「銭湯」から見えてくる
京都の知られざる部落史

#057
産業社会学部 授業担当講師川端 美季

 京都は全国でも「の多い都市」です。日本には古くから入浴する習慣があり、江戸時代にはわっていました。

 日本には「」という儀式があるように、江戸時代の人々がに入浴したのは、体のみならず「心の」を落とす意味もあったといわれています。明治期には、1820年代のイングランドで始まった「公衆浴場運動」の影響を受け、入浴には「衛生」という新しい意味が加わります。「公衆浴場運動」とは、貧しい人たちが暮らす地域に、伝染病の予防や健康維持によい浴場をつくろうという運動です。そして、「清潔」な身体が「市民の証」とされるようになり、日本でも行政によって「公設浴場」が作られていきました。同時にこれは「不衛生」なものに対する差別的な視線を強めることにもなりました。

 大正期の京都では、部落の生活を良くするために、被差別部落に公設浴場が作られました。公設浴場は、理髪室や図書室も備えた、人々が集まる地域の中心の場となり、上水道などインフラ整備にもつながりました。公衆浴場を「清潔さ」や「部落史」にからめて研究すると、まだまだ様々な世界が見えてきます。

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