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2009年度研究会報告

第2回(2009.11.27)

テーマ 「占領期後半の憲法論議  -「憲法記念日」論説を中心に(1948-51年)-」
報告者 梶居 佳広(非常勤講師)
報告の要旨
 

現在「5月3日」=「憲法記念日」は、(「8月15日」=終戦記念日と共に)日本のほぼ全ての新聞が同一テーマの社説を掲載し、そのことによって各新聞の政治的立場が明らかになる日になっている。では、日本国憲法施行(1947年)以後において、「憲法記念日」を中心とした全国紙・地方紙の憲法論議はいかなるものであったか。今回の報告では連合国の占領期(1945-1952年)、特に憲法施行後の1948年以降に時期を限定して新聞論調を整理検討する。なお今回対象とする時期は、朝鮮戦争勃発・警察予備隊発足(1950年)を契機に再軍備問題が浮上し、以降現在に至るまで憲法第9条改正の是非が憲法問題最大の論点になっていることはよく知られているが、1948-49年極東委員会による憲法再検討の動きも重要といえよう。

 

結果、明らかになったことは以下のとおりである。まず1948年の「憲法記念日」はほぼ全紙が独自社説を掲載したが、(憲法施行日や公布日と同様)「理想と現実のズレ」を指摘して国民に憲法のさらなる理解を訴える「啓蒙型」の社説が多くを占めていた。意義として「平和主義と民主主義」を憲法の特徴として紹介するものや課題として政府の態度の他、国民にも「自由の行き過ぎ」がある点を指摘し「公共の福祉」を(人権制約条項として)強調する社説が多いことも特徴といえよう。48年8月「発覚」した憲法見直しについては、保守からの見直し提起と解して警戒する左翼紙(『民報』、『夕刊京都』)や再検討の意義(例えば参議院=二院制の是非)は認めるが時期尚早とする新聞など、理由は様々であるが見直しに慎重な新聞が大半であった。そうしたなか、在日華僑が経営する『国際新聞』が天皇の国事行為削除や一院制などを骨子とする憲法改正を「日本民主化の完成」として再三主張した点は注目に値するものといえよう。1949年、50年の「憲法記念日」社説は48年と同様の構成・内容の社説が多いが、共同通信論説を転載する新聞が増え、憲法を軽視する政府の批判(49年)や共産党批判(50年)の論調が目立った点に特徴がある。こうした憲法論議を変えたのが前述のように朝鮮戦争勃発と警察予備隊発足であった。もっとも、意見表明を控えるようになったのが一番の特徴であったが、地方紙論説に影響を与えた共同通信配信をみると、1950年7月時点は「再軍備や改憲を考えたくない」というが、翌1951年1月は「警察予備隊・再軍備合憲論」を主張している(ただしこの主張には批判的な地方紙も多かった)。そして5月3日(憲法記念日)になると「9条改憲やむなし」と他の人権条項擁護へと再度主張を変えている。ただ、全体に積極的に再軍備・改憲を主張する新聞は少数であって、大半は朝鮮戦争・警察予備隊という現実を追認しズルズル論調を変えたものであった。なお51年「憲法記念日」の社説は、従来型の啓蒙的な社説も見られる一方で記念日直前に発表された占領軍からの権限委譲声明に力点を置くものが非常に多いことが特徴であった。また共同通信論説の転載はさらに増加し、憲法に一切触れない新聞も目立つようになるが、このような論議を避ける傾向は占領終了後も続き、「憲法記念日」に憲法を論議する新聞は全国紙と一部地方紙に限定されるのがこの時期以降しばらくの傾向となった(いつ、今日のような状況になったかについては今後の課題である)。

梶居 佳広

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