立命館大学戦後50年平和企画特別展:沖縄戦 感想文

沖縄戦「うちなんちゅー」がおしえてくれたこと--------感想文

どんな本を読むよりも、実際に経験した人の言葉は重く心に残りました。何によりも無知が一番こわいこともです。でも現在のマスコミも本当に真実を伝えているとはいえず、私たちはどうして本当のことを知ればよいのでしょう。主権在民となって久しく、教育のレベルも高いといっても、政治に無関心な若者も増え困ったことだと思います。大きな事は出来ませんが、毎日小さな事でも、自分に出来ることを一つでも実行して平和のために役立ちたいです。夏休みになりますので近所の親子を案内してきます。(一般 女 50代)

探し求めた父の名が見つかり、写真に撮った。胸が詰まる思い。無念だったと思い、しばし離れられない。帰りに、また見つつ別れる。いつ生きて帰るかと娘の頃に思い、どんな顔をしてお帰りを言おうかと思っていたが、ここで思いがとまった。ごくろうさんでした。(一般 女 50代)

ばくだんのはへんが、あのような物だとは思わなかった。ばくだんのはへんをさわったのは、もちろん生まれて初めてだ。小さいはへんでも、まあまあ重く、少し大きい物だったら、両手で持ちあげなければならないほどだった。このような物は、どこででも見られるような物ではない、きちょうな物だと思った。ここに来て、戦争のことなど、いろいろなことをまなんだ。知らなかったことも分かったから、来てよかったと思う。また機会があれば来たいと思う。(小学生 女 10代)

住民が日本兵に殺される、というのはたまらないことですね。私の父の弟が沖縄で戦死しています。「やさしい子だった」と祖母が言ってましたけど、はたしてどんな状態でいたのでしょうか。沖縄の犠牲の上に今の日本の繁栄があるのだとしたら、今もまだ犠牲を強いていることに怒りをおぼえます。(一般 女 40代)

沖縄だけこんなことになったのはなぜだろう。(小学生 男 10代)

父が沖縄で戦死しておりますので参りました。加害者でもあることを強く感じました。(一般 男 50代)

写真や証言など真実にせまるものがあって、とても印象に残りました。これらの事実をしっかり受けとめて、将来にわたってこれらの悲惨な戦争を二度とおこさないように自ら行動していくつもりです。未だ、米軍が沖縄に居座っている事実もとてもおかしいと思う。再び戦争がおこることのないような平和な世界を残していくためにも、これらの展示はしていってほしいと思います。(学生 男 20代)

敵、味方の別なく軍というものと住民の共生などあり得ないことを実感しました。石川県小松市の小松基地横の立て看板には「基地こそ平和の第一線だ」というようなものがあります。戦争、軍隊というものを拒否するにはどうしたらよいのか。この夏考えます。(学生 男 20代)

何とも言えない気持ちになります。やっぱりわたしがうちなんちゅーだからこそこう感じてしまうのかもしれないのですが。こっちの大学に出てきてから、本土の友人と沖縄戦について話す機会が何度もあったのですが、やはり、というか、残念なことに沖縄戦はあまりよく理解されていないようです。これまで受けてきた教育の違いかもしれないけれど、ショックでした。沖縄の人や島に対してひどいことをしてきたアメリカ人や日本人のことを憎いと思うことは何度もあったけれど、本当に本当に憎むべきものは戦争なんですよね。沖縄戦について、ずっとずっと伝えていってほしいです。私も、私なりに得た知識を次の世代に伝えていくお手伝いをさせていただきます。以上。(学生 女 10代)

高3の1年のみ、沖縄で暮らした僕にとって、つらい思いをされた人々は、僕が接したあの人たちがと思うと、つらい。毎日一生懸命、生活したい。バイトもしっかりできる男になって、クラブもがんばって勉強も何かつかめるようにしたい。僕がこんなこと書くのはなまいきですが、沖縄に行ったことのない人たちは、やっぱり沖縄=戦争といった、色でいったら黒のイメージが多く占めてしまうと思います。沖縄の、文化。民謡や、芭蕉布、笑築過激団の活躍といった沖縄の人々が強く生きてるといった、色でいったら、赤や黄といったイメージを、少し抱けるような展示も最後につけてほしい。僕は甘ちゃんだから、こんなこともう書かないように、沖縄の人はほんとに強いから、がんばりたいです。さようなら。ありがとう。(?)

知らなかったことがたくさんわかりました。毒ガスの薬があったのはびっくりしました。なんで一般の市民がこんなことをしないといけなかったのかと思うし、だけど、昔はそんなことが当たり前だったのかもしれない。いろいろ考えさせられることや感じることがあったんだけれど、うまく表現できないのがくやしいくらいです。今が平和だから、昔の人の気持ちは全部わからないかもしれないけれど、こんなことが本当にあったということを忘れたらあかんと思いました。テレビで見たことだけど、アメリカの兵隊さんも、他の国の兵隊さんも本当は戦争は嫌だったそうで、(あたりまえだと思う)えらい人の命令でしかたなかったのだそうです。日本人だから、日本のことばかり考えてしまうけど、他の国の人も同じ人間だし、たぶん日本と同じようなことがあったのではないかなと思います。誰のために戦って大切な命をおとしていくのか、たぶん兵隊や市民はわからなかったと思うし、ただ日本のためということだけで死んでいったのだと思う。えらい人は好きじゃない。 おじいちゃんは「戦争をまたしたい」といってます。(高校生 女 10代)

平和で、豊かな暮らしの中で、私は少し自殺願望を持ち、死ぬのなら、いつでも、どんな形でも、また、苦しみながら死ぬのは、正直に言ってカッコいいと思っていた。数日前、そんなことを考えるのは幸せで健康な証拠だと叱られた。なんとなく、くやしくて受け入れにくかった、その助言に、今は素直に従いたい。それと、これは米軍と日本との戦いとは思いたくない。同じ星で生きる同じ人間同士の戦いとして見てゆきたい。私は、確かにスミソニアン博物館での原爆のひどさを伝える展示をしてもらいたかった。そんなに偏見があるなどと知りたくなかった。どちらが勝ったとか負けたとか誰が悪いなんて、今更何になるだろう。ただ、人間同士の醜い戦いが、どれだけ無意味なことかを、認識すればいいのではないか。死体の山の裏に隠れる、それぞれの人生を見つめることがどれだけ大切かを、認めるべきなのではないか。 私はきっと、もう死のうとは思わないだろう。(学生 女 20代)

「戦争はひどい」という事実は誰でも知っているし、すべての人は「戦争はきらい」だろうが、そんな一言で終わってしまうほど、単純なものではないと思った。家族で殺しあうなんてことは、したくない。同じ日本人同士が殺しあう必要もない。もっと言えば、誰かさんの欲望のために、人間同士が戦うこと自体が無意味だ。私達はこのようなものを見て、心を痛めて、涙を流すよりも、自分に今すべき考えさせるべきだ。政治への参加や、憲法への関心、自由の意味などについての考えを持つべきなのだと思う。(学生 女 20代)


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