被災者最優先 

 2016年4月14日、16日の2度、熊本県阿蘇地方を中心に大地震が襲った。震度7、前震・本震と2度の大きな揺れでライフラインが寸断されるなどの大きな被害が出て、9カ月経った今も1千人以上が仮設住宅での避難生活を強いられている。同地のシンボルでもある熊本城に至っては完全な復旧に20年以上の年月を要するという。局所的に甚大な被害が出たこともあって東日本大震災以来の特定非常災害に指定されたものの、首都圏から遠い都市部が襲われたこと、地震の規模に比して人的被害が少なかったこと、さらには津波や原子力災害など広域的かつ連続的な状況把握が求められなかったことなどもあり、ボランティアが駆けつけ始めた5月の大型連休を過ぎると被害に比して報道量も徐々に少なくなっていった。
 立命館災害復興支援室は「心を寄せて、距離を越えて」をモットーに、息の長い支援を活動の柱に据えている。東北で今日まで活動を続けていることも、その方針に添ったものだ。東日本大震災の支援のために学園(小学校、4つの中学・高等学校、立命館大学・立命館アジア太平洋大学<APU>の全ての支援窓口として)設置された支援室だが、今回の地震により熊本・大分も支援対象となった。
 今回の地震ではAPUのキャンパスにも被害が出た。そうしたなか、現地と長い関係性を築くために取り組んだのが、育つ場を共有できる農業ボランティアだった。支援に駆けつけた先は、震源地となった熊本県阿蘇郡益城町の東隣に位置し、家屋倒壊で5人が犠牲者とった西原村。西原村では災害ボランティアセンターによる聞き取りで、田植えのほか、サツマイモ(唐芋)の作付けなどの大事な時期と重なったために、「家が片付かず、農作業に手が回らない」「作付け時期に間に合わない」といった要望が拾われていた。5月5日、その声に応える形で「西原村農業復興ボランティアセンター」(現・西原村百笑応援団)が発足。支援室では、設置以来の活動を通して深めたネットワークを通じ農業ボランティアの活動が始められることに触れ、農家の方々の生活再建の支援のために、一緒に作業場の片付けや農作業などを手伝うプログラムがスタートした。
(活動レポートはこちら→https://www.ritsumei.ac.jp/fukkor/report/detail/?id=9
 ここでは5月に唐芋の苗を植えるところから10月の収穫まで携わった安藤初さん(産社3回生)、河原瑞季さん(スポ健2回生)、戸上雄揮さん(法1回生)に加え、本学卒業生でもあり熊本県大阪事務所の島添大輔さんに、震災直後からの現地の様子、5月からの活動、熊本の復興への思いなどについて語ってもらった。

参加メンバー

熊本県大阪事務所
くまもとビジネス推進担当課長
島添 大輔さん
 
産業社会学部 3回生
熊本第1~4便参加
安藤 初さん
 
スポーツ健康科学部 2回生
熊本第2~4便参加
学園祭リーダー
河原 瑞季さん
法学部 1回生
熊本第2~4便参加
熊本県玉名市出身
戸上 雄揮さん

現地と細くとも長い関係性を築き、先々を見据えた農業ボランティアに取り組む

学生のみなさんにお聞きします。この活動に参加したきっかけと参加してみて感じたことは?

安藤『CAMPUS WEB』(学生向けの情報掲示板)にアップされていた参加者募集のお知らせが目に留まり、テレビで見て気になっていた熊本の様子を自分の目で確かめたいと思ったのがきっかけです。ボランティアは初めてだったので、大学のプログラムとして参加できる安心感もありました。また、3回生になったこともあり、この体験を通じ自分が変われればと思い参加を決めました。
地震から1カ月も経たないなかで行われた5月11日出発の第1便は、現地での滞在時間が数時間という0泊3日の弾丸プログラムでしたが、お世話になった現地の方たちの温かさ、熊本の豊かな自然、景色・雰囲気の良さを肌で感じ、支援したいというだけでなく、単純にまた来たい!と思い、2回目も以降も参加しました。バスではなくフェリーで駆けつける活動でしたので、船内でメンバーと過ごした時間も貴重でした。それらもあって、活動で知り合った仲間を通じ、支援室によるプログラム以外でも2回熊本を訪れ、仮設住宅での傾聴ボランティアなどをも行いました。

阿蘇を臨む雄大な景色
阿蘇を臨む雄大な景色
被害の様子
被害の様子
メッセージ
メッセージ

河原派遣プログラムに参加する前に、関西で募金活動を行いました。その際、「現地では苦しんでいる人がいます」「熊本の人たちは困っています」など、あたかも自分が見てきたり、実際に被災した方と会ってきたように募金を呼びかけることに、とても違和感を覚えていました。そんな時、一緒に活動をしていた先輩からこのプログラムのことを教えていただき、自分の目で見て、感じてから行動するいい機会だと思い6月の第2便に申し込みました。一度、現地の状況を見たらモヤモヤした気持ちは消えると考えていましたが、それ以上に西原村でお世話になった農家の曽我さんなど人の温かさに魅せられ第3便、4便と続けて参加しました。

戸上僕は熊本市に隣接する玉名市出身です。熊本市などと比べ被害は少なかったのですが、4月16日の未明に起きた本震後は実家ともなかなか連絡が取れないような状況でした。熊本の大学に通っている友人から現地の声を聞き不安な気持ちになったのを今でも覚えています。まさか自分の故郷で大きな地震が起きるとは思ってもいなかったので、関西にいる自分に何ができるのか、何をすべきなのかを考えるようになりました。
これまでボランティアにも興味がなく、どう行動していいのかも分からなかったので、キャンパス内でボランティア情報などを取りまとめているサービスラーニングセンターに足を運びました。そこで学生コーディネーターの方に「まずは情報収集をした後、現地の体制が整ってから活動を始めるように」というアドバイスをいただき、少し気持ちを落ち着かせることができました。
僕が第2便で現地に入ったのは6月4日で、地震から1カ月以上経ってからでした。何度か訪れたことのある益城町の変わり果てた様子を見て、故郷のために何かやらなければという気持ちがさらに高まりました。西原村では農作業のお手伝いだと知って参加しましたが、言葉は変ですが楽しかったというか、それまでのボランティアのイメージとはまったく違う感じでした。夏休みに帰省した際には、お世話になった農家の曽我さんを訪ねたり、のちに学園祭で販売したスティックポテトの揚げ油をつくっている堀内製油さんの工場を見学させていただいたりしました。また、11月には知り合いを通じて仮設住宅を訪問したりもしました。これらを通じ、自分の故郷でもある熊本の良さをもっと多くの人に知ってもらおう、それが自分にできることではと考えるようになりました。

船内ミーティング
船内ミーティング
仮設住宅
仮設住宅
曽我さんとの交流
曽我さんとの交流

大阪事務所で熊本県のPRや在阪企業との産学連携・企業誘致などの仕事を担う島添さん。震災当時のご自身の様子を聞かせてください。

島添4月14日の地震当日は、たまたま残業で事務所にひとりで残っている際に、マスコミからかかってきた電話で、熊本で大きな地震が起こっていることを知りました。21時26分に起きた地震でしたが、結果としてその日は事務所に泊まり、徹夜で情報収集、報道機関などからの問い合わせ対応に追われました。翌日も他の職員と引き続き対応にあたり、夜に一旦帰宅。そこに再び現地を大きな地震が襲いました。後に前震とも呼ばれる1回目の地震では、それほど被害はなかったのですが、続く午前1時25分に起きた2回目の本震で被害が広がり、熊本城の哀れな姿や橋の崩落など、皆さんが報道で見られたような状況になりました。また、熊本には自動車部品メーカーや半導体など精密機器の工業が数多くあり、その一部が操業を停止するなどの被害も出ました。
大阪事務所は、出先機関で復旧、復興に直接関係した業務を行うわけではありません。そのため、震災関連では、義援金の受付のほか、情報収集に努め関係各位に地元の状況を説明するなどが主だった内容でした。
立命館大学とのつながりは、2度目の活動のことを伝えた地元メディアの報道で知り、私の母校だった関係もあり、御礼のメールを送らせていただいたのが最初となります。その後は、学園祭関連でのご協力や授業、イベントなどで熊本をPRする機会をいただいています。立命館大学はもちろん、多くの企業や一般の方々からご心配、ご支援をいただき、本当にありがたいと感じています。

支援、つながりの輪を広げるバトンリレー

活動の中で印象に残ったことは?

安藤戸上くんが先程触れた通り、今回の活動は瓦礫の撤去など現場復旧の作業ではなく、唐芋の苗付けなど農作業が中心でした。そのため、いわゆるボランティアという感じではなく、お世話になった農家の方と触れ合いながら楽しく作業したという印象が強いです。周囲から見れば、それが支援?と思われるかもしれませんが、農家の方にしてみれば、自宅や畝などが壊れた農地を整備しながら、苗付けや種まきなど時期が限られている作業を行わなければならず、この期を逃すと秋の収穫が得られず収入を失うという事態を招く恐れがありました。復旧も大事ですが、その先の復興を見据えた活動だということを、往復のフェリーでのミーティングや現地での活動をコーディネートしてくださっている方々から伺い、活動の重要さを改めて感じました。こうした活動のお陰で、現地の人々とコミュニケーションを重ねることができ、さらに熊本の良さを知り・感じることができました。
個人的なことで言えば、普段の旅行ではお土産などを買わないほうなんですが、熊本に行くたびにお土産を買って帰っています。地元の方に教えていただいた名産品を帰りのサービスエリアで購入し、それを家族で食べたり、友だちに美味しかったと口コミすることなど、そうした些細なことも、何かしら復興支援につながっているのかなとも感じています。

河原私たちが手助けするという感じではなく一緒にやろうというムード、雰囲気で作業できたのがとても印象的でした。梅雨の時期とも重なった6月のプログラムでは、雨で作業が中止になったために西原村農業復興ボランティアセンターの世話人である河井昌猛さんなどからじっくりお話を聞くことができ、それがとてもいい経験になりました。私も災害ボランティアは現場で埃にまみれながら作業している人が中心というイメージでした。ところが、実際に現場でボランティアに対応している方々に触れたことで、それ以外にも裏方として受入態勢を整えたり、計画を立てたり、人員の割り振りをしたりする方(ボランティアコーディネーター)がおられ、そうした方々が現地に張り付いて活動されているからこそ、私たちのようなスポット的にやってくる学生ボランティアも何不自由なく動けることが分かりました。
また、私たちが現地で農作業をお手伝いする以前には、種まきや苗付けを前に、壊れた畝を修復するなど農地の整理を行ったボランティアの人たちがいたことも忘れていけません。そうしたさまざまなつながり、バトンリレーの大切さに気付けたことも、今後、活動を続けていくうえでは良かったと感じています。

戸上この派遣プログラムに参加してまず驚いたのが、ボランティアに参加する人がこんなにいるんだということです。僕は熊本出身なので、参加への思いが多々あるわけですが、他のみんなは「なぜ熊本に来てくれるんだろう」と、とても不思議に感じていました。しかし、安藤さんや河原さんなど一緒に参加したメンバーが、現地の人々はもちろん、熊本の自然やご飯のおいしさなどを「素晴らしい」と言ってくれて、高校まで18年間住んでいる時は、さほど意識していなかった“熊本の良さ”を再認識することができました。

河井さんのお話
河井さんのお話
唐芋の苗付け
唐芋の苗付け
唐芋の収穫作業
唐芋の収穫作業

学園祭での模擬店出店と展示企画につながっていきました。経緯や当日の様子を教えてください。

河原唐芋を苗付けした第2便の帰りのフェリーで、「現地の活動だけでなく大学を含め関西でも何かできることがあるのでは」と、みんなで話し合ったのがきっかけです。大学に帰ってからも、参加したメンバーを中心に定期的に集まり議論を重ね、『くまだす+R』という団体を結成しました。
それから、「唐芋をどうやって販売しようか」とか、「展示などを行って熊本地震のことをもっと知ってもらおう」とか、「実際に熊本に足を運んでもらえるように、その良さをPRできないか」など、定期的に仲間で集まり話し合いました。島添さんのところにもお話を伺いに行き、「唐芋のおいしさを伝えるために芋を素揚げしたらどうか」と、熊本産の油なども紹介していただいたので、100%熊本産で揃えた“スティックポテト”を販売しようということになりました。展示にも大阪事務所を通じ資料を提供いただくなどご協力をいただきました。
自分たちが作るものが本当に売れるのかなど不安もありましたが、学園祭当日は、たくさんの人に集まっていただき、「美味しい」と言って食べてくださる姿を見て、やってきて良かったとホッとしたことを覚えています。

戸上反省点を挙げるとすれば、“スティックポテト”を作る際に、もう少し工夫できたかなということです。素人なので仕方ない部分もありますが、私たちの力では、食材の本当の美味しさを伝えきれなかったと感じています。そこが少し心残りです。でもそう思えるようになったのも、今回の活動に参加したからこそ。そうでなければ、いつものふるさとの味でしかなかったと思います。

安藤その場の雰囲気で、「やりたいね」だとか、「それいいね」という会話は友人ともよくしますが、それが実際に実現する経験をこれまで味わったことがありませんでした。学生でもやる気になり、みんなで力を合わせれば可能なんだなということを、今回の活動を通じて学び、実感しました。
また、『くまだす+R』の活動は、1回1回の現地での活動をその場限りのものにせず、仲間と現地での活動の反省なども含め、将来に向け話し合ういい機会になりました。これまでひとつのことに本気で向き合うことがあまりなかったので、とても新鮮な経験でした。

島添現地での活動を通じて感じ思ったことを、学園祭などを通じで実現してくださったことに、感謝していると共に、とても感動しています。戸上さんの反省点も行動したからこそ出てきたものでしょう。こうした活動のつながり、広がりが被災した地域にとっては大きな力となります。本当にありがとうございました。
農業ボランティアは、新しい活動の形だと思っています。被災し悲しみや絶望のなかにある人たちから、それらを背負いつつも、「作物が成長する姿、実りを見て、もう一度頑張ろうと思えた」という話をうかがいました。急がば回れではないですが、復旧以上に現地の復興を考えてくださった多くのボランティアの方々のお陰で、地域にも少しずつ活力が戻りつつあります。

収穫した唐芋
収穫した唐芋
模擬店に並ぶ行列
模擬店に並ぶ行列
展示の様子
展示の様子

みなさんの今後についてお聞かせください。

安藤今回の活動は名門大洋フェリーさんをはじめ、阿蘇ホテルさんなどたくさんのご支援、ご協力(交通手段、宿泊など)があったからこそ実現しました。ボランティアを通じ、私も初めて熊本へ行きましたが、本当にいい所です。今後は、いろいろなカタチで熊本の良さを発信し、より多くの人に足を運んでもらえるようにできればと思っています。
今回の活動を通じ、現地で活動するだけがボランティアではないことに気付くことができ、旅行で訪れたり、物産を購入したり、それを口コミするだけでも支援と言うと大げさですが、支えになることが分かりました。こうした小さなことの積み重ねの輪を広げていければと思います。

河原一度、母校(立命館宇治高校)で、熊本での活動について話す場をいただき、人に伝えることの難しさを痛感しました。今後は、こうした伝える場を増やすなどして、熊本地震のことを風化させないお手伝いができればと思っています。

戸上熊本は自分の故郷でもあるので、その熊本をもっとアピールし、多くの人に来てもらえるような企画ができないか考えているところです。まずは4月に学内でイベントをしようと企画中です。もっと「熊本に行きたい」と思っていただける人を増やしたいですね。

島添学生のみなさんには、あまり肩肘を張らず、楽しむと言うと変ですが、自分のできる範囲の活動を続けていただければと思います。私たちから見ても十分にやっていただいているのにも関わらず、「もっとできるのではないか」「これでいいのか」と自らを責められる方がいらっしゃいます。熊本、震災のことを忘れていただきたくはないですが、一度熊本に関わったからといって、ずっと何かを背負う必要もありません。広い視野で物事を見ていただき、その時その時で自分ができることに集中してもらえればと思います。
まだ復興は道半ばですが、熊本県としても県民や来ていただいた方が少しでも元気になっていただけるようなイベントなどを開いていければと考えています。そのなかで、また、皆さんにもご協力いただくことがあるかもしれません。細く長く良い関係が続いていくことを心より願っています。

名門大洋フェリー
名門大洋フェリー
阿蘇ホテル
阿蘇ホテル
お土産を物色
お土産を物色

関わったからこそのバトン。バトンや襷はゴールまで運んでこそ意味がある。現地を訪れたからこそ、共に体験したからこそ、馳せられる思いやイメージもある。それぞれのその先へ…。明るい未来へ向け、バトンはリレーされていく。