2007年7月14日 (第2820回)

江戸末期の庶民の平均寿命と人口構造

産業社会学部 教授 長澤 克重

 現在、日本は少子高齢社会への道を突き進んでいますが、沢山のきょうだいや同世代の仲間と育った戦前・戦中派世代や団塊の世代からすれば、信じられない社会構造の転換といえるでしょう。

 明治維新以後の近代化と産業化、さらには戦後の高度経済成長によって、日本の人口ピラミッドの形状はピラミッド型から釣鐘型、壷型へと変遷してきました。また、「人生50年」といわれた平均寿命は、現在は世界のトップクラスにまで達しています。

 それでは、時代を江戸時代まで遡ると、当時の農村社会における人口の静態構造と動態構造はどのようなものだったのでしょうか?農村社会=低開発=多産多死=ピラミッド型、短命、というイメージに当てはまるのでしょうか?

 当日の講座では、一関藩狐禅寺村の古文書資料から、19世紀の初頭(文化・文政期)、中頃(嘉永・安政期)のそれぞれの時代における同村の人口構造と平均寿命を明らかにすることで、当時の農村における生活構造の一端を考察してみたいと思います。