障害があっても、やりたいことは諦めない~障害のある教員の社会運動史を明らかに~
「『障害があるから諦めよう』ではなく『自分のやりたいことはやろう』という姿勢を大切にしています」と語る栗川治さん。公立高校で教壇に立ちながら、2018年に先端総合学術研究科へ入学し、障害者運動史の研究を開始。2020年には「社会福祉法人新潟県視覚障害者福祉協会」が発行する『協会・点字図書館創基100周年記念誌』で、現存する日本最古の点字図書館の基と考えられる「姉崎文庫」の調査を行い、創設者である姉崎惣十郎の知られざる業績や人物像を明らかにすることに成功した。障害のある教員の当事者運動史や点字図書館運動史の全体像を明らかにすべく、研究に打ち込む栗川さんに話を聞いた。
突如訪れた転機
大学卒業後、新潟県の公立高校に就職した栗川さん。しかし、網膜色素変性症の影響で20代後半に失明。盲学校へ転勤し、視覚障害を持ちながらも教壇に立った。盲学校では障害に理解のある人々の支援もあり不自由なく勤務を続けていたが、「特別な場でなく、一般の社会でも普通に生きたい」との思いから転勤の希望を出し、1993年から普通高校での勤務を開始。ボランティア部や合唱部の顧問を務めながら、各地で奮闘する障害のある教員たちとともに障害者運動団体で活動した。
そんな栗川さんに転機が訪れる。2017年、東京での「障害のある教職員ネットワーク全国集会」に参加した帰り道、先端総合学術研究科で「障害教師論」の研究を行っている中村雅也さんからある提案が。「立命館の東京キャンパスで面白いイベントがあるから一緒に行かないか」。キャンパスへ足を運ぶと、そこでは大学院の入試説明会が行われていた。「騙されたわけではないけれど驚きました」と笑顔で語る栗川さん。突然の事態に混乱したが、学生時代に抱いた「大学院で研究に打ち込みたい」という思いが再燃し受験を決意した。
先人たちの思いを胸に
晴れて大学院へ入学したが、研究の方向性に悩んだ栗川さん。「『障害とは何か』を深めたいと考えていましたが、細かな方向性がなかなか定まりませんでした」。半年間悩み続け、出てきた答えは「障害のある教員の運動史」だった。「人生を振り返ったとき、障害のある教員の先輩や仲間とともに活動してきたことが頭に浮かんできたのです」。
根底には先人たちへの思いがあった。「1960年代、障害のある人は教員採用試験の受験さえ認められていませんでした。1970年代に入り、点字受験の実現を求めた運動が始まりましたが、門戸が開かれず無念を抱えた人が数多くいます」。周囲でも、懸命な努力にもかかわらず、中途障害で教壇から外される人や、過労で亡くなる人が少なからず存在した。「先人たちの悲しみや怒り、苦悩、喜びを忘れることなく研究に打ち込もう」。栗川さんの研究が本格的に始まった。
点字図書館の創設者・姉崎惣十郎の生涯を紐解く
2020年、栗川さんは立命館大学での研究の傍ら、新潟県視覚障害者福祉協会の100周年記念誌の発行にあたり、国内で現存最古の点字図書館と考えられる「姉崎文庫」の研究調査を担当することとなった。現代文とは異なる大正時代の文献を解読し、未知の資料を考証する作業は困難を極めたが、立命館大学障害学生支援室の職員やサポーター学生の支援もあり、作業は少しずつ前進していった。調査を通じて若い世代との交流が増え、互いに刺激を受ける良い関係性も育まれた。丹念に調査を進めた結果、これまで知られていなかった「姉崎文庫」の創設者・姉崎惣十郎の業績や人物像を浮かび上がらせることができた。
障害のある教員の運動史を明らかに
「研究を続けられているのは周囲の方の親身な理解や協力のおかげです」。そう感謝を述べる栗川さんは、博士論文の完成に向け研究に邁進している。「現在、1970年代に奮闘した方々の多くが高齢となり、当時の話を聞く機会が限られています。だからこそ、できるだけ早く先人たちの運動の記録を収集し分析を進めることで、障害のある教員の運動史の全体像を明らかにし、後世に残していきたい」と語ってくれた。新たな研究領域を切り拓く栗川さんの挑戦はこれからも続く。
PROFILE
栗川治さん
早稲田大学第一文学部哲学専攻卒業。日本学術振興会特別研究員(DC1)。趣味は合唱で、小学生から高校生まで吹奏楽に打ち込み、大学ではグリークラブに所属。現在は新潟県の市民合唱団で活動を続けている。全国視覚障害教師の会事務局長、内閣府障害者政策委員会専門委員、新潟市障がい者施策審議会委員等を歴任し、障害のある教員の就労に関する支援活動に従事している。