立命館大学戦後50年平和企画特別展:世界報道写真展
[1995年次展/1956-94回顧展 感想文

世界報道写真展回顧展 感想文

戦争になると「死」というものが軽くなるんだなぁーと痛感しました。笑顔で死体をひきずったり、見てたり、なぐったり、人を殺したり、戦争はいけないよ。人が人でなくなるからね。(高校生 男 10代)

軍人ではなく、民衆が1人の人間をなぶり殺しにしているような写真が印象に残った。そのなぶり殺しにしている人々の顔が笑っていたのがとてもこわいと思った。投票箱を必死で守る人や、公民権獲得や、自らの自治を守るために戦っている人を見ると、私は、生まれた時には既に存在している民主主義というものの大切さを考え直さなければいけないと思った。(本学学生 男 20代)

ショックを受けた。展示作品のガラスに反射して映る自分の顔をみて、またおどろいた。飢餓に苦しむ子どもに比べて、平和の中でのんびりと生きてきた自分が異質な、浮いた存在に思えた。世界で人々は同じ目標、平和を求めていて、「やり方」が違うだけでこうした紛争、殺し合いを演じている。世界の人々が自らの命をかけて体当たりで世の中を変えようとしているのを目の当たりにして自分は一体何をしてるのだろうと思った。(本学学生 女 20代)

人の表情は同じ死でもまったく違うと感じた。何かを訴えての自殺の表情は“無”という感じで、殺される場合の表情は“人間の真の姿”が現れていた。

(本学学生 女 20代)

“写真を撮るくらいなら助けろ”ということがいわれてて、私も、そう思っていたが、誰かが今、世界で起こっていることを伝えなければならないと思うので、とても混乱している。(本学学生 女 10代)

吐き気を催した。その写真をまともに見ることができなかった。こんな自分が憎い。うっとうしい。(本学学生 男 20代)

良かった。あえて、説明がない方がいいと思う。その方が自分で調べようという気になり、また、身近に感じられると思います。(本学学生 女 10代)

人間を見た。その両面を見た。今の自分はどちらなのか。ただ傍観するのみで、何も動こうとしないのは殺すことと同じなのか。だとしたら自分はどうすべきなのか。全て分からなくなった。(本学学生 男 10代)

友達は平和を「ユートピアだ」って言ったけど、私はそうは思いません。戦争反対、世界平和をかなえられるのは私たち一人一人だから、写真展を見た、今のこの気持ちをずっと忘れずに、小さな一歩を踏み出したい。(本学学生 女 10代)

世界という言葉に、これほどたくさんの現実、出来事が含まれていることにショックを受けた。この写真展の中の写真のほとんどが、死体、飢えた人々、精神的にも、肉体的にも傷つけられた人々を写したもので、その直接的、間接的原因もまた人間、そしてそれを写したのも人間だ。殺される人々、そしてそれを見る人々、この三者の視点を考えることは大切だと思う。(本学学生 女 20代)

とてもよかったです。感動したし、うーむ…ちょっとなんて書いていいかわからない。複雑な思いを感じました。写真の力(マスコミのひとつのものとしたら)はやはり社会に及ぼす影響は大きいと思った。真実を映し出すことは文章よりも力強いときもあるが、言葉がないだけ勘違いするととてもおそろしいと思った。

(本学学生 女 20代)

何か今、言葉が出ない状態です。過去にあったこと、また、今、社会で、世界で起こっていることを現実としてもっと受けとめ考えねばと思いました。人の命とはなんなのでしょうか。人間を残酷にさせてしまうそういうものはなんなのか。私は助産婦をしております。私の手の中で生まれてくる命の尊さと、全ての命を本当にもっと大切にしたいと再確認しました。それに向けて私の仕事で何かできないかと考えていきたいと思います。(一般 女 20代)

自分は、立命の産業社会学部の情報・メディアコースの一回生です。マスコミに少々興味があり、この学部に入ったのですが、最近のマスコミの報道のあり方には、疑問を感じてきました。昔から写真には関心があったので今日ここへ足を運んだのですが、理屈ではない自分のハートに訴えてくれるものを感じました。自分の目指しているもののかすかなヒントを得たように思えました。(本学学生 男 10代)

はっきり言っておそろしかった。こんなことがあっていいのか、そう思った。人が死んで流す涙、人が死んで笑う瞳、ちがいすぎる。誰が死んでも悲しんであげられる人間になりたい。(中学生 女 10代)

人間は殺し合いをくり返すばかりでバカかと思う。けれど一人の人間ができることの可能性は多大だ。人間とは一体何なのだろう。ショッキングな写真が多かったが、何よりもショックだったのは映画の影響か、あまりにもショックを受けることのできなかった自分自身。(本学学生 女 20代)

カメラアシスタントをしています。私は今、商業写真の方面をやっていますが、ここ最近もっと人に訴えられる写真、人に頼まれてやるのではなく、自分の写真を撮りたいと思っていました。今回の写真展を見て、会社を辞め、独立する決心がつきました。ありがとうございました。(一般 女 20代)

とってもショックを受けました。私の中の楽観的な考え方が写真の事実の前では容赦なく否定されてしまう。それでも私は人間をあきらめたくはないです。

(本学学生 女 20代)

思わず目を覆いたくなるような写真がいっぱいあって気持ち悪くなったけど、これが世界の実情なのかと思って悲しくなった。平和な国に生まれたものの義務をつくづく感じる。これからもこんな展覧会をたくさん開いて下さい。(高校生 男 10代)

死に脅える人間、殺されようとしている人間または死人の周りの人たちの表情、などかなり印象を植え付けられ、「人間」「平和」「死」というテーマについて考えさせられました。しかし、やはり一番インパクトを与え、胸を打つのが苦しい中でなんとしても生きのびようとする人間の表情と悲惨な状況(死を含む)に追い込まれた未来を担うべきはずの子どもたちです。学生の間には、このような「衝動」から様々なことを導き出し、社会に出てからもこの衝動を忘れずに貢献していきたいと思います。(本学学生 男 20代)

国際関係学部前の立て看板等で(毎日前を通る)ここで展示されているものはよく見に来る。(前期の沖縄戦等生の声を聞くことにより、よく勉強できた)この回顧展には若い人たちがほとんどであったが世界にはいろいろの内戦があることを知り、今の日本の平和(?)を考えてほしいと思った。(一般 女 60代)

人間には守るものがいくつあるだろうか。考えが違うだけで殺しあうのは人間だけである。あまりよく書けない。サッカーのキーパーが飛んでいる写真はよかった。(この写真展の中ではオアシス的である)(本学学生 女 10代)

本当の生身の人間を見た気がした。子どもの眼、大人の眼の中にある狂気、悲しみ、恐れ、喜びの光に射すくめられる思いがして、たびたび立ち止まって考え込んでしまった。私はこれまで写真の力に対して認識を欠いていた。どんな美しい絵画にも私はこれほどの感動を受けたことはない。すばらしい展示をしていただき本当に感謝している。(本学学生 女 20代)

これを見て僕はどうする? 緊張した時間を精いっぱい走っていった人々、僕は僕の時代を精いっぱい生きるしかないのか?(本学学生 男 10代)

ぼんやりと知っているNEWSのひとつひとつに、人がいることを改めて感じることができた。多くの人の歴史や命が、世界でまだまだ大切にされてないことを知った。日本はどうなんやろーか?1枚1枚の写真が、メッセージをまっすぐに伝えてる。もっと平和に、もっとHAPPYに。(他大学生 女 20代)

写真というメディアの手段の力のなさを感じた。人間の命が終わる瞬間が、あまりにも軽くとらえられている気がした。(本学学生 男 10代)

 

就職のこと、クラブのこと、これからのこと…といろいろ悩んでいた私ですが、これを見て「なんて平和な悩みなのだろう」と思いました。遠い遠い世界のこと、または過去のこと、と思っていたことを恥ずかしく思います。映っていた人々の悲しい目が今夜夢に出そうです。(本学学生 女 20代)

全ては新聞等の活字のカタチで目に入れていたものばかりで、写真という生々しい記録が言葉以上の、言葉の外にある人間の感情を奮い起こさせた。なんていう矛盾した世界の中で、矛盾した感情世界の中で私たちは生きているのだろうか。複雑な実情にもっともっとふれていかねば、とただただ思うばかりである。

(本学学生 女 20代)

写真展を観て、そして、皆の書いた感想を読み、心が揺さぶられています。それは「悲しみ」とか「怒り」とかに結びついてはいかないけれど、心が揺さぶられています。「死んだような生」を生きている自分の不感症になった心が揺さぶられました。写真の中の生と死の直接性にです。(ヘンな表現だけどちょっと他に思いつきません)知らないところで知らないことがいっぱい起こっていることも思い出しました。この写真展にきて、(否定的な意味でも、肯定的な意味でも)感じたひとたちが大勢います。ただ「ショックを受け」「考えるきっかけになった」というだけでなく、それが実際に社会を変えていく力になるような、そんなことができないだろうかと思います。そして、それは、諸外国のことよりもまず、一見「平和そうな」日本、自分たちのくらしている国日本を変えていくことをしていかなければならないのだと思います。それが諸外国の平和にもつながることなのだと思います。ここに報道されていることが、なぜ公教育や主流のマスメディアで取り扱われないのでしょうか。そうでない日本が平和なはずがない。(一般 男 20代)

報道写真展 その他

これから自分が母親になることについて、改めて考えさせられた。サッカーの写真が、死の写真の中で光っていた。(一般 女 20代)

ショッキングな写真が多かったが、その分、平和や命の尊さも実感できたとても貴重な時間を過ごした気がした。(本学学生 男 20代)

歴史的事実の瞬間をとらえた、その写真の圧倒的なすごさに、出る言葉もありません。この地球上から、戦争と殺戮をなくすために、生きている以上は、平和のために、努力をしていかなければならないのではないかと痛感しました。来れてよかったです。(一般 女 40代)

自分の生活がすごく平和なので、報道写真を見ることは、義務だと思いました。  (一般 女 40代)

先日、大阪でのセバスチャン・サルガド氏の写真展に行ったときも感じましたが、写真というものが持っている人の心を動かす、そして行動へと変えていく力を感じずにはいられません。この世界の中で、自分はいかに生きるべきか考えさせられました。このような写真展がなくなる世界が来てほしいと思います。           (他大学生 男 20代)

戦火に逃げ惑う、悲嘆にくれる人々の目は一様に「何故」と問うていたようで言葉につまった。(本学学生 男 10代)

殺されかけている人を助けるのを優先すべきか、それともジャーナリストの職務を優先させるべきか分からない。(本学学生 男 20代)

今、当たり前のように、物や食物が与えられている生活を送っている私にとって、この写真展はかなりショッキングでした。過去そして現在もなお世界中で、起きている事実から目をそむけることなく、心のどこかにとめておかなければと思います。そして平和ボケといわれる日本においても、残虐性が潜んでいるのでは、と不安に感じます。(本学学生 女 20代)

40年間もの間人間の犯してきたおろかな行状をこれでもかというほどみせつけられました。南米の黒人解放、ベルリンの壁崩壊など明るいニュースもありましたが、基本的に人間というものは闘争心や権力欲にまみれたどうしようもない生き物なのかもしれません。とちょっと悲観的な気持ちになってしまいました。

(本学学生 男 10代)

かなりの衝撃をうけました。真正面から真実を突き示されて、逃げられない心境になった。写真の人物達とカメラマンの距離とそれを見る自分の距離に次元を超えたショックをうけた。見に来て本当によかった。(本学学生 女 20代)

ドロシーのあの瞳の奥の意志が平和を支えるもの。平和って何なのかわからなくなった。(本学学生 女 10代)

エイズで死亡の子供が台に並んでましたが全部縦一文字に縫合のあとがあります。後学の為の内蔵摘出でしょうか。気になります。写真に瞬間をおさめるというのは大変です。でもその中の物語には色々な意味で感動させられました。

(一般 女 60代)

戦争のおそろしさをとても知らされた。私たちより何歳も年下の子どもたちが、苦しんでいる姿をたくさん見た。とてもつらかった。各国の代表者は、いつも服を着て、一つも負傷していないのに、戦争の犠牲となっている国民は、無惨な姿ばっかりだったのには腹が立った。(高校生 女 10代)

すばらしい、でもえげつない。火事になってんのだから写真とるひまがあったら消すの手伝ったれと思った。(高校生 男 10代) 

写真の中には僕達の知らない世界がたくさんあった。こんなことが同じ地球上でおきているのが恐ろしかった。平和はどうしたらおとずれるのだろう?

(高校生 男 10代)

言葉にできないくらい何かを感じました。平和とはいったいどういうことか考えたい。(高校生 男 10代)

一生懸命リアリティーを感じようとしても感じきれない。非現実的に見えてしまうのは、やはり日本では死はエンターテインメント化してるからなんでしょうね。こういった動きの中に生きていない、リアルと思えないのは罪なのだろうかと感じました。(本学学生 男 20代)

新聞の記事でこの展示会を知りました。人に伝えるというのは非常に難しいもので言葉で伝えたり、ジェスチャーで伝えたりします。そして写真という手段も人に物事を伝えるのに非常に有効なものだと思います。人間は頭で理解しても感じません。感じなければ自発的には動きません。それぞれの世界中の人間が自発的に動かなければ世界は変わりません。写真は人に実感を与えるもとだと思いました。

(本学学生 男 20代)

写真というメディアの手段の力のなさを感じた。人間の命が終わる瞬間が、あまりにも軽くとらえられている気がした。(本学学生 男 10代)

人の死は筆舌しがたい衝撃をもたらすが、それ以外のものでより人の心をゆさぶれるものはないものか?今は心に大変な衝撃をうけているが、明日には忘れてしまうだろう。他に和平をもたらすものはないものか。相手を殺すのが当然でしかも正しいとされる世界の人々に訴えかけられるものはなかったような気がする。

(本学学生 男 10代)


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