途中棄権する選手が多いという過酷な自転車競技のロードレース。そのロードレースに青春をかける選手がいる。「山形村ヒルクライムラウンド※」のクラス1で3連覇を達成し、自転車競技部に所属している北野さん。今も今後を見据えトレーニングに励んでいる。

ヒルクライムは、山や丘陵の上り坂に設定されたコースでタイム競う登坂競技。今回の大会では、長野県にある山形村清水高原観光道路を舞台に、距離6.5km、標高差507mの坂を駆け上がり、3ヒート(3回のレース)の合計タイムを競った。

※全日本学生ロードレースシリーズ2017第4戦。クラス1、クラス2、クラス3と女子が混走で3ヒート行い、合計順位で各カテゴリーの優勝を競う

「毎年8月に実施される全日本大学対抗選手権自転車競技大会(以下、インカレ)を目標に練習していました。この大会はインカレが終わって1週間後に開催され、コンディションが整った状態で臨めたので3連覇できたかもしれません」と北野さんは勝因を語る。

自転車競技との出会い

北野さんは中学1年の夏まで陸上部に所属していたが、怪我のために陸上を断念。地元の自転車店のチームに所属し競技を始めたという。「テレビで『ツール・ド・フランス』の映像を観て、面白そうだな、と思いました。また、父が趣味でロードバイクをしていたので、始めやすい環境でしたね」

高校でも部はなかったが、先輩が個人で活動していたので一緒に練習していたという。朝5時から7時までの練習をこなし、授業が終わってからも日が暮れるまで練習に明け暮れる日々。「途中で先輩が辞め、2年からはコーチとマンツーマンで練習をしていました。きっと他の部活動より厳しい練習内容だったと思います」と、当時を振り返る。その厳しい練習を乗り越え、3年のときにはインターハイと国体で2位という成績を残す選手に成長した。自転車は高校までで一線を退くつもりだったが、周囲から今後も活躍が期待され、大学でも続ける決意をしたという。

険しかった道のり。練習に打ち込み、仲間に刺激され、不安を払拭

しかし大学入学当初のレースでは途中棄権が多くなり、目標としていた成績は残せず、課題が残る競技生活だったという。その原因は、高校3年のときにふくらはぎを怪我したため。上手くふくらはぎを使えず、バランスが崩れてまともに走ることができなかった。

一番苦しかったと振り返るその時期、不安な気持ちを払拭したのは、練習に没頭することと、もう一つ、仲間の存在が大きかったという。孤独に練習に励んでいた高校のときと違い、応援する、応援してくれる仲間の存在が北野さんのやる気を奮い立たせた。学生として最後の全国大会であるインカレでは10位以内という目標に対し21位と望んだ成績は残せなかったが、北野さんの競技にかける思いがヒルクライム3連覇達成へと導いたのかもしれない。「卒業後も競技を続け、自分が納得できる成績を残したいです」。来年6月に開催される全日本選手権での上位入賞を目指す北野さんは、4月から社会人として新たなスタートラインに立つ。

PROFILE

北野龍人さん

富山県立水橋高等学校(富山県)卒業。幼少期から自転車競技の強豪国であるコロンビアに興味を持ち、高校のときからスペイン語の勉強を始め、今では日常会話が可能なレベルに上達。来春からは、広島で商社の営業職に就く予定。

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