「クロス」というアルミニウム製スティックを使い、放たれる球の最高スピードは時速150kmを超える。男子は激しいボディコンタクトがあるため、防具とヘルメットを着用して闘い、“地上最速の格闘球技”ともいわれるラクロス。2022年8月にアイルランドで開催された「第9回WORLD LACROSSE男子U-21世界選手権大会」(以下、世界選手権大会)に出場した山本礼さん。

「U-19、U-20、U-21」と、3年連続で日本代表として選出され、「ラクロスが人生を変えてくれた」と語る彼に迫った。

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U-21日本代表として“世界ベスト5”に

2022年、新型コロナウイルス禍で2年間延期されていた世界選手権大会がアイルランドで開催。日本代表チームは、圧倒的強豪のアメリカ、カナダ、イロコイ連邦に次ぐ、「ベスト4」を目標に設定した。

ラクロスは4クォーター制、総合得点で勝敗が決まる。オーストラリアとの「4位決定戦」では、3クォーターまで日本がリード。ところが、4クォーターの残り15分というところで相手チームの激しい追い上げにあい、逆転を許してしまう。結果、惜しくも2点差で、日本代表は「世界第5位」となり、目標を逃した。

その結果に山本さんは、「すごく悔しかったです。試合前は、『本当にそこまで戦えるか』という思いもありましたが、試合を重ねる中で、『いける』という実感が湧いてきました。残念ながら目標には及びませんでしたが、“ベスト4”への壁は高くない、十分に到達できるという手応えを感じました」と振り返った。

イロコイ連邦:ネイティブアメリカン6部族により構成される部族国家集団。

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実感が湧かなかった“日本代表”

大学からラクロスを始め、1年目で「U-19日本代表」に選ばれた。新型コロナウイルス禍の影響で世界選手権大会の延期が決まっていたため、当初は日本代表になったという実感が湧かなかったという。だが、選出されたことをきっかけに、彼のラクロスに対する意識は変わっていった。

「代表入りしたことで、一気に視座が上がり、『2年目も絶対に代表入りしてやる!』という強い気持ちに変化しました」。向上心の芽生えは、自分に対する高いプレッシャーと向き合う日々の始まりでもあった。

代表コーチからは、世界で闘えるチームになるために、どこを伸ばす必要があるのかが明示された。山本さんは、大学チームでの練習後、一人黙々と課題箇所の強化練習を繰り返した。それだけでなく、他大学の練習にも積極的に参加し、貪欲に技術や知識を吸収していった。「選考対象メンバーは、みんな選ばれるために必死です。『もっとレベルアップしないと代表には選ばれない』というプレッシャーが常に自分のなかにありました」。

長きにわたり努力を重ね、山本さんは遂に「U-21代表」の座を手にした。代表の実感が無かった彼が、いつしか『ラクロスにすべてを懸ける』選手へと成長していた。

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逆境は“自分を見つめなおすチャンス”

山本さんの持ち味である、“瞬発力”・“フィールド感覚”・ “パワー”、そして“粘り強さ”。これらはどのように培われたのか。

小・中学校ではサッカー、高校ではラグビーに打ち込んだ彼。高校は、県内有数のラグビー強豪校だった。1年生の冬、思いもよらない出来事が彼を襲った。肩を大ケガし、半年ほど試合に出られなくなった。

「経験者の多いチームのなかで、高校からラグビーを始めた自分が半年も離れてしまったら、他のメンバーに勝てないと思いました。でも、冷静に『自分だからこそできる部分を伸ばそう』と意識を切り替え、下半身を徹底的に鍛え、キック力強化を図りました」。逆転の発想と地道な努力が実を結び、復帰後の試合で活躍。精鋭メンバーを抑えてスタメンに定着した。

「窮地に立たされた時は、何かを変えないといけない。僕はそれを“チャンス”だと捉えるようにしています。これまで、自分より強い人たちと競争することが多かったのですが、いつも『視点を変えて自分の強みを伸ばせば、勝てるかもしれない』と考えを切り換え、乗り越えてきました」。

“逆境”を“チャンス”に変え、強みに磨きをかけるその生き方が、山本さんを形作った。

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次に目指すステージ

「ラクロスはとにかく楽しく、人生のなかで一番のめり込んだスポーツ。ひたむきにラクロスと向き合う4年間でした」と語る山本さん。

「世界最高峰の選手たちと試合をして、改めてラクロスの奥深さや面白さに気づかされた。さらにレベルの高い環境に身を置いて、もっともっと上手くなりたい。自分の可能性に挑戦したいと思ったんです。次の目標は、『ラクロス男子日本代表』です」。

今回の世界選手権大会を通じて、彼にはもう一つ気づかされたことがあったという。

「周りの方々の支えがあって、今の自分があるということです。先輩方のおかげでラクロス部が存在し、そこで成長することができました。また、たくさんの方々に『世界選手権大会』という『場』を設けていただいたことで、出場の機会を得て、そこでも成長することができた。スポーツは決して一人ではできません。多くの方々との出会い、そして支えがあったからこそここまで来られました」。

周囲の支えを受け、更なる高みに挑戦する山本さん。ますます輝く彼の姿を、これからも追い続けたい。

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PROFILE

山本 礼さん

名古屋高等学校(愛知県)卒業。

世界選手権大会に出場できなかった2年間について、「チームの仲間が本当に大好きで、『このチームで関西制覇したい!』という目標があり、モチベーションが下がることはありませんでした。仲間に支えられた2年間でした」と振り返る。休日には、筋力トレーニングや自主練習で汗を流し、仲間と銭湯に行くことが多いそう。

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