「将棋は会話みたいなものですね。盤面から相手の感情が伝わってきます。自信がない時の悲観的な気持ちや、のびのびと自信にみなぎる様子、全てが自分の指し手に現れます。言葉を交わさずともお互いの感情や性格までも読み取れるこの競技が楽しくて、どこまで行っても奥深い」。女流棋士としてプロの世界に身を置く女流初段の武富礼衣さんは語る。総合心理学部で学びを深める彼女は、自身の対局や感情を客観的に分析する力を磨きながら、厳しい世界で戦い続ける。彼女が辿ってきたこれまでの軌跡と強き信念を語ってくれた。

“弱さ”と向き合うからこそ、強くなれる

「負けたときの感情は、『悔しい』だけでは言い表せません。将棋では相手が誰であろうと、運や環境は関係なく、自分の実力が全てです」。女流棋士になるため、幾度となく壁を乗り越えてきた彼女は、自身の性格を「とにかく負けず嫌い」だと胸を張る。そしてこの性格が彼女の競技人生を支えてきた原動力でもあった。

将棋との出会いは5歳の頃。父親と3歳年上の兄が指していた将棋に興味を持った。「それまで父や兄に何かで勝てたことがなかったのですが、将棋は年齢、性別関係なくフェアに戦え、勝つこともできたのが楽しかったです」。気が付けば将棋にのめり込んでいた。小学1年生、地元佐賀県で開催されたイベントでは「初めて観客を前にした対局に大きな刺激を受け、さらには敗戦したとき、表現できないほどの悔しさを覚えました」。そのときの感情が、将棋への思いをさらに熱くした。

大きな転機となったのは中学3年生の頃。それまで将棋と同じくピアノや音楽、勉強にも力を注いできたが、プロ棋士を目指すと決断。高校では佐賀県から月に2回、東京へ足を運び、女流棋士になるための養成機関である研修会に通った。そして大学入学前に女流2級へ昇級、そして初段へ昇段。その後も対局がある度に、大学にキャリーケースを持ち込んで授業を受け、その足で東京へ移動し、翌日始発の新幹線で大阪に戻り、大学に向かうこともあったという。

多忙な日々のなかで「将棋が一番好き」という思いが強くなる一方で「一番好きだからこそ、対局で負けたときはとてつもなく苦しかった。弱さを突きつけられ、逃げてしまったときも、逃げた自分が憎かったです」と振り返る。苦しみを乗り越え、現在では格上の相手との対局にも臆さず挑み、敗戦の要因や実力の差を細かく分析している。「負けた将棋なんて二度と見たくないのですが、そこに成長の可能性が詰まっています。冷静に敗因を追究して、次に生かせれば負けも糧になる。そして“次は何としても勝つ”という強い気持ちが芽生えてくるんです」。敗戦から何度でも立ち上がり、逆境を乗り越えていく強き心を磨き続ける。

将棋の楽しさを伝えたい

「どれだけ忙しくても、自身の対局や将棋の普及活動、学業など目の前のことに全力を注いできました」。女流棋士になって以来、小学校等での指導対局やイベント出演、将棋番組での聞き手など、積極的に普及活動に参加し、将棋の魅力を広げるため日々奮闘している。自身の力を磨きながらも「将棋の面白さを伝えたい」との思いを大切にする。「女流棋士になる前は、プロ棋士の先生や女流棋士が来てくれるイベントが心の底から楽しみで、いつもわくわくしていました。今はその魅力を発信する側に立つからこそ、一つひとつの交流を大切にすべきなんです。子どもたちにも『こんなに楽しい競技があるんだよ』と将棋の面白さを伝えていきたい」。優しい笑顔をみせ、自らの思いを話してくれた。

成長の証を掴むため

「プロとして戦い、つまずきそうになったときは、私の対局に一喜一憂してくれる家族の存在や友人、ファンの方々、そしてこれまでの努力を振り返ります。初心に戻り『こんな小さなことで挫折できない。これからだ』と自らを鼓舞します」。大学最後の一年を迎えた今、「卒業までに少しでも自分が成長したと思える結果を残したい」と力強く語る。いずれは「女流棋士戦でタイトルを獲る」という大きな目標を掲げ、そこに向けて突き進む。「道のりは険しいですが、今の自分とトップとの差を意識し続け、一歩ずつでも近づけるように努力するのみです」。己の道を力強く歩み、挑み続ける彼女の戦いから目が離せない。

PROFILE

武富礼衣さん

龍谷高等学校(佐賀県)卒業。佐賀県出身初の女流棋士。立命館大学将棋研究会に所属し、アマチュアの試合には出場できないが、団体戦で必死に戦う部員の姿には大きな刺激を受けたという。趣味は将棋、ピアノや運動。健康管理に気を配り、自炊に励む。母の味を再現するため、母親と電話をしながら料理をすることも。中学生の頃、担任教諭の影響で心理学に興味を持ち、卒業研究では「棋風と性格の相関」という題目で研究を進めている。

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