東日本大震災から5年を振り返る 立命館の災害復興支援「宮城県編」 復興庁、宮城の学生と「肌で感じた復興を語る」震災からの5年。 東日本大震災から5年を振り返る 立命館の災害復興支援「宮城県編」 復興庁、宮城の学生と「肌で感じた復興を語る」震災からの5年。

2011年3月11日に発生した東日本大震災によって、被災された東北3県(宮城県、岩手県、福島県)での、本学の学生らによる復興支援活動と震災から5年を迎えた今の現地の方々の声を紹介します。

「宮城県編」では、2016年2月12日、立命館大学朱雀キャンパスで行われた復興庁宮城復興局 被災地支援班の渡邉薫さん、宮城学院女子大学の学生3名、立命館災害復興支援室、宮城県気仙沼市の鮪立(しびたち)でツリーハウスを建設するプロジェクトに参加している学生らが集まって行った情報交換会の様子をご紹介します。

復興庁の渡邉さんは、復興支援専門員として被災者支援・原子力災害復興班の仕事に従事されています。
行政の視点から、被災地で起きている新たな課題について語っていただきました。

課題は新たなステージへ。
仮設住宅で生まれている、コミュニティづくりの問題。

復興庁 宮城復興局 被災者支援班
渡邉 薫さん

現在、避難者や自宅に戻れない方は、発災当初の約47万人から2015年末の時点で18.2万人にまで減少しています。
しかし、これをもって「復興が進んでいる」と語るよりも、むしろ5年近く経っても未だにこれだけの人が帰れないという事実を重く受け止めなければならないと思っています。

避難者の方々のうち、約1割の方が親族・知人宅に、残りの約9割の方が公務員住宅や市営住宅、仮設住宅、応急プレハブ住宅やみなし仮設住宅に住まわれています。
また、市町村自治体が懸命に災害公営住宅の整備を進めて以いますが、被害の大きかった自治体はそれだけ時間もかかり、自治体によって復興の進捗の差が広がっています。

現在被災地域において、ソフト面で最大の課題とされるのが災害公営住宅でのコミュニティ形成です。先祖代々の土地を受け継ぎ、子どもの頃から顔なじみのご近所の方々と暮らしてきた方にとって、急に知らない方々と一から関係を構築しなければいけない状況は、相当なストレスが強いられるはずです。コミュニティ形成が上手く図られないと「孤立化」を招き、阪神淡路大震災でも取り上げられた「孤独死」の問題も浮上してくるのではと、大変危惧しています。

会場から「復興はどれくらい進んでいますか?」という問いがあり、被災地の大学に通う宮城学院女子大学の学生3名に、地元の様子についてそれぞれ語っていただきました。

一番困るのは復興の度合いを聞かれること

宮城学院女子大学 発達臨床学科
千葉 香里さん

私は石巻出身なのですが、個人的には50%ぐらい復興できたのかなと感じています。
今も月に一度は実家に帰っているんですけど、大きな商業施設の周辺は知らない街かと思うぐらい新しくなってきました。
でも、門脇のあたりはみんなの墓地にするという計画などもあるのですが、まだ荒れ地のままです。街の人の数も減ってしまったし、単純に「今までの状態に戻る」ということはできません。

では、どうなったら「復興」と言えるのか。個人的には、「色がほしい」と感じています。被災直後に転校しましたが、そちらでは春になると桜が咲くんですよ。でも石巻は津波の泥もそのままで、ほとんど白と黒しかない景色です。
そこに色が付けば「復興できた」と言えるんじゃないかと、私は思っています。

宮城学院女子大学 英文学科
門馬 礼音さん

復興には、人々の精神的な問題が一番重要だと思っています。私は仙台に住んでいるのですが、行事は元に戻りつつある気がします。
ただ、仮設住宅に暮らす方の心のケアは、まだまだ不足しているかもしれません。

宮城学院女子大学 心理行動科学科
服部 麗さん

震災前の状況に戻っただけでは「復興」とは言えないと思います。
私の家は福島の飯坂温泉という温泉街にあるのですが、被害はそこまでないのですが、お客様は全然来なくなりました。
震災を経て、その土地を知った人がどんどん足を運んでくれるくらいになれば、復興と言えるのかもしれないと感じています。

立命館大学 災害復興支援室
塩崎 賢明副室長

被害の度合いは街によって異なるので、どれだけ復興が進んでいようが、まだ取り残された人たちからすれば意味がないんです。最後の一人まで復興することが目標であって、「ここで終わり」と言えるものではないと思います。
ツリーハウスや防潮堤など、さまざまな取り組みがありますが、何かひとつだけで復興が完成するわけではありません。いろんな角度からいろんな活動を行い、すべての街、最後の一人まで元通り、あるいはそれ以上の暮らしに戻すということが復興の目的になると思います。

学生の皆さんの活動には、かたちの見えないものが多いかもしれません。しかし、いずれまた震災は必ず起こりますから、皆さんに体験していただくことは非常に有意義だと思います。
その体験を活かすにしても、伝えていくにしても、自身がやっていないとなかなかわからないことですから。

「東北にみんなが来たくなるような場所をつくりたい」という、ほぼ日刊糸井新聞(ほぼ日)の糸井重里さんが発案で立ち上がった「東北ツリーハウスプロジェクト」。
立命館は気仙沼市の漁師町・鮪立(しびたち)での建設プロジェクトに共同建設者として参画しています。2014年6月から、延べ47名の学生が現地に出向き、草刈りからスタートして2015年9月に第4号として完成しました。参加した学生が活動を通して感じたことを語りました。

私たちが足を運び、話を聞き、
周りに伝えていくことで東北に行く人が増えてほしい。

立命館大学 経済学部
坂本 瑞希さん

私は気仙沼にツリーハウスを建てるプロジェクトに参加しました。それまで「復興支援」というとがれき撤去などのイメージしかなかったのですが、いろんな人が参加してツリーハウスを建設していくなかで、「みんなが集まる場所ができるんだ」という実感がありました。

現地ではいろんな方の話を聞きましたが、つらさを乗り越えていこうとする人もいれば、あの日から立ち止まったまま動けないという人もいました。同じ出来事でも人それぞれの感情があって、私自身震災を経験したわけでもないし、自分のやっていることが本当に正しいのか考えてしまうことがあります。でも自分にできるのは、足を運んで、いろんな人の話を聞いて、周りに伝えていくことぐらい。もしかしたら、それをきっかけに東北に行ってくれる人が増えて、復興のきっかけになるかもしれないと思うので、活動し続けていきたいと思います。

立命館大学 法学部
森 恭平さん

ツリーハウスの建設活動当初は、学生のなかから「こんなことに意味があるのかな?」という声もありました。でも、「まずはみんなが集まって何かできる場所をつくろう」と取り組んでいくと、活動地域に住まわれているご近所の方が若者が活動していることを喜んでくれたり、「よくやってるね」と声をかけてくださる方もいたんです。なかには、帰省時にわざわざツリーハウスを見に来てくださった方もいたそうです。
「意味がないから」と止めてしまうのは簡単ですが、後からついてくる「意味」もあるのかなと感じました。

震災を報道する番組を見て、被災地に恐いイメージもあったんですけど、実際に行ってみると沿岸部の景色もキレイだし、ごはんもおいしいんですよね。
また気仙沼に行く予定があるので、これで終わりではなく、また新しいことに取り組めたらと考えています。

情報交換会を終えて

立命館大学 災害復興支援室
山口 洋典副室長

「被災地という地名はない」
報道でも「被災地では…」といった表現をよく耳にします。しかし、そうして取り上げられる風景には、それぞれに、まちの名前があります。
今回の情報交換会でも、例えば石巻市の門脇地区、気仙沼の唐桑町の鮪立地区など、細かな地名も出てきました。
また、福島の飯坂温泉のように、まちの人たちが大切に思っている場所の名前も出てきました。逆に言えば、距離が離れた支援を重ねるからこそ、「被災地」と一括りにして扱うことが、そのまちの人たちとの精神的な距離を遠いものにしてしまうのではないでしょうか。

また復興を考える上では、「被災者」という表現も乱暴なものとして位置づけられるでしょう。現地に暮らす方々、ときには亡くなられた方々も含めて、きちんと名前を覚え、名前で呼び合う関係を結ぶということ、それが廻り回って、次の災害が起きたときに「あの人のまちは大丈夫か」と、支援の輪が広がる原動力となるでしょう。「現地の方々に喜んでもらえるように」(坂本さん)、「活動の意味を見出し」(森くん)、「1%でも前よりよいかたちにする」(塩崎先生)、改めてこれまでの活動の意義を見つめ直す機会をいただけましたことに感謝しています。

立命館と宮城県の関わり

「東北ツリーハウスプロジェクト」で建設してきたツリーハウスは2015年の夏に完成し、8月7日にお披露目会を開催しました。お披露目会では、建設に関わってきた学生たちもイベントや屋台のお手伝いをし、現地の方々と一緒に過ごしました。
現在、ツリーハウスは現地の子どもたちの遊び場や、地域の方のイベント開催場所等で使用されています。

立命館では、「東北ツリーハウスプロジェクト」に関わる活動以外に、復興庁が実施されている「復興支援インターン」「夏季集中ボランティア活動」や学生が自主的に活動する宮城県のボランティア活動のサポートも行っています。

東北ツリーハウス観光協会