自身の経験を未来の日本語教育に生かしたい
日本語教師として教壇に立ちながら、言語教育情報研究科で学ぶ三浦景星さん。もともとはミュージシャンだったが、海外で思いがけず経験ゼロから日本語を教えることになった異色の経歴を持つ。そんな三浦さんは、自身の経験から得た気付きを生かした日本語教育がテーマの論文を書き上げ、昭和池田記念財団第43回昭和池田賞優秀賞を受賞した。日本語教師としての専門性を高めるため日々努力を重ねる彼に、これまでの過程や研究科での活動についての話を聞いた。
ミュージシャンとしての限界
三浦さんは青森県出身。東京の音楽大学へ進学した後は東京でジャズミュージシャンとして活動していた。しかし、8年ほど経ち30歳手前になった頃、先行きへの不安も重なり、日々に疲れを感じるようになった。練習したり曲を作ったりする意欲がだんだん湧かなくなり、好きなのかどうかも分からなくなった。「このままだと先が見えない」と感じ、新しいことに挑戦したくなった三浦さんは、もともと興味があった国際協力機構(JICA)の青年海外協力隊に応募することを決めた。「新しい分野にチャレンジするなら、自分では『30代までにやらないと』という気持ちがあり、決断しました。これからの時代は海外での経験があった方が自分のためになるという気持ちもあったんです」と三浦さんは話す。
衝撃的だった日本語教育との出会い
思い切って応募した三浦さんは、派遣されたドミニカ共和国で、日本語教育と運命的とも言える出会いを果たす。ミュージシャンの経験を生かして、現地の日本語学校で音楽や工作を子どもたちに教える予定だったのだが、一緒に行くはずだった日本語教師が行けなくなり、三浦さんが急遽日本語を教えなければならなくなったのだ。経験ゼロにもかかわらず、一大任務をこなすことになった三浦さんはこう振り返る。「最初は、日本語だからわりと簡単に教えられるだろうという思いがありましたが、すぐに打ち破られました。生徒みんなに『訳が分からない』という顔でこっちを見られたときの悔しい気持ちが忘れられませんでした」。
ショックを受けた三浦さんは、授業を自分なりに改善したり、少ない語彙の中でどうやって効率的に子ども達に教えられるかを考えたりと、試行錯誤。半年後にはクラスの雰囲気が良くなり、生徒との信頼関係もできてきた。「自分にとって非常に良い経験で、日本語教育の面白さに目覚めました。日本語が母語ではない相手に理解してもらえるように、何回もアプローチを変えて教えるのですが、それが通じて相手が『分かった!』という表情になるまでの過程がすごく楽しいんです」と、自分自身に日本語教師の適性も見出した。
日本語教育の専門性を高めるために
7カ月間の任務を終え帰国した三浦さんは、本格的に日本語教育を究めようと、ハローワークの職業訓練で「日本語教師養成講座」を受講し、日本語教師の資格を得る。そこで教鞭をとっていた先生から音声学を教わり、自分でもさらに専門性を高めたくなったことから、2022年4月に立命館大学言語教育情報研究科に入学した。立命館を選んだ理由について、三浦さんはこう話す。「入学当時から音声に関わる研究するとは決めていましたが、具体的な部分はそこまで明確でなかったので、幅広い専門性を持った先生が揃っている立命館がいいと思いました。脳に興味もあったので、脳と言語教育という分野で研究ができそうだったことも理由の一つです。あとは、キャンパスに行ってみて直感で良い雰囲気を感じたのも大きいですね」。
こうして研究の道に進んだ三浦さんは、非常勤で日本語学校の教師も務め、二足のわらじを履いた生活をしている。また、1回生の秋セメスターから1年間休学し、国際交流基金(JF)の日本語パートナーズプログラムでフィリピンのセブ島へ派遣され現地の中高生に日本語を教えるなど、研究だけにとどまらず視野の広い活動をしている。そんな多忙な日々との付き合い方を、三浦さんはこう語る。「仕事に加えて、研究科のクラス会委員長もやっていて、体力的につらい時や自分の時間が欲しいと思う時もあります。スケジュールをこなすコツは、自分が教える授業の準備はかける時間を決めておいて、その時間の中で集中してできる限りのことをすることですね」。
忙しい合間のチャレンジ
時には寝る時間もないほど忙しいときもある三浦さんだが、言語教育情報研究科での研究は非常に楽しく、やりたいことが次から次へと出てくるのだという。そんな向上心の高い三浦さんのチャレンジの一つが、2024年6月に実を結んだ。応募した第43回昭和池田賞で優秀賞を受賞したのだ。昭和池田賞は昭和池田記念財団が主催し、文部科学省が後援する、学生論文のコンクール。三浦さんは「日本語教師からの提言−日本語教育との出会いから教えるまでの実体験より−」という題で、日本語教育と出会うこととなったきっかけや、海外・国内で日本語を教えた実体験を通し、日本語教育に起こっている問題点とその改善策四つを提言した。
「修士論文を書く前に、1万文字以上文章を書くということに挑戦して、自分を追い込んでみようと思ったのがきっかけでした」と振り返る三浦さんだが、その裏には「自身の経験を少しでも役立てたい」という思いがにじんでいる。さまざまな経験をしてきた三浦さんだからこそ書けた論文だ。
卒業後は再度海外や、大学で日本語を教える経験をして、さらに専門性を高め日本語教育に貢献したいと話す三浦さん。これからも高い向上心と挑戦意欲をもって、日本語教育に新風を吹かせてくれるに違いない。
PROFILE
三浦景星さん
青森県出身。国立音楽大学卒業。お酒を飲むのが好き。海外に行くと必ずその国のお酒を飲み、現地の人とのコミュニケーションを深めるそう。
音楽をやっていたことと、東京方言のアクセント習得に苦労した経験から、「音声」から日本語教育を考える研究をしている。