「今しかできないことを全力で楽しむ」 競歩と長距離を両立し世界を目指す
左右どちらかの足が常に地面から離れないように歩き、その速さを競う競歩。2023年6月に行われた「第4回順天堂大学競技会」の女子10000m競歩の日本学生記録を樹立し、同年7月開催の「FISUワールドユニバーシティゲームズ」日本代表に内定した柳井綾音さん。彼女は競歩選手だけでなく、長距離選手としても奮闘している。「両立は難しいですが、相乗効果で良い結果を生んでいます」。世界のフィールドへ羽ばたくため、日々邁進する彼女に迫った。
「立命館に入る!」と決めた小学校時代
幼い頃は人見知りで、公園に行くのが苦手だった柳井さん。小学1年生の時、父親の勧めで地元のアスレチッククラブに入部し、市のマラソン大会に出てみると、思いがけず準優勝した。そこで「長距離を走るのっておもしろい」と感じ、小学2年生から地域の陸上クラブに入部。そこから彼女の本格的な陸上競技人生が始まった。
その頃、全日本大学女子駅伝で、立命館大学が優勝するのをテレビで見た。「猛烈に憧れ、自分も立命館大学に入って走りたいと思いました」と、その時の強い気持ちを振り返った。「立命館大学に入るためには、全国大会で結果を残さなければ」。明確な目標ができた彼女は、以降黙々と厳しい練習に励んだ。中学校では長距離で全国大会に出場、高校は陸上強豪校の北九州市立高等学校へ進学した。そして、そこで「競歩」との運命的な出会いがあった。
長距離と競歩、二足のわらじ
きっかけは高校陸上部 監督の一言だった。けがで故障していたとき、速く歩く練習をする柳井さんに才能を感じた監督が「競歩もやってみては」と声をかけたのだ。
監督の読み通り、彼女はすぐに頭角を現した。競歩の練習を始めたのは高校3年生からだったが、夏の全国高等学校総合体育大会(インターハイ)では優勝を果たす。長距離の練習も欠かさず行っていたこともあり、同インターハイでは女子3000mにも出場、第32回 全国高校女子駅伝でも4位に入賞するなど、長距離と競歩でしっかりと結果を残した。
一見すれば順風満帆に見えた陸上競技人生。しかし、彼女は長距離と競歩の両立にずっと苦しんでいた。「長距離より競歩の方がきついんです。膝が曲がってはいけないし、足が浮いてもいけない。審判にジャッジされる演技競技でもあり、心理戦になるのでメンタルも相当鍛えなければならなくて…」と語る彼女は、一時、競歩から距離を置いてた。「実は『高校3年生のインターハイで優勝したら競歩をやめる』と周囲に宣言していたんです。でも、尊敬する高校の先輩の藤井菜々子選手が、競歩で出場した東京オリンピックで入賞できなかったのが自分事のようにくやしくて…。それで『もう一度、競歩をやろう』と心に決めたんです」。
「見返してやる」という気持ちをばねに
高校で成績を残し、念願だった立命館大学に進学。競歩と再び向き合った柳井さんは、大学でも次々と結果を出した。2022年5月には「第99回関西学生陸上競技対校選手権大会(関西インカレ)」の女子10000m競歩で優勝。同年8月、コロンビアで開催された「カリ2022 U20世界陸上競技選手権大会」の女子10000m競歩では銅メダルを獲得した。
大学でも輝きを放つ彼女だったが、突如して大きな挫折を味わうことになった。2022年12月に開催された「2022全日本大学女子選抜駅伝競走(富士山女子駅伝)」。1回生の彼女に出場する予定はなかったが、急遽1区4㎞を走ることになったのだ。出場予定だった選手がけがをしてしまい、大会当日「自分では立命館大学のたすきをつなげられない。代わりにつないでほしい」と頼まれてのことだった。実はその時、柳井さん自身も両足大腿骨を疲労骨折していた。それでも彼女は、仲間の願いを引き受けた。大会をもって陸上競技人生を終える先輩や、共に優勝を目指して走る仲間のために。途中、足に力が入らなくなったが、強い気持ちを支えに彼女は何とかたすきをつないだ。
結果、立命館大学は5位に入賞したが、柳井さんの区間順位は最下位だった。「ショックでした。ひと月くらいは、気持ちの切り替えが難しくて。でも、落ち込んだ気持ちより、『見返してやる』というくやしさから来る気持ちの方が強かったです」。
大きな逆境でこそ彼女の負けん気の強さは発揮された。「私の取りえはメンタルの強さ。『くやしい』という気持ちが力に変わります。駅伝が終わってしばらくは、走ると足が痛みましたが、それでも歩くことはできた。20~25㎞を一定の速さで歩く練習だけに集中しました」。その言葉通り、駅伝でのくやしさをばねに、2カ月後の「日本選手権」20km競歩で3位に入賞。彼女は、再び輝きを取り戻した。
結果で恩を返したい
その後も「第4回順天堂大学競技会」での日本学生記録樹立や、「FISUワールドユニバーシティゲームズ」日本代表内定など、好成績を残し続ける彼女。「富士山女子駅伝の経験があるから今があると感じています。『あれより苦しいことはない』と思えるようになりました」と笑う柳井さんは、活躍の秘訣をこう語る。「女子陸上競技部の十倉みゆきコーチに、理論的な指導を受けたり、自分の意見を取り入れた練習をさせてもらったりしています。体の仕組みを頭に入れ、鍛えたい部位をいかに使うか考えたメニューを、コーチと一緒に作り上げています」。富士山女子駅伝後は、十倉コーチに対しても「結果で恩返しがしたい」と強く思うようになったという。
また、競歩だけでなく、駅伝でも結果を出すために練習しているところが大きいと話す。「夏は競歩、冬は駅伝の練習と決めて、長距離も走れるように、毎朝ランニングをしています。歩きより走りの方が早く終わって体力も付くし、駅伝に生かすこともできます。他の競歩の選手は歩く練習しかしない人が多く、そこで差を付けられていると感じます。駅伝の練習をすることが、結果的に競歩の良い結果にもつながっています」。
「人生を変えてくれた」競歩
大学卒業までの目標は2025年世界陸上選手権大会(東京世界陸上)で入賞すること。そして、最終目標は2028年開催のロサンゼルスオリンピックで表彰台に上ることだと話す彼女。5年後のオリンピックを見据えて2024年のパリオリンピックにも競歩20㎞で出場したいと考え、今は基礎体力作りに集中的に取り組んでいる。
そんな柳井さんには大切する言葉がある。「『今しかできないことに全力で取り組む』。競歩で世界に挑戦するようになって、人生観が変わったんです。海外選手の考え方に触れ、日本人は何でも考えすぎるところがあると思った。周りを気にしすぎることなく、自由に物事に取り組みたいと考えています」。
今できることを楽しみながら、目標に向かって着実に進む彼女をこれからも応援したい。
PROFILE
柳井綾音さん
北九州市生まれ。北九州市立高等学校卒業。
最近はディズニーの映画を見ることにはまっている。実写『リトル・マーメイド』は2回見に行った。
練習の時はしっかり集中し、プライベートでは思いきりマイペースに過ごして、オンとオフの切り替えを大切にしている。
目標とする選手は、本文中にも登場した藤井菜々子選手。「世界大会で入賞する実力を持つ先輩を上回れる選手になりたい」と話す。