立命館大学戦後50年平和企画特別展:戦時下日本の報道写真
―梅本忠男と『写真週報』―感想文

「戦時下日本の報道写真」~梅本忠男と『写真週報』感想文

梅本忠男が「報国」の精神をすて戦後はパノラマ写真にこだわったのはなぜか、写真にとられた多くの映像はたくましい。「暗い」と戦中史を一括して語ることは避けなくてはならない(教育関係者 男 30代)

表情が生き生きしている。本当の気持ちなのだろうか。(他大学生 男 20代)

写真は本当のことを伝える、と私たちはほとんど無条件に考えてしまうのだけれど、恣意的に並べて見せれば、ある一定の意図を伝えるものになってしまう…たとえ撮影者が意図していなくても。報道はどこまで真実を伝え得るのだろうか? あやうい気がした。(一般 女 30代)

戦時中の様子がよく分かってよかったです。戦争の辛い状態の中にありながら、人々の笑顔がとてもきれいに見えて、なんとなくうれしいような、淋しいような複雑な気がしました。これからもこのような企画をたくさんやってほしいと思います。  (高校生 女)

戦時中の写真の中で、仕事外の作品については、人々の表情が豊かで、その当時にも人間は確かに存在しており、必ずしも戦争のための人民でなく、各々の生命のために生きていたのだと、思いました。(高校生 男)

あの当時にパノラマがあるなんて知らなかった。写真に写っている子どもたちは戦争ということも知らずにすごしていたんだなと思った。(中学生 女)

すごい戦争時代の写真は、みんな笑っているのばかりやったけども、わざとなのではないかなと思った。(中学生 女)

写真の中でみんな、笑っていたから、戦争中でも家族たちと一緒にいることの喜びなどが伝わってきたような気がする。(中学生 女)

写真と雑誌の比較がよかった。雑誌に載ると、ごく普通の写真も特別なイメージを喚起させるものになるのがわかった。他の写真家のものや雑誌を少しでいいから見たかった。(他大学生 男 20代)

戦争の時、いろいろな人がケガをしたり、死んでしまったり、かわいそうだと思いました。戦争など、日本はもちろん、他国でも、してほしくありません。体のキズは治っても、心のキズは、一生治らないと思います。(小学生 女 10代)

当時の写真誌がそのまま展示してあったので内容が読めてとても興味深かったです。その当時の雰囲気が伝わってくる写真が多かったと思います。でもやはり明るい部分だけをクローズアップしてるんですね。(本学学生 女 10代)

戦争のための広報写真であると自覚していた写真家は梅本さんの他にも多かったのでしょうか。その時どんな気持ちで写真をとっていたのか気持ちを知る手段があれば素敵ですね。(本学学生 女 10代)

戦時下日本人のくらしの一部が見れた。確かに政府の報道広告的な写真ばかりだが、あの当時日本人が何を美徳としていたかがわかる。(本学学生 男 20代)

戦時下当時に生きた人々の脈動が伝わってくるようで、大変興味深かった。しかし、「戦時下」が中心であるのだから、最後のパノラマ写真(1951年)は必要だったのだろうかと疑問がないわけではない。分量的に大分を占めたわけではないが、平和企画に徹するのなら、やはり写真技術を展覧させてもあまり意味はないのではないか。もっとも、全体的には戦後50年平和企画の名に充分値するものだったと思う。  (本学学生 男 20代)

戦時中の人々の表情が、前の写真展と比べて笑顔がより多く見られたことや、子どもたちが笑っている姿が数多く残されていることが特に印象に残りました。これまで戦時下の写真というと、被害にあって苦しむ情景ばかりでした。確かにそういった悲惨な場面を強調して「戦争」を後世に伝えることも必要ではありましょうが、今回のようにそんな中でも子どもたちを中心として笑顔があったのだということも同時に伝えられていけば「戦争」(に関する写真展)もまた深いメッセージ性を持つのではないでしょうか。(本学学生 男 20代)

最近メディアの報道するものの真実性についていろいろ考えるようになり、今日、この展示を見ていても、「写真の中で皆笑ってるけど心から笑っているのか」とか、「雑誌のコメント等は真実なのか」とか、いろいろと考えながら見ました。以前は「戦時中やから上からムリに押さえつけられてたに違いない」とか思ってたのですが、戦時中という異常な時なので皆の思考も少しおかしくなってたのではないか思います。今私たちが正しいと信じてることも何年か後には「あの頃は皆ヘンだったね」なんて言われてそう。つまり、戦時中と現在の関係もそういうものだと思いました。写真についての感想は表面のみの写真という感じがなきにしもあらず。偏った展示じゃなく本当に客観的に見ている展示をしてほしいです。

(本学学生 女 10代)

こんな立派な平和ミュージアムがあることを知ってうれしくなりました。ちょうど江藤防衛庁長官の辞任劇の中で、あらためて日本の戦争責任を考えていたところです。芸術や、報道写真など色々な分野での、客観的な功罪について評価が必要だし、できる時代になってきたと思うので、よい機会、企画だと思いました。

(教育関係者 男 40代)

写真に写っていた人は、みんな笑顔だった。梅本さんは、そういう写真ばかりを選んで撮っていたのが、それとも当時の人は皆幸福だったのだろうか。被写体は真実しか語らないはずだから、当然楽しいこともそれなりにはあったと思う。写真に映し出されていない、本当の当時の姿が知りたかった。だが、意図的に彼は明るい写真を撮ることで、日本の国民を元気づけたのだと思うと、その役割は非常に大きなものだと思う。(本学学生 男 20代)

「…報国」で染まっていた時代、そして写真と同様だったのだ!二度とこんな時代にならないことを願う。(一般 男 60代)

間違いはどこにあったのでしょうか。これから考えていきたい。

(本学学生 男 20代)

いつの時代でも子どもというものは同じであり、それを操る狂った(彼らは自覚していないだろうが)政治家などが自分たちの歪んだ信念を通すために立場の弱い子どもや女性などを支配しようとする。もう戦争は昔のことだと考えている人間は何故このことがわからないのだろうか。あまり出したくないがオウム事件のことを見れば、ドイツ・日本などの戦争の負の遺産がいやになるくらいに見えるのに。何故みんな気がつかないのだろうか。わからないなあ。(本学学生 男 10代)

常設展は現実味深いもの有り。写真展は美しくみえて、現代的である。

(一般 女 50代)

大変興味深かったです。カメラマンについては名前すら知りませんでしたが、当時の様子を自分なりに感じとることができてよかったです。ふつう、写真展だと、「作者はこういう考えのもとで、こういうふうに表現されてて、こういう技法が使われてて、すばらしい。」とかって説明があるけど、私なりのとらえ方で理解できてよかったです。(本学学生 男 10代)

戦時下の写真を見る機会が立命館へ進学して増えたこと、感謝しております。展示は、当時の様子を克明に伝えており、私たち豊かな戦後世代に、何かを語りかけているようでした。(本学学生 女 10代)

いつも思うことだが、ほんの50年前にこんな日本があったなんて信じられない。報道写真にも作家(カメラマン)の感覚が感じられて、人物が生き生きとして美しい写真が多い。その美しさ=戦争、国を疑うことのない純粋さがおそろしい。

(一般 女 40代)

自分のように戦争を知らない者が、このように少しでも戦時中のことが見れてよかったと思う。この写真の中の人たちが戦後の日本を高度成長させてきたと思うと、なんとなくわかるような気がします。豊かになった現代に不足しているものは、この写真の中のたくましさなのではないでしょうか。(本学学生 男 20代)

戦時下の報道写真を一通り見て思いつく言葉はただひとつ“不気味”である。写真の中には権威と虚構が入り乱れて存在しており、ため息が出るばかりである。ご飯を食べる子どもの写真、その笑顔と、ひどく荒れた手。このギャップをどう説明するのだろうか。(本学学生 男 20代)

戦後生まれですが、とてもひきつけられテレビでこの写真展を見て思わず見に来てしまいました。写真展の中頃から、涙があふれどうすることも出来ないくらい…  (一般 女 40代)

ノスタルジーをそそるような写真ばかりで、歴史で学んだようなあんな軍国主義の体制の中でも幸福そうな人々の顔を見ると複雑な感じがする。作られた映像かもしれないと疑うことも必要だが、なんとも変な気分だ。(本学学生 男 10代)

写真を通して一人の人間の生き方の違いが戦時下と戦後で権力によってこのように変えさせられてしまうのかと驚きました。今平和な時代と言われていますがじわじわと昔に近づいているように思います。私も微力ですが平和の取り組みには力を出していきたいと思います。(一般 女 40代)

写真は、事実を伝えるが、真実は伝達できない。ただし、カメラマンの心次第で決まってしまう。昨今いろいろと“ヤラセ”がある。TVまでも…戦前戦中日本の国民に国家総動員の命のもとに“ヤラサレ”ていたのか。今戦後50年日本と世界の現況を直視しよう。今後も、地域にひらかれた大学として、様々な企画を期待します。  (一般 男 40代)


ページの先頭へ