流れがない湖や河川の直線コースを一斉に漕ぎ進み、着順を競う「カヌースプリント」。力強い漕艇に加え、安定したフォームでパドルを捌く持久力と高い技術が求められる。競技種目は使用する艇によって2種類に分かれ、立ち膝の姿勢で片側に水かきがついたパドルを用いて艇の片方を漕ぐ種目が「カナディアンカヌー」と呼ばれる。その種目で学生トップアスリートとして活躍するのが荒木悠太さんだ。今年3月の海外派遣選手選考会で大学生トップの記録をマークしU-23代表に選出されると、8月のインカレでは計5種目で表彰台に立ち、最優秀選手賞を獲得。誰にも負けない練習量を積み重ね、輝かしい実績を残した彼の競技人生に迫った。

競技歴2年弱で世代別日本代表に

カヌーを始めたのは高校入学後。体験入部の様子を楽しそうに語る友人を見て、興味を持ったのがきっかけになった。入部後は、陸上競技部との合同早朝練習といったハードなトレーニングに励む毎日。小・中学校と柔道で鍛えた体力に自信はあったが、「あまりにもきつくて、練習をさぼることばかり考えていました」と苦笑いで当時を振り返る。

転機が訪れたのは2年生の9月。「全日本選手権大会」シングル1000m・500mで4位入賞を果たすと、練習への姿勢が変化していく。「トップ層の選手が欠場していた幸運もあったのですが、『もっと練習すれば上でも戦える』とやる気が湧いてきたんです」。さらにその1カ月後には、同じタイミングでカヌーを始めた同期が国体で入賞。仲間の活躍を目の当たりにして完全にスイッチが入った。

そこからは自身の漕艇を客観的に分析し、改善点を洗い出すことに時間を費やした。周囲に教えを乞うことを厭わず、一つひとつの練習の質を高め続けたことで、彼の素質は開花する。翌年の「日本カヌースプリントジュニア大会」のシングル種目で3冠を達成すると、一気にアジアジュニア選手権日本代表へと駆け上がり、周囲も驚く成長曲線を描いた。

先輩部員のサポートを支えにカヌーと向き合う

高校卒業後は、現日本代表である棚田大志選手(’20スポーツ健康科学部卒)に憧れ、立命館大学への進学を決意。さらなる高みを目指し、体育会カヌー部の門を叩いた。ところが、入部から程なくして挫折を味わう。「先輩方との圧倒的な実力差に、諦めの気持ちが出てきたというか、徐々に練習に身が入らなくなったんです」。想像を超える壁の高さに意気消沈し、次第に練習を流すように。『もう周囲から嫌われても仕方ない』と最終的には自ら殻を閉じた。

そんな荒木さんに救いの手を差し伸べたのは、同郷の先輩だった。「同じ京都出身の辻さんという方が食事の席で何度も勇気づけてくださり、他の先輩方も僕のことを心配していることを教えてくれました。自分を見限ることなく見守ってくださった先輩方の存在の有難さに気づき、もう一度頑張ろうと決意することができました」。

再び競技と向き合うことができた荒木さんは、これまで意識してこなかった漕艇技術の習得に励んだ。「カヌーでは、前の選手の波を引き付けられると速く漕ぐことができます。しかし、少しでも波から外れると艇が回り失速してしまう。先輩方に必死に食らいつくことで、自身に足りない技術を磨きました」。巧みな漕艇技術をつかみ成長を遂げた荒木さんは、2回生のインカレで優秀選手賞を獲得。さらに翌年3月には海外派遣選手選考会を突破し、世界大学選手権の日本代表に選ばれる。その後もシニアを含む日本代表合宿の招待を受けるなど、一躍国内トップクラスの選手へと登りつめた。

「お前はダサい」戦友からの指摘が自分を見つめなおすきっかけに

順風満帆に進んでいく競技生活。しかし、3回生のインカレでは主戦場である1000mで低迷。思わぬ敗戦の原因はつかめないまま時間が過ぎた。浮上の糸口をつかんだのは、約1カ月後。他大学の選手との食事の席での出来事だった。「インカレのときの心境を話すと、『お前、ダサいで』と言われました。当時は自分の勝ちを優先し、チーム目標のインカレ総合優勝を果たすのに欠かせない、4人乗りやリレー種目には気持ちが入っていませんでした。『ダサい』という指摘のおかげで、自分の傲慢さに気づくことができたんです」。

戦友からの厳しい指摘は、まだ甘さがあった彼の競技への姿勢を大きく変化させた。「それまでは、『ここは藻が多い』などと練習環境の粗探しをすることがありました。でも『ダサい』と言われて以降は、与えられた環境に感謝して、いかに力をつけていくかということを考えるようになりました。藻が多ければ抵抗がますぶん練習になるし、荒れた場所であれば、荒れた大会でも適応できるようになる。物事の捉え方が自然と変わりました」。

トップ選手に相応しい視座の高さを身につけた荒木さんは、翌春の海外派遣選手選考会で躍動。大学生トップとなる記録でU-23日本代表の座を勝ち取った。さらに飽くなき向上心を力に、瀬田川で1カ月間の一人合宿を敢行。「結果を出せなかったら、本当に“ダサい奴”で終わる」と妥協を許すことなく自分を追い込んだ。

強い決意で重ねた努力は、さらなる飛躍へ彼を導く。待ちに待った「カヌースプリント ジュニア&U23世界選手権大会」では、海外の強豪選手と互角に渡り合い、シングル1000mのB決勝で4位入賞(全体13位)。世界の舞台で再び輝きを取り戻した彼は、その後のインカレで1000mのシングル・ペア種目を制し、計5種目で表彰台に立つ活躍でチームの総合優勝に大きく貢献。圧巻のパフォーマンスを披露してカナディアン種目の最優秀選手賞に輝いた。「シングル1000mでは、昨年負けたトラウマで最後までひやひやしていましたが、無事に結果を残すことができました。でも何より良かったのは、“総合で勝つ”というチームの目標を達成できたことです」と会心のレースを振り返った。

恩師のもとで後進の育成に力を注ぐ

パリ五輪に向けて最高の形で学生競技生活を締めくくった荒木さん。しかし悩んだ末に、インカレを最後に競技からの引退を決めたと語る。「これまで結果を残すことができたのは、身近な人から受ける刺激やサポートのおかげでした。しかし今後は一人で練習を続けていくことが基本になるので、おそらく競技力が落ちていきます。そうなると、大会で結果を残す力がないのに“アスリート”を名乗ることになる。そういう自分になるのだけは許せないので、引退を決めました」と決断の背景を語ってくれた。

アスリートの名にこだわることよりも自分の信念を貫いた彼は、現在母校の外部コーチとして、恩師のもとで後進の育成に汗を流す。「カヌーへの恩返しというと大げさですが、お世話になった先生のもとで後輩のサポートを続けることで、競技の発展に貢献していきたいです」。新たに指導者の道を漕ぎだした荒木さん。彼の逞しい背中は、必ずや後輩たちの心強い道しるべとなるだろう。

PROFILE

荒木悠太さん

京都府立綾部高等学校卒業。高校から本格的に競技を始め、競技歴2年弱で頭角を現し、アジアジュニア選手権大会日本代表に選出。現在、週3日ほど綾部高等学校で外部コーチを務め、母校の後輩の育成に力を注いでいる。大学卒業後は地元・京都の企業に就職することを決め、指導者の道を歩む予定。

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