応用人間科学研究科 震災復興支援プロジェクト
震災復興支援プロジェクト活動報告
活動場所: 仙台市立寺岡小学校
教員1名 院生1名
活動日時:平成23年11月1日13時~2日17時
活動内容
・小学校校長・教頭による、震災時の学校や学校周辺の様子についての聞き取り
・障がい児の在籍するクラス(1年生)の授業見学
・クラス担任等への指導助言
・保護者(障がい児をもつ)による、震災時の生活場面の様子についての聞き取り
・医師による、震災時の医療現場の様子についての聞き取り
●街の様子
・飛行機からの見る沿岸部は、津波の爪痕がくっきりと残っていた。沿岸部の防災林が同方向になぎ倒されていた。
・沿岸部にある空港は、改修されており、被災したように思えなかった。しかし、外へ出ると、空港の周りは更地で、その端にがれきが種類別に積み上げられているだけだった。また、橋の一部やガードレールが壊れたままのものもあった。ところが、市街地へ進むと、何ら変わりのない普通の町の様子だった。場所や必要性によって、復興における変化の様子が大きい。
・レンタカーの営業所はプレハブで、車は各地から借りてきている。レンタルした車は岩手ナンバーであった。ガソリンスタンドの数が少なく、限定されていた。
●学校関係者より
・体育館の一部(屋根?)や窓が崩れ、避難所として使用できなかった。
・現在でも、遊具(鉄棒)が地盤の影響で使用禁止になっている。
・地域によって、学校における被災状況が大きく異なる。
●保護者(障がい児をもつ)より
・安否確認があっただけで、具体的な支援の提供は支援機関や学校からはなかった。
・行政機関からの情報や配慮はなく、むしろ近所の人同士の口コミ(どこの炊き出しがいいかなど)が有力で正確であった。
・子どもの世話のために、水汲みや食料確保がかなり困難であった。近所の人に代行してもらうなどの、近所での助け合いが必須であった。
・配給や炊き出しはあったが、障害者や子どもなどの弱者が優先されることはなかった。2~3時間並ぶのは当たり前で、それ以上並んでも、おにぎり2個しかもらえない状況。
・障がいのある子どもを抱えて、水汲みや買い物に並ぶことは大変困難であった。
●医療従事者(医師)より
・地震や津波の知識やその場の判断などの僅差が、生死をわけた。
・ガソリン不足のため、車で移動することができない。そのため患者の搬送もできず、電気などのライフラインも復旧するのに2週間ほどかかったため、最低限の処置や医療活動しかできない。
・同僚や医療従事者が津波で亡くなったこと、2次予防が困難だったために、数か月後に自殺で亡くなったこともあり、辛い経験だった。

仙台空港周辺
寺岡小学校