8月8日(火)、挑戦的萌芽研究「平和博物館における戦争体験継承のための展示モデル構築」プロジェクト第4回ワークショップを開催しました

2017年8月8日(火)、挑戦的萌芽研究「平和博物館における戦争体験継承のための展示モデル構築」プロジェクト第4回ワークショップを開催しました

ワラースタイン氏による報告

 

 2017年8月8日(火)、科研費挑戦的萌芽研究「平和博物館における戦争体験継承のための展示モデル構築」プロジェクトの第4回ワークショップ「Remembering the Saved City: Kyoto, the Atomic Bomb, and the Nuclear Taboo」を開催しました。

 

 科学技術史が専門で、原爆投下をめぐる言説についての調査や原爆投下シュミレーションを行うウェブサイトの設計など多面的な活動を行っているアレックス・ワラースタイン氏をお招きし、京都が原爆投下候補地のリストから外れた経緯、その後この過程がトルーマン政権における核兵器の文民統制に及ぼした影響について、報告をいただきました。
 京都は、原爆投下候補地になったものの、貴重な文化財があることを理由に投下を免れたとしばしば言われています。しかし、実際には、京都は有力な候補地としてリストに上がっていました。京都を投下候補地から外すよう、スチムソンがトルーマンに直訴したことで京都は原爆投下を免れることとなりました。
 ワラースタイン氏は報告の中で、スチムソンは、文化財の存在ではなく、京都に原爆を投下すれば女性や子どもを殺害することになり、その汚名を防ぐため京都を投下候補地から外すことの必要性を唱え、トルーマンがこれを受け入れたことを示しました。また、大統領就任後日も浅かったトルーマンは原爆は軍事基地に投下されると認識していたものの、一般市民も多数住む都市が破壊されたため、戦後は核兵器の文民統制を強くしたとの見方を示し、京都がトルーマンによる核兵器の文民統制強化において大きな役割を果たしたことを示されました。
 参加者との質疑応答では、スチムソンがこのような見方を持った理由として、戦間期、日米関係が良好な時期に日本を訪れた経験が作用していたのではないかとの推測などが議論に上りました。今後更に、京都と原爆投下に関する関係が明らかになることが、期待されます。

 

科研費挑戦的萌芽研究「平和博物館における戦争体験継承のための展示モデル構築」
第4回ワークショップ
「Remembering the Saved City: Kyoto, the Atomic Bomb, and the Nuclear Taboo」
日時:2017年8月8日(土)14:30~17:00
場所:立命館大学国際平和ミュージアム 2F会議室
報告:アレックス・ワラースタイン氏(Stevens 工科大学・准教授)


アレックス・ワラースタイン氏   報告を聞く参加者

▲アレックス・ワラースタイン氏

 

報告を聞く参加者


 


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