前学習ではグループでも批判的な意見が多く出されていましたが、実際にみることで印象が変わりました。交流会では「ツタヤ図書館にはいろいろな否定的な意見があるが、目的は今まで図書館に来なかった人、関心がなかった人にまず来てもらうこと、ここからが勝負になる。それが成長へのきっかけになり、地元の人たちとの関わりを深める場になることができるようにと考えている。」とお聞きすることができました。

   2日目は、図書館で、東日本家族応援プロジェクトが催されました。

   「トレジャーハンターは君だ!」は、家族で楽しむことができるクイズラリーとして図書館が用意したイベントで、このお手伝いをさせていただきました。雨模様の天候に不安を抱えつつ、3Fの受付でお待ちしていました。やはり、子どもの来客は1日を通してそれほど多くなかったのですが、実際に参加した子供たちは、目をキラキラさせ、また、わざわざ3Fに戻ってきてくれ、全部できてお宝を手に入れたことを報告してくれるほどに素晴らしいイベントであり、楽しんでくれました。

   絵本の読み聞かせでは、泣く子、落ち着きがない子もいましたが、読みきかせ聞かせが進むうちに、話の内容も理解できないような年齢の子どもたちが、不思議と絵本に見入り、惹きつけられて行く様子を目にしました。静かで和やかな空気がその場に流れていること、その空間が居心地よく、人々が自然と集ってくるのではないかと思えました。昔遊びでは、大人は懐かしく自然と笑いがこぼれ、子どもは新しい遊びとして、そこから学ぶ、笑いの中にも和やかな空気が流れていました。

   団先生の漫画トーク「勉強をしなさい!」では、「勉強が誰のためと思っているの?」との母親からの問いに、それは“実はあなたのため”であること、そのようなことは世の中にいくらでもあるということを話されました。私自身も、自分の仕事である「特定保健指導の実施率を上げたい」ということについて、それは対象者のためばかりではなく、契約先や勤め先のため、実は私の評価を上げるためなのかもしれないと身につまされるものを感じました。

   3日目は、多賀城市内の主に山側を中心に、レンタサイクルで名所旧跡を巡りました。上り坂が多く、山側は今回の津波による震災被害を免れたこととともに、これまでも歴史的に地震や津波があった中、多くの旧跡が残っている理由がわかった気がしました。

   東北歴史博物館では、常設展と特別展「日本人とクジラ」をみました。常設展は、旧石器時代から近現代にいたるまでの東北の歴史が広いスペースにゆったりと展示されていました。模型や民芸品、住宅などの展示、説明にはルビがふられていたり、子ども用の解説があるなど、非常に丁寧に、子どもから大人まで楽しく学べるような作りになっていました。時間を忘れて、2時間弱を過ごしてしまいました。東北歴史博物館に隣接する今野家住宅にも立ち寄りました。昔の生活の知恵とともに、その当時は金持ちであった今野家でもこのような家に住んでいたのかと、つつましやかな生活をみてとることができました。

   そこから、徒歩で多賀城碑と多賀城跡を見に行きました。奈良時代から東北を治めるための鎮守府が置かれ、それがそのまま「多賀城」という市の名前にもなるほどに歴史深いことを感じ、それを誇りに思っている市の在り方を垣間見ることができた気がします。一方で、津波の被害を受けて、更地になってしまった海側の様子とは違い、東北本線沿いという土地にも関わらず、歴史の中で取り残されたようなさみしい印象を持ちました。観光ガイドの方も、少ない観光客に暇を持て余しているような感じでした。田舎ののどかさのよさを感じる一方、地域の活性化ということではこのままでよいのかという危惧も覚えました。

   多賀城市の方々も、万葉まつりなど、たくさんのイベントを通じ、街の活性化と、地域住民のつながりを強化することの必要性を感じているのだと思います。他の地にはない、多賀城独自の歴史を大切に守りつつ、ツタヤ図書館のような新しいものも柔軟に取り入れていく、その地に根ざした力と新しいものがつながり、この土地独自のゆるぎない強いものが生まれていく、そこに「連携と融合」を感じます。そのような理想を、私自身の中で勝手に想像しながら、はじめにこの地を訪れた時の印象“さみしい地であることの不安”が、3日間を過ごして、“多賀城市が良い方向に変わっていくことの期待”へと変わっている心の動きに、不思議な感覚を覚えました。

   私にとって、当初、多賀城市は、物理的にも心理的にも遠い地でした。しかし、たった3日の短い時間の中で、いくつかの体験を通し、「多賀城がより発展し、皆が住みよい街になっていくにはどうしたらいいのだろう?」という気持ちが生まれ、すっかり多賀城の住人になったような自身の感覚に面白さを感じ、これが今回のプロジェクトを通しての意義そのものであったことを言葉通り“体感”できたものでした。

 多賀城でのプロジェクトに参加して (対人援助学領域M2 田中 元輝)

   今回「東日本・家族応援プロジェクト」に参加し、私は多賀城へ初めて行くことになった。また、多賀城市立図書館でのプログラムが今回の活動の中心だが、他に松島や多賀城市内でのフィールドワークを行なった。

   2012年から始まった多賀城市立図書館でのプログラムは5回目になるが、今年から新しい図書館に場所や運営者が変わった。前年までとは違う会場や現地スタッフで行われるため、不安も少しありながらプログラム当日を迎えた。しかし、昨年まで現地の方々と先生方がつくられてきたつながりはとぎれることなくそこにあって、さらに新しい会場の方々とのつながりが生まれたところがみえた。

   復興の時間が流れていくのと同じように、時間の経過に伴って社会の変化も起きていくという。市内をフィールドワークしたときには、もとに戻していくことだけではなくて、活気のあるまちづくりや地域の住民どうしのつながりを創っていく活動がなされていて、力強かった。

   今回のプロジェクトで特に印象に残っていることは、被災された方のなかに確かに震災があると感じたことだ。震災の様子を客観的にたくさん話してくださる方、主観的な体験を話してくださる方など、語り方(とらえかた)は人それぞれだった。それはつまり、震災は個人によって異なる出来事だったということだろう。震災という大きなくくりにしたり、被災者という大きなくくりにしてしまうのではなく、個別の体験が被災地には渦巻いていることを忘れないようにしたい。そういう意味で、被災地に行き、そこにいる「個人」と会い話す機会を得られたことは私にとって大きな収穫となった。

 「復興の物語」に身を置いて (修了生 家族・子育てを応援する会代表 新谷眞貴子)

   10月7日、多賀城駅に降り立つと、そびえるように大きな図書館が建っていました。新しい多賀城市立図書館です。人の行き来が多く、遠くからでも図書館1階のおしゃれなカフェが見えました。駅にも店舗が入り、駅周辺全体が昨年より活気がありました。

   まず、おおぞら保育園の黒川園長先生のご厚意で、保育園に訪問させていただきました。1年目は引っ越したばかりで壁は真っ白でした。2年目には、壁にも窓にも先生方が心を込めて、園児たちの作品や飾りを掲示しておられ、ほっとするような空間がありました。園庭に続く畑には、色々な野菜が収穫された跡を残していました。

   そして、3年目。子どもたちの元気な声が聞こえる、やっぱり居心地のいい空間が広がっていました。昨年にはなかった、褐色の木目で細工を施した素敵な形のピアノがありました。これは、一度使われていたピアノを塗装して、東日本大震災被災地の施設と子供達へ、公益社団法人日本ユネスコ協会連盟グリーン・レガシー・広島イニシアチブ広島東南ロータリークラブから贈られたそうです。毎日このピアノで、先生方が腕を振るって、子どもたちを楽しませています。また、この団体からは、「未来遺産苗木」として、被爆樹木の苗木『銀杏』が贈られ、1年間で、この多賀城のおおぞら保育園の地にしっかりと根付いて育っていました。

   おおぞら保育園では、目の見える所に給食の調理場があり、調理員さんが創意工夫を凝らした給食を作られます。そのにおいが漂い、園児たちは、食欲をそそられ美味しく食べます。野菜嫌いの子どもも、家では食べられなかった野菜を食べます。ねばねばのおかずでも、園児たちの楽しい雰囲気の中で、自然に食べられるそうです。

   おおぞら保育園は、生後6か月~3歳の児童対象の認可の「小規模保育園」で、現在12名の園児が過ごしています。黒川園長先生は、あまり人数が増えると、心が行き届かなくとなると考えておられます。一人一人の園児の思いやペースを大事にされ、子どもたちは、やはり今年も伸び伸びと遊んでいました。先生方は、ゆったりと子どもたちと関わっておられ、お昼寝から起き出した子どもが、見知らぬ来客の私に「今日は。」と声を掛け、傍に寄ってお話を一緒にしてくれました。家庭事情が大変な園児のお母さんには、「大変でしょう、何かあったら話してくださいね。」と声を掛ける。この日々の言葉掛けに、親御さんはどれほど元気や心強さを感じていらっしゃるだろうと思います。園長先生を始め、保育に携わっておられる職員の方全員が、子どもたちを愛おしく思って関わっておられることが、部屋に入っていった時の雰囲気で感じ取れました。

   また、地域とのつながりもいつも気に掛けておられます。「ご近所との交流を考えて、出来るだけ外にいる方が良いと思っています。」とも園長先生は仰いました。畑の水やりをしていると、園のフェンス越しに小学生が、「鶯の声が聞こえてきた!!」と感動した声で話し掛けます。園長先生が、「わー、凄いね~。」と一緒に喜ぶ、このようなやりとりがあります。施設訪問で、園児たちが高齢者の方々とふれあう交流もあります。

   東北歴史博物館の大きな森の懐に抱かれるように建つおおぞら保育園で、子どもたちは、自然から四季を感じ、畑でいろいろな作物を収穫し、美味しい給食を食べ、思いを尊重して貰える先生や職員の方に囲まれ、園児同士刺激を受けながらすくすく育っていると感じました。

   昨年、多賀城のプロジェクトに参加して、「来年、この図書館は、新しい建物になり運営形態が変わり、そのなかで震災プロジェクトのプログラムが進みます。新しい場でも、地域の方々と一体化できるこのような空間が出来、しかも、地域の方々がエンパワーするプログラムになることを願います。」と書いています。

   新しい図書館を歩いていると、とても広く、多くの人が行き交っています。創意工夫された施設の、専門書スペースの3階に、友好都市というラベルの貼った奈良市の本がたくさん並んでいました。私は奈良県広陵町に住んでいて、ついその本が目に留まりました。多賀城市は、奈良市と友好都市でつながっています。奈良時代、奈良の平城京を中心に、西には太宰府、東には多賀城、この3都市で国家が守られ、時の朝廷は、朝廷の出先機関として陸奥国府多賀城を設置しました。1300年も時を越えて、多賀城と自分の住む土地との縁を感じました。

   プログラム当日。新しい図書館の中で、先生方やプロジェクトのメンバー、新しい図書館で震災プロジェクトに関わってくださるCCC(カルチュア・コンビニエンス・クラブ株式会社)の三木さん、プログラムに向かう方々全体に緊張感がありました。「絵本と遊びワークショップ」の場所が一階の絵本の読み聞かせスペースになりました。おおぞら保育園の先生方が準備を整えてくださり、時間が近づくにつれ、プログラムに入って来る親子が増えてきました。

   そして、おおぞら保育園のお母さんが自分の子どもを膝に乗せ、絵本を読み始めました。緊張して一生懸命読むお母さんに、皆さんとても協力的で何とか話を聞こうと寄り添っているような雰囲気がありました。ここに好い空間ができていました。プログラムの案内では、お父さんたちが読み手になる予定でしたが、お仕事で来られなくなり、お母さん方が3人絵本を読んでくださいました。アンケートにも書いてありましたが、聞いている方々にとって、いい時間になったようでした。プロのように上手でなくても、鵜野先生がおっしゃったように、「子どもにとって、家族や身近な人に、膝の上で絵本を読んでもらうことに意味があること」や「絵本を読むことを通して、お母さんの心が癒されること」を感じました。

   その後の「昔の遊び」のプログラムは、とにかくひとつひとつの遊びが、私が小さい頃見たり遊んだりしたものばかりで、子どもたちやお母さん方と楽しめました。とりわけ、円になってお手玉を全員で回す遊びは、一体感があって、ワクワクしました。昔の何人かでする遊びの醍醐味が蘇ってきました。きっと参加されたお母さん方にも、その体験を味わったことは、いい思い出になると思います。このプログラムの傍を通り過ぎていた人たちも、楽しくわいわい言いながらやっている姿を見ながら、興味や関心を持たれたのではないでしょうか。おおぞら保育園の先生方が、絵本の読み聞かせをしてくださるお父さんを呼び掛け、資料や当日に使う昔のおもちゃ、お土産に手作りのマーブルクレヨンまで準備してくださり、場を盛り上げるために動いてくださっていました。この地元の協働体制を思うとき、長い時間を掛けて地元の方々としっかり取り組んできた、震災プロジェクトの力を感じます。

   「教員と院生がそれぞれの専門領域を活かし、現地の対人援助職者と連携・融合することによって、地域コミュニティのレジリエンスに働きかけながら、被災地の人々と顔の見える関係を結び、被災と復興の証人(witness)になることをめざしている」(『臨地の対人援助学―東日本大震災と復興の物語―』村本邦子・中村正・荒木穗積編著・2015)、そのことが、年々分かってきます。

   漫画展の会場は、大変綺麗なセッティングがしてあり、ニューヨークでの漫画展の作品も展示され、工夫された空間が出来上がっていました。それぞれの作品の中にある物語が、見る人に語ります。何度も読んで本で知っている物語も、その土地で、その時の思いで読むと、違う感覚が起こり、何かを自分に問いかけます。私は、子育て支援活動を、今年の春、地元の奈良県広陵町で開催した団士郎家族漫画展・講演会でスタートさせました。地域の多くの方々が来場され、さまざまな人生の中で物語と遭遇し、思いを残しました。そのことが大きな原動力となって、その後の私の活動を導いてくれました。今回の漫画展を見ながら、この漫画展を見て、この土地で人々はどんな思いを持つのだろうと思いを馳せました。

   漫画トークは、会場一杯の方々で埋め尽くされました。皆さん、熱心に話を聞いておられました。帰りに、「木陰の物語」の冊子を手渡していると、気仙沼の仮設住宅にお住まいの方が、お話をして下さいました。「被災した年、京都に旅行しようという目的を持ち、おもちゃ作りの会で作品を作り、その費用を貯めて、実現できました。京都から力をいただきました。」と話されました。団先生ともお話をされていました。漫画トークが終わった時、その方は、きっと何かお話がしたかったのだろうと思いました。清々しい顔で、「帰ってこの冊子を皆さんに手渡します。」と話して会場を後にされました。

   CCCから関わってくださった三木さんは、初めての震災プロジェクトで戸惑われることもあったと思います。しかし、最後のミーテングで震災プロジェクトのメンバーのプログラムへの思いが分かったと言ってくださったこと、担当者が変わってもプロジェクトが成り立つように考えて下さること、アンケート結果もまとめて客観的な資料にして下さったこと、出来ることを一生懸命やっておられたと思いました。村本先生が仰っていたようにCCCにとっても、震災プロジェクトのリソースを活かすことは、地元の人々とつながっていく図書館になる有効な方法だと思います。

   トレジャーハンターは君だ!~図書館の謎解き体験~、絵本と遊びワークショップ、団先生の漫画展と漫画トーク、ここまでのプログラムを展開するまでに、何度も打ち合わせを重ね、準備に携わってくださった、おおぞら保育園の先生方や震災プロジェクトの先生方・メンバーの皆さんの大変さを感じました。さまざまな課題を残しながらも、プログラムはとても好い反響でした。プロジェクトの先生方を始めメンバーが願った、新しい図書館での協働体制の一歩が確実に踏み出せていると思いました。

   そして、3日目のフィールドワークです。鵜野先生と、民話の語り部の安倍(あんべ)ことみさんを訪ねました。女川町の仮設住宅の安倍さんのお家に入ると、とても美味しい匂いが漂っていました。鵜野先生と私のために御馳走を用意して待ってくださっていました。全国有数の水揚げを誇る女川の秋刀魚は有名ですが、実際いただくと絶品でした。秋刀魚の素材そのものが新鮮で脂がのっていて、秋刀魚のだしが出た熱々のつみれ汁、焼き立てのジュージュー音を立てている塩焼き、お刺身、どれもどんなに美味しかったことか。熱いものは熱いまま、冷たいものは冷たいままに、心を尽くして待ってくださっていたその心配りを感じながら、また、包み込むような安倍さんの心地よい声の響きを聞きながら、ひとつひとつ味わいました。

   そして、いよいよ安倍さんの民話の語りです。最初は「栄尊法因」、島に流されても人々のために尽くしたお坊さんのお話です。安倍さんのお話が始まると、まるで、自分が海に囲まれた島の中にいて、栄尊法因や村人が今そこで語り合っている声が聞こえてくるような感覚に陥ります。ゆったりと、時には哀愁を帯び、時には慈悲深く、時にははらはらさせるお話・・・。お坊さんを慕いたくなるような気持ちになってきます。

   こんなふうに小学生の子どもたちに毎週語っている安倍さん。子どもたちは、安倍さんのお話が大好きで、お話を覚えて安倍さんに聞かせる子どももいるようです。子どもたちの心に印象深く残り、家に帰って家族にも話をします。その後、2つ話をして下さいました。

   安倍さんは、震災の時の怖かった体験も話してくださいました。その話は、被災されてずっと後になって、毎年鵜野先生が女川に行かれることで、話されるようになったと聞きました。安倍さんの家は、避難所よりも上の高台にあって、自分の人生にそんなことが起こることは絶対にないと思っておられました。しかし、津波に襲われ、九死に一生を得て、家は流されました。

   けれど、安倍さんは、この震災を受け入れ前向きに生きようと思っておられます。幼いころから民話が好きで、おばあさんに一杯してもらったお話を子どもたちに伝えることを生きがいのように思っておられます。また、語れる話を増やそうと、自分で調べたり、聞いたりもされています。70話くらいも話せるらしいです。季節やその時の子どもたちの出来事を踏まえて、毎週子どもたちにどんな民話を語るのかを考え、小学校の教室に出向かれます。また、「語りの会 杉っこ」という民話を語り聞かせる会で勉強会をして後継者を育てておられます。安倍さんは、「(そんなことをいろいろしていたら、)寂しくないよ~。」と、優しい口調で笑いながら仰いました。幼い頃話をしてくれたおばあさんくらいまで齢を重ねて、今、なんと生きることに前向きなんだろうと思いました。安倍さんのお話の世界は、たくましくて、子どもを愛おしく思い、人に優しい安部さんという人そのものが作り出しているお話の世界だと思いました。

   仮設住宅を出た花壇には、安倍さんの育てた花が綺麗に咲いていました。杖を突いて大きな道まで一緒に出てきてくださって、私たちの姿が見えなくなるまで手を振って見送ってくださいました。女川で12年間、この土地の子どもたちにお話を聞かせている安倍さんと出会い、また、力をいただきました。

   女川の港の方まで歩くと、見上げるような小高いところに病院があり、その駐車場の車が津波で流されたと聞いて、その津波の恐ろしさを改めて感じました。綺麗な住宅が並び、安倍さんも来年の春にはそこに引っ越しが決まっているそうです。女川駅の周辺には新しい商業施設が立ち、人で賑わっていました。しかし、山を切り崩して今まだ、工事中のところが沢山あり、まだまだ復興には時間が掛かると思いました。

   帰りの新幹線の中で、『臨地の対人援助学―東日本大震災と復興の物語―』を読みながら、いろいろな場面や出会えた方々のことを思い返していました。おおぞら保育園の前身のクローバー保育園の跡地も、昨年はまだ被災した時の爪痕が残る園舎がありましたが、草むらになっていました。旧園舎のトレーラーハウスは、今はちょっと休止中で、地域の人々のためになる新たな出番を待っています。今年も、多賀城市職員の丸山さん・伊藤さん・國武さん、みやぎ民話の会の加藤さん、そして、おおぞら保育園の黒川園長先生・小笠原先生の皆さん方が、プロジェクトに協力してくださり、お話させていただきました。昨年よりもお話する内容がさらに深まったように思います。昨年には聞けなかった辛かった当時のことや、その後に起こった物語も聞かせてくださいました。

   多賀城に来させていただいて3年目、人とのつながりを重ねていくことで見えてくるものがあり、そういう意味で、この震災プロジェクトの大きな意義を感じています。震災プロジェクトが立ち上がった時、何もつながりのなかった地に出向いて、一人一人と丁寧につながってこられた先生方や院生の皆さんの足跡を考えた時、大変な苦労があったのだろうと思います。そんな思いもあって、今回は、かつて漫画展・プログラムが行われた、仙台駅前のエル・ソーラ仙台にも行きました。仙台市男女共同参画推進センターがあり、多世代の方々が自由に集えるスペースに、乳幼児から高齢の方まで沢山の方々が過ごしておられました。写真で見た、以前の漫画展のことを想像しました。ここで震災プロジェクトが行われていたこと、今は、多賀城市立図書館で行っていることをお話し、館長さんや職員の方とお話が出来、私の今行っている活動に参考になる資料もたくさんいただきました。他にも必要なものがあればとも言ってくださいました。

   私は、1年目の福島を入れて4年間震災プロジェクトに参加させていただきました。さまざまな方にお会いして、時間的なつながりと、復興に向ける思いとのつながりで、震災プロジェクトの縦にも横にも織り込まれる糸が、多くの人々によって、一つのものを織りなしていっているように思います。そして、このプロジェクトに参加する人に、それぞれの新たな人生や活動を起こさせていると感じています。

   昨年多賀城から帰って、「『復興の物語』のなかに身を置いて、地元の方々とつながり、このプロジェクトの先生方やメンバーとつながることで、私自身が力を貰い、自分の活動につなげていきたいと今考えています。」と書きました。それからの1年、自分の活動を考えた時、この1年間で予想もしなかった展開が広がっていました。この震災プロジェクトの活動が、さまざまな形で私の活動を後押ししてくれました。

   今、被災地の復興を願いつつ、被災された方々のそれぞれの物語を思い、たくましさに力を貰い、土地の持つ力を感じ、来年は、どんな活動をしている自分が、被災と復興の証人として、被災地に立っているのかを考えています。

 舞台設定の中で起きている出会い (修了生 清武愛流(清武システムズ))

   足を運び始めて4回目となった、今回。私はいつもと変わらず、漫画展のアテンドとして参加をした。アテンドが何かに出会う体験は、時間と場所の設定の中にある。この体験は、復興の営みが他人事とは思えないことも少なくはない。去年と同じこと、違うことがあるので、復興の営みの経過に気づく体験が、私という個人の経験になり、次年度の動きや自身の実践に活かしたいと思うからだろう。

   今年も多賀城市立図書館でプロジェクトが開催された。しかし、CCCが指定管理者でありTSUTAYAになったこともあり、企画準備してくださる共催団体が変わった。以前あった山側から砂押川近くの駅前に移転され開催場所も。

   新しい図書館は、老若男女居る印象。子ども連れの両親も居た。昨年度までは、部屋着姿のような方、両親に寝起きのまま連れて来られた子どもの姿を眼にしたが、今年は見なかった。これまで居た人は、似たような過ごし方ができる場所を見つけただろうか。それとも、装いを変えて通っていたのだろうか。

   建物周辺においても、これまでとの違いを感じた。「こんなに立派なんだ」とか「おしゃれ」と弾む声を耳にした。私は図書館の移転を通して、東日本大震災以降の人の動きの変容や近年人が当たり前にしている行為に気付かされた。大きな社会の変化と個々人の体験が相互に影響を与え合い、だからこそ、次の変容がある一例のように思う。

   今回の漫画展内でも、これまで体験してきた出会いと違う出会いを感じていた。特に、会場の外での過ごし方。例年とは違い、外と言っても館内で十分に過ごせた。気になる本や文具に出会い、手を伸ばしていた。店に入るとついしてしまう、近年の日常的な行為だと思う。しかし、これまでのアテンドは、「人との出会い」が印象に残る体験をしてきた。それぞれの物語を話し、それ自体が「私」という個人の物語になっていたのだった。

   いつもの出会いがなかったのではない。宮古でお会いした方がプライベートで来てくれていた。私は、まさか多賀城で再会するとは思っていなかった。こんなサプライズ自体が、嬉しい体験だった。また、2歳くらいの子ども連れの両親が、ふらりと会場に入って来られ読まれていた。私にはとても新鮮な光景だった。別々の場所で読む両親の元へ子どもが、行ったり来たり。アテンドと来場者は、言葉を交わさずとも互いにそれなりに意識している空間に居る。言葉を交わす体験は、結果として起きていることだと改めて気づいた。誰かが見ていること、見られていることは、日常場面で、当たり前。日常だから過剰な意識はしていないのだが、なるべく日常の場面設定を設けたいと思う私は、当たり前にしていることを実践に活かすことが、不可欠な気がした。良くも悪くも、何に出会うのかは、場所、空間によって体験は、必ず変わってくる。他者の物語から私の物語に出会う力が呼び起こされる出会いは、舞台設定の要素が多いにあるので、当たり前のことができるような設定が対人援助には不可欠なのだろう。

   最終日、昨年泊まったホテルへ向かった。2011年3月11日のホテルの様子、自分の家の状況を話してくれた方々に会いに行こうと思った。手元に置いておいた『木陰の物語』の小冊子を持ち、向かった。私は道に迷い、多賀城公園を散策。もっと迷い、住宅街に突如現れる業務用スーパーに興味惹かれながら、たどり着いた。

   ホテルの方も覚えていてくださっており、ロビーで休憩させてもらうことになった。帰る間際、ホテルの方から、子どもさんの進路の話や無料で暮らしていた仮設住宅から、家賃が派生する復興住宅に引っ越す時期が来ている話を伺った。これまでと何かが変わる、変えることは、一筋縄にいかないと思い、私も自分の仕事が、どのような社会的役割になるのか考える機会になっていた。

    帰る間際、もう1人のスタッフが来られ、笑顔の再会。また、来るとは思わなかったらしい。私も会える確証は持ち合わせていなかったからだろうか…じわじわと来る喜びがあった。せっかく多賀城に来たら、その地のあちこちを行く。だけど、私はどうやらそうではない。時間軸の中で、去年お会いした人がいる場所から、冊子と一緒に旅をしている。一度きりの出会いかもしれないが、ネットワークを歩いてみているのだろう。それにより、個々人の異なる生活の営みから、復興の営みを垣間見ているのかもしれない。そんなに大きなことをしているわけではないかもしれないが、私の譲れないライフワークだ。これらをプロジェクト、そして、自身の携わる仕事に活かしていきたいと思った。毎年中心となり準備からしてくれた方々とも握手の再開と別れができたこともまた、励みになっていた。

多賀城市立図書館


図書館入り口の案内


館内の様子


家族漫画展

絵本と遊びのワークショップ

漫画トーク

スタッフの夕食会


フィールドワークで出会った史都多賀城万葉まつりの行列







acc