沖縄返還後の「核持ち込み密約」を示す米公文書についての声明

立命館大学国際平和ミュージアム・館長 安斎育郎
広島市立大学広島平和研究所・所長   浅井基文
長崎平和研究所・所長         川原紀美雄

伝えられるところによると、日本大学の信夫隆司教授が2007年8月にアメリカ国立公文書館で入手した文書に、「1972年の沖縄返還後、有事に際して米軍が日本に核兵器を持ち込むことを日本側が認めていた」ことを示唆する密約の存在が明記されていることが明らかになったというのである。この密約の存在は、すでに、日本側の秘密交渉役を務めた故・若泉敬京都産業大学教授の著書『他策ナカリシヲ信ゼムト欲ス』(文芸春秋社、1994年)において明らかにされていたことであるが、今回、アメリカ側の文書によって改めて裏付けられることになった。

1969年にリチャード・ニクソン大統領と佐藤栄作首相が「沖縄の核抜き・本土並み返還」に合意するに先立って行なわれた事前の秘密交渉の過程で、ヘンリー・キッシンジャー大統領補佐官がニクソン大統領に提出したメモに、次のような内容が書かれていた。

すなわち、11月12日付のメモのタイトルは「沖縄返還後の米国の核持ち込みと繊維問題に関する日本との秘密交渉」となっており、そこに、「返還後の沖縄への核兵器持ち込みと繊維問題に関する秘密の合意に伴う佐藤首相とあなた(=ニクソン大統領)の台本となるべきゲームプランだ」と説明されているのである。そして、同じ日付の添付文書にも、「核問題」の項目に「共同声明の秘密議事録(secret minute)」という表現で「核密約」の存在が明記され、同月21日に予定されていた首脳会談での両首脳間の想定問答について説明している。その内容は、若泉敬氏が前掲の著書において、「キッシンジャー補佐官から手渡された」文書として紹介している内容とほぼ同等である。そして、翌11月13日付の大統領宛のメモでも、「ゲームプランは昨日午後、Yoshida氏(=若泉氏の暗号名)と私の最終的な会談で確認された」と報告されている。

日米首脳間で「有事の核持ち込み」についての密約があったことは若泉氏の著書や今次資料で極めて明白であるにもかかわらず、高村正彦外務大臣は、驚くべきことに、依然として「密約はなかった」との見解を表明している。核密約の存在は国際社会でも問題とされ、佐藤栄作氏のノーベル平和賞受賞に対して疑念が向けられたことも周知の事実である。

私たちは、国民に対する政府の約束は、最高法規としての憲法上の規定はもちろん、首脳間の合意文書のような外交上の約束であれ、「核兵器を持たず、作らず、持ち込ませず」の非核3原則のような「国是」であれ、厳正に守られるべきであると確信する。それは政治に対する国民の信頼を支える不可欠の要件であり、ましてや、広島・長崎の原爆被災を体験した日本であれば、核兵器の持ち込みについて政府が国民を欺くなどということは、絶対にあってはならないことと言わなければならない。

安斎・浅井両名は、『論座』2007年11月号において、東京大学の藤原帰一教授の「拡大核抑止政策(核の傘政策)肯定論」を全面的に批判したところであるが、日本の安全保障をアメリカの核兵器に依存するこの政策は、有事におけるアメリカの核持ち込みを認める「密約」とワンセットのものとして存在しているのであり、その点でも、アメリカの拡大核抑止政策に身をゆだねる日本の安全保障政策の危険性・欺瞞性を改めて指摘せざるをえない。

奇しくも10月8日は、故・佐藤栄作氏のノーベル平和賞受賞決定からちょうど33年目に当たる。この機会に私たちは、国民を裏切る密約外交の暗部が徹底的に解明されることを求めるものである。

2007年10月8日


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