ミュージアムに訪れたもと端島在住の80代の女性に陸奥の沈没当日のお話をお伺いしました

バーンという音がして家が下から浮き上がるようだった。
爆弾とも地震とも違う。父が『早く出ないと家の下敷きになる!』と叫び、皆で家の外へ出た。

2007年6月9日 もと端島在住の80代女性より聞き取り

6月9日、国際平和ミュージアムに訪れたもと端島在住の80代女性より
戦艦陸奥が沈没した日の貴重なお話をお伺いすることができました。

Q:島の人たちにとって陸奥はどんな存在だったのですか?

A;島の周りに戦艦が隠れていて、暗いうちに出かけ、島の人たちは手を振って戦艦を見送っていた。
2週間くらいすると帰ってきた。島の人たちは将校たちと仲良くなり手紙のやりとりをした。

Q:陸奥が沈んだ時のことを教えてください。

A:その日は将校たちが家に遊びにきており、お昼をふるまっていた。
茶碗を持って食べていたら、バーンという音がして家が下から浮き上がるようだった。
爆弾とも地震とも違う(衝撃だった)。
父が『早く出ないと家の下敷きになる!』と叫び、皆で家の外へ出た。
遊びに来ていた将校たちが、すーっと帰っていった。

Q:陸奥が沈んだことをどのようにして知りましたか?

A:1時間くらいたって今のは何だったのか、島の外側へ出てみたら、陸奥だけいなかった。
戦艦の姿は知っていたので、陸奥が沈んだと分かった。

Q:陸奥が沈んだ後どのようなことが起こりましたか?

A:軍艦から将校たちが島に上がってきて、
『今から島に流れ着いたものに触ってはいけない。』
『軍艦が一双見えなくなったことを言ってはいけない。』と言った。
服・手・足・頭が流れ着き、(それらを)他の軍艦の兵が集めて歩いた。
(兵隊たちは)その日のうちに無人島に死体を持っていき、油をかけて焼いていた。
毎日毎日焼いて、島まで臭いがした。


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