久間章生・前防衛大臣の「原爆しょうがない」発言についての館長声明

立命館大学国際平和ミュージアム・館長 安斎育郎

伝えられるところによると、久間章生・前防衛大臣(衆議院議員・長崎2区選出)は 2007年6月30日午前千葉県柏市の麗澤大学で行なわれた講演会において アメリカの広島・長崎への原爆投下が日本を無条件降伏に導き ソ連の北海道占領を防いだという認識を示し、「無数の人が悲惨な目に遭ったが あれで戦争が終わったんだという頭の整理で今しょうがないなと思っている」と述べた。 原爆によってもたらされた地獄の惨状を「しょうがない」の一言で片づけ、原爆投下はソ連による 北海道占領を防ぐための措置として意味があったかのような印象を与えたこの発言は、 被爆地広島・長崎はもとより、日本全国で大きな反発を招き、結果として久間氏は 防衛大臣を辞任するに至った。安倍晋三首相は当初「(久間氏は)アメリカの考え方を 紹介したものと承知している」と擁護的弁明を行なったが、世論の反発の大きさを見て 同大臣に厳重注意をしたものの、罷免要求には応じなかった。 参議院議員選挙を控える中での政治力学が「防衛大臣辞任」という 重大かつ急速な事態の展開を招いたものだが、久間氏の発言は「辞任」によって 不問に付されるべきではない重要な内容を含むので、以下に批判的な検討を加え 立命館大学国際平和ミュージアム館長として声明を発することとする。

久間氏の発言の当日、私は7月28日から公開されるアメリカ映画『ヒロシマ・ナガサキ』の スティーヴン・オカザキ監督との対談に臨んでいた。同映画は、被爆時に10~20歳代だった 11人の被爆者と、原爆投下に関わったアメリカの兵士や民間人の証言をもとに、 原爆投下の非人間性を克明に暴き出した優れた作品である。 政治的立場を前提とせず、原爆がもたらした地獄の惨状を客観的に描出しようとしている点で、 この映画は、戦後支配をめぐる米ソ間の確執や、日本の戦争責任をめぐる政治的見解にかかわりなく、 誰もが鑑賞するに値するものである。 ここに赤裸々に描き出されている非人道の極致を目の当たりにすれば、いかなる理由にせよ、 あの原爆投下を「しょうがない」の一言で片づけるような無情な考えには陥らないであろう。しかも、 久間氏は長崎出身であり、人一倍原爆被災の残忍性に敏感であるべき立場にある政治家であり、 日本の安全保障問題の最高責任者の一人である。スティーヴン・オカザキ監督との対談の中でも、 久間氏こそこの映画を鑑賞すべきであるとの話も出されたが、被爆者たちが受けた癒し難い心の傷を 「しょうがない」という無情な言葉で切り捨てた久間氏の残忍なまでの無頓着は、 アメリカの「核の傘」に身を寄せる防衛最高幹部の発言であるだけに、 「本音ではアメリカの核兵器を肯定し、敵に機先を制するために核兵器を使うことに価値を見出すような 核兵器観をもっているのではないか」という疑念を惹起し、核兵器廃絶を切望する被爆者たちの心を 蹂躙したものと言うべきであろう。この映画の中で、長崎の被爆者・下平作江さんは 「妹は苦しさの余り自ら命を絶って〈死ぬ勇気〉を選んだが、 自分は〈生きる勇気〉を選びたい」と述べているが、結局のところ「被爆者は〈人間らしく生きること〉も 〈人間らしく死ぬこと〉も許されない」という鎮痛な思いを表明している。久間氏の発言は、 このような被爆者の苦悩を全く理解することなく、国家間の政治ゲームの中で核兵器使用さえも 「しょうがない」ものとして結果的に是認していくような、核兵器廃絶の国民的悲願とは 真っ向から対立する思考法と言わなければならないであろう。

久間発言は、また、原爆投下という事態を招くことになった日本の侵略戦争を起こした 政治指導者たちの責任を曖昧にするものであるとともに、非戦闘員も含めて夥しい数の日本人を 無差別に殺戮したアメリカの戦争責任をも免罪する二重の誤りを内包している。 原爆投下は、日本の侵略戦争の前史ゆえに正当化されるものではないが、 日本があの侵略戦争を起こさなければ原爆投下がなかったことも明白であり、その意味において、 絶対的国防圏を次々と破られ、東京をはじめとする都市空襲によって70万人とも言われる犠牲を招き、 本土防衛と称して熾烈な沖縄戦を戦って壊滅的な敗北を喫しながらなお戦争終結の時宜を失い、 ついには原爆被災という事態を招来した国家指導部の責任は重大であり、それをしも 「しょうがない」の一言で片づけることは極めて不当と言わなければならない。また、被爆者が 「絶対悪の兵器」と考えている核兵器を、「ソ連の機先を制し、アメリカの手によって 戦争終結を有利に導く」という思惑から無差別戦略爆撃の手段として実際に使用した アメリカの戦争責任を、「しょうがない」の一言で免罪することも到底正当なこととは言えない。

以上の視点から、私は、日本の安全保障政策に責任を負うべき防衛大臣が、 核被害の本質に関する深い理解もないままに、また、核兵器を一日も早く廃絶するという 国民的悲願をも踏みにじって、核兵器の使用を「しょうがない」ものとして是認するという 驚愕すべき発言を漏らしたことを重く見、久間防衛大臣の辞任に当たって 今次事態の本質について思うところを述べるとともに、日本政府が原爆投下の非人道的な本質を見据え、核兵器廃絶に向けて国際的なイニシャティヴを発揮することを心より求めるものである。

上のとおり声明する。

2007年7月3日


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