0.5mmの小さな標的の奥に広がる、オリンピックという大きな夢
第1回アテネオリンピックから正式種目として行われている競技・ライフル射撃。パリオリンピックで銀メダルを獲得したトルコの選手が「無課金おじさん」としてSNSで話題になったが、日本ではまだまだマイナーなスポーツである。鉛の弾を空気銃に込めて10m先の的を狙うエアライフル(AR)と、火薬の弾をライフル銃に込めて50m先の的を狙うスモールボアライフル(SB)。2種類の銃で競技に挑むのは、田邉伶奈さんだ。2023年全日本選抜・2024年西日本大会にて、SBの「R3×20」(ライフル3姿勢競技)種目で、ジュニア日本新記録を更新。華々しい実績の裏には、日々の地道な努力があった。ひたむきな彼女の競技人生に迫った。
日本人が箸を使うように、積み重ねる練習の日々
田邉さんが射撃競技を始めたのは、中学1年生の冬。当時は射撃や銃に特別な興味があったわけではないが、岐阜メモリアルセンターでのクラブチームの体験会に参加したことがきっかけだった。既にクラブへ所属していた同級生のなかに、1年生にも関わらず、全国大会で優勝する腕前の選手がいた。心のどこかで「いつか勝ちたい」という思いが、射撃チームへの入会を後押ししたのかもしれないと田邉さんは振り返る。
中学生時代や高校入学当初は本当に下手だとよく言われた。射撃の技術は一朝一夕で身につくものではない。「日本人が箸を使うのと同じように、日々の鍛錬を重ねることで上達する競技だ」と済美高校の顧問である松巾亜由先生(立命館大学射撃部OG)から教わった。高校時代は毎日練習するために学校へ通うような感覚だった。
高校1年生の時、全国高校選手権大会の応援席で、先輩の団体優勝を目の当たりにした。「自身も全国高校選手権大会で活躍できるような選手になりたい、全国大会で優勝したい」という思いが強くなった田邉さん。目標を現実にした高校2年生の全国高校選手権大会優勝時、憧れの先輩がいる立命館大学で射撃を続けたいと進学を決心した。高校最後の全国高校選手権大会で成績を残し、大学で新たなステップアップを目指すという新たな目標を見つけた。
一番つらかった時期の支えとなった恩師の言葉
「高校3年生は、競技人生で最もつらい時期だった」と振り返った彼女。新型コロナウイルス感染症が拡大し、多くの大会が中止となった。感染拡大防止のため高校も休校となったが、自宅でできる練習を重ね、集大成となる全国高校選手権大会に向け、準備を怠らなかった。
しかし、田邉さんの願いは叶わず、高校選抜大会も、全国高校選手権大会も中止が決定した。「目の前にあった一番の目標を見失ったときはとても悔しく、しばらくの間、練習に身が入らない状態でした」と語る。「もうこのメンバーで団体を組んで、全国優勝することはできないんだ」。現実を突きつけられ、涙した日々は今でも深く心に刻まれていると言う。
落ち込む田邉さんを支えたのは、顧問の松巾先生の一言だった。「トップアスリートはもう前を見て、もっと上を目指してる。だから、射撃の練習だけじゃなく、世界大会の記録分析や、他競技のアスリートの本を読んでみたら」。その言葉に衝撃が走った。全国高校選手権大会で練習通りの点数を出して全国優勝する。その一点だけを見つめて、真摯に射撃と向き合っていた田邉さんにとって、競技者としての視野を一気に広げる言葉だった。初めて他競技の本を読むと、射撃に通ずる内容やメンタルの鍛え方など多くの新しい発見があった。この経験が、彼女の競技人生における大きな礎になったという。
国体での優勝
大学入学後、環境の変化から当初は思うように成績を残すことができない時期があった。それでも、全日本学生スポーツ射撃選手権大会(インカレ)や学生選抜などの主要大会では着実に実績を残し、自信へとつなげていった。大学1回生で出場したインカレではAR60W(エアライフル立射60発競技)で優勝して日本一に。627.4点の大会新記録(当時)と関西学生ライフル射撃連盟新記録(当時)をマークした。2回生では栃木で開催された国体でAR60PR(エアライフル伏射60発競技)において準優勝を果たす。中でも、3回生で出場した国体のARMIX(男女混合立射エアライフル)種目で優勝した経験は、彼女の競技生活で最も感慨深い出来事の一つとなった。
「射撃は、機械が点数をつける競技です。対人競技のような面白さには欠けるかもしれませんが、選手のメンタルや銃のセッティング・コンディションが結果に大きな影響を与えます。そこに射撃の奥深さがあります」と田邉さんは言う。
国体は、他大会とは異なる独特な雰囲気があり、プレッシャーを感じやすい。そんな大舞台でも、ともに挑戦を続ける仲間の存在が精神的な励みとなった。岐阜県の代表としてペアで出場した遠藤雅也選手(名阪急配株式会社所属)は日本代表としても世界で活躍する選手。「国体は、学生選抜よりも年齢層が広がり、私よりもキャリアのある選手が多数出場します。挑戦者として、試合に臨みました。遠藤選手の実力は承知の上でしたので、あとは私自身が練習での成果を発揮するだけでした」と振り返る。試合直前まで、何度もイメージトレーニングを重ねて予選を2位で通過し、決勝戦へ進出。熾烈な争いの末、見事優勝を果たした。「今まで支えてくれた地元に、少しは恩返しができたかな」とはにかんだ。
大学生活最後のインカレで有終の美を飾るために
射撃は標的の中心点に近いほど獲得するポイントが高くなる。最も高得点となる標的の中心は、10m先から標的を狙うエアライフル(AR)でわずか直径0.5mm。50m先から狙うスモールボアライフル(SB)でも中心の直径は、たったの5.6mmしかないという。トップアスリートには、その一点を狙う超高精度の技術が求められる。「わずか0.5mmの小さな黒点を狙っていますが、その奥にはオリンピックという大きな夢が広がっていると思います」。
大学4回生になった彼女は、今年10月のインカレが最後の学連試合となる。インカレでは個人・団体ともに優勝し、有終の美を飾ることが目標だそうだ。
「高校最後の全国高校選手権大会は中止となったため、消化不良の思いを抱えたまま、高校生活を終えることになりました。だからこそ、大学生活最後のインカレを迎えられることに対して人一倍、期待に胸を膨らませています」と、インカレへの思いを語った。
また学連試合後は、今年11月にインドで開催される大学生の世界選手権大会に日本代表として出場することが内定している。海外での慣れない試合となるが、日本チームのコーチは、立命館大学で普段教わるコーチが同行することになっているため、心強いという。
「大学卒業後は、地元である岐阜県で就職します。働きながら、射撃競技は今後も個人で続けます。目標はロサンゼルスオリンピックに日本代表選手として出場することです。そのためにも、国際大会で経験を積みたいと思っています」
彼女が狙う視線の先に、さらなる飛躍があるに違いない。
PROFILE
田邉伶奈さん
済美高校卒業(岐阜県)。射撃の遠征時に地域の名物を食べることが、射撃以外で見つけた新しい楽しみ。恩師の言葉は今も生きていて、今年開催されたパリオリンピックは、射撃だけでなく、さまざまなスポーツをテレビ観戦した。