世界報道写真展[1996年次展] 感想文

はじめに

ワールドプレスフォトは1955年に設立された報道写真の国際的独立機関で、報道写真の国際コンテストで世界報道写真賞の選考を行い、その受賞作品の展覧会を世界各地で開催しています。
 コンテストは、写真ジャーナリズムの全分野をなすニュースの中の人々、スポーツ、一般ニュース、自然と環境、芸術、科学と技術、日常生活などの8部門で構成されています。各部門に単写真と組写真があり、それぞれ1位から3位までの3賞がもうけられ、その年の最高賞として入賞作品の中から世界報道写真大賞が1点選ばれます。
 同コンテストは、設立から今年で40年。今回は世界の3068人の写真家が応募。「ニュース」部門の延べ20人の受賞者の内、7人もがチェチェン紛争を対象とした写真で受賞しているのが特徴です。このほか、「スポーツ」などの部門も含め優秀作約180点を展示しています。
 コンテストと写真展の目的と役割は、報道に対する国際的理解を深め、報道の自由の重要な手段である報道写真への世界的関心を呼び起こすことです。
 立命館大学国際平和ミュージアムでは昨年、戦後50年を記念して、1956年-1994年分の回顧展を開催しました。今回の1996年次展も昨年に劣らず反響を呼び、感想文817通、感想ノートへの記入265件もの感想が集まりました。ここに紹介するのはその一部ですが、そこには本学学生をはじめとする多くの方々の感動と平和への願いがあります。私たちは、その「感動と平和への願い」を、教職員のみなさまと共有することによって、今後の教育への一助となればと願い、ここにお届けするものです。

1996年11月 立命館大学国際平和ミュージアム

小学生の感想


◆とてもよかったよ。very good! (女)

◆おもしろい。またくるかも。(男)

◆あまりにもすごくて、びっくりした。 (女)

◆自分の知らないことがいっぱいあってすごいと思う。 (女)

◆ぼくは、二度とこんなことをおこしたくない。 (男)

◆戦争のこわさなどがわかった。 (男)

◆びっくりしました。 (女)

◆すごかった。 (男)

◆あまりよくわからない。 (女)

◆かわいそうなのがいっぱいあった。こんなのをなくしたい! (女)

◆すごい写真やめずらしい写真があってすごいなぁーと思った。さすがだなぁーと思った。(男)

◆人々の苦しみがよくわかるポスターだった。 (男)

◆写真を見て子供でまだちいさいのにうでがなくふじゆうしている人たちの写真をみてがんばらなきゃダメやとおもった。もうにどとせんそうをおこさないようにがんばります。(男)

◆いい写真だったと思います。人びとの苦しみ、悲しみが伝わって来ました。手がない人でもまけずに生きるというすがたがわかりました。(男)

◆世界のあちこちでいろんな戦争がおこっていて、むざんにしんだ人がたくさんいることにおどろいた。(男)

◆写真がすごく生々しく、すごかった。 (男)

◆カッチョイー (男)

◆戦争でこれほどにひがいがあるなんてすごくこわいなとー思った。 (男)

◆すごかった。 (女)

◆すごくむごいポスターだった。 (男)

◆ぼくは、こんな戦争をおこしたくありません。 (男)



【中学生の感想文】

◆初めの方(戦争)の写真を見て、すごくショックだった。おばあさんの泣いている写真は、とてもかわいそうだった。 (女)

◆はくりょくがあった。すごかった。(女)

◆私は、戦争とか直接経験してないからつらさとかよくわからないけど、みてたら、今、世界のどっかでこういうことがおこっていると思うと私達は、なんて幸せなんだと思った。(女)

◆本当、良かったです。感動しました。写真だけで、たくさん伝わってきました。本当、みれて感動です。(女)

◆写真を見ていて、足に寒気がきました。早く出たくてしょうがなかったです。でもこれが現実にあったことを心にとめておきたいです。(女)

◆戦争中のこととかいろいろあったので “残酷だな~”と思うところも、たくさんあったけど、今まで知らなかったことがたくさん知れて、これからこういうことを考えるようにしていきたいです。とてもたくさんの資料を見させてもらいました。(女)

◆こわい写真や、きれいな写真、不思議な写真がいっぱいで見れてよかったです。(女)

◆写真を見て、戦争とは、いやなものだなぁと、実感しました。(女)

◆白イルカの出産がよかったです。(女)

◆ちょっとこわいとこもあったけど、とてもよかったです。(女)

◆すごい写真があってびっくりした。おもわず目をとじてしまう様なのもあった。いい経験だった。(女)

◆戦争のところで、集団墓穴にうめられているのが印象に残った。(女)

◆始めの写真が印象的でした。途中の“バスに乗っている人々”は、いったいなんなんだろうかと思いました。(女)

◆始めの方の写真は、すごくて、ショックを受けた。(女)

◆よかった!! 特に象のえが!(女)

◆感動しました。(女)

◆いろいろな写真などたくさんあってびっくりしました。私の知らないところで、いろいろなことがおこっているのだなとおもいました。(女)

◆こわかった。私達にとって信じられない写真があったのですごくびっくりした。このようなものが見れてよかった。(女)

◆戦争は人を殺したりするひどいものだと思いました。もう二度とこんなことは、あってほしくありません。(女)

◆よかった。感激した。すごい所もあったけど、本当によかった。(女)

◆世界では、いろいろな人たちがいることがわかった。(女)

◆とてもむごくよく平和というのがいかに大切かわかりました。(男)

◆戦争のおそろしさを知った。(男)

◆すごい、すごい、すごーい。(男)

◆戦争などのこわさがわかった。(女)

◆改めて戦争のおそろしさを実感しました。(男)

◆すごい写真ばかりだった。(男)

◆すばらしかった。(男)

◆あまり意味がわからず、見る順番がわるいと思う。(男)

◆おそろしい。(男)

◆いろいろな世界の動きがわかった。(女)

◆世界に何がおこってるのかしらなかった。(女)

◆かわいそうでした。もう戦争は、やだ! (女)

◆残こく…。(女)

◆血をたくさんながしていて見ていてもこわくなりました。 ※平和が大切です。(女)

◆命の尊さをしった。(女)

◆今生きていてよかった。(女)

◆戦争は、とても苦しいことだとよく分かりました。人と人がきずつけあったりすることは、やめた方がいいと思います。(女)

◆人間のおろかさ、無責任さをしった。(男)

◆世界のさまざまな出来事を知った。(女)

◆写真は絵より生々しくて最初は、「気持ち悪い」と思うこともあったけど、その写真の横についている文を見て理解すると「あぁ、この人達はすごくつらいんだな」「私、気持ち悪いなんて思って悪かったな」と思いました。この写真展は、いろんな面でとても良かったと思います。(女)



【高校生の感想文】

◆館内に入ったとたんとても大きなショックをうけた。これが人間なんだといやになった。(男)

◆戦争の悲惨さが心に残った。 (女)

◆私が今この時を生きている瞬間に世界のどこかでこういった現状になっている。何とも言えない気持ちになった。写真からつたわってくるものがあった。来てよかったと思う。(女)

◆世界では、戦争というむごいものもあれば誕生という喜ばしいものもあり少し複雑な感じがしました。このような写真展をまたしてほしいとおもいます。(女)

◆報道という言葉をかんばんで見て好奇心だけで入ってしまったから、中の写真を見てちょっと言葉をなくしてしまいました。どの写真の人も真剣に生きて自分が少し恥ずかしくなりました。(女)

◆すごくよかったと思います。あまり、ニュースをみていても身近に感じられない出来事だけど、写真をみて、すごく、こわいし、なんか こう色々とつたわってくる感じをおぼえた。(女)

◆日本は、ある意味おかしい国だと思う。私もある意味おかしい人間だ。「平和」「幸福」という言葉の意味を考えなあかん。 (女)

◆新聞の国際面でさえ読んでいなかったことを反省した。(女)

◆私の知らない所でいろいろなことが起こっているのでおどろいた。たくさんの人が傷ついて、泣いて、悲しみにくれているのに私は、その苦しみの一部も味わってない。なんだかちょっとしたことでもしんどいと思う自分がいやになった。 (女)

◆戦争のむごさがわかった。(男)

◆おもしろい。(男)

◆すばらしい。(女) 

◆なかなかおもしろい。(男)

◆けっこうきもちわるくてこわかった。でもおもしろかった。(女)

◆最後のバレーがおもろい!

◆ありがとうございました。(男)

◆大変ショックだった。犯罪がニュースになるような日本は本当に平和だと今さらながら感じた。(男)

◆あんまり期待してへんかったがすっごいむちゃ良かった。何か、自分が何をするべきか色々いっぱい考えさせられました。cuteな photoもあってvery good でした。thanks!(女)

◆もっとたくさんの写真をみたかった。(男)

◆いろいろな写真があったけれど、一枚一枚感動するものばかりでした。その中でも戦争のが一番印象に残っています。あらためて戦争のおそろしさを感じさせられました。とてもためになりました。(女)

◆写真展を見るなんて初めてだったのですごくよかったです。世界ではいろんなことがあるのだなと勉強になりました。(女)

◆来る時間がおそかったので、ゆっくり見ることが、できなかったのが残念だった。もう一度見たいと思う。(女)

◆とてもためになりました!(女)

◆世界にはまだ沢山の問だいがあるなーって思った。奇形の子供の写真に胸をうたれた。(女)

◆戦争のひさんさが伝わってきた。(女)

◆とてもよかったとおもいます。 (女)

◆very good and thank you (女)

◆思ったより、考えさせられる事がいっぱいありました。なんか、本当にこんなことがあったのかと思うような写真がいっぱいあり、平和の大切さを思い知らされました。(女)

◆今日見た写真はきっと私の心に一生残ると思います。またこういう機会があることを楽しみにしています。(女)

◆1枚1枚の写真から、とてもうったえかけるものを感じました。笑っている人、泣いている人、世界のいろいろな人の表情が頭に鮮明に残っています。(女)

◆写真に対する考え方を変えさせられました。見に来て良かったと思います。(女)

◆普段あまり見ることのできない世界の報道写真はどれもすばらしかった。だけどユーモアのある写真をもう少しみたかった。(男)

◆現在の世界の状態にあらためて、危機感を持ちました。写真は、だらだら流れるテレビより強烈な印象を与えるものだと認識しました。(女)

◆来て良かった。(女)

◆パネルの配置が良く、近づけるので見易かった。いろいろなおもしろい写真があった。(女)

◆とても見やすくてパネルの配置がとても良くて回りやすかったです。量も丁度良くまたこの様な機会があればぜひみたいです。初めてこの様な写真展を見ました。色々な事を考える良い機会になったと思います。とても良かったです。(女)

◆現実の世界を見た。毎日のほほんとくらしすぎている。(男)

◆おばあさんが涙を浮かべているのが、とても心にのこっています。目がはなせなかった。その他にも、すごい、表情をしている人たちがいた。ああいう人にカメラを向け、正面からシャッターをきれるのは、なんでなんだろう。カメラマンていうのは、人間のためされるしごとなんだなぁと思った。(女)

◆前半と後半のつながりが?(男)

◆泣きそうやった。泣いたらあかんと思った。(女)

◆何と言うたらええのかわからんけど泣けてきた。(男)

◆色々な写真があって、写真1枚で、すごいことが伝えられるんだ、と思いました。(女)

◆ショックを受けた。また、解説されていることについてほとんど知らない自分にも。でも見みにきて良かったと思う。(女)

◆言葉で伝えるのとは、また違った言葉で伝えられない「何か」を伝えるのが写真だと思いました。(男)

◆初日にも来ました。また来ました。(13日)ノートが気になっていたんです。(男)


【本学学生の感想文】

ボスニアの老女の涙と、バスの後ろから見つめる少年の姿がすごく印象的だった。最後にスポーツの写真を持ってきたことで、先進国と発展途上国といわれる国の違いを見せつけられた思いだった。(女)

世界には苦しみと悲しみの中で生き続けている人々がいることを、平和ボケした私達、先進諸国に住む者に強く訴えかけるフォトジャーナルの意義が極めて重要であると感じた。(男)

とてもいっぱいの衝撃を受けた。一瞬を切り取るそのセンスや視点、目を覆いたくなるもの、賞をとること、なんか考えさせられました。(女)

日本に生まれてきたことを今日ほど幸せに思ったことはありません。(女)

現在の世界はアンバランスだが奇妙なつりあいを持っているようだ。良いことばかりでもないが、悪いことばかりでもない。ただし、自分のまわり、日本という国は何て平和ボケしているのかと末恐ろしくなってくる。(女)

戦火の中で必死に自分を守ろうとする人間の姿と、それを客観的に撮ろうとするマスコミの姿勢の対比が興味深かったです。(女)

人間の命というものは躍動感あふれていて、一人一人の命の大切さをあらためて感じた。(女)

世界ではいろんなことが起こりすぎていて混乱する。今、自分は平和のこととか社会の問題についてとか、いろいろ勉強したり運動したりしているけど、そういうものがすごい無力に感じる反面、こういうものを見たからこそ、もっとがんばらねばならないとも思う。(女)

報道写真で我々は世界を知ることができる。写真家の人々に本当に感謝したい。(女)

私にはおよそ考えもつかないようなことが地球のどこかで起きていることを改めて聞かされたような気がする。特に命の危機にさらされている人達には、生きていることの意味より死ぬことのはかなさを考えて欲しい。そして私たちにできることを探したい。(女)

生き方に迷っている時だったので、少し冷静に、客観的に自分を見れるきっかけになったと思います。これからも続けて下さい。(女)

倫理は何の役に立ち、いつ適応されるかに疑問を感じました。(女)

去年の方がよかった。今年は、多くパネルを展示することに重点をおいて、質や、展示の仕方がおろそかだったような気がします。インパクトのある写真がありませんでした。来年は期待しています。(女)

自分の知らない世界を垣間見ることができ、刺激になったとともに、自分の視野の狭さを反省する良いきっかけとなりました。今後はもっと新聞、ニュースなどを集中して読む、見るなどして、ものの見方を身につけて行こうと思う。そして、このような展示を見るためにもっとここへも足を運ぼうと思いました。(女)

昨年も同じ場所で同じ様な内容のものを見たが、感想としては「人はいつになったら進歩するのか」といったところでしょう。(男)

思わず息をのんでしまう写真の連続で、休む暇がありませんでした。カメラでとる写真というものは、ある出来事のほんの「一瞬」をとったものだけど、この広い世の中のいたるところで苦境に立たされた人や生物は、必死に生きているという「動き」を感じました。昨年も見させてもらいましたが、今年のは部門が増えていて、なかなかよいものでした。日本の場面がないのは少しさびしい気もしました。今も刻々と時は過ぎているけど、その中で動いているようで、動いていない自分に気づかされた様な気がして、もっと頑張って生きなければならないなと思いました。(男)

テレビや新聞で毎日のように放映される「チェチェンの紛争」についてを見るより、数枚の写真の方が多くを語ると感じた。その後に展示されていた「ホワイトハウス」の写真を見たとき、とても皮肉だと思った。国のHeadがいかに重要か…。リトアニアに友人がいる私は、(リトアニア独立運動当時の首相がゴルバチョフでなく、エリツィンだったら…)と思い、ぞっとした。(女)

とても衝撃的だった。自分の手で何とかすることができるなら、どんな犠牲を払ってもいいとさえ感じた。老人の涙はきっと忘れることはできないだろう。(女)

説明文がコーナーのすみにあって読みづらかった。バスと子供の写真、すごかった。(男)

人の不幸をかなしめるのは、今の自分が幸せだからかな…。(女)

一枚一枚の写真に重みを感じる。明るい写真が混ざっていると、心が救われた。すべての写真が明るくなればいいのに。(女)

写真は、世界で起こっているいろんなことや、いろんな人、いろんな価値観を無知な私に教えてくれました。この世の全ての悲しみ、よろこび、きびしさ、たのしさを少しでも自分のこととしてとらえていけるよう、心のアンテナをもっと高くかざして生きていきたいです。(女)

いろいろなジャンルのものがありましたけど、小さな子供の死体がまるで人形のように積み重ねられている写真には言葉をなくしました。ただ胸の底から悲しみだけがわいてきた。(女)

絵じゃなく写真であることがショックだった。(男)

平和ミュージアムでの特別展は時間をつくっては見に来ています。立命の学生にとっては、いつもながら、ラッキーな特権であると思います。戦場のシーンのものは印象も強く、事実関係を把握していても、やはりすさまじい写真の前では、立ちつくしてしまいます。また、動物や生物の生命感あふれるものにも感動しています。文章ではなく、言葉のない写真からは、見る者の考えで“見る”ということで改めて、多くのことを考えさせられました。(女)

見に来てよかったと思います。やはり紛争地域の写真は生々しくて胸が締めつけられるような思いがしました。私達の生活のありがたさや、もっと真剣に今ある時間を有効に使いたいと思いました。(女)

新聞でチェチェンのことを読んだりしても“ふーん”という感じだったけど、写真を見て、私が日本でのんびりと過ごしている同じ時に、こういうことがあったんだとびっくりした。写真の一瞬一瞬が本当に多くのことを語っている気がしました。(女)

死を覚悟する人、いまだ自分の障害、人との違いに気づいてないであろう子供、悲しくなる。この様な写真を見て涙をながすのは、子供なのだろうか、大人なのだろうか。(男)

昨年も来ましたが、今回もまた「自分の生活の中の当たり前」を問い直させられました。特にバスに乗った少年の表情は忘れられません。私は幸運にも大学で好きなことを学べる環境にいますが、じゃあ何のために学んでいるんだということを強烈につきつけられる思いがしました。今後もぜひこうした展示をして下さい。(女)

去年と同じく、今年もすばらしい写真展でした。非常に心が痛むような写真から、心静かに見られる写真まで、どれも私の脳裏に鮮明に焼きつきました。ありがとう。(女)

私が、日本でバイトやサークルに明け暮れている間にも、世界の何処かでさまざまな事情(貧困、内戦、紛争)で苦しんでいる多くの人々の写真を見て、心が痛みました。今から、「自分なりにできること」をゆっくり考えたいです。(女)

だれの語りもなく、一枚一枚の写真にとても感動させられた。しかし、後半はあまりよくなかったのでは? (女)

世界のいろんな生活を観たら日本はつまらない国だなあと思いました。(女)

一方で戦争内紛という極限的な現象が起こりつつ、他方ではスポーツや科学といった平和を当然とする社会が同じ地表に現れることの皮肉を改めて痛感した。(男)

報道されていて知っていたけど、写真という具体的なビジュアルが示されたことですごくリアリティを感じた。政策とか、エスニシティとかは論じようと思えばけっこうかんたんだけど、こういうことを知った上でどういう道をとっていくかというのを語るのはとてもむずかしい。(女)

世界の素晴らしいというか、生命の宿った写真を見て、話を聞く、文字を読むとは別の戦争を見た様な気がする。科学とかスポーツとかは、あんまり面白味がなかった。拝見できて良かった。(男)

幸運にも犯罪とは縁のない人生を歩んできた私にとって、戦争や、生命の大切さは知識としては知ることができても、決して実感として感じることは出来ないな、と思いました。これが良いことなのか、悪いことなのかは分からないけれど、それでも「これを世界の人々に知らせよう、記録として残そう」と思う報道家の人々の気持ちをひしひしと感じることが出来て、とても良かったです。旧ユーゴの、あの涙ぐむ老婆の写真が、とても印象に残りました。(女)

やはり、今回も戦争の写真には、心が動いた。はじめてしったこともあり、(アフリカの割礼の慣習)勉強になりました。友だちにも、見学をすすめます。どうもありがとう。(女)

去年は特別展だったのか!去年より、出展数が少ないように感じた。でも今回ぐらいの数がちょうどいいと思う。ゆっくり、じっくりと見ることができた。(前回は見終わった後、かなり疲労感が残った。)この報道写真展を見ると、いつも言葉を失ってしまう。何も言う言葉が見つからない。何を言っても今の気持ちを表現し尽くすことはできない、そんな感じです。(女)

一コマの映像で、これほど多くのことが伝わるものか、と感じ、またこの歴史的瞬間を的確に描写する写真家の腕にも感服しました。(女)

自分の視野の狭さを感じた。本などで民族紛争のことをいくら知っていたとしてもそれはニセモノの知識にすぎないと思った。映像はよりリアルに伝わる分だけ与えられるショックも大きかった。(女)

写真は、動いていかない分、想像がふくらみます。(男)

「報道写真展」だから必然的にそうなるのかもしれないが大半が戦争やその生々しい状況を写したものだということに、今日の世界の現実(平和ではないという)を改めて感じさせられた。(男)

報道写真はとても面白いものだと思った。感情移入をせざるを得ないほど影響を与えてくれた。特にデーヴィッド・ターンレーのボスニアの難民の涙が印象的だった。あの瞳は忘れられない。(女)

どうもありがとう。(女)

世界の半分以上の人は、不幸なのではないかと思えた。もちろん自分はとても幸福な内の1人だ。でも、なぜ自分は、幸福な中にいられるのだろうか。今までは、こういうものを見ても、ショックを受けるだけだったが、自分が、世界の悲しい出来事を、少しでも、減らすことはできないかと、考えるようになった。(女)

写真が最近のものであるのがとても不思議な感じがしました(特に内戦のものなど)。でもどのようなものも、その瞬間が伝わってきました。(女)

写真は真実を写しているが、写真で見るとフィクションに思えてくるので不思議だ。それは真実を見たくない信じたくないという気持ちがそうさせるのかもしれない。だから現場を目の当たりにしている写真家本人の様々な思いを感じる。(女)

世界中で今、起きていることを知り、その事に対する問題意識を喚起するのに役立ちました。(女)

現実がここにある。(男)

写真家の人たちも撮影するために、危険な所へ行ってるわけだから、とても大変というか、半端な気持ちではできない仕事だと思いました。チェチェンの写真などはとくに衝撃的でした。(男)

昨年も来たけど、いつも心を打たれる。世界の変化がここで大まかだけどつかめる。自分以外の人々の生活を見るのはとても学習になる。(女)

こみあげてくるものがあった。静止した一枚の写真なのに。(女)

写真の説明文の横に地図などがあればもっと理解に役立ったと思う。(自分の勉強不足がいけないのだが)また、もう少しジャンルというか分野別に展示してほしい。昨年は近くでやっていなかったので見れなかったが、今年からはこんな近くでこんなすばらしい写真が見られてよかった。来年もぜひ期待したい。(女)

地球は広すぎる。知っても知っても知り切れないですね。(女)

かなりの刺激があり良かった。去年、見に行かなかったことを悔やんでいる。(男)

興味深い写真がいくつかあったが、強く心に残るものはほんの一部でしかなかった。やはり人の生死に関わるものはインパクトが強い。自分の生き方を考えさせられた。(女)

マスメディアというものは大変な影響力をもつ。この写真も見る側を変えればまた全く異なった感想がもてるだろう。私達は何につけても一つの視点からだけ見ていてはいけないと感じた。戦争は、どちらも被害者である。(男)

「現代の人権」の授業のため、見にきましたが、見にきてよかったと思う。今、現在の世界どうなっているのかを写真を通して少しかいまみることができた。(女)

写真は瞬間をとらえたものであるが、TVとちがってすごく生々しい感じがして、心に「ハッ」とする感じがした。(男)

戦争なんていう国の対立の犠牲に小さな子供たちがなってしまうことに怒りを覚えます。(女)

無関心でいる方が楽しく生きていけることはわかっている。でも見に来たのはなぜか?謎だ。(男)

自分の周りの世界だけが全てと思って生きていたような気がします。いろいろ学びました。(女)

報道されにくい情報を写真を通して知ることができた。こういうメディアがもっと強くなればいい。(男)

紛争中の国々の写真のすさまじさに涙が出そうになった。人々の表情は本当に絶望感にあふれていた。あの人々のために私ができることは何だろうか。今一度、考えてみようと思う。(男)

チェチェンの内戦を他人事のようにニュースで聞いていたが、この写真展を見て、その惨状を痛いほど感じた。やはり、どんな戦争においても、いろいろな人権が踏みにじられている。(男)

世界中には私達の知らない部分で考えられないことが起こっているのを知った。私達は自分達の生活でいっぱいだけど、もっと広い意味の世界をちょっと見れた気がした。(女)

すごく中身の濃い展示だったと思います。私はチェチェンやボスニアなどの惨状をTVのニュースで聞いたり、新聞で少し読んだりするだけで、あまり現実のものとしてはとらえられていなかったのですが、今回の展示を見て、私は何と何も知らなかったことだろうかと恥ずかしい気持ちになりました。写真はやはり素晴らしいと思います。(女)

あまりにも自分の日常とかけはなれていて、言葉もありません。目からウロコが落ちました。(男)

こんなに天気が良くて、のんびりした昼下がりでも、世界のどこかでは命をかけた戦いや混乱が続いている…忘れがちなこの現実を迫力のある写真たちは痛いほど教えてくれました。自分の力が小さくても、少しでも平和や人々の喜びのために力を尽くせればと思いました。とても勉強になりました。(男)

いま、この国は平和だなと思う。こういった写真(特に戦争に関するもの)を見て、他国のこと、と言うのは簡単だ。けれども、この今ある平和がどういったものの上に成り立っているかを考えることも必要だろうと思う。一方で、動物の写真にはホッとさせられた。(男)

人間とはなんて残酷な生き物であることか。戦いを仕掛ける人は常に前線にはいないということが強烈である。(女)

ショックを受けた写真が多かった。改めて世界情勢の厳しさと、日本の平和を噛みしめました。意外と冷静に見れた自分に驚きました。(女)

写真でしかうったえられないものがあるなと思った。自分の体中が痛んだ。(女)

自分とは遠く離れた世界だと感じた。テレビ、雑誌、インターネット等で世界が身近に感じていたはずなのに。(男)

心に残る写真がいくつもありました。スポーツや科学の分野の写真が最後にあったのは、正直、助かったというか、戦争の惨劇ばかりだと多分つらかっただろうなという気持ちがします。(男)

地球という一つの世界の中で、様々な所で、色々な人が生きている。あたりまえかもしれないが、この、あたりまえのことを忘れているのかも知れない。残念ながら、写真では、直接体験に比べ、限界があると思う。だが、心に与えるインパクトは、映像や体験よりも強いと感じた。(男)

戦場で逃げまどう人々の写真。それを大きな展覧会場で見ている私。世の中は不公平だ。(女)

報道写真というものが、どういうものかあまり知らなかったが、今日の写真展を見て何となく分かったような気がする。(男)

涙ぐんでいる老女の大写真にひきつけられた。彼女の瞳に映っているものが何なのか、何に対して涙を流しているのか僕には分からないが、その悲しみだけは、ひしひしと伝わってきた。口の前に置かれた手や顔に深く刻まれたシワが、数々の出来事を表しているように感じられた。「民族」という言葉の奥深さをかいまみたような気がする。(男)

人間が物事に対する、とくに自分の日常とは距離のある物事に対する興味をもつのには衝撃を受けることが一番だと思う。その手段としては写真が最も有効かもしれない。けれど、そこから広がる次へのactが必要とされることに私たちは気づいているべきだ。(女)

世界で現在起こっている出来事に関して、自分は全く無関心だったと思う。日本で生きて、平和に過ごせる幸せを痛感し、しかしその平和って一体何なのかという明確な判断力を養わなければならないと思った。これからどう関心をもっていけばいいか、よくわからないが、いろいろなことに自分のアンテナを向けたいと思います。(男)

老人の涙に心をうたれた。何故、無関係な人までが戦争の犠牲となっていくのだろうか?(女)

写真を撮る方も命がけで目の前の有様を皆に伝えようとしている。とても人には簡単に出来ないことなので素晴らしい。(男)

何かをはじめなければ、と思いました。(女)

普段あまり目にすることのない衝撃的な写真ばかりで、言葉に表せないものがありました。世界のどこかで起こっていることとして、直視することをさけてしまうことが多い現実を、目で見て感じることができました。今後も、このような写真展があったら見に来ます。(女)

日本の昔の戦争の写真は見たことがあったけれど、今、この瞬間にも世界のどこかで死んでいっている人がいることに改めて驚き、悲しく思いました。(女)

写真の「深さ」にびっくりした。(男)

知らなかった世界の現実を目の当たりにし、今までは遠い世界の出来事だとボーっとしたものでしたが、具体的な感覚を持てるようになりました。紛争地でのつらい、つらい状況の中での子供のまっすぐな瞳に感動しました。(男)

小学生の時から色々な話を聞いた。その時の怒りと悲しみを普段の生活で忘れそうになったとき、また世界の真実を見て、知ることで戦争への怒りを持ち続けたい。(男)

日頃、“戦争”という世界とは無縁のように思っていたが、これだけ生々しい現実を見せつけられると言葉が出ない。私たち人類は、常に“戦い”と背中合わせの世界に生きているのだ。(女)

力がぬけた。(女)

写真は「ナマ」を見る以上に真実を伝える時がある。何百、何千分の一秒というシャッタータイムが、人間の微細な感情の変化をも逃さないのだろう。撮る人の考え方によっても写真は変わる。つまり、それは報道の場合、ただの写真ではなく、撮り手の「意見」そのものになる。(男)

今、自分がこうして“生きている”ことを改めて幸せだと感じた。いくら、苦しみがある、悩みがあるといっても、それでも幸せだと思う。“生きていく”ことに対しての不安や悩みをもっている人に比べたら…。(女)

前年度の展示を見た時もそうだったのですが、全ての写真を見終わって廊下に出た時に、深くため息をついてしまいます。また、しばらく頭に焼き付いた写真の数々が、眠りにつく前によみがえる日々が続きそうです。(女)

人はなぜ戦うのだろうという、今まで何人もの人々が言ってきた言葉が頭に浮かびます。(女)

ベトナム戦争で焼かれた女の人が自分の子供を抱いて再び被写体となった写真がとても心にのこりました。ねむっている子供の顔がすべてを物語っているようでした。(女)

見ると聞くでは大違い。写真の威力を感じた一日でした。あれが現実なのかと思うと自分の生きている日常が何であるのかわからなくなりそうです。(男)

チェチェンをはじめ、紛争地帯の写真を見て、昨年訪れたカレン民族難民キャンプのことを思い出していました。「こういう世界があったのか」と、単に感心することなく、実際に紛争下の人々に出会い、寄り添い、ともに生きてゆく大切さを思います。(男)

この写真展には多くの世界がありました。それは、各国の風景といったものや、人の悲哀、ぬくもり、怒りといったものまでたくさんあったと思います。(男)

自らの危険をかえりみずに、世界に現状を伝えるため、報道写真を撮り続けているカメラマンには敬意を覚えました。私達も目をそむけずに現実をしっかりと見つめていかなければならないと感じました。(女)

「自然」の生死を限られたスペース、それも平面に切り取ってしまって、尚かつ「いきている」ということに感動しました。写真から受けるパワーに圧倒されました。(女)

写真が持つ、人を動かす力に感動しました。映像よりも、心に残るものですね。逆に、その写真の持つ力を正しく使わなければあぶないとも感じました。(男)

普段、何の気なしに、ややユーウツになりつつ日々を過ごしていることを申し訳なく感じました。特に戦争の犠牲になりながら、日々の暮らしで精一杯生きている(そうせざるを得ない)人がいるんだという事、他人事としてとらえてはいけないと思わされました。(女)

遠い空の下で起こる出来事の一コマ一コマを、おそらくは実物以上に体感できたような気がします。これらはすべて真実であることが、あまりにもショックでした。でも自分自身、“何か”を考え直す、良い機会を与えてくれました。(男)

全世界は広く、自分が生きている世界の狭さを痛感した。被写体になった人達のその後の人生を、心の傷などを考えさせられた。(女)

たった1枚の写真と思いがちですが、それから受けるインパクトというものはTVなどの映像以上に静かに力強く語りかけるものがありました。(女)

平和を考えるのなら、悲惨な出来事(今までにあった戦争)などから目をそらしていてはいけないと痛感しました。(女)

とても感動した。京都という日本の一つの都市にも、世界のメッセージは届くんだ。写真はすごいと思うし、ジャーナリストの方々に感謝したい。(男)

すごく強いインパクトを与えられました。自分が忘れていたこの学校へ来て、やりたかったことを思いだし、再確認しました。(女)

やはり、写真の為の写真ではなく、報道の為の写真というものは、緊張感や迫力が違う。その場所、その時間がダイレクトに目前に再現されるようないい写真が多かった。(男)

戦争関連のパネルが最も印象に残った。ニュース、新聞では見聞きしていたものの、時が過ぎると忘れてしまっている。忘れてはいけないものだ、という認識をあらたにした。同時に、私はこんな平和な所で暮らせる事への感謝も生まれた。(女)

いろいろなジャンルの写真を見ることができ、とてもうれしかったです。新聞などに掲載されているときは1度視線を向ける程度でしたが、今日じっくり時間をかけて見せていただいて、世界にある様々な人生をみることができたように思います。(女)

心にズドンとくる戦争の写真、ぱっと明るくなるような誕生のシーン、とてもよかったです。でもあまり国際事情をしらない私は、前者は理解しきれなかったので、くやしいです。(女)

前回の写真展に続き、衝撃的な写真の多いものではありましたが、見に来て良かったと思います。写真はビデオ等とは違い、その一瞬しか映りませんが、「現実を知る」ための手段としては同じだと思うから。そして写真の方が被写体の人の、特に目から、何か訴えられているものを感じる気がします。ただ、「未来に対する希望」などが感じられるものがすくなかったような…。(女)

人がまるでゴミか何かのように打ち捨てられている写真、子供の死体を無表情で探す父親の写真、1つ1つの写真が心にせまってきて、やるせなさがひしひしとわいてきました。どうして人は人を傷つけてしまうのでしょう。人だけでなく、世界の自然も動物も人は傷つけています。そんなひどいことをするのも人間であれば、感動できる写真をとったりすることができるのも人間です。何か、できることがきっとある…そうあらためて思わされる写真展でした。(女)

自分たちが身近では目にすることのできない場面を見て、世界の広さ、各地のでき事を実際に感じることができ、とても良かった。(男)

写真とはいえ、動きを感じた。(女)

最後の写真が印象的。日本でも“perfect.TV”とか、すごく膨大な情報が流れているけれど、これは文化の「発展」であるのか、ギモンに思う。情報の多さに恐ろしさすら感じる。(女)

昨年も拝見したので、今年も来ました。昨年より知っている事柄が増えたのは、昨年の写真展のおかげで興味をもってニュースを見ていたからと思います。写真の訴える力はすごいと感じています。来年も見に来たいです。(男)

涙を禁じ得ないものがあった。(男)

テレビのニュースでは見れない、本当の事件を見れたような気がします。写真の中の人々の表情は、ドラマでも映画でもない“本物”だということが、痛感させられました。また来年も来ます。(女)

民族紛争から私達の全く知らない国の人々の生活まで一度にたくさんの情報が得られた。場面場面をそのままに写した写真でも、本当にそこでおこっていた事が伝わってくるものもたくさんあった。人間というものはおろかでもあり、すばらしいものだと思った。もっともっとたくさんの写真を見たい。(男)

激戦のさなかで血にまみれおびえる住民と、皇居でネクタイをしめなおすクリントンの顔があまりにも対照的で、印象に残った。(男)

去年に来た時よりは、平和的な写真が多くて、ホッとしたような、複雑な気分です。しかし、チェチェンの中での写真などを見ていると、国や民族などといったものに動かされて、いつも、ただの人々が何故にあんなにも苦しむことにならねばならないのか、という怒りのような感情を覚えました。(女)

最も印象深いのは、やはりチェチェン関連の写真。展示されている写真の多くに、説明書きの要らないほど、心にせまるものがあった。(女)

チェチェンでの白黒の写真は、実際の世界も白黒の世界なのではないかと錯覚をうけてしまいました。でも、それはきっと写真がもっている錯覚と真実なのであって、写真の向こう側には人々の日々の生活があることを忘れてはならないと思いました。(男)

戦地での悲惨さが感じられるような写真が少ないような気がした。血なまぐさくても、そのような写真がみたかった。(男)

とても衝撃的でした。世界で起こっている、知らねばならない真実を目の当たりにして、それでは今、いったい自分に何ができるのかということを考えさせられます。写真とは、現実をさらにリアルにみせてくれるメディアなのですね。(女)

狭い日常から解き放たれた感じです。(女)

とってもよかった。自分はどうしてここで写真をみてるのだろう、写真の中の人は一体どんなにつらいのだろうと思った。来年も来たいです。(女)

思わず目をそらしてしまいたくなるような写真、イコールその事実から目をそむけようとしているのか。しかし、これが事実であり、目をそむけてはならないものなのであろう。(女)

写真は現実をウソ偽りなく写すもので、その分心に打たれるもの、残るものは非常に大きなものです。世界のいたる所での現実を目の当たりにして、色々と考えさせられます。是非、次年度も開催してほしいと思います。(女)

世界各国の様々な写真が展示されている中で、同じ時代に住んでいるにも拘わらず、人々の住む周りの環境のあまりのギャップの大きさに驚かされました。経済的にかなり豊かであるといわれる日本にいる私は、その平穏に浸っているだけでなく、もっと世界各地域の“現実”に目を向けるべきだと思いました。(女)

言葉で説明しても、うまく伝えることのできない苦しみや、悲しみ、喜びも写真という一瞬で伝えることができる。涙をながすボスニアのお年寄りの写真は、ボスニアの人々の涙をどんな手段よりも的確に伝えていると感じた。(女)

とる側ととられる側、とる側の感情、目的などによって、写真は武器にもなりうる。こういう写真を見るとき、心のおきばにこまる。私の日常があまりに平和すぎて。(女)

たった一枚の写真で、こんなに衝撃や感動を与えてくれるものなのだろうか?写真というものは、ただ単に撮って現像すると安いかもしれないが、その写真に写っているものはお金をいくら出してもゆるがない真実であり、一番高くつく代物であるということを思い知らされました。(女)

良い言葉が見つからない。(男)

1枚の写真の中に人のいろいろな感情が凝縮されているようで、思わずゾクッとしてしまうものがたくさんありました。私の知らない世界を知り、地球の広さを知りました。(女)
                                      
ものすごく衝撃的でした。自分達の生活とはまるで違う。一日一日が死と隣り合わせで、明日何が起こるとも予想できないような…。割礼の写真は特に同じ女としてうったえるものがありました。下には肉片と血がいっぱいで、文化という名のもとに行われている、性差別をあらためて考えさせられました。(女)

悲しみに打ちのめされた人の顔が印象的だった。写真という一瞬の光景に、その人のすべてが写し出されているように感じた。(女)

真剣に世界平和を考えて行きたいと改めて思った。私は、国境の無い時代に生きたい。(男)

紛争等が起こっている地域では、兵士の人が死体を目の前にしても、平然とした顔で周囲の様子をうかがっているのが別の意味でこわかった。人間は“慣れる”ことができるから、そういうふうになってしまうのだと思う。そんなものに慣れた人はかわいそうだ。戦争とか殺し合いとか無意味なものは絶対にやって欲しくない。(女)

現在この世で起きていることではあるけれど、今自分達と同じ世界に生きている人々だとはとても思えなかった。最近では、紛争、戦争のことをリアルタイムでニュースで聞いたりして、現実のことと受けとめると同時に、私達の世界とは別のものとして頭の中で自動的に処理してしまう。しかし、この写真展で少しはあの世界を肌で感じることができました。(女)

今ある自分自身とか、自分の生活が、かすんだように思えた。(女)

戦争報道の写真を見て、世界の現実を目の当たりにした感じがします。視覚に訴える鮮烈さから、「よくこんな光景にレンズを向ける勇気があるな」とも思いました。(男)

昨今の写真ブームで、写真が与えるものに嫌気がさしていたが、今回の報道写真展はやはりその格の違いを見せつけていた。報道の手段としての写真は、たとえそれが過剰であり、幾分誇張気味であったとしても、充分にその存在価値があると信じて疑わない。しかし、前回(第1回)の方が、量、質ともに勝っていたように感じる。もっと頻繁にさまざまな企画展をやってほしい。(男)

戦場でたおれている人がいる同じ時間に、陽気にさわいでいる人がいる、そのことがとても不思議で切なかった。女性の割礼が一番しょうげきをうけた。しかし、それに介入しすぎると、他の文化を否定することになって、それが戦争へもつながっていくのではないか。むずかしい。(男)

疲れを感じるくらい、体全体に強い衝撃を受けた。(女)

まず、数多くの問題、テーマがあって、いろんな事を考えさせられました。その一つ一つが、それだけでしっかりした作品で、それぞれの作品展をしてもいいのではないかとさえ思った。今日見たものを改めて一つ一つの作品の背景を考えて、頭の中で整理するのもいい勉強になると思う。(男)

優れた作品がたくさんありましたが、カメラマンの視線を通して、我々が物事を見つめるとしたら、それは主体性の喪失だと思います。自分自身の目で見たいものです。(男)

展示室前半とその後半で、写真が伝えようとする何かが異なると思った。人が殺され、積み上げられた様は写真のむこうがわでの日常だし、流された血は本物の赤色であるのに対し、ラクダレースや多チャンネルの映像を楽しむ人間がいることも本物の日常だし。私が写真という媒体を通じて被写体を見ているのも本当のこと。そんな現実があるということを意識せずに生きる「私」に「見せる」展示だと思った。(女)

鳥肌の立つ思いでした。これらの事が現実に存在する、という思いを新たにしました。(男)

写真展というと、難民や戦争で被害をうけた人々の写真ばかりがあるのだと思いがちだけど、そうではなかったので、いろいろ考えさせられた。ただかわいそうと思わないようにはしているが、自分の周りにこんな状況がないから、やはり、かんがえているだけなのかもしれない。もっと奥深くまで見つめることができたらいいなと思った。(女)

パン配給を待って、狙撃されたという写真が最も強烈だった。視覚で見ることで、日常無関心で平和ボケしている自分に気づけた。大変よかったと思う。(女)

チェチェンでの写真はすごかった。まるで原爆の写真を見せられているようで、これが去年、本当にあったことだとは思えないし、私達の日常とあまりにかけはなれていた。このことが、実際におこっているということを知るのはとても意味があることだと思うし、その意味でこの写真展はとても意義のあることだ。(女)

戦争や死(殺された)のものはやはりショッキングでした。しかし、これも同じ地球で起こっている現実であり、知ることも大切だと思います。悲劇を繰り返さないためにも。(女)

ロシア軍の拷問をうけて処刑されたチェチェンの兵士、僕達が生きているこの時代にこんなことが起こっているとは知らなかった。すごく胸がつまった。(男)

実際テレビなどといった報道機関によって報道されなければならないものが、こういった時にしか見れないのは残念だと思うし、それを報道しなければ意味がない。(男)

アフリカの女性の割礼儀式の写真がショックだった。いったいどうしたらいいんだろう…(男)

戦場の写真が一番印象に残った。何故なら、最も現実から離れた現実を切りとっているからだ。他の写真については興味なし。(男)

テレビのニュースでぼーっとしかきいていなかったけれど、紛争の下には多くの犠牲者があります。私が今、死にたくないように、誰だって死にたくないのに、遠い国のことだからだと、死者〇〇人といわれても何とも感じないでいました。反省しました。(女)

直視できないものも数多くあった。ニュースなどで状況は伝えられるものの、改めて視覚化されると何百倍という程のショック、感動を与えられるものだと強く感じました。(女)
                                   
これ程メディアが発達し、情報量が膨大にある現在でも、この写真展に展示されていた写真一枚のパワーにはかなわないと思った。(男)

かなりショッキングな写真が多かったが、私たち日本人のような、のんびりと毎日をすごすことのできる人たちは世界中みわたせば少ないのかも知れないと思った。写真展でその写真を見ていられる自分は幸せだと思ったし、もっと頑張って生きていかなくては…と、しみじみ感じました。(女)

写真展を見終わった今、こうやって机に向かい、イスに座り、紙に鉛筆で文字が書くことができることが、こんなに幸せなことであったのかと思った。老女が涙ぐんでいるあの写真を忘れることはできない。何も言わなくても、その涙がすべてを教えてくれた気がする。(女)

時代は確かに流れている…。マスコミであまり報道されなかった地域の事情なども、1枚の写真を通じて少しは見えたような気がしました。(女)


【他大学生の感想文】

◆写真について、技術的なことはよくわからないが、興味をひかれるものが多かった。ただ、写真とは、解説のつけかた次第でその内容ががらりと変わってしまうものだと感じた。(男)

◆数々の写真を拝見しているうちに、映画の一面を見ているような錯覚におちいりそうになりましたが、現実のものであるということを頭にたたきこみ、帰りたいと思います。せばまりかけていた視野を広げることが出来ました。ありがとうございました。(女)

◆報道写真はもちろん世界の出来事を伝えるためには役立っているが、強調しすぎる部分もあると思うので、見る側は慎重にならなければならないと思った。(女)

◆1枚の写真でこれほど衝撃を受けたことはなかった。レンズを通してでしか見ていない私でさえこうなのだから、現場を直に見た報道カメラマンの衝撃は想像することもできない。ただ、1枚の衝撃が世界の流れを変えるかも知れない可能性を持っていることは間違いないと思う。この企画は止まることなく続けていくだけで意味がある。(男)

◆写真の一枚一枚が映画のワンシーンのようで実際に起こっていることだとは思えなかった。映画ならその前後にストーリーがあるけれど、写真はわずか一瞬をとらえて、その一瞬でストーリーが浮かび上がる点がさらに強烈な印象を受けました。(女)

◆私が今、生きていることが偶然に思えた。(女)

◆我々が新聞やニュースで聞き知っている事も、その瞬間を切り取ってきた写真を見ると、その場の緊張感が伝わって来るし、哀しい現実であっても、現実として受け止めねばならないのか、という風にも考えた。(男)

◆人って簡単に死ぬんだなと思った。だからこそ重たいものだと、いい加減気づけばいいのに。(女)

◆重かったです。普段、全然見なかったり、見ようとしていなかったり、意識しなかったりしている戦争や世界で起こっている出来事、自分の生活と関係なく起こっている出来事、自分はこのまま何もせず何も考えず、あの人たちはどうすることもできず…。(女)

◆世界情勢に疎い私にとって、この報道写真展は、かなりショックでした。自分の身近で起きていないことなので、つい忘れがちになってしまっている事件の多さに驚き、自分の無関心さに腹が立ちました。来年もこの写真展を開催するそうなので、その時はまた来たいです。(女)

◆写真のインパクトに驚いた。それ以上に感想文ノートの論争に引き込まれた。カメラマンの人たちは、どんな気持ちでシャッターを切ったのだろう、と思った。(女)

◆'93“Starving Girl”という写真について授業で「プロのカメラマンである前に1人の人間であるべきか」という問題を扱いましたが、報道写真の訴えるものを感じ、やはり報道写真が現代に必要であるなと感じました。(女)

◆テレビで見ることのできない“事実”が見えました。そしてチェチェンの重傷を負った人の写真からは本当の“叫び”が聞こえてきました。(女)

◆写真でこんな衝撃を受けるのは久しぶりです。(女)

◆感想文ノートでは、いろいろな意見が読めて興味深かった。1人1人が写真を見た感想を書き、前の人の感想の文によって議論がされていくという、この様な感想文ノートは初めて見た。(女)

◆この様な報道写真展に足を運んだのは今回が初めてでしたが、その年々の出来事についての写真を見ていて、結局は他人事というように見過ごしてきたことが、なさけなくなるくらい、自分の中の世界をせまいものにしていたなと思い知らされました。和歌山からなので会場が少し離れているように感じましたが、次回からもぜひ参加して、多くを得たいと思います。(女)

◆私の知らない所でいろいろな事が起きている。私が一番考えたことは、アフリカ(ケニア、エジプト)の女性の割礼でした。そのものを習慣だとか文化としてとらえてしまっていいものか考えました。泣いているのも女性、押さえつけているのも女性。それがもし、習慣や文化と言ってそのままなら、なんだか紙一重なものだと感じました。(女)

◆自分が安穏と暮らしていることに対し、恥ずかしく思った。戦火に巻きこまれた人々の叫びが耳に聞こえてくるようだった。マスコミの報道写真家を世間は「何もせず見ているだけ」と非難するけれど、誰かが真実を報道しなければ叫んでいる人々の心の何百万分の一でも伝えることはできない。自分に少しでもできることはないのだろうか。(女)

◆想像以上の迫力に圧倒された。同じ時間に世界で起こっている出来事の残酷さ、又は情況の悪さから少しの幸福感をかいまみせてくれる子供達の笑顔、生活観を生々しく見ることができてとても自分にとってよかったと思う。(女)

◆私自身、服を着て、腹を満足させて、写真を見ていることが、なにか悪いことをしているような感じがした。(男)

◆特に紛争、内乱の写真について、自分はこうして画面(写真)を見ているだけで、口でも気持ちでも“戦争はだめだ”と叫んではいるが、実は何もしていないただの傍観者だと思った。(女)

◆つくづく自分の住んでる社会と、今日観た海外で戦争、紛争(チェチェン、ルワンダ、ボスニアetc)が起こっている社会とのギャップに驚異を感じました。ただそれだけです。(男)

◆頭がボーっとなりました。私たちは報道を通して見るだけで、直接そこには存在しないので、いくら感じる事はあっても、現実のつらさやいたみはわからないと思いました。私は何をすればよいのでしょうか。(女)

◆視覚からの情報によって、私にとっての“世界の存在”が、よりはっきりとしてきました。言葉だけで伝えられるよりも、強烈な印象を見ている人に与えます。(女)

◆ボスニアのモスレムのお婆さんの写真が印象的だった。私自身は戦争に協力するのは絶対に嫌だけれど、理学部で研究者を目指す以上、「今、自分は何をしているのか」ということを常に考えていないと、他学部の人以上に他人を傷つける可能性がある。自分の学んだことや、創り出したことに対して後で後悔しないように100年後の視点を持って勉強していきたい。少なくとも、日本での原爆開発に協力した京大理学部の先人の二の舞だけはしないように。(女)

◆写真の中の人々の表情のうったえに心うたれた。(女)

◆ショックだった。世界中の至る所でたくさんの出来事が人々を悲しませ、喜ばせる。自分自身に対するはかなさとやるせなさが交錯し、無力さみたいなものを少しなめた気がした。同時に世界人類の幸福を願って止まなかった。(男)

◆僕のもとめるものではないが、いい経験になった。(男)

◆どの写真でも、人が一生懸命に生きている姿を感じる事が出来た。だが、幸せとは何なのか、という疑問もいだかずにはおれなかった。(男)

◆今、写真展を見終えたばかりで頭の中がとても混乱してますが、この写真展によってすごい衝撃を与えられて、考えさせられました。(女)

◆写真展を観て。その後が、大事だ。ここにきてからと、でるとき、でてから、変わらなければ、写真展の写真は、また多くの“争い”のものでしきつめられる。思うこと、書くこと、それは、易しい。動くこと、変わること、誰でも、何でもできる。例えば、席をゆずること。なんだと思われる人ほど、できないこと。実は、そんなところから、はじまる。(女)

◆これらの写真を撮られている人々は、カメラマンに対してどのように感じているのか、どう思っているのかと思いました。(女)

◆感想ノートを読んで、立命館大学の環境がとてもうらやましく思いました。様々なことを学べる環境が提供されている。他大学の学生も参加できるように今後開催される展示やフォーラムなどの情報を他大学にも流していただけたらうれしいです。(女)

◆自分の生活がいかにぜいたくなものか、また毎日を意味なく暮らしているかを思い知らされました。自分自身が日本人として生まれたことは運命だと思いますし、日本人で良かったと思う反面、平和に対して考える姿勢が衰えているように思いました。これからでも遅くはないと思いますし、人間の幸福や世界の様々な出来事を見る機会を増やし、考えていきたいと思います。(女)

◆理解は出来ても共有は出来まい。一枚一枚の写真の奥からほんとうに血脈がきこえてくるか?大半は美術品的。写真家の切り取ってきた美の感覚を共有することはなしにながめるのでせいいっぱい。くちおしい。結局は他人だから?私はあなたになれはしないのだ。あなたの父母に、弟に、妹に、姉に、友達にすら。私はなれはしない。ただただ、写真をとろうと思ったあなたにのみ、親しみを覚えるのだ。すごくやっていることは古いように思う。皆、説明を欲しているだけだ。世界にそれらの存在の理由のみを知りたいのだ。興味本位に近い。一連のチェチェン報道は「よかった」もっと複合的に知りたいわけだ。カメラは被災者ばかりを追うが。

◆写真は単に現実を切り取ったパネルではない。私達に様々な問を投げかける。写真の持つ人間への可能性をまた1つ確認した。(男)

◆真実は重いと感じた。写真が捉えていないいろいろなドラマが世界中で今起こっていると思うと、自分はどうしたらいいのかと思う。(女)

◆報道写真――こういった写真を撮り続ける人もいるから、私達も学べるんだなと実感しました。「なんで撮る前に助けなかったんだ」という前に「こういう写真があるから、私達は学んでかしこくなれる」と思って欲しいものです。(女)


【教育関係者の感想文】

◆こうして改めて写真を通して世界を見る機会は、ほんとに大切ですね。我家の息子にもみせたいと思います。ぜひみてほしい写真であり世界史です。(50代・女性)

◆出来れば、これから毎年開催していただきたい。(20代・男性)

◆写真もすばらしかったが、その内容構成もおもしろいものばかりでとてもよかったです。 (20代・女性)

◆ショッキングの一言につきる。一枚の写真が、これほど多くのことを語るとは、テレビなどでは、感じられないものを感じました。平和について考えさせられました。
(30代・男性)

◆ただ圧倒されるのみ。チェチェンのような悲劇の写真ももちろん感動であるが日常の生活の写真もほしかった。(60代・男性)

◆この写真展をみることで世界各地で今なおくり返されている戦争を、自分と同じ人間のこととして強く感じることができその悲しさ、むなしさが胸にせまった。報道写真の持つ力を知ると共に、多くの人にみてもらい感じ考えてもらうことが必要だと思いました。 (50代・女性)

◆英文のみで和訳のついてないのが多い。観客のすべてが和訳能力があるわけではないんだから和訳は全部につけてもらいたい。当然のことながら主張すべき最大の眼目は平和だと思うがもっと労働の光景があってもよいのではないか。中国のアクロバット養成所のは大してイミを感じなかった。動物や自然について展示するなら当然環境保護の観点がもっとほしかった。(50代・男性)

◆私もその場で生きていかなくてはと思った。(30代・男性)

◆世界中で起こっている悲劇をまざまざと見せつけられました。同じ地球に暮らしている民族として何かできることがないかと考えさせられた。(30代・男性)

◆報道写真展は欠かさず見にきています。いい企画だと思っています。※今回のアフリカの女性の割礼の儀式のような事が報道等の力によってそこに住み苦しんでいる人々が解放されたら・・・と節に願いました。(私はいろいろ読書をする方だが全然知らず悲しくて怒りも覚える。) (50代・女性)

◆子供たちの死体がまるで人形のようにたなにつまれているphotoとアフリカでの女性の陰部割礼のphotoがとても印象にのこっている。言葉がなくなってしまった。(30代・女性)

◆胸が痛くなった。日々の生活に感謝しなければ。(20代・女性)

◆報道写真展とか他にもいろいろ展示してもらって学生に幅広く知識を持たせてほしい。
 (50代・女性)

◆とても参考になりました。生々しい様子が手にとるようにわかり、とっている人も無事でいてほしいと願います。(20代・女性)

◆とにかく多くの人に観てもらいたい。写真に写っている一瞬だけでなく、今も動いている現実も見つめ、考えていきたい。(20代・男性)



【一般参観者の感想】


◆平和の大切さと民族、信仰の差で起こる戦争は他の誰もが解決することは不可能と思います。(40代・女)

◆今日はなかなか眠れそうにありません。撮る人の息づかいまで伝わってきました。
(20代・女)

◆毎年世界報道写真展を拝見しています。(今までは京阪デパート)その年々の動きが一目で理解できて良い。しかし毎年思うことだが、なぜ各民族が戦争で争わなければならないのか、いつも犠牲になるのは庶民であることは大変悲しい。(50代・男)

◆チェチェンの悲惨な写真の後、シラク当選の祝いのシーンが出てきたとき、そのコントラストに深いため息が出た。(30代・女)

◆去年も来たかったのですが見逃しました。もう少し長い間やって下さると良いなと思います。世界中でいろんなことが起きているんですね。視野を広くもたねばと思いました。(20代・女性)

◆日本の天下太平と違って世界は動いていると実感した。むき出しの死の世界は、自分が人間であるという尊厳な感情もふっとんでしまう。動いている世界と共に歩みたい。(50代・女)

◆報道カメラマン、これは以前より憧れであり、尊敬する職業だと思う。強烈な3点の場面があったが、何でも静より動、瞬間を捉えるのが使命だと思うし、世界の人々に訴えかける作品を遺すことがこの世界の使命だと思う。報道写真家たち、頑張れ!(60代・男)

◆平和で穏やかな日本。もっと世界に目を向けなければと思います。それにしても、日本人フォトグラファーのものが無かったのが残念です。(40代・女)

◆無責任にも、こういった写真を見る度に、自分の周りで起こったことのない想像絶する世界を、理解しようにも理解出来きれない自分が確信でき、むなしく悲しくなるばかりです。どんなに目を向けたところで「わからない世界」で終わってしまう。目をそらしてはいけない事実ではあるが、上流階級の人への腹立ちだけが毎度毎度残ってしまい、結局目をそらしてないつもりが、目をそらしてしまっている、そんな人が9割9分以上いると思います。腹立ちだけが残ってしまいます。(20代・女)

◆すばらしかった。自分が何気なく生活していたこの一年に、こんなにいろいろなことが起きていたなんて。地下を見た後だったので、ベトナムの少女のその後の写真が印象的でした。新聞などでは語られない、普通の人の暮らしの1コマ、とっても心にのこりました。芸術やスポーツ、科学などの写真があるのもよかった。次の企画展も楽しみにしてます。(20代・女)

◆人間は怖いと思った。戦いの場にいる人達は、あの目に映る景色をどう思って見てるのかと思う。私は私の周りにあることに、私の常識に慣れてしまわず、偏見にとらわれず、考えていけるようになりたい。とても実感させられます。(20代・女)

◆私も写真を始めたばかりです。美しいものが好きで、それを切りとって…と思い、始めたのですが、ここでは美しいだけでなく、いろいろな眼、思い等々が感じられ、参考になりました。(30代・女)

◆“平和・基本的人権・環境”は人類が“生”をまっとうするための基本条件です。それを理解していながら実現できないのは、人間の寿命が有限だからでしょうか。人間は基本条件の重要さを理解すべきです。人類の子孫のためにも。(50代・男)

◆普通かもしれませんが、自分の生活や日本の国の平和なことがあらためて認識させられました。だからといって、明日から自分にきびしくなれませんが、心のどこかで世界の人々を考えていきたい。(20代・男)

◆世界中の喜怒哀楽が写真を通じて伝わってきた。(20代・男)

◆どんなことがあっても戦争だけはいやだ。(60代・女)

◆私は national graphic(日本版)を購読していますがあの雑誌と同様写真がきれいでした。日本の新聞では発表されない写真ばかりですので興味もありますがまだまだ世界の状況がわかってないことにがくぜんとしてしまったこともたしかです。またの開催を期待しています。(30代・女性)

◆未来のよりよい社会のために歴史を学んできたのに…。このさまはとても残念に思う。一体何度このような愚行を人間は繰り返すのだろう。(50代・女)

◆生きている。強くもあり弱くもある人間がいきている。この世に生を受けたなら、誰でも望む平和な世界に生きること一部の支配者に振り回されないで生きる力が知恵がほしいですね。(40代・女性)

◆悲しみ、また哀しみで心がつきる思いです。平和で安穏な日はいつくるのでしょうか。フォトジャーナリストに声をかけてあげたい。(女)

◆写真というと、ただ、物、人を写すだけと思っていましたが、その一瞬で何も、何日も、何時間もの時間を経て真実を語るのだと感じました。受け取り手の主観もためされるのだと…。(40代・女)

◆報道写真こそ、写真だと思った。(20代・男)

◆遠い過去の写真のように思える一つ一つのものが、今現在の世の中で起こっている事がとても悲しい。老女や幼い子供がいつも犠牲になってしまうし、戦争からはなんの希望も生まれてこない。いかにむごくて愚かな事かを飾りもなく淡々と語っている写真に圧倒されました。日本の国が舞台になっていない幸せを守らなければいけないと思う。(50代・女)

◆人の人間らしい顔がよく写ってたと思いました。(20代・女)

◆戦場写真が入選するような時代が早く過ぎ去ることを切に希望する。(20代・男)

◆想像以上のすごい瞬間をこんなに1ヶ所で見せて頂いて、今、世界はすごい時を経ようとしていることに心が痛みました。一日も早く、全人類が血を見なくても過ごせる時が来ることを心より祈ってやみません。どんな感動的な映画よりも胸の奥が熱くなりました。ありがとうございました。(50代・女)

◆どうすればいいのでしょうか?(20代・男)

◆地球の中は全てが動いている。喜び、悲しみ、苦しみ、人間も動物も本当に平等なのだろうか。生まれ死んでいく我々が、幸福で生きていける心をもちたい。人は生かされているのだから。(40代・女)

◆余り、一般に知らされていない報道などを写真を通じて見て、考えることにとても感動しました。今の日本人でいることがはずかしいと思いました。(40代・女)

◆胸打たれるものと、あまりのむごさに目をそらせたくなるもの、どれも真実そのものなので、いたく感動しました。(50代・女)

◆今の世界情況を濃縮した写真展ですね。日本に居ながらにして民族問題や環境問題についてじっくりと考えさせられました。写真という媒体を通して、世界をかけめぐった時間でした。提供各位に感謝申し上げます。(30代・女)

◆はっきり言ってショックでした。テレビなどの映像とは違って、ジワジワと奥の方からすごさがつたわってくるようで、一枚一枚ドキドキしながら見せて頂きました。
(30代・女)

◆自分は知らないことが多すぎると思いました。理解しあう事は、お互いを知る事から始まると感じます。次回もぜひ来館したいです。(20代・女)
今まで報道写真には少しも興味がなかったが、ここに来て見たことによって新聞、雑誌の写真を見る目が変わりそうです。報道写真って、素晴らしかったんだなー。
(20代・男)

◆平和なニュースばかりの世界を作りたい。(20代・女)

◆衝撃的な写真を撮られた方に勇気を覚えました。(20代・女)

◆世の中、平和からまだまだほど遠いですね。出来るだけ多くの人が休みなく、一歩ずつ、平和な世界にむかって歩んで行ければと思います。人類の「叡知」と「良心」に切実な期待を寄せている一主婦です。民主主義が人類の共通の願いになることを祈念しています。(50代・女)

◆戦争のおろかさ、むなしさ、悲しさ。これ以上、貴い命をうばわないで。そんな被写体がなくなるように。(30代・女)

◆来てよかった。涙が出てきて、まわりを気にしなくてはならないほど“強い”写真ばかりでした。神戸でメディアに関わる仕事(とはいえ、ニュース等ではありませんが)のため、阪神・淡路大震災時の時を思い出し、それと重なり、紛争関係の写真は特に胸に迫ったものがありました。これからも心をつきつめるような展示会を期待しています。(20代・女)

◆普段、仕事に追われ、目の前の自分の生活しか考えていない、そんな私に目を覚まさす、ガツンとくる写真ばかりだった。平和の尊さ、命の大切さを改めて考えさせられた。(20代・女)

◆一見平和な日本に住んでいて、生命をおびやかされることは無いけれど、とても安心や幸福であるとは思えぬ社会。今後のことを考えると、不安ばかり。何とかしなくてはと思うことしきりだ。今回の展示を見るまでも無いことであるが、戦争は絶対起こしてはならないし、個人~国家まで人間のエゴは止まるところを知らない。相互に注意しなければと思った。(40代・男)

◆戦場や、かつて戦場であった地域に住む人々は老若男女、我々日本人とは目の色が違うということを再認識できたと思います。平和ボケした日本人にとっては痛々しすぎました。(20代・女)

◆目をそむけたくなるような衝撃的な写真があった。その中で、人がよく生きている。生きている人がいるのがこわいと思う。自分が日本に生まれてよかった気もした。写真を見る側でよかったような気がする。写真を撮られた人の感想などがあれば、よいと思う。(20代・女)


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