立命館大学 デザイン・アート学部
立命館大学大学院 デザイン・アート学研究科

※設置構想中
設置計画は予定であり、内容は変更となる場合があります。

(Journal)

「建築」から「ロボット」へ──
そしてアートとデザインの行く先

松井 龍哉 ロボットデザイナー/美術家

20世紀を代表するデザイン教育機関・バウハウスに深い影響を受け、21世紀の「ロボットデザイナー」として活動を切り拓いてきた松井龍哉氏。本記事では、そんな松井氏とデザイン・アート学部/デザイン・アート学研究科の創設に深くかかわる八重樫文教授が対話し、芸術教育の新しいスタイルについて考えます。バウハウスの歴史的な位置づけから始まり、ロボットやAIが拡張する先端的なデザイン領域や、松井氏が手がける大阪・関西万博のプロジェクトについて、そしてデザインとアートの(再)統合……縦横無尽に展開される議論をお楽しみください。

2025.05.27
執筆:太田知也 / 編集:瀬下翔太

21世紀に対応したデザイン・アート教育のプログラムとは

──今回の松井先生と八重樫先生の対話では、デザインとアートの歴史をふりかえりながら、この分野の研究・教育のあり方について議論していただきたいと思っています。

八重樫: じつはこれまで、松井さんとは何度も議論させていただいています。よくお話するのは、20世紀の伝説的なデザイン教育機関であるバウハウスの話題です。バウハウスという存在の現代的な意義をどう捉え直すか。もちろん、その再考を語る人は多いのですが、教育や研究の「場づくり」まで踏み込んでいる方は少ない。そこで今回、新しい学部を立ち上げるにあたって、「現代のバウハウスをつくろう」という問題意識で松井さんと意気投合したんです。

松井: 私もバウハウスの影響のなかで育ちました。通った高校のデザイン科でバウハウス式の教育を受けて、そのモダニズム型のプログラムにどっぷり浸かっていました。そんなバウハウスは2019年に100周年を迎え、それ以来私は少し距離を取って見直すことができるようになりました。

創設当時のバウハウスがテクノロジーの大きな変化とともに生まれたように、いま私たちが直面している情報とAIの発展も、それに匹敵するインパクトがあると考えています。立命館大学に新たなデザインとアートの教育機関が立ち上がるこうしたタイミングで、学術研究との関係も含めて再定義すべきことがたくさんあると感じています。

八重樫: おっしゃる通りで、現代もデザイン教育の前提そのものが変わっています。私が教育に携わる立場で考えるのは、そうした前提の変化に対応できる「基礎」とは何かという問題です。現在のデザイン教育のプログラムは、バウハウスに由来する構成教育がベースにありますが、それがいまの時代に適応できるのかどうか、問い直す必要があります。

──松井さんのご著書『優しいロボット』には、ルイス・サリヴァンやル・コルビュジエなど20世紀の巨匠らが登場しますね。ご著書からはデザインのモダニズムをアップデートしていく意識が強く伝わってきました。そのあたりについても、今日はじっくり掘り下げていきたいと思います。

松井龍哉『優しいロボット』大和書房、2021年
松井龍哉『優しいロボット』大和書房、2021年

情報と技術から考えるデザインの中心性

──近代デザインと現代との違いはどんなところにあるでしょうか。

松井: いま最先端のデザイン領域といえばAIやロボティクスですが、そうした対象を扱うとき、情報との関係性を設計することが不可欠になります。ロボット開発の現場でも、ハードウェア設計よりもソフトウェアやAIの技術者が多数を占めます。つまり、モノとしての機械ではなく、情報や人間の行動様式と統合されたものを設計しなければなりません。

八重樫: 現代のデザインは対象が増え、専門性が分化しました。しかしその一方で、私たちは「何をデザインするのか」という問いを失いかけているように思うのです。だからこそ新学部/新研究科では、「デザインの中心性の喪失」という問題を出発点にしています。

松井: じつはバウハウスを立ち上げたヴァルター・グロピウスの時代にも、そうした問題意識が共有されていました。けっしてはじめからデザイン教育の整ったスタイルがあったわけではありません。19世紀的な手仕事に重きを置くアーツ・アンド・クラフツ運動のような美の様式と、20世紀の新たな技術をどのように融合するかが模索されていました。そうした議論のなかで、あの有名なバウハウスのダイアグラムが生まれていったのです。私たちがいる現在の地点もそれと似ています。

バウハウスの教育プログラムを図示したダイアグラム(イタリア語版)
バウハウスの教育プログラムを図示したダイアグラム(イタリア語版)。
外周の予備課程(CORSO PROPEDEUTICO)から中心の「建築」(COSTRUZIONE)に向かって学生の学びが進んでいく。
出典:Wikimedia Commons

松井: バウハウスのダイアグラムでは、その中心に「建築」が据えられていました。この図を参照しながら、2000年代初頭にロボットデザイナーとして活動を始めた私は、中心の「建築」を「ロボット」に置き換えてみようと思いました。

21世紀におけるロボットは、かつての建築と同じように、技術的・美的・社会的価値を統合する象徴的な存在になりうると私は考えました。以来、私はロボットを、工学的なプロダクトではなく、総合的な価値を体現する一種のメディアとして捉えています。ですから、建築家のようにビジョンを描き、それを実現するために多様な専門家と協働するというスタイルで仕事を進めてきました。

自律的なロボットをいかにデザインするか

──松井先生がロボットという対象に向き合うようになったきっかけは、どのようなものだったのでしょうか。

松井:いまでも憶えているのは、「自律」という概念に出会った経験です。ロボットは自ら環境を計測・センシングし、状況に応じて自己判断して動きます。それはデザイナーにとっては、20世紀的な機能主義とはまったく異なる次元に位置するデザインの対象でした。

あるときサッカーをする自律型のロボットを見て、その複雑さと分散・協調のシステムに驚いたんです。それが20代の自分にとって最大の衝撃でした。サッカーをするロボットを見て感じたのは、個々の自律性がありながらも、全体として協調しているという構造です。これは、20世紀のデザインがめざしていた力学的な機能美では捉えられません。たとえばハサミのような道具は、人間の力を拡張するものとしてデザインされます。一方で、自律型のロボットは自ら情報を取り入れた結果に応じて動作します。これはもう機能主義では説明できない領域です。

──要素を統合し、見た目を整え、機能を定義するというこれまでのデザイナー像とはずいぶん異なる課題に直面したのですね。デザイナーが意図した範囲を越えて、つくった対象が自律的に行動するところに独特のむずかしさがありそうです。

松井: そうですね。この「自律性」が将来的には「機能」と同等かそれ以上に重要な設計概念になるのではないかと感じています。けれども、それをデザインするには従来の方法論や概念では追いつかないところがあります。コンピュータサイエンスやAI、ロボティクスの専門家と協働しながら、自分自身も「自律」という概念を深く理解し直す必要がありました。

芸術系教育におけるロボットの可能性

──具体的にロボットデザインに携わるうえで必要な素養やスキルセットはどんなものでしょうか。

松井: おおきく分けて三つあると思います。まずひとつは、当然ながら技術・工学的な素養です。ものを実際にかたちにしていくうえで、これは欠かせません。次に必要なのが、マーケットを作り出す起業家精神です。私たちのような仕事はロボットをつくって終わりではなく、それが社会のなかでどのように役立ち、馴染んでいくかを考えなければなりません。“起業家”といっても従来のビジネスを拡大したり株式会社を上場させたりするメンタリティではなく、これまで注目されてこなかったロボットの用途や役割に目を向け、新たな市場をどう創造していくかという発想が重要になるわけです。三つ目は、それらを総合的に捉え、ビジョンとしてまとめあげる能力です。単にスキルや知識があるだけでは不十分で、それらを統合して構想できる人材が、これからのロボットデザインには必要とされると思います。そういう人が出てきたら、すごく頼もしいですね。

──技術、マーケット創造、ビジョン提示という三つの素養ですね。とくに社会のなかの新しいロボット像を開発するというのは非常に興味深く感じます。なにか具体例はありますか?

松井: たとえば、ケアセンターや独居老人向けに開発した対話ロボットがあります。あるご年配の方にとっては、ロボットが生活のなかで唯一の会話相手であり社会との関わりになっていたため、ロボットが壊れたときには涙を流されていたそうです。これは工学的な視点だけではない情緒的な領域であり、ロボットをどう捉えるかの視点が問われる出来事でした。

──ウェルビーイングや情緒的な観点からロボットを捉えることで新市場が切り拓かれるかもしれないというお話ですね。こうした新領域の探索や起業家精神の育成は、新学部/新研究科でも注力されていくと思います。ここで八重樫先生にお尋ねしたいのですが、このような素養をデザイン・アート教育でどのように扱っていけるでしょうか。

八重樫: 学部教育の枠組みで考えると、いま松井さんがおっしゃったそれぞれの素養は個別のスキルセットとしてモジュール化し、学べるようにすることは十分に可能だと思います。ただしもうひとつ、前提の部分でおおきな課題があると考えています。それは、中高生のような若い世代の興味関心を啓発するという点です。

従来の進路選択では、「デッサンができるかどうか」で美術系・デザイン系学部を志望する傾向がまだまだ根強いと感じています。けれど、実際にはすでに創造的な活動に取り組んでいるにもかかわらず、それがデザインやアートと結びついていないと感じている中高生が多くいます。そうした子どもたちに「自分がやっていることも、じつはデザインやアートとつながっているかもしれない」と思ってもらうための入り口を、もっと多様に用意する必要があると感じています。その意味で、教育の文脈で言えば、ロボットは教材としても非常に豊かな可能性を秘めています。

未来を担う存在としてのロボットに触れたとき、「自分にもできることがあるかもしれない」と直感する若者がいるかもしれません。そうした接続点をどう増やしていくかが、教育者としてはこれから重要なテーマになると考えています。

デザインとアートが並ぶ意味

八重樫: 美術系教育の変化について、もう少しつづけてみます。さきほど松井さんのお話にあった「現代のデザインに従来のやり方では太刀打ちできない」という認識は、教育の観点からみても非常に重要だと思います。冒頭にも少しお話ししましたが、現在のデザイン教育のカリキュラム──つまり、構成教育や造形基礎から出発し、段階的にデザイン実践へと進むというモデル──は、バウハウスを源流としています。しかし、松井さんが指摘されたように、デザインの対象や成果のあり方が大きく変わってきている現在、そもそも「基礎」とは何か、「デザインができるようになる」とはどういうことかという定義そのものを見直さなければならないと考えています。

もちろん、私自身もまだその明確な答えを持っているわけではありません。ただ、そうした問いに真剣に向き合い、新たに教育の枠組みをつくり直していくことこそが、新学部/新研究科で取り組もうとしていることなのです。

──新学部/新研究科の名称である「デザイン・アート学部/デザイン・アート学研究科」にも象徴的に表れているように感じます。デザインとアートをひとつにまとめて掲げること自体が、基礎的なレベルでの変革の必要性を訴えているかのようです。

八重樫: そうしたメッセージは本学も非常に意識しているところです。バウハウスも技術と芸術の統合を掲げていました。私たちにとってもテクノロジーがますます高度化するなかで、技術主導のデザインに流されるのではなく、アートの視点と融合しながら、「社会をどうかたちづくるか」「生活世界をどう設計するか」という視野で考えていく必要があるのです。そうした意図を込めて、デザインとアートを並べています。

──実践者である松井さんにもお伺いしたいのですが、デザインに向き合うなかでアートの必要性についてはどのように感じるようになったのでしょうか。松井さんはロボットデザインを長く手掛けられつつ、近年は平等院や東大寺におけるアート・プロジェクトにも携わっておられますよね。

東大寺に奉納された《鎮める火群》(2023)
東大寺に奉納された《鎮める火群》(2023)
©️一般社団法人奉納プロジェクト
写真:広川泰士

松井ロボットのように複雑で、社会的・技術的な変化がおおきく伴う対象には、若いうちでなければ向き合えないと私は考えています。そのため、年齢を重ねたあとは、より自由な創造ができる芸術家として活動しようと志すようになりました。

これは、私の個人的な人生観によるものです。私は、ひとりのクリエイターが一生のなかでできる仕事には限りがあると考えています。ものづくりには、環境・体力・知識など、さまざまな条件が総合的に関わってきます。とくに私が取り組んできた領域──まだ明確なかたちになっていない「科学」と「産業」のあいだにあるようなプロジェクト──は、知力と体力の両方をフルに動員しないと成立しません。

ですから、こうした仕事は若いうちにしか勝負できないと割り切ってきました。つまり、ロボットに関する仕事はある種の「期間限定」だと、最初から決めていたんです。だからこそ、技術的・社会的な制約から解放されて、自由に創作できる芸術家として生きる期間を、自分のなかで設定していました。そしていま、ちょうどその年齢に達したこともあり、意識的にアートの仕事に取り組み始めています。

平等院に奉納された《鳳凰の卵》(2021)
平等院に奉納された《鳳凰の卵》(2021)
©️一般社団法人奉納プロジェクト
写真:藤塚光政

生成AI時代のアートとローカリティ

──じっさいにアートに携わるなかで制作や思考に変化はありましたか。

松井: ある種のローカリティのようなものが創造の源泉にあるのではないか、と考えるようになりました。

デザインの世界ではもともと、合理性や普遍性が重視されてきました。工業製品や都市空間のデザインは、一定の合理性や汎用性、つまりどこでも通用するルールによって支えられています。近代建築の理念にあったインターナショナル・スタイルという概念ですね。いま考えてみれば、それは生成AIのような技術とも非常に相性がよいわけです。いまや生成AIなどによって合理的な答えが即座に導かれるようになりましたから、人間が合理的なことを考えること自体が非合理的だと思えるほどです。

でも、それだけではどうしても見落としてしまうものがあります。たとえば、私が若い頃に暮らしていたパリは、合理的な都市計画から築かれています。けれど実際に暮らして歩いてみると、通りごとの空気や歴史の積層が身体的に感じられてきます。私が住んでいたバスティーユからルーブル美術館までの道のりも、地図では一目瞭然ですが、毎朝歩くたびにさまざまな歴史や記憶が私の中に立ち上がってきました。

1889年のパリの地図
1889年のパリの地図。
出典:I. Pilon、Shutterstock.com

松井: 地図やグリッド、つまりインターナショナル・スタイル的な合理性ももちろん大事ですが、むしろ固有の身体が個別の場所で感じとるローカルな質感こそが、生成AIの時代には重要になるのではないでしょうか。これはアートの価値にも通じる話だと思います。

八重樫: まさに地域性やローカリティは、新学部/新研究科のコンセプトである日本の歴史と文化に根ざしたデザインの再構築にも直結する考え方です。その原点には京都という土地がもつ文化的な厚みがあります。そうした背景を踏まえてコンセプトを組み立ててきましたので、地域固有の文脈や環境の身体的な感受といった点には強く共鳴します。

そして興味深いことに、ロボットもまた環境を感知したりセンシングしたりする主体ではあるのですよね。そのため、ロボットはAIだけでは得られない身体的な感覚を情報技術と接続する媒介にもなりえます。

こんなふうに今日ここで扱われているさまざまなトピック──アートやAI、地域性、身体性、そして教育──を、ロボットという軸で横断的につなぎ直してみると、とても豊かな思考が生まれてくるように感じています。

1000年前の生活文化から1000年後の人間像を見通す

──松井さんの最新のお仕事についてお尋ねします。大阪・関西万博では松井さんのロボットデザインが注目されていますが、どのような思いから今回の成果が生まれたのでしょうか。

松井: 万博ではシグネチャーパビリオンで大阪大学の石黒浩教授とコラボレーションさせていただきました。ここではロボットと人間を通して考える命の未来がテーマになっています。その意味では、アート活動を経てふたたびロボットデザインの領域に向き合う仕事となりました。

私がロボットデザイナーとして普段おこなっているのは、50年後を見越したデザインです。しか石黒教授からは「1000年後の人間の姿を一緒に考えてほしい」ということでした。未来をこれだけ長いスパンで想像するとなると、現在の技術を前提にすることすら意味がありません。すると、設計の前提がすべて失われて、純粋な想像力だけが問われることになります。ここで向き合うことになった長大な時間感覚は、まさしくアートの制作に通ずるプロセスだと思います。

ロボットを構想するよりどころとして、まずは「1000年前の人間の生活」から考え直す必要があると感じました。日本には、『源氏物語』や奈良・京都の寺院のように、1000年前の生活文化がいまも根強く残っています。そうした縦の時間軸を手がかりに、1000年後の未来を考えるようになったのです。

大阪関西万博で披露されたロボット《PUNICA》(左)、50年後の社会で活動するデザイン。
大阪関西万博で披露されたアンドロイド《MOMO》(右)、1000年後の人の姿のデザイン。
皮膚と連なる衣装は廣川玉枝 / SOMA DESIGNによるデザイン。
ともに©️FUTURE OF LIFE / EXPO2025

松井: 私がかつて携わった平等院や東大寺のプロジェクトでも感じたことですが、当時の人々が未来に託した想いは、医療や科学が今ほど発達していなかったぶん、宗教的な世界観──とりわけ極楽浄土のような理想世界への希望に支えられていました。そうした世界観は、現代の私たちにもなお訴えかけるものがあります。

八重樫: これまで松井さんのロボットデザインを拝見していて、バウハウス的でモダンな合理性を感じていました。しかし、万博のプロジェクトではポストモダン期のデザインの感覚も見受けられました。建築家/工業デザイナーのエットレ・ソットサスやメンフィス・グループのようなイタリアン・デザインとの接続を思わせるような感性の変化がみられ、非常に刺激的でした。

メンフィス・グループのエットレ・ソットサスによるキャビネット「Casablanca」(左)と
マルティーヌ・ブダンによる照明「SUPER」(中央下)
出典:Caffe_Paradiso, On the left Casablanca by Ettore Sottsass, CC BY 2.0

松井: その見方はある面では正しいと思います。実際、長年私のロボットを見続けてくれていたジャーナリストからも「宗教替えしたのか」と冗談交じりに言われました(笑)。けれど、自分としては成熟だと考えています。バウハウスに浸かっていた自分の、アーツ・アンド・クラフツへの先祖返りとも言えるかもしれません。

──最後の質問になりますが、ご自身のアート活動とロボットデザインの混じり合いは今後どのようなものになっていくとお考えですか。

松井: 私は、未来に希望を抱けるような世界観を創出することにもデザインやアートの役割があると信じています。一方で、現代美術の多くが社会批判や問題提起に偏っている傾向には、少し距離を感じています。たしかに現代美術は、事前に社会問題の危機を世に知らしめる「炭鉱のカナリア」の役割を果たしてきました。けれども、人間の幸福や希望に寄り添う表現も、もっとあっていいのではないでしょうか。

未来を描く万博という場だからこそ、「もう一歩先に進んでみたい」と思えるような、肯定的な世界観を提示することに意味がある──そう思って今回のプロジェクトに取り組みました。現代社会や技術の延長上に未来を見据えるのではなく、まったく異なる時間感覚から発想を立ち上げてみるというのは、これからのものづくりにも大切な視点ではないかと考えています。

──デザインとアートの行く末やその相克について力強い希望を語っていただけたように感じています。ありがとうございました。

Profile
松井 龍哉 MATSUI Tatsuya

ロボットデザイナー/美術家
立命館大学 デザイン科学研究所 上席研究員

1969年東京生まれ。日本大学芸術学部デザイン科卒業後、丹下健三・都市・建築設計研究所 / 科学技術振興機構の研究員を経てフラワー・ロボティクス株式会社を起業し、様々なロボットをデザイン・開発。
ニューヨーク近代美術館、ヴェネツアビエンナーレ、ヴィトラデザインミュージアム等で作品が展示される。

受賞:グッドデザイン賞 ACCブロンズ賞 iFデザイン賞(ドイツ)red dotデザイン賞(ドイツ)
日本大学芸術学部客員教授 成安造形大学客員教授 日本建築美術工芸協会 AACA賞選考委員
著書:「優しいロボット」大和書房 2021年