10年間の歩みと定点観測

写真でみる「STORY」

「STORY」
―定点観測・あの時といまをつむぐ-

立命館がお世話になった、それぞれのまちで
見て・聞いて・感じたSTORYを辿りました

STORY in 福島

2011年3月11日。東日本大震災による原子力発電発事故発生直後、福島県内では国による避難指示が出され、住民の方々は故郷を離れ、避難生活を余儀なくされました。避難解除後は、県内沿岸部(浜通り)では津波による被害の復興のみならず、まちの再建やコミュニティの再構築が課題とされました。立命館では、2013年12月、福島へ息長く思いを寄せて、地域社会の発展や人材育成に寄与することを目的に、連携協力に関する協定を締結しました。現在に至るまで、立命館によるプロジェクトや現地視察、学生団体による活動を実施し、学生・生徒・児童・教職員がさまざまな学びを得ています。

<立命館で実施してきた主なプロジェクト>
学生団体「そよ風届け隊」による取り組み(2012~)
福島県と学校法人立命館の協定締結 立命館大学留学生のスタディツアーの実施(2014~)と「チャレンジ、ふくしま塾。」(2017~)
一般社団法人ならはみらいとの共同プロジェクト「ならは31人の‘生’の物語」(2015~)
立命館小学校による「京の杜プロジェクトー醍醐の桜を福島へ―」(2016~) など

定点観測地域・その1

楢葉町 × 学生団体

2016年・2017年の夏、京都市内で貧困家庭に育つ中学生・高校生を対象に学修支援を行う「Apolon」と楢葉町で支援活動を継続的に行う「そよ風届け隊」が共同で、福島県内の子ども向けに、夏の思い出づくりと学習支援をするためのサマーキャンプ「めちゃめちゃよくばりキャンプ」を開催しました。場所は、2011年3月11日、津波で浸水した楢葉町前原地区。2015年9月まで全町民が避難を余儀なくされた地域です。

①東日本大震災発生以前

東日本大震災発生以前
清之神社(左)前原地区集会所(右)
提供:一般社団法人ならはみらい

①東日本大震災発生以前

東日本大震災発生以前
昔ながらの家屋が並ぶ集落の様子
提供:一般社団法人ならはみらい

②2016年

2016年
避難解除後の前原地区集会所。

②2016年

2016年
室内は浸水被害を受けたままの状態で残されていた

③2016年夏

2016年夏
サマーキャンプ「めちゃめちゃよくばりキャンプ」当日。まち探検クイズラリーの様子

④2021年現在

2021年現在
前原地区集会所は移転。清之神社の社殿は解体され、鳥居は木造から石造りに改築された

④2021年現在

2021年現在
移転後の新しい前原地区集会所
episode01

新徳翔太さん(産業社会学部2017年度卒業)
 私はApolonのメンバーとして、「めちゃめちゃよくばりキャンプ」の企画・運営に携わりました。2015年9月に避難指示が解除された楢葉町。訪問時は子どもたちの数も戻ってきていない状況でした。「流しそうめん」や「カレー作り」などを行い、子どもたちが “ふるさと”で生まれ育ったまちの人々と交流しながら、楽しい思い出を作ってもらえるように皆で奮闘しました。
 また、役場職員の方に町内を案内いただく機会があり、その方の生家があった前原地区の集会所に伺いました。集会所の中は、2011年3月当時のままの状態。津波の衝撃で壁面にヒビが入り、浸水状態でした。職員の方から、津波被害にあった地域は、今後人が住めない地域に指定されてしまうこと、避難指示が解除されてもまちの人たちにとって思い入れのある風景が、残したくても残せない現実をお聞きし、まちの将来や人々の思いをより深く考えるようになりました。
 大学卒業後もまちを訪れては、お世話になった方々に会いに行っています。楢葉で開催された知人の結婚パーティにも参加し、サマーキャンプ出会った子に再会することができました。これからもきっと機会をみつけて楢葉に訪問することは続けていくと思います。楢葉町には沢山の忘れられない思い出があり、何よりお世話になった方々が大好きなので、第二の“ふるさと“として、これからも継続して楢葉町に”帰りたい“と思っています。

定点観測地域・その2

福島県内 × 立命館小学校
「京の杜プロジェクト 桜がつなぐ架け橋―」

 立命館小学校では、醍醐寺で育てた「太閤しだれ桜」のクローン苗木の育成と寄贈に取り組む「京の杜プロジェクト」に、2015年度から3・4年生の児童が参加しています。社会科の校外学習として、3年生時に醍醐寺を訪問し、落ち葉拾いなどを通じて堆肥化について学びます。4年生時には得た知識をもとに、実際のクローン桜の苗木を校内で育成し、福島県内の小学校に届けています。
※醍醐寺・住友林業・KBS京都による共同プロジェクト。世界遺産・醍醐寺で大量に発生する落ち葉 を有効活用するために堆肥化し、できた堆肥で桜を育て、東日本大震災の災害に見舞われた地域へ贈けることを目的としている。

①2018年夏頃

①2018年夏頃
立命館小学校内で、立命館小学校4年生の児童たちが桜の苗木を1年かけて育てた

②2019年2月28日

2019年2月28日
大きく育った苗木を児童8名が代表し、いわき市立御厩小学校に届け、児童同士の交流も行われた

③2020年夏頃

2020年夏頃
御厩小学校で大きく成長中の苗木の様子。児童たちの交流は手紙で継続して行われた

④2021年3月現在

2021年3月現在
立命館小学校で2020年度に育ててきた苗木。もうすぐ東北地方の小学校に届けられる
episode01

立命館小学校 鷲見秋彦先生(2018年度4年生担任)
 東日本大震災について、児童たちには実際の記憶はほとんどありません。ニュースでみるまちでしかなかった福島の地に、桜の植樹を通して、子どもたちが思いを寄せることで、10歳前後の子どもたちなりに色々な気づきがあったようです。立命館小学校の児童からは、御厩小学校の児童と交流し、「私たちと何も変わらない、同じ小学4年生だった。いわき市に友だちができて、すごく嬉しい。」「今後は家族と福島に行きたいと思うようになった。」などの声が挙がっていました。次の日の朝には、御厩小の方々が何人も桜に声掛けをしに行かれていたようです。その後、児童同士の手紙での交流も続きました。120人で心を込めて取り組んできたことが、桜を通して福島につながり、子どもたち同士の心のつながりも感じました。震災を知らない子どもたちですが、この交流を通して福島が身近な地域になり、確かなつながりのある場所になっていった様子を見て、私の中でも大切な場所になりました。

STORY in 岩手

三陸海岸や高田の松原など、海沿いに雄大で風光明媚な自然環境をもつ岩手県では、東日本大震災により県沿岸部にある海に面するまちの多くが津波の被害に見舞われました。 

立命館災害復興支援室が活動を開始した2011年より、岩手県のいくつかの地域からのご依頼に基づいて、学生や教員たちが夜行バスを使うなどして関西からの岩手の長距離の移動を移動し、津波により住まいやコミュニティ、学びの場に被害を受けた方々に寄り添う活動を行ってきました。2012年4月には立命館大学と大船渡市が協定を締結し、立命館大学の大学生による交流プログラムが現在も続いています。

<立命館で実施してきた主なプロジェクト>
後方支援スタッフ派遣プログラム/大槌町・遠野市・陸前高田市・大船渡市・宮古市(2011~2015)
大船渡盛町七夕まつりサポートプロジェクト(2012~)
碁石海岸観光まつりへの 課外活動団体の派遣(2013~)
スポーツ健康科学部による取り組み(2013~2014)
  限られた場所で行える運動プログラムの開発
  同トレーニング教本・DVDの制作と贈呈
理工学部宗本研究室有志による取り組み
  岩手県宮古市における仮設集会所建設プロジェクト(2011~2016)
  「失われた街」模型復元プロジェクト 宮古市田老(2013~)
  記憶の街ワークショップ㏌鍬ケ崎~模型の街に記憶を吹き込む~(2014~)など
大船渡まちづくりプログラム(2016~2018)
コミュニティ・デザインプログラムin大船渡(2019)

定点観測地域・その1

大船渡市 × 盛町七夕まつりサポートプロジェクト

2012年4月に立命館大学と大船渡市が協定を締結したことをきっかけに、「盛町七夕まつりサポートプロジェクト」がスタートしました。参加した学生は、キャンパスでの事前学習を経て、お祭りの前日と当日の運営を手伝い、地域の方々と交流することを通じて、地域活性化や災害からの復興について学ぶことを目的としています。

①2012年2月

2012年2月
高台から大船渡市の中心部を見下ろした様子。東日本大震災で津波被害を受けたエリア。重機によるがれき撤去が行われていた

②2013年8月

2013年8月
お祭りのハイライト「市民道中おどり」に参加した学生たち。参加学生はキャンパスでの事前学習で事前に踊りを特訓して参加

③2019年8月

2019年8月
お祭りの前に地域の方々と七夕かざりをまちのメインストリートに設置

③2019年8月

2019年8月
お盆前に先祖の霊を迎えるお祭りとして、地区ごとの七夕山車でまちを練り歩く

③2019年8月

2019年8月
夜は七夕山車や提灯に明かりが灯った

③2019年8月

2019年8月
地域の方々と一緒に前日設営や山車の練り歩き、屋台のお手伝いに参加
「七夕市民道中踊り」にも立命館大学チームとして参加し盛り上げの一助に
episode01

田中巴実さん(生命科学部2019年度卒業)

 私が初めて岩手県大船渡市を訪れたのは、大学1回生の春期休暇中、2017年の2月でした。その後、盛町「七夕まつり」と「五年祭」、まちづくりプログラムなど、卒業するまで機会を見つけては大船渡に足を運んできました。

 初めて大船渡市を訪れた際に最も印象深かったのは、地元の方々から直接伺った当時のお話でした。港に面したまちの中心エリアが津波に見舞われた大船渡市で知り合いになった方から聞くお話は、それぞれの言葉で震災の記憶への複雑な気持ちと悲しみを抱えながらもしっかりと前を向こうという決意や、このまちで生きていくという思いが確かに込められていました。そのお話に、その想いに触れ、東日本大震災の出来事が確かに我が事として胸に刻まれたように感じました。

 私たち立命館大学の学生がお手伝いをした「盛町灯ろう七夕まつり」は、夜の闇に華やかな山車の明かりが浮かび、山車の上にいる人やまわりをとりまく人の威勢のいい掛け声が飛び交います。地域の人たちの心の底から楽しそうな笑顔があふれる情景がとても印象的なお祭りです。地元や伝統、つながりを大切に想うまちのみなさんの気持ちがダイレクトに感じられ、またそんな素敵な空間を作るお手伝いが出来た嬉しさ、楽しさは今も色褪せることなく心に残っています。

 現在、私は故郷の新潟市で公務員として働いています。在学中はこれまでに述べたような大船渡以外にも、陸前高田や福島県内の各地で様々な活動に参加してきました。これらの地域での経験が糧となり、私は地域の防災や災害対応の根幹・根本に関わる仕事をしようと公務員を志しました。大船渡は私に、そんな人生の道しるべとなる出会い、経験を与えてくれた大切な場所のひとつです。


定点観測地域・その2

宮古市 × 仮設集会所の建設プロジェクト
<ODENSE(おでんせ)>

 東日本大震災直後、「住むところはあるけれど、みんなの集まる場所がない」という仮設住宅に住む人々の声をきっかけに、理工学部建築都市デザイン学科の宗本晋作教授をはじめとする研究室の学生が宮古市での仮設集会所の建設プロジェクトに取り組みました。2011年からODENSE1号(2011年)、2号(2012年)、3号(2015年、産地直売所)を建設。「おでんせ」とは、岩手の言葉で「いらっしゃい」を意味します。

①2012年8月初旬

2012年8月初旬
 ODENSE2号・建設前(鍬ケ崎地区)

②2012年8月

2012年8月
建設中。少ない数のパネルを組み合わせたドーム型。白色で熱を吸収しにくく、簡易に防水対策ができるテント生地のシートを張っている

③2012年8月末

2012年8月末
上棟後。完成間近のODENSE2号

④2012年9月

2012年9月
地元の神社のご神職による竣工式。その後、地域の人々と交流を行った
episode01

ODENSE2号 チームリーダー
岩井宏樹さん(理工学研究科2014年度修了)

 昔からものづくりが好きだった私は、学生時代、建築を通して何かに貢献したいという思いを持ちながら、研究に明け暮れる日々を過ごしていました。このプロジェクトで宮古市に行き、学生が現地に行く難しさやもどかしさを感じましたが、地域の方々が大変な状況でも歓迎してくださりました。無事に竣工し、実際に喜ばれている地域の方々の姿を見ることができたときはとても嬉しかったです。現在は仕事として建築に携わっていますが、このことは今でも目指さないといけない姿だと思っています。全体を通して自分の人生にとって良い経験をさせていただきました。卒業後も実際に訪れ、地域の方々に出迎えていただきました。元々ゆかりのない土地でしたが、今では第二のふるさととなっています。 

episode02

ODENSE2号 チームリーダー
松井宏さん(理工学研究科2014年度修了)

 ODENSE1号のプロジェクトから参加していました。2号では図面をかく作業から建設まで初めて携わり、リーダーとして現場では工程確認からメンバーが作業しやすいように全体を見渡し、マネジメントも行いながら作業にあたりました。大学生である自分が復興支援の役に立つのか不安もありましたが、実際に利用いただく人の気持ちを考えながら責任感を持って取り組みました。自分のなかで、ひとつの物件やプロジェクトに取り組む姿勢が変わったことを覚えています。当時は、ワゴン車に目一杯の荷物を積み込んで、メンバーで滋賀から岩手まで約13時間かけて行き来しました。東北と関西、物理的な距離は離れていますが、宮古は今もこれからも心でつながっていると感じます。

STORY in 宮城

立命館は、東北学院大学が国内の大学などに呼び掛けて形成した「大学間連携災害ボランティアネットワーク」に2011年より加盟し、東北学院大学の学生が企画・実施するボランティアプログラム「夏季集中ボランティア活動」に学生を送り出してきました。この他、東北ツリーハウス観光協会の活動に賛同し「東北ツリーハウスプロジェクト」を実施し、2015年の夏、立命館大学の学生が協力してツリーハウスを設置しました。地域の子どもたちの遊び場や、地域の方のイベント開催場所などで使用されています。
2016年4には、立命館アジア太平洋大学が気仙沼市と友好協定を結び、交流を通じた地域の持続的発展、グローバルに活躍できる人材の育成を目的として、市内企業でのインターンシップ研修をスタートさせました。

<立命館で実施してきた主なプロジェクト>
立命館大学と山形大学、東北芸術工科大学学生との「スマイルエンジン山形」(2011~2013)
大学間連携災害ボランティアネットワーク「夏期集中ボランティア」(2012~)
気仙沼市唐桑地区鮪立「東北ツリーハウスプロジェクト」(2014~2016) など

定点観測地域

気仙沼市唐桑地区鮪立 × 東北ツリーハウスプロジェクト

震災に見舞われた東北の各地に100のツリーハウスをつくることで、遠くからでも訪問したくなる場所や、地域の人が楽しく集まれる場所をつくることを目指す「東北ツリーハウスプロジェクト」。東北ツリーハウス観光協会がすすめるこのプロジェクトに、立命館大学として2014年から賛同し、学生と地域の人とが一緒になってツリーハウス建設を行いました。

①2014年

2014年
ツリーハウス建設前

②2015年2月

2015年2月
学生も建設に参加

③2015年8月

2015年8月
ツリーハウス完成お披露目イベント

④2018年

2018年
ツリーハウスに登ると正面の窓から静かな浜の風景を見渡すことができる
episode01

森恭平さん (法学部2018年度卒業)
 東日本大震災が発生した時は高校1年生で、当初は募金活動をすることくらいしかできない自分に歯がゆさを感じて、大学生になったら東北に行きたいと考えていました。大学に入って災害に関する教養科目を受講した時、担当教員だった山口洋典先生から、気仙沼でツリーハウスをつくるプロジェクトがあると誘っていただいたことが参加のきっかけでした。 災害からの復興に関心があってプログラムに参加した学生のなかには、東北に100のツリーハウスをつくるというこの取り組みが、イメージしていた復興支援と異なっていて当初 戸惑いを感じているメンバーもいました。
 それでもツリーハウス建設予定地を夢中で草刈りしていると、地域の人が「一体なにをしているの」とか「鍬の持ち方がなってない」などといろいろと声をかけてくれたり、うわさを聞いた子どもたちがやって来て一緒に作業してくれたりと、活動を通じて人が集まるということ体感することができました。ツリーハウス完成時はお披露目イベントの準備に参加して、このときもまた地域の人がたくさん遊びにきてくれて、みんなが集まれる場づくりに参加できたことで幸せを感じることができました。気仙沼から帰るときには、知り合った地元の方に「また来いよな」と声をかけてもらい、次に訪問したときには「おかえり」と言ってもらえるようになって、自分と気仙沼の人との間に関係性が生まれたこともとてもうれしいことでした。
 現在私は、当時のさまざまなきっかけやご縁がつながって、震災後の東北エリアのトレイルルートを維持管理する団体で働いています。東北の海沿いのエリアは、自然景観に土地ごとの特色があって、それぞれに何度でも訪れたいくらいの魅力があります。そんなすばらしい自然と、仲良くなった地元の人たちに、これからも何度でも会いに行きたいと思っています。

STORY in 熊本

2016年4月14日に発生した熊本地震を受けて、立命館では立命館大学・立命館アジア太平洋大学の家計に影響を受けた学生に対して、学内で寄付の募集を行い、既存の奨学金制度のみで学業の継続が厳しい学生を対象に給付金を支給しました。また、農家の農業再開・継続の支援のため、西原村農業復興ボランティアセンターを通じて唐芋(さつまいも)の苗付けや収穫などの農作業に取り組みました。
2018年3月には、立命館大学と熊本県で、立命館大学びわこ・くさつキャンパスに開設した「食マネジメント学部」を中心に、食マネジメント分野の総合的・多面的な学びを深める連携事業の実施を目的とした連携・協力に関する協定を締結しました。

<立命館で実施してきた主なプロジェクト>
西原村農業復興ボランティアセンターを通じた農業支援活動(2016~)
学生団体による支援活動
 ・「くまだす+R」
 ・「KS1(熊本をスポーツの力でひとつに)」による運動教室の開催

定点観測地域

熊本西原村×学生団体「KS1」

立命館大学スポーツ健康科学部生が集まる学生団体「KS1(熊本をスポーツの力でひとつに)」が、大学で学ぶスポーツや健康に関する知識を生かして運動教室を開催。災害に見舞われた方々が暮らす地域の支援組織と連携し、運動教室を開催することで、コミュニティの輪を広げるきっかけとなることを目的として活動していました。

①2016年12月

2016年12月
西原村周辺の地震被害の様子

①2016年12月

2016年12月
KS1の運動教室の様子(西原村小森仮設団地「みんなの家」)

②2019年10月

2019年10月
訪問。久しぶりにお会いした地域の方と交流した
episode01

嶋 晴菜(立命館大学大学院 スポーツ健康科学研究科)
 熊本地震発生後、ボランティアとして被災地で活動している知り合いに話を聞く機会があり「自分も何か支援ができるのでは」と、スポーツ健康科学部での学びを活かして支援活動をすることを決断、周囲に呼び掛けると15名の仲間が集まり団体を立ち上げました。ニーズ調査のため訪問した西原村では、被災された方々が仮設住宅団地に入居したことで、コミュニティをまた作り直さなければならない状況にあることを聞き、運動教室を通じてコミュニティ支援をすること、毎月1回のペースで1年間活動を継続することを決め、大阪から出発する夜行フェリーを利用して仲間と西原村に通い活動を行いました。団体名のKS1には「(K)熊本を(S)スポーツの力で(1)ひとつに」という思いと願いを込めています。
 運動教室では、体を動かすなかで自然と互いの笑顔が見えるので、みんなで笑いあっていると何かつながりが生まれるような、とても素敵な空間が生まれるような感覚がします。運動をひとつのツールにしてコミュニティが元気になるということに大きな可能性を感たことで、大学院での研究も、住民運営による通いの場の立ち上げ要因をテーマとしました。大学生である私たちの運動教室をきっかけに、いつか私たち大学生がいなくなっても、運動でつながりが生まれつづけるような関係性づくりを応援することが、KS1の活動のゴールだと考え活動を行ってきました。  地域の方との交流のなかで、ある女性が教えてくれた震災のときのお話が今も強く印象に残っています。就寝中に揺れがきて、あっという間に倒れてきた本棚とベッドに挟まれたこと、「偶然と幸運が重なって今もたまたま生きているという気持ちがする」という言葉に込められた複雑な思いに、涙が止まらなくなってしまったことが今も忘れられません。  熊本の地は私にとって、優しくしてくださった方々への愛情や思い入れが詰まった場所になりました。美しい自然とすばらしい観光地、人と方言の響きの温かさも大好きです。これからも旅行の途中で立ち寄ったり、ふいに訪問して知り合いに会いに行ったりしていきたいと思っています。