「“誰かのために”と思うと持っている以上の力が出る」 キャプテンとして学生女子駅伝2冠に導く
立命館大学女子陸上競技部は、2024年10月の「全日本大学女子駅伝対校選手権大会(杜の都駅伝)」と同年12月の「全日本大学女子選抜駅伝競走(富士山女子駅伝)」でともに優勝し、9年ぶりに学生女子駅伝2冠を達成した。この快挙の立役者で、キャプテンとしてチームを引っ張ってきたのが村松灯さんだ。「陸上競技を通して、いろんな人に出会えたことが何よりもうれしい」と話す村松さんに、これまでの競技人生を振り返ってもらった。
芽生えた「全国駅伝優勝」への夢
陸上を始めたのは小学5年生。京都市内の小学校ナンバーワンを競う駅伝大会「大文字駅伝」出場にあこがれたのがきっかけだった。6年生で念願の出場が叶い、チームは優勝できなかったが、自身はなんと区間賞を獲得。村松さんは「初めて賞をもらえて、自分には長距離が向いているんだろうなと感じました」と振り返る。中学校でも陸上部に所属し、2年生の時に「都道府県対抗女子駅伝」で京都チームの代表に選ばれた。高校は、中学時代の走りを見て声をかけられた強豪・立命館宇治高校に進学。高校でも3年間「全国高等学校駅伝競走大会」に出場し続け、3回とも5区のアンカーを走った。ところが3年生時、アンカー1位で襷を受け取ったのにほかの選手に抜かれて優勝を逃すという苦い経験をする。チームは結局3年間、かねての目標だった「全国優勝」の夢を叶えることができずに終わった。
「とてもくやしくて、次は絶対負けたくないと思いました。立命館大学進学と同時に“大学では駅伝で絶対に日本一になろう”と決意を新たにしました」と話す村松さん。日本一への強い思いを胸に、1回生時から連続で杜の都駅伝と富士山女子駅伝に出場。個人でも全日本インカレで入賞を果たすなど、コンスタントに試合に出場して結果を残し続け、長距離チームのエースとして頭角を現す。「“全国駅伝優勝”という大きな目標を果たすには、4年間さまざまなレースに出続けられるよう安定して結果を残さなければなりません。そのためにまずは、日々の生活でけがをしないよう徹底して取り組みました。また、全国優勝の大きな目標に向かって、レースごとに細かく目標を定めて努力し続けてきました」と村松さんは語る。
みんながいるから乗り越えられた
並々ならぬ日本一への思いを抱いてきた村松さん。その気持ちをコーチにも伝え続け、3回生の時には長距離チームのキャプテンを任されることになった。「私自身が日本一になりたいから、自ら動いてそういうチームをつくって引っ張っていかないと、目標が達成できない」。そう当時の思いを振り返る。キャプテン就任時から心がけてきたのは「常にみんなの見本となる行動・言動」「チーム全員との積極的なコミュニケーション」「常に明るく強気な姿勢を見せること」の三つだ。村松さんは「いつも心のどこかでキャプテンとしての責任やプレッシャーを感じていましたが、だからこそここまで頑張ってこられたんだと思います」と笑顔を見せる。
大きな転換点となったのは、3回生の夏に「FISUワールドユニバーシティゲームズ」5000mと10000mの日本代表として、世界に挑戦したことだ。結果は残念ながら入賞には届かず、世界の壁の高さを知ることになった。「レース中の駆け引きや環境への準備など、精神的にも競技力的にも足りなかった。何より“もっと強くなりたい”と思わないと世界では戦えないと思い知りました。でもあれがあったから今の自分があると思える、とても思い出深いレースです」と語る。
そのFISUワールドユニバーシティゲームズ後の夏合宿で、村松さんは不調に襲われた。体調が思わしくなく、走ってもチームでいつもいちばん最後。抜け道が見えず、気持ちも落ち込んだ。そんな時、助けになったのがチームのメンバーたちだった。村松さんは「何よりもチームのみんなが頑張っている背中を見て励まされました。仲間と一緒だったから乗り越えられた局面がほかにも多くあります」と話す。
本当に一つになれたチーム
その後、徐々に調子を取り戻した村松さんは、3回生の10月に開催された杜の都駅伝で1区の区間賞を獲得。またその後の12月に出場した「第107回 日本陸上競技選手権大会」10000mで、自身のベストタイムかつ立命館歴代1位のタイムである31分51秒78をたたき出す。「不調を乗り越え、この二つのレースで良い結果を残せて、自分の中に大きな自信が芽生えました。練習の強度も上げられたし、強気でレースに挑めるようになりました」という村松さんの言葉通り、次の4回生での結果は好調。5月の「第101回関西学生陸上競技対校選手権大会(関西インカレ)」5000mと10000mでは2冠を達成した。
そして迎えた4回生での杜の都駅伝と富士山女子駅伝。立命館大学が優勝すれば、それぞれ9年ぶりと7年ぶりの快挙となる。村松さん率いるチームは、見事王座奪還のチャンスをものにし、学生生活最後に“全国駅伝優勝”の大きな目標を果たした。勝因について、村松さんは「チームとして本当に一つになれていたのが大きい」と語る。「みんなが“みんなのために”という思いで走れたから勝てたんです。みんなの心を一つにするために、キャプテンとして“勝ちたい”という強い思いを伝え続けてきましたし、レースに出る人・出られない人を分けずに誰も取り残すことなく声をかけてきました。全員が、レースには自分が必要なんだと思えるため、勝利に何かの形で貢献したと感じてもらえるように心がけてきたんです」。
出会いに感謝し、次はシニア日本代表へ
キャプテンとしてみんなを思いやり、引っ張る姿勢は、これまでの陸上競技人生を通して出会えた人や、応援し支えてもらっている環境に恵まれてきたことへの感謝から来ているのだという。「これまでの出会いを振り返ると、陸上をやってきて本当に良かったと思えます。大変なこともありますが、誰かのためにと思うと、持っている以上の力が出るんです。目標を達成した時の喜びも、自分一人のそれよりも格別です」。
大学卒業後は、実業団で陸上競技を続ける村松さん。目指すのは「自分の走りが誰かの心に響くような選手」だという。「次は走ることが“仕事”になります。やるからには上を目指して、世界大会のリベンジもしたいし、シニアの正代表として日本代表のユニフォームを着て走りたいです」と先を見据える。村松さんが世界の舞台で大活躍する日を心待ちにしたい。
PROFILE
村松灯さん
京都府京都市出身。立命館宇治高等学校(京都府)卒業。趣味はカラオケ、手芸など。
尊敬する人は田中希実選手。強くなるためのハングリーさと、普段の気さくで謙虚な姿勢にあこがれているという。座右の銘は恩師の言葉で「あきらめなければ夢かなう」。
<2024年の主な競技成績>
4月 「第101回関西学生陸上競技対校選手権大会(関西インカレ)」 5000m優勝、10000m優勝
10月 「全日本大学女子駅伝対校選手権大会(杜の都駅伝)」 3区区間賞 チーム優勝
12月 「全日本大学女子選抜駅伝競走(富士山女子駅伝)」 2区区間3位 チーム優勝