研究科長からのメッセージ

研究科長 高垣 忠一郎
#01 クラスター・ゼミ 臨床心理学領域 高垣 忠一郎

立命館大学大学院応用人間科学研究科は、21世紀の幕開けと共に創設されました。

戦争の世紀に「さようなら」をし、「平和と共生」の世紀に「こんにちは」をする、まさにそのときに誕生した、生まれたばかりの大学院です。

この大学院の使命は「人間諸科学の『融合と連携』をはかり、新たな対人援助実践学の創造をめざす」ことであります。この新たな対人援助実践学は、まず何よりも「平和と共生」の世紀にふさわしく、かつ「平和と民主主義」を教学の理念とする立命館にふさわしい対人援助実践学でなければなりません。では「平和と民主主義」を対人援助実践に内在化させるということはどういうことでしょう。

「平和」の対極にある「戦争」が人の生命を奪う「脅し」によって相手を支配することであるならば、「平和」の実践は少なくとも「脅し」で人を動かさないことを命のように大事にしないといけません。ところが世界をみても、わが国をみても「脅し」がはびこっておりますし、子育てや教育という「対人援助」の営みにおいてすら「脅し」がまかり通っていることが少なくありません。

また「民主主義」はお互いをかけがえのない人間として尊重しあうことを精神としているはずですが、人々は専ら「売りもの、使い物になる能力・特性」をもつ代替可能な「人材」として扱われ、競争することを余儀なくされております。また、たとえば医療や老人福祉の領域でも固有名詞をもった人間としてではなく「患者」や「老人」としてあつかわれることも少なくありません。

お互いをけっして脅しによって支配せず、かけがえのない個人として尊重しあうという「平和と民主主義」の原則を貫かない「対人援助実践」など、「対人援助」の名に値しないと思いますが、今日の「脅迫」と「競争」の環境のなかで、そのような「対人援助実践(学)」を創造していくことの困難さは並大抵のものではありません。しかし、わが応用人間科学研究科はあえて、その困難に挑戦しようとしているのであります。

そして、この困難への挑戦を具体的に導くスローガンが「融合と連携」であると私は考えます。相手を脅しで動かさないということは、相手を自己決定の主体として尊重するということです。しかもかけがえのない個人として尊重するということは、すなわち相手を部分に分割しないで丸ごと尊重するということです。

ゆえに「平和と民主主義」の理念に則り、私達の目指す新しい対人援助実践学は個人の丸ごとを尊重することを目指す対人援助実践学だといえます。

従来の対人援助は、まるごとの問題を、心の問題は心理学で、身体の問題は医学で、生活の問題は社会福祉学で、所属する家族や制度の問題は社会学でという風に分担し、しかもばらばらに分割して扱う援助の在り方をしていました。

それに対して、私たちがめざす新たな対人援助実践学は、バラバラに分割された援助相互の連携方法を探ることを課題とします。また、例えば心と身体と生活は相互に切り離しがたく有機的な関連を持っているゆえに、心の問題の解決を図るにしても、身体や生活あるいは制度の側面を考慮しなければなりません。そういう意味では、たとえば心理学と医学と社会福祉学や社会学の融合を図ることも、新たな対人援助実践学を創造していく上での重要な課題になるのです。

もちろん私達の対人援助実践は自らの拠って立つ「専門性」を土台にしているわけですが、その中に閉じこもるわけにいきません。いかなる種類の対人援助も相手を唯一かけがえのない個人として尊重し、共感的に相手と向き合うことから成立するものだと思いますが、個人的なミクロレベルでそういう関係が成り立つためには、それを支援する環境(メゾレベル、マクロレベルでのネットワークやシステム)が構築されなければなりません。

つまり、対象者の抱える問題やそれに対する援助の専門性がいかなるものであろうとも、最善の援助を提供しようとすれば、援助者はその問題固有の専門的な援助手段や技術を行使することと同時に、最善の援助を可能にするような環境を構築していく努力をもしなければなりません。

そういう意味では、私達の目指す対人援助専門職は、自らの専門性を深く磨きながらも、「脅迫」と「競争」の原理に「共感」と「共生」の原理を対置させ、「苦しみを共有し、共に悩みながら、問題の解決をはかっていく」ためのネットワークを構築していく仕掛け人にもなれる対人援助専門職なのです。