心を寄せて、
距離を越えて
立命館災害復興支援室は、
2021年4月で設置10年を迎えます。
これまで多くの学生・生徒・児童、教職員が活動をつなぎ、
地域のみなさまのご理解のもと、
災害の経験を未来につむぐ大切さを学びました。
見て、聞いて、感じたことをこの先もつむぐために。
立命館災害復興支援室は、
これからも地域に寄り添い、活動を続けてまいります。
2021年4月で設置10年を迎えます。
これまで多くの学生・生徒・児童、教職員が活動をつなぎ、
地域のみなさまのご理解のもと、
災害の経験を未来につむぐ大切さを学びました。
見て、聞いて、感じたことをこの先もつむぐために。
立命館災害復興支援室は、
これからも地域に寄り添い、活動を続けてまいります。
フォト投稿PHOTO
PHOTO
立命館関係者から募集しました『災害に見舞われた地域に心を寄せてー
「つむぐ思い出」フォト投稿』の応募作品を掲載しています。
沢山のご応募、誠にありがとうございました。
立命館関係者からのそれぞれの"思い出フォト"を、ぜひご覧ください。
<<画像をクリックすると写真とエピソードが表示されます。>>
【立命館とのご関係】 立命館大学・大学院 教職員
写真は大学在学中に、大学で出会った友人を淡路島に遊びに連れて帰った時の写真です。県外や外国出身の友人に淡路島の美しい自然を満喫してもらえ、楽しい旅になりました。 【撮影年月、撮影場所】 兵庫県淡路市 2013年8月
【立命館とのご関係】 立命館大学・大学院 校友(卒業・修了生)
バトントワリングの演技は勿論のことですが、お祭りにも直接参加させていただき、現地の海上保安庁の制服を着させていただきました。現地の方と直接触れ合うことの大切さを復興支援を通じて学びました。 【撮影年月、撮影場所】 岩手県大船渡市 2018年5月
【立命館とのご関係】 立命館大学・大学院 学生
【立命館とのご関係】 立命館大学・大学院 教職員
【ご所属】 広報課
冬はせり鍋!
伊藤かすり さん
仙台の冬の味覚といえば、せり鍋。長い根っこをしゃぶしゃぶし、和風だしでさっぱりといただく至高の一品です。コロナ禍が一日も早く収束し、また仙台でせり鍋に舌鼓を打つ日が待ち遠しいです。
【撮影年月、撮影場所】 宮城県仙台市 2018年12月
テレビで見た“あの木”の7年後
石井 勇輝 さん
東日本大震災を見たのは小学校6年生の時。学校の授業中に部屋が大きく揺れたのをはっきり覚えている。それから7年。あの日テレビで見ていた現地を訪れた。7年という月日が経った今も、復興が思うように進まない現実を直面した。そして一番象徴的だったあの木の前へ。奇跡の一本松と称された津波の被害を受けながらも折れることなく生き残ったあの木の足元に訪れた。壮絶な痕跡が今だ残る現地。何も変わっていないのではと自分の目を疑いたくなるほど辺りは何もなく、倒壊した建物を横目に今も尚、その木は立っていた。7年間この木は町の復興を見守ってきたのだろうか。テレビでは分からない生々しい現実と震災の恐ろしさをこの日肌で感じた。
【撮影年月、撮影場所】 岩手県陸前高田市気仙町砂盛 2018年2月
【立命館とのご関係】 立命館大学・大学院 学生
【立命館とのご関係】 立命館大学・大学院 学生
女川での点景
すねおさん さん
震災から3年後、三陸を旅行した際に女川町立病院(高台にも関わらず1階まで津波が襲来)から取った写真です
病院の入り口にあった「ここまで津波襲来」の看板に驚いた記憶があります 【撮影年月、撮影場所】 宮城県女川町 2014年4月
【立命館とのご関係】 立命館大学・大学院 校友(卒業・修了生)
病院の入り口にあった「ここまで津波襲来」の看板に驚いた記憶があります 【撮影年月、撮影場所】 宮城県女川町 2014年4月
【立命館とのご関係】 立命館大学・大学院 校友(卒業・修了生)
我が団地の液状化被害
小﨑 紀大 卒業生 さん
約20分おいて2回、激震に襲われた。
2回とも立つことができず座り込む激震だった。
目前の高層棟、電柱・電線、立木、地面が轟音をたて長く揺れた。
揺れのあと、周りの地面が沈み、建物基礎と取付道に亀裂や20~30センチ段差が出来た。液状化現象で泥水が噴き出し、川に。
近隣の戸建住宅は傾き、電柱が傾き、マンホールが1mも飛び出した。
停電はなかったが(東電の計画停電は別)、埋設配管の損傷でガス、上水道が止まった。
地震直後から約1週間団地(約800戸)の自主防災組織のメンバーで出動した。住民(子供・大人約100名)もボランティア参加し、復旧作業をした。土木工事に明るい人がいて、ガスは5日後に、水道は18日に復旧した。 【撮影年月、撮影場所】 千葉県浦安市入船2丁目 入船西エステート 2011年3月11日発生直後
【立命館とのご関係】 立命館大学・大学院 校友(卒業・修了生)
2回とも立つことができず座り込む激震だった。
目前の高層棟、電柱・電線、立木、地面が轟音をたて長く揺れた。
揺れのあと、周りの地面が沈み、建物基礎と取付道に亀裂や20~30センチ段差が出来た。液状化現象で泥水が噴き出し、川に。
近隣の戸建住宅は傾き、電柱が傾き、マンホールが1mも飛び出した。
停電はなかったが(東電の計画停電は別)、埋設配管の損傷でガス、上水道が止まった。
地震直後から約1週間団地(約800戸)の自主防災組織のメンバーで出動した。住民(子供・大人約100名)もボランティア参加し、復旧作業をした。土木工事に明るい人がいて、ガスは5日後に、水道は18日に復旧した。 【撮影年月、撮影場所】 千葉県浦安市入船2丁目 入船西エステート 2011年3月11日発生直後
【立命館とのご関係】 立命館大学・大学院 校友(卒業・修了生)
開発か復興か
yt さん
西日本豪雨で被災した愛媛県宇和島市にボランティアとして訪れたときの写真である。このように被災地では悲惨な風景が広がっていた。現地の方にお話を伺った時に「オリンピックの準備・開発のために土木関係の人が多く出て行ってしまい人がいないから復興が進んでいない」というお話を伺った。ここから開発を優先して地方の復興がないがしろにされる現状にもどかしさを感じた。開発のために地域住民の普通の暮らしが取り戻せなくなるのはおかしいと感じる経験でした。
【撮影年月、撮影場所】 愛媛県宇和島市吉田魚棚 2018年10月
【立命館とのご関係】 立命館大学・大学院 学生
【立命館とのご関係】 立命館大学・大学院 学生
十府ヶ浦海岸駅
辰見 幸音 さん
友人と東北を旅行し、その中で三陸鉄道に乗りに行ったところ、たまたま震災後初の新駅開業の日でした。地元のみなさんと一緒に新駅開業の瞬間を共有することができたことは、とても良い思い出になりました。
【撮影年月、撮影場所】 岩手県九戸郡野田村大字野田 2017年3月
【立命館とのご関係】 立命館大学・大学院 学生
【立命館とのご関係】 立命館大学・大学院 学生
在りし日の熊本城
匿名 さん
熊本を一人旅で回った際に撮影した在りし日の熊本城。歴史の大舞台を経験したお城ということだけあり、その佇まいは圧巻でした。
熊本の地震で大きな損傷を受け、復旧真っ只中ですが、復旧が終わったら、また訪れてみたいですね。 【撮影年月、撮影場所】 熊本県熊本市 2013年2月
熊本の地震で大きな損傷を受け、復旧真っ只中ですが、復旧が終わったら、また訪れてみたいですね。 【撮影年月、撮影場所】 熊本県熊本市 2013年2月
眼前に広がる海をみたとき、聞こえてくる音は何か。
2021年(も)花粉症 さん
2018年2月に初めて福島を訪れました。みるーる天神に案内していただいた時に感じた波の音、風の音、そして重機の音。さまざまな音が身体の芯にまで響いたことを今でも思い出します。次に福島を訪れるときは、どんな音が聞こえてくるだろうか。楽しみです。
【撮影年月、撮影場所】 みるーる天神 2018年2月
【立命館とのご関係】 立命館大学・大学院 教職員
【立命館とのご関係】 立命館大学・大学院 教職員
祭りで演技披露を行ったが、お仕事等の関係で演技を直接みることが出来なかった地元の方とお会いし、即興で演技を披露した。御礼に船に乗せてもらうなど、直接現地の方と触れ合う機会が多くあった。幼少期から続けてきたバトントワリングを通じて、様々な方に勇気と元気を与えることが出来、大変嬉しく感じた。 【撮影年月、撮影場所】 岩手県大船渡市 2019年5月
椿の里での思い出
匿名 さん
大船渡に足を運んだ際にとても綺麗だったので撮影しました。大船渡市は椿の里と呼ばれているようで、碁石海岸の近くにある碁石椿園では沢山の種類の花々が迎えてくれました。美しい海岸や太陽、花々をはじめとする自然に囲まれ、澄んだ空気を吸い込んだとき、日常生活で忘れかけていた”一息立ち止まる大切さ”に気づかされました。美しい海岸や太陽、花々をはじめとする自然は、今日も色々な場所で人々を見守ってくれていることと思います。
【撮影年月、撮影場所】 岩手県大船渡市 2017年5月
本棚が総崩れ
匿名希望 さん
大阪北部地震により、高さ約2メートル近い本棚が倒れ、本が散乱。幸い、子供も近くにおらず、怪我もなかったが、改めて地震の怖さを実感しました。この写真を見ると、あのときの揺れの恐怖を思い出します。
【撮影年月、撮影場所】 大阪府茨木市 2019年6月
無音の帰省
はだし。 さん
西日本豪雨の約1か月後に撮影したものです。
当時1回生だった私は、災害後初めて地元の広島に帰省したのですが、実際の被災状況を目の当たりにして何も言葉が出ませんでした。郵便ポストは封鎖されて駐車場は土砂に埋まり、住民は近隣の学校などに避難したことから、民家の生活音や郵便バイク・自動車が走る音などが一切消え、遠くでかすかに海の波音が聞こえるくらい不気味な静かさだったことを今でも覚えています。 【撮影年月、撮影場所】 広島県坂町水尻地区 2018年8月
【立命館とのご関係】 立命館大学・大学院 学生
当時1回生だった私は、災害後初めて地元の広島に帰省したのですが、実際の被災状況を目の当たりにして何も言葉が出ませんでした。郵便ポストは封鎖されて駐車場は土砂に埋まり、住民は近隣の学校などに避難したことから、民家の生活音や郵便バイク・自動車が走る音などが一切消え、遠くでかすかに海の波音が聞こえるくらい不気味な静かさだったことを今でも覚えています。 【撮影年月、撮影場所】 広島県坂町水尻地区 2018年8月
【立命館とのご関係】 立命館大学・大学院 学生
さくら通り
なお さん
ここは実家の近所の桜通りです。毎年3月末から4月にかけて桜が咲き乱れ、四季折々の風景が楽しめる場所です。この写真は何気なく撮ったものですが、改めて見返すと毎年この桜を見ることができるのは奇跡だなと感じました。当たり前の景色が当たり前に見られることに感謝し、また今年も無事に咲いてくれることを祈っています。
【撮影年月、撮影場所】 大阪府茨木市 2019年4月
【立命館とのご関係】 立命館大学・大学院 校友(卒業・修了生)
【立命館とのご関係】 立命館大学・大学院 校友(卒業・修了生)
復興のシンボル
油井 遥 さん
これまで2度熊本に足を運んだ。1度目は2017年、震災が起こって1年が経った頃だ。当時熊本城は、石垣が崩れ、野積みされた小石などが無造作に散乱したままだった。地元の人に話を聞いても、再建への見通しが立たず、手付かずのまま震災発生当時の悲惨さを体現していた。
写真は2度目に訪れた時のものだ。2019年に再び熊本に行って、その変貌ぶりには驚いた。本丸内は綺麗に整頓され、石垣もちらほら震災前と同じように積まれていた。被害の大きかった天守閣からは、何としてでも熊本のシンボルである熊本城を美しく再建させるという、地元の人の熱意や愛着が、この無骨な足場から伝わってきて感動した。 【撮影年月、撮影場所】 熊本城にて 2019年6月
【立命館とのご関係】 立命館大学・大学院 学生
写真は2度目に訪れた時のものだ。2019年に再び熊本に行って、その変貌ぶりには驚いた。本丸内は綺麗に整頓され、石垣もちらほら震災前と同じように積まれていた。被害の大きかった天守閣からは、何としてでも熊本のシンボルである熊本城を美しく再建させるという、地元の人の熱意や愛着が、この無骨な足場から伝わってきて感動した。 【撮影年月、撮影場所】 熊本城にて 2019年6月
【立命館とのご関係】 立命館大学・大学院 学生
途切れた道が、教えてくれた
SHIN JAESOL さん
私は留学生なので、日本の自然災害についても、テレビや本で読んだことしかありませんでした。この写真は日本に着いて1っか月ぐらい過ぎた時に、京北で会った途切れた道の写真です。私は自転車に乗っていました。自然の威力を感じつつも、いつかこの道もまた元に戻り、通じるだろうと思いながら、写真を撮りました。
【撮影年月、撮影場所】 京都市京北桂川 2019年5月19日
【立命館とのご関係】 立命館大学・大学院 学生
【立命館とのご関係】 立命館大学・大学院 学生
晴天の伊達政宗公像
zima さん
校友会で仙台に伺った際にツアーで訪問しました。
【撮影年月、撮影場所】 仙台城址 2018年10月
【立命館とのご関係】 立命館大学・大学院 校友(卒業・修了生)
【立命館とのご関係】 立命館大学・大学院 校友(卒業・修了生)
美しいまち
ヒロシ さん
広島に帰省した時に、久しぶりに宮島に訪れました。日本三景にも選ばれている美しい場所がある広島ですが、昨年の豪雨被害直後は、思いもよらない悲しい光景がそこにはありました。いつ起こるかわからない自然災害に備えて、自分にできることは何かを考えるきっかけとなりました。
【撮影年月、撮影場所】 広島県廿日市市 2017年8月
安心の光
K さん
北海道旅行に行った時の写真です。藻岩山から見た夜景がとても美しくて撮ったお気に入りの一枚です。
今回の募集を知り、改めて写真を見ると、明かりの一つ一つには、安心できる復興した街やそこに住む人の「当たり前」の生活が表れているように感じられました。 【撮影年月、撮影場所】 北海道札幌市 藻岩山 2014年9月
【立命館とのご関係】 立命館大学・大学院 校友(卒業・修了生)
今回の募集を知り、改めて写真を見ると、明かりの一つ一つには、安心できる復興した街やそこに住む人の「当たり前」の生活が表れているように感じられました。 【撮影年月、撮影場所】 北海道札幌市 藻岩山 2014年9月
【立命館とのご関係】 立命館大学・大学院 校友(卒業・修了生)
記念のジャージ
安川 竜二 さん
ラグビー日本選手権を7連覇した新日鉄釜石で有名な「ラグビーの街」で東日本大震災の被災地、岩手県釜石市に造られた「釜石鵜住居復興スタジアム」で初めて行われたラグビー日本代表とフィジー代表で実際に着用された日本代表選手サイン付きジャージ。
2011年の東日本大震災の被災地で、国の代表として戦う意味は何か。スタジアムに込められた復興への願いをチームメートと共有してワールドカップ日本大会を控える特別なシーズンの船出の試合を戦ったジャージである。
【撮影年月、撮影場所】 大阪府吹田市 2019年8月
【立命館とのご関係】 立命館大学・大学院 教職員
2011年の東日本大震災の被災地で、国の代表として戦う意味は何か。スタジアムに込められた復興への願いをチームメートと共有してワールドカップ日本大会を控える特別なシーズンの船出の試合を戦ったジャージである。
【撮影年月、撮影場所】 大阪府吹田市 2019年8月
【立命館とのご関係】 立命館大学・大学院 教職員
震災直後
ヒロ さん
東日本大震災直後、岩手県沿岸の町に仮設水道を引くため、井戸に水中ポンプを据え付けて配管しました。そのときに高いところから撮影した写真です。
【撮影年月、撮影場所】 岩手県山田町 2011年3月24日
【立命館とのご関係】 立命館大学・大学院 校友(卒業・修了生)
【立命館とのご関係】 立命館大学・大学院 校友(卒業・修了生)
もっと早く知りたかった美味しさ
m さん
宮城へ旅行に行った際、最終日の昼食にこのお寿司を食べました。石巻港でその日の朝に採れたネタを使っているそうで、とても美味しかったです。
それまで宮城で海鮮が有名という印象はあまりなかったのですが、一気に覆りました!
美味しいもので溢れている宮城、是非また機会があれば行きたい場所のひとつです。 【撮影年月、撮影場所】 宮城県仙台市青葉区 2018年9月
【立命館とのご関係】 立命館大学・大学院 教職員
それまで宮城で海鮮が有名という印象はあまりなかったのですが、一気に覆りました!
美味しいもので溢れている宮城、是非また機会があれば行きたい場所のひとつです。 【撮影年月、撮影場所】 宮城県仙台市青葉区 2018年9月
【立命館とのご関係】 立命館大学・大学院 教職員
あのときの記憶
北の大地 さん
生まれてから高校卒業まで過ごした故郷、札幌。高校卒業後から関西に住み始めそのまま関西に就職。社会人になってからは帰省もほとんどせずに過ごしていました。
そのような中、2018年北海道胆振東部地震が発生。沢山の被害でて慌てて帰省。実家周辺も道路が陥没したり(投稿写真)、停電が長く続いたり、ガソリンスタンドやコンビニには行列ができたり、買い占めでスーパーの陳列棚はガラガラになったりと、身近で大規模災害が起きたという恐怖は今でも忘れられません。
札幌は、昔から地震や台風など自然災害が少ない都市で、私自身は被災の経験はありませんでしたが、この経験をきっかけに、防災の意識が芽生えました。 【撮影年月、撮影場所】 北海道札幌市清田区 2018年9月8日
そのような中、2018年北海道胆振東部地震が発生。沢山の被害でて慌てて帰省。実家周辺も道路が陥没したり(投稿写真)、停電が長く続いたり、ガソリンスタンドやコンビニには行列ができたり、買い占めでスーパーの陳列棚はガラガラになったりと、身近で大規模災害が起きたという恐怖は今でも忘れられません。
札幌は、昔から地震や台風など自然災害が少ない都市で、私自身は被災の経験はありませんでしたが、この経験をきっかけに、防災の意識が芽生えました。 【撮影年月、撮影場所】 北海道札幌市清田区 2018年9月8日
思いをつなぐ蝶々たち
バタフライ さん
台湾でも、約20年前の1999年9月21日未明に大地震がありました。「921大地震」と呼ばれています。
幼年時代に台湾で過ごしたときに、兄弟で採集した蝶が含まれている標本です。
この蝶のようにこれからも思いを寄せたいと思います。今は立命館守山中学校・高等学校にて保管いただいています。 【撮影年月、撮影場所】 台湾 2016年7月
幼年時代に台湾で過ごしたときに、兄弟で採集した蝶が含まれている標本です。
この蝶のようにこれからも思いを寄せたいと思います。今は立命館守山中学校・高等学校にて保管いただいています。 【撮影年月、撮影場所】 台湾 2016年7月
学校
齋藤 玲奈 さん
2013年に石巻市女川町で父が撮影した写真です。父は仕事をやめ、復興支援をするために石巻に移った時にこの写真を送ってくれました。その後、2015年9月、2017年8月に被災地を訪れた時も、震災から何年もたっているにも関わらず、街の風景はどこか寂しく、とても冷たく感じました。この写真の現場も尋ねましたが、校舎は痛々しくボロボロではあったものの、散乱していた教室机や黒板から、それとなくここに確かに子供たちがいただんだと強く感じたのを覚えています。年々少しずつ活気や町の皆さんの助け合い、温かさによって、活気を取り戻していく様子を見ることができうれしいです。これからのさらなる活性化を応援しています。
【撮影年月、撮影場所】 宮城県石巻市女川町、気仙沼 2013年1月
【立命館とのご関係】 立命館大学・大学院 教職員
【立命館とのご関係】 立命館大学・大学院 教職員
「学びにきゃっせん!」in大船渡
ラブ大船渡 さん
岩手県大船渡市と立命館大学の包括連携協定の締結記念イベントとして2016年年4月29日に「学びにきゃっせん!」を開催、大船渡市の方と立命館大学学生・教職員が一体となってワークショップを行いました。
私は大学側のスタッフとして参加、初めての東北だったのですが、大船渡の皆様の暖かいお人柄に感動したことを今でも思い出します。
皆さん、お元気ですか~。 【撮影年月、撮影場所】 岩手県大船渡市 2016年4月
【立命館とのご関係】 立命館大学・大学院 教職員
私は大学側のスタッフとして参加、初めての東北だったのですが、大船渡の皆様の暖かいお人柄に感動したことを今でも思い出します。
皆さん、お元気ですか~。 【撮影年月、撮影場所】 岩手県大船渡市 2016年4月
【立命館とのご関係】 立命館大学・大学院 教職員
壁の亀裂
サトシ・ナカモト さん
東日本大震災は東京にも大きな被害をもたらした。自宅倉庫の複数個所に亀裂が入り修復を余儀なくされた。倉庫が倒壊すると思うぐらい揺れた。
【撮影年月、撮影場所】 東京都豊島区西池袋 2011年4月
電気がつかなくなった
たっくん さん
自宅倉庫の戸棚が倒れ、電気スイッチに直撃した。
電気がつかなくなり、修復作業が余儀なくされた。 【撮影年月、撮影場所】 東京都豊島区西池袋 2011年4月
電気がつかなくなり、修復作業が余儀なくされた。 【撮影年月、撮影場所】 東京都豊島区西池袋 2011年4月
忘れられた被災地1
三浦 充喜 さん
大学院修了後、個人的に所属している学会で研究ノートとして千葉県旭市、茨城県北茨城市の「東北三県ではない津波被害にあった地域」の被災状況と復興状況について執筆するため、現地を視察してきました。奥に見えるのは、当地にゆかりのある、ちばてつや氏作『あしたのジョー』に登場する力石徹。その隣にはジョーの像もあります。
【撮影年月、撮影場所】 千葉県旭市飯岡 2016年12月
【立命館とのご関係】 立命館大学・大学院 校友(卒業・修了生)
【立命館とのご関係】 立命館大学・大学院 校友(卒業・修了生)
よみがえれ、美しい肥薩線。
太田 裕斗 さん
令和2年7月豪雨の4か月前、九州旅行で肥薩線を利用した際に撮影した1枚です。雄大な自然の中で、エメラルドグリーンの球磨川に赤い橋梁が架かっている光景が非常に美しく、走る列車の車窓から思わずシャッターを切りました。[br]豪雨災害の影響で、肥薩線の美しさは奪われてしまい、今も運転見合わせの厳しい状況が続いています。そんな肥薩線の一刻も早い復旧と、この美しい景色がまた見られることを心から願って、投稿いたしました。がんばれ、肥薩線!
【撮影年月、撮影場所】 熊本県八代市 球磨川沿いを走る肥薩線の車窓から 2020年3月
【立命館とのご関係】 立命館大学・大学院 学生
【立命館とのご関係】 立命館大学・大学院 学生
2012年大船渡市 われわれにできる支援を!
坂田 謙司 さん
震災翌年の夏、立命館大学は大船渡市と支援に関する包括連携協定を結び、サービスラーニングセンター、災害復興支援室、学生部などが中心となって、復活した夏祭りのお手伝いをしました。でも、実際には何をするかもわからず、寝泊まりする場所すらよくわからない状態でした。そんななかで、地元の人たちが祭りで踊る踊りをわれわれも練習し、踊りに加わることで少しでも元気になってもらおうということでした。踊りの会場は津波で破壊された場所で、まだ壊れた家が残されていました。われわれはそろいの立命館マークの法被を着て、練習した踊りを踊りました。遠藤からは、暖かい声援が聞こえ、笑顔の人たちが見えました。忘れられない笑顔です。
【撮影年月、撮影場所】 岩手県大船渡市 2012年8月
【立命館とのご関係】 立命館大学・大学院 教職員
【立命館とのご関係】 立命館大学・大学院 教職員
陸前高田一本松
伊藤 郁男 さん
20年程前に1年間だけ岩手県北上市に単身赴任していて大船渡市にも支店があり当時経理担当の女性に大変お世話になりました。その彼女が津波被害にあい自宅は流されましたが無事の知らせが来たのは1週間後でした。早く訪問したかったのですがやっと3年前に叶い陸前高田の一本松を見て津波の恐ろしさを痛感しました。
【撮影年月、撮影場所】 陸前高田市 2018年4月
【立命館とのご関係】 立命館大学・大学院 校友(卒業・修了生)
【立命館とのご関係】 立命館大学・大学院 校友(卒業・修了生)
大船渡でのボランティア活動
安原 壮一 さん
2011年6月に友人2名、奥さん、私の4名で岩手県大船渡市へボランティアで駆けつけた。友人と私は大学で土木・環境系の学問を専攻していたため、被災地に何か役立つことはできないか?という想いで現地でのボランティア活動に取り組んだ。陸路で現地に向かったが、大阪から大船渡市まで丸々半日以上かかり、高速道路は震災の影響で路面がガタガタになっており車中での睡眠が非常に困難だったことを鮮明に覚えている。写真は、大船渡到着時にボランティアセンターに掲げられていたメッセージ。たどり着いた被災地の惨状は想像を遥かに越えていたが、このメッセージを見て必ずこの街は復興する、少しでも自分も役に立たなければと想いを新たにしたことを今でも鮮明に覚えている。
【撮影年月、撮影場所】 大船渡市 2011年06月
大船渡にも奇跡の一本松
井上 拓也 さん
「奇跡の一本松」は陸前高田市が有名ですが、大船渡の碁石海岸にもありました。碁石観光まつりに行った際に海岸の遊歩道で見つけました。
【撮影年月、撮影場所】 大船渡・碁石海岸 2015年05月
【立命館とのご関係】 立命館大学・大学院 教職員
【立命館とのご関係】 立命館大学・大学院 教職員
10年目の感謝と未来への交流プロジェクト~宮城県名取市閖上~
立命館大学産業社会学部永野ゼミ
立命館大学産業社会学部永野ゼミが事務局を務める「閖上復興感謝プロジェクト実行委員会」は、10年目の節目をどう迎えるか、種々検討をしてきました。
宮城県名取市閖上地区の復興において大きなきっかけを生んでくれたのが、カナダの皆様からのご支援でした。
支援金を元にゆりあげ港朝市内に交流施設「メイプル館」等が建設され、朝市の早期復興と共に、地区全体を活気づける原動力となりました。
おかげさまで現在がある、ご恩をお返ししたい、という想いを込め、閖上地区の地域産業の復興を特産品を通じて知って頂こう!と笹かまぼこの商品開発を行う事になりました。
本取組みが、閖上とカナダとの交流の掛け橋となれば幸いです。 【撮影年月、撮影場所】 ゆりあげ港朝市/メイプル館 2021年03月
【立命館とのご関係】 立命館大学・大学院 教職員
宮城県名取市閖上地区の復興において大きなきっかけを生んでくれたのが、カナダの皆様からのご支援でした。
支援金を元にゆりあげ港朝市内に交流施設「メイプル館」等が建設され、朝市の早期復興と共に、地区全体を活気づける原動力となりました。
おかげさまで現在がある、ご恩をお返ししたい、という想いを込め、閖上地区の地域産業の復興を特産品を通じて知って頂こう!と笹かまぼこの商品開発を行う事になりました。
本取組みが、閖上とカナダとの交流の掛け橋となれば幸いです。 【撮影年月、撮影場所】 ゆりあげ港朝市/メイプル館 2021年03月
【立命館とのご関係】 立命館大学・大学院 教職員
お箸の代わりに…ネギ一本蕎麦!
s.f さん
人生初の一人旅で冬の東北に行きました。
福島大内宿では吹雪の中、立ち並ぶ茅葺き屋根の集落に感動したのですが、そこで出会った珍郷土料理が、このネギ蕎麦です。
お箸の代わりに立派な白ネギ一本。食べ方は、ネギでそばを救ってネギごと食らうという、漢スタイル。このお蕎麦を完食した時、一皮むけた気がしました。ネギはびっくりするほど甘くて瑞々しかったです。 【撮影年月、撮影場所】 福島県会津郡 2018年02月
【立命館とのご関係】 立命館大学・大学院 教職員
福島大内宿では吹雪の中、立ち並ぶ茅葺き屋根の集落に感動したのですが、そこで出会った珍郷土料理が、このネギ蕎麦です。
お箸の代わりに立派な白ネギ一本。食べ方は、ネギでそばを救ってネギごと食らうという、漢スタイル。このお蕎麦を完食した時、一皮むけた気がしました。ネギはびっくりするほど甘くて瑞々しかったです。 【撮影年月、撮影場所】 福島県会津郡 2018年02月
【立命館とのご関係】 立命館大学・大学院 教職員
耳を寄せると聞こえてくるのは…
嶋津 雅彦 さん
津波で押し流された瓦礫がうずたかく積まれてできた山は、10m以上になっていただろうか。歩くと足が沈みそうなフワフワとした頼りない感覚と、これまでかいだことのない何とも言えない匂いが、今も生々しく思い出される。壁の中の黄色いグラスウールや建材が、泥と混ざり合ったような瓦礫のその中に、白いカセットテープが「私を見つけて!」とでも言うかのように転がっていた。ラベルは剥がれてしまっているが、このカセットには何が録音されていたのだろう?お気に入りの音楽だろうか?それとも語学のテープだったのか?テープの回る様子やスピーカーから流れる音、持ち主の暮らしを思い浮かべながら、レンズに収めてその場を後にした。
【撮影年月、撮影場所】 陸前高田 2011年11月
【立命館とのご関係】 立命館大学・大学院 教職員
【立命館とのご関係】 立命館大学・大学院 教職員
クウちゃん10歳
久保 裕之 さん
「大船渡漢字探検隊」の宿泊先で旅館のお婆さんが震災のことを語ってくれた。
地震後、街はまだのんびりしていた。しかしチリ地震津波の体験があるお爺さんは「只事ではない」と、クウちゃんを抱き3階へと階段を駆け上がった。
近所の建物はひとたまりもなく潰されたが、旅館の3階に避難した人は全員助かった。
旅館を再建してから3か月後、お爺さんは病院で息を引き取った。臨終まで「クウちゃんに会いたい」と言っていたが、病院に連れては行けなかった。
今もクウちゃんは、毎日かなりの時間を旅館の玄関で過ごしている。「お爺さんがいつか帰って来るんじゃないかと思ってるんでしょうかねぇ。」とお婆さんは語っていた。 【撮影年月、撮影場所】 岩手県大船渡市 2012年10月
【立命館とのご関係】 立命館大学・大学院 教職員
地震後、街はまだのんびりしていた。しかしチリ地震津波の体験があるお爺さんは「只事ではない」と、クウちゃんを抱き3階へと階段を駆け上がった。
近所の建物はひとたまりもなく潰されたが、旅館の3階に避難した人は全員助かった。
旅館を再建してから3か月後、お爺さんは病院で息を引き取った。臨終まで「クウちゃんに会いたい」と言っていたが、病院に連れては行けなかった。
今もクウちゃんは、毎日かなりの時間を旅館の玄関で過ごしている。「お爺さんがいつか帰って来るんじゃないかと思ってるんでしょうかねぇ。」とお婆さんは語っていた。 【撮影年月、撮影場所】 岩手県大船渡市 2012年10月
【立命館とのご関係】 立命館大学・大学院 教職員
東京電力廃炉資料館にて
塩田 楓 さん
2019年の立命館大学福島県校友会総会の翌日に、校友の皆さんと一緒に見学。私にとっては、震災後初めて被災地を訪れる機会でした。[br]私は神戸出身で、5歳の時に阪神・淡路大震災を経験し、その復興の様子も見てきました。阪神・淡路大震災とは異なる津波や原発事故がもたらした影響の大きさを強く感じました。
【撮影年月、撮影場所】 東京電力廃炉資料館 2019年09月
【立命館とのご関係】 立命館大学・大学院 教職員
【立命館とのご関係】 立命館大学・大学院 教職員
一本松の奇跡
松 さん
岩手県に旅行に行ったときの写真です。奇跡の一本松がどのようなものなのか、一目見たく、車内から撮りました。
【撮影年月、撮影場所】 岩手県陸前高田市 2018年08月
3月11日 15時38分
? さん
この春休み中、東日本大震災の際に福島第一原発の影響により5年間誰も帰ることができなかった町である
小高という場所で復興のための活動を行いました。
活動中に現地の方々のお話を聞いた時。
ニュースや新聞では10年という月日が経ち、復興に向かってきていると報道され、県外の人は復興してきていると思っているがそれは違うと言っていた。
除染され、交通整備がなされ、家が建つ。それだけでは人々は戻ってこない
これまでの生活は、近隣住民全員で協力して成り立っていたもの
いい環境が整っている整っていないは関係ない。
これまで一緒に暮らしてきた人が戻ってきてから初めて復興。
時はまだ2011年3月11日15時38分で止まっている。 【撮影年月、撮影場所】 福島県浪江町立請戸小学校 2021年03月
小高という場所で復興のための活動を行いました。
活動中に現地の方々のお話を聞いた時。
ニュースや新聞では10年という月日が経ち、復興に向かってきていると報道され、県外の人は復興してきていると思っているがそれは違うと言っていた。
除染され、交通整備がなされ、家が建つ。それだけでは人々は戻ってこない
これまでの生活は、近隣住民全員で協力して成り立っていたもの
いい環境が整っている整っていないは関係ない。
これまで一緒に暮らしてきた人が戻ってきてから初めて復興。
時はまだ2011年3月11日15時38分で止まっている。 【撮影年月、撮影場所】 福島県浪江町立請戸小学校 2021年03月
高台から思いを馳せる
古澤 秀晃 さん
自分の目で見て、何かを感じとりたい。
その思いとともに、学生の引率という形で岩手県宮古市の田老地区へ。
広い空、鮮やかな緑、澄んだ空気、心地よい潮風、あたたかく穏やかな景色。そのなかで、ひと際存在感を放つのは、鉄骨が露わになった「たろう観光ホテル」と巨大な防潮堤。
あの日、ここで起きたこと、ここにいた人の気持ちに思いを馳せる。。
はたして、この巨大な防潮堤を越え、津波が街をのみ込む未来を想像できただろうか。
語り部の方から、「てんでんこ」という言葉を教えていただいた。津波がきたら、周りの人に構わず、てんでんバラバラに逃げなさい、とのこと。
これから先の未来へ、願いが込められた言葉をつないでいきたい。 【撮影年月、撮影場所】 福島県浪江町立請戸小学校 2021年03月
【立命館とのご関係】 立命館大学・大学院 教職員
その思いとともに、学生の引率という形で岩手県宮古市の田老地区へ。
広い空、鮮やかな緑、澄んだ空気、心地よい潮風、あたたかく穏やかな景色。そのなかで、ひと際存在感を放つのは、鉄骨が露わになった「たろう観光ホテル」と巨大な防潮堤。
あの日、ここで起きたこと、ここにいた人の気持ちに思いを馳せる。。
はたして、この巨大な防潮堤を越え、津波が街をのみ込む未来を想像できただろうか。
語り部の方から、「てんでんこ」という言葉を教えていただいた。津波がきたら、周りの人に構わず、てんでんバラバラに逃げなさい、とのこと。
これから先の未来へ、願いが込められた言葉をつないでいきたい。 【撮影年月、撮影場所】 福島県浪江町立請戸小学校 2021年03月
【立命館とのご関係】 立命館大学・大学院 教職員
6.18大阪府北部地震によるOICの被害状況
w. さん
6.18大阪府北部地震発生日、OICでは書籍の落下や建物の損壊が多く見られ、キャンパス内は学生の立ち入りが禁止となりました。
その後授業は1週間休講となり、休講中、無事に授業を開講させることを目指し、OIC所属の職員並びにOIC所属でない職員も動員し、一丸となって復旧作業にあたりました。
当時の経験は、今後の職員人生においても最初で最後になりそうな、貴重な体験だったと思います。
復旧期間中、FIFAワールドカップの試合を職員の方と応援し、元気づけられたことも、とても良い思い出です。 【撮影年月、撮影場所】 立命館大学大阪いばらきキャンパス 2021年03月
【立命館とのご関係】 立命館大学・大学院 教職員
その後授業は1週間休講となり、休講中、無事に授業を開講させることを目指し、OIC所属の職員並びにOIC所属でない職員も動員し、一丸となって復旧作業にあたりました。
当時の経験は、今後の職員人生においても最初で最後になりそうな、貴重な体験だったと思います。
復旧期間中、FIFAワールドカップの試合を職員の方と応援し、元気づけられたことも、とても良い思い出です。 【撮影年月、撮影場所】 立命館大学大阪いばらきキャンパス 2021年03月
【立命館とのご関係】 立命館大学・大学院 教職員
災害中の天ヶ瀬
趙 翔昊 さん
2020年夏、豪雨被害の温泉地天ヶ瀬の様子でした。玖珠川の氾濫に伴って、水位が上げて、道路から最大約2,5メートルの高さになりました。(高知工業高専、岡田将治准教授)。写真中部のは有名な「新天ヶ瀬橋」です。完全に壊れて、水に流れたらしいです。私が留学生として、初めて日本でボランティア活動を参加するので、この様な様子は強い印象があります。
【撮影年月、撮影場所】 大分県 日田市 天ヶ瀬 2020年07月
【立命館とのご関係】 立命館アジア太平洋大学・大学院 学生
【立命館とのご関係】 立命館アジア太平洋大学・大学院 学生
紅葉
momiji さん
嵐山といえば紅葉のイメージが強いので、少し季節がおそくなりましたが訪れた記念に撮影した写真です。
【撮影年月、撮影場所】 嵐山 2014年12月
東北に笑顔の轍を繋いでいく
mahalo さん
初めて東北を訪れたのは、大学のキャンパスアジアプログラムでの被災地見学でした。日中韓のメンバー全員が、被災地の方の復興への思いに心を動かされた経験となりました。[br]それから5年が経ち、私は社会人になり、会社の東北支援プロジェクトに参加する機会を得て、ツール・ド・東北のサポーターとして、再び宮城県を訪れました。全国から多くのランナーが集まり大盛況でした!中でも水浜という港町で、地元の元気で笑顔が素敵なおばあちゃんたちと大漁旗を掲げて、大声で応援した思い出が印象に残っています。ランナーの方が最高の笑顔で応えてくださり、応援している私たちも笑顔になりました!これからも東北に笑顔の轍が続くことを願います。
【撮影年月、撮影場所】 石巻市雄勝町水浜 2019年09月
【立命館とのご関係】 立命館大学・大学院 校友(卒業・修了生)
【立命館とのご関係】 立命館大学・大学院 校友(卒業・修了生)
伊達政宗騎馬像
芝原 尚基 さん
友人を訪ねて仙台に行った時のこと。伊達政宗に会いたくなり、青葉城にて写真を撮りました。青葉城は少し高台にありましたが、麓で自転車を借りて、「伊達政宗騎馬像」まで、全力でペダルを漕いでいったのは良い思い出です。
【撮影年月、撮影場所】 青葉城(仙台市) 2016年06月
すすきのジンギスカン
T.K さん
友人と3人で北海道旅行に行ったときの写真です。社会人になってからなかなかみんな揃って集まることができていませんでしたが、久しぶりに3人集まれたこともあり最高の晩ごはんになりました。
【撮影年月、撮影場所】 札幌市 2017年09月
【立命館とのご関係】 立命館大学・大学院 校友(卒業・修了生)
【立命館とのご関係】 立命館大学・大学院 校友(卒業・修了生)
初めて訪れた被災地での1枚
Y.N さん
学生の引率で初めて被災地の陸前高田市を訪れた際の1枚です。テレビや新聞などでは、被災地の様子を目にすることは多くあったが、実際に現場に足を運び被災地の生の様子を最も肌で感じることができた写真を選びました。震災の生々しさが伝わる建物になっており、今でもこの写真を見ると当時の震災の被害がわかりました。震災を風化させないために私にとっても大切にしたいと思います。
【撮影年月、撮影場所】 陸前高田市 2018年08月
鎮魂の日和山から見た被災施設の復旧風景
惣田 訓 さん
日本水環境学会2014年の見学会で、津波で流失した閖上湊神社と富主姫神社を祀っている日和山から、閖上地区被災一帯を視察しました。上下水道施設などが被災しただけでなく、干潟などの自然環境も変貌してしまいましたが、被災施設の復旧工事が始まり、個人としても環境都市工学に関わる教員としても、これからの都市と自然のあり方を考えました
【撮影年月、撮影場所】 宮城県名取市閖上日和山 2014年03月
【立命館とのご関係】 立命館大学・大学院 教職員
【立命館とのご関係】 立命館大学・大学院 教職員
夕暮れの一本松
佐野 芳尚 さん
2012年度岩手県父母懇談会への出張。この懇談会の大学代表が服部先生(初代復興支援室長)だったこともあり、懇談会後に陸前高田の一本松に接する機会をいただくことが出来ました。
一本松は本当にぽつんと立っており、周りにはたくさんの破壊された建物の瓦礫と松林の残骸しかありませんでした。
盛岡からの道中も壮絶な景色が続き、ふつうの町が建物が、一瞬で無くなったことがよく分かりました。
この日の夜に、全てが流され真っ暗な町の真ん中に建つ大船渡ホテルに宿泊させていただいたことも非常に危険な体験でした。 【撮影年月、撮影場所】 陸前高田市 2012年06月
【立命館とのご関係】 立命館大学・大学院 教職員
一本松は本当にぽつんと立っており、周りにはたくさんの破壊された建物の瓦礫と松林の残骸しかありませんでした。
盛岡からの道中も壮絶な景色が続き、ふつうの町が建物が、一瞬で無くなったことがよく分かりました。
この日の夜に、全てが流され真っ暗な町の真ん中に建つ大船渡ホテルに宿泊させていただいたことも非常に危険な体験でした。 【撮影年月、撮影場所】 陸前高田市 2012年06月
【立命館とのご関係】 立命館大学・大学院 教職員
大好きな場所
てながさる さん
神戸。
子供の頃、クリスマスに家族旅行で毎年訪れていた思い出の場所。結婚して1年の記念日に旅行に行きました。
夜景が特に綺麗で、いつ行っても笑顔になれる場所です。
震災で被害が大きかった場所ではあるけど、
復興活動のひとつであるルミナリエの開催や神戸の夜景を眺めに多くのカップルや家族が訪れ笑顔であふれています。
これからも神戸の街が笑顔であり続けますように。 【撮影年月、撮影場所】 神戸 2019年06月
【立命館とのご関係】 立命館大学・大学院 校友(卒業・修了生)
子供の頃、クリスマスに家族旅行で毎年訪れていた思い出の場所。結婚して1年の記念日に旅行に行きました。
夜景が特に綺麗で、いつ行っても笑顔になれる場所です。
震災で被害が大きかった場所ではあるけど、
復興活動のひとつであるルミナリエの開催や神戸の夜景を眺めに多くのカップルや家族が訪れ笑顔であふれています。
これからも神戸の街が笑顔であり続けますように。 【撮影年月、撮影場所】 神戸 2019年06月
【立命館とのご関係】 立命館大学・大学院 校友(卒業・修了生)
生まれ変わった街に咲く約180万本のヒマワリ
くねちゃん さん
震災から9年目を迎えた2020年。私は、復興支援の応援職員として津波で壊滅的被害を受けた山元町(宮城県)の役場に派遣され、町の観光事業に従事しています。その中で、私が携わったのがこのヒマワリ畑です。このヒマワリが咲く場所は、人々が暮らしていた街でしたが、津波によって流され今は何もありません。そんな場所が9年の時を経て、元気と笑顔になれるヒマワリ畑として生まれ変わりました。また、元住民の方からも喜びの声をいただくことができ、住民の方の心の復興にも貢献できました。
【撮影年月、撮影場所】 宮城県山元町 2020年08月
【立命館とのご関係】 立命館大学・大学院 校友(卒業・修了生)
【立命館とのご関係】 立命館大学・大学院 校友(卒業・修了生)
私のご褒美グルメ『豚壱』の豚丼in楢葉町
新徳 翔太 さん
楢葉町には、“うなぎ”の秘伝のタレを用いた絶品「豚丼」があります。提供するのは『豚壱』。しかし、こちらのお店は震災前は存在しておらず、隣町(富岡町)で、震災前から営業していた、うなぎの老舗『うなぎ・押田』が前身となっています。原発事故で1度、人がいなくなった町、除染作業員暮らしている町にとって、安く早くスタミナをつけられる料理屋さんが必要だったのかと、当時の楢葉町に思いを巡らせたことがありました。この写真は、2016年の8月に、夏のサマーキャンプ『めちゃキャン』を実施した際にいただいた差し入れ。疲れた身体に、この絶品「豚丼」はたまらなかった。
【撮影年月、撮影場所】 楢葉町 2016年08月
【立命館とのご関係】 立命館大学・大学院 校友(卒業・修了生)
【立命館とのご関係】 立命館大学・大学院 校友(卒業・修了生)
塩竈の海鮮丼
APU職員 さん
自分にできることは現地に行ってうまいもんを食う!それだけです。東北の食べ物は本当においしいです。また行きます。
【撮影年月、撮影場所】 宮城県塩竈市 2020年02月
【立命館とのご関係】 立命館アジア太平洋大学・大学院 教職員
【立命館とのご関係】 立命館アジア太平洋大学・大学院 教職員
学舎への道
西丸 光 さん
母校に入学し、卒業するまでの3年間何度も昇り降りした正門から校舎に続く坂道は、現役当初大変だった。それと同時に四季によって顔を変える坂道に思い馳せる大切な道が地震によって閉ざされた姿を見たとき、楽しかった学生の頃の思い出が遮断された気持ちになった。恩師の「思い出は心の中に。その思いを胸に前に進め。」という言葉で震災当時突き進んだ記憶が蘇る。
【撮影年月、撮影場所】 福島県立湯本高等学校 2011年03月
【立命館とのご関係】 立命館大学・大学院 校友(卒業・修了生)
【立命館とのご関係】 立命館大学・大学院 校友(卒業・修了生)
松島の朝(東北応援ツアー)
舩尾 優一 さん
校友・父母課の職員だった時に、東日本大震災で特に被害の大きかった東北3県を巡るツアーを現地の校友会の皆様と一緒に企画・運営していた際に撮影した1枚。宮城県の被災地を巡り、復興途上の現地の状況を自分の五感で捉え、被災された方々に震災当時の悲痛な、そしてやりきれない想いを伺い、夜お酒を酌み交わしながら吐露される参加者の方々の本音を噛みしめ。頭や心を整理するにはあまりに短いを夜を経た翌朝に見た松島の海に昇る朝日。昨日聞いたリアルな自然の厳しさ、恐ろしさとは真逆の太陽の暖かさ、美しさ。物言わぬ太陽が、現地で力強く復興に向けて頑張る方々の姿と重なり、「それでも日はまた昇る」というメッセージのようにも感じた朝でした。
【撮影年月、撮影場所】 松島 2017年
最果ての大地~冬の北海道の大自然~
太田 修弘 さん
大学の卒業旅行で北海道の知床へ行きました。近年、厳しい寒波や暴風雪、地震といった厳しい自然災害に見舞われた北海道ですが、知床で私が見た自然の美しさは忘れることが出来ません。この当時、暖冬の影響で流氷の漂着は今年はないかもしれないと言われていましたが、旅行の直前に流氷が到着、無事に自然の神秘を目の当たりにすることができました。本州では見ることのできない冬の大自然の厳しさと美しさに心打たれた旅でした。災害の悲惨な映像や画像はニュースや報道等で出回りますが、それ以上に素敵な景色が北海道にはありました。みなさんにもぜひ、冬の北海道を味わってほしいです。
【撮影年月、撮影場所】 北海道知床 流氷の上 2016年02月
【立命館とのご関係】 立命館大学・大学院 校友(卒業・修了生)
【立命館とのご関係】 立命館大学・大学院 校友(卒業・修了生)
大船渡市立第一中学校吹奏楽部×応援団吹奏楽部 さくらコンサート
なおっち さん
2014年3月、応援団吹奏楽部約50名とともに、大船渡を訪問しました。
大船渡市立第一中学校吹奏楽部が主催する「さくらコンサート」に出演。
大船渡の中学生・高校生・一般の方と本学学生の総勢200名による「花は咲く」に、心を震わされました。 【撮影年月、撮影場所】 大船渡市民文化会館 リアスホール 流氷の上 2014年03月
【立命館とのご関係】 立命館大学・大学院 教職員
大船渡市立第一中学校吹奏楽部が主催する「さくらコンサート」に出演。
大船渡の中学生・高校生・一般の方と本学学生の総勢200名による「花は咲く」に、心を震わされました。 【撮影年月、撮影場所】 大船渡市民文化会館 リアスホール 流氷の上 2014年03月
【立命館とのご関係】 立命館大学・大学院 教職員
学生時代
05産社卒 さん
およそ20年前、私が大学生の時、友人と一緒に行った大船渡の町。2度目の訪問時は、私の記憶とは全く異なる街並みとなっていて衝撃を受けました。
【撮影年月、撮影場所】 大船渡市の防波堤建設中 2017年05月
AsiaWeek2019炊き出し企画
OIC職員 さん
2018年大阪北部地震からの復興応援企画として、AsiaWeekでイオンモール茨木様、茨木市(危機管理課・消防本部)様と一緒に防災イベントを実施しました。写真は企画のひとつである、炊き出しの様子です。防災公園としての機能を備える岩倉公園内の防災設備かまどベンチを活用した炊き出し企画を実施し、豚汁を提供しました。大阪北部地震からの復興のあゆみとして、大学と企業と市民が交流する場が出来たことは、大変印象に残っています。
【撮影年月、撮影場所】 岩倉公園 2017年05月
大船渡の朝ごはん
匿名 さん
大船渡に行った時のホテルの朝ごはんです。
お刺身や焼き魚、エビフライなど盛りだくさん!お腹も心も満たされ活力となりました。
大船渡はごはんがおいしく、壮観な風景が広がり、人々が穏やかで、滞在した時の楽しい思い出がふと呼び起こされます。
あの朝ごはん、あの風景、あの笑顔に再び出会える日を期待して…。 【撮影年月、撮影場所】 岩手県大船渡市 2019年09月
【立命館とのご関係】 立命館大学・大学院 教職員
お刺身や焼き魚、エビフライなど盛りだくさん!お腹も心も満たされ活力となりました。
大船渡はごはんがおいしく、壮観な風景が広がり、人々が穏やかで、滞在した時の楽しい思い出がふと呼び起こされます。
あの朝ごはん、あの風景、あの笑顔に再び出会える日を期待して…。 【撮影年月、撮影場所】 岩手県大船渡市 2019年09月
【立命館とのご関係】 立命館大学・大学院 教職員
平成30年台風第21号
二木 秀之 さん
まだ自分が学部生であったころ、台風一過後に衣笠キャンパス内思わず撮った一枚。
平成30年台風第21号の爪痕を見返すたびに今でも思い出す。今ではこのようなことがあった形跡など跡形もなく、恐らく覚えている人もほとんどいないかもしれないが、この写真の中にはその「時」が止まったまま残っている。 【撮影年月、撮影場所】 立命館大学衣笠キャンパス創思館付近 2018年09月
【立命館とのご関係】 立命館大学・大学院 教職員
平成30年台風第21号の爪痕を見返すたびに今でも思い出す。今ではこのようなことがあった形跡など跡形もなく、恐らく覚えている人もほとんどいないかもしれないが、この写真の中にはその「時」が止まったまま残っている。 【撮影年月、撮影場所】 立命館大学衣笠キャンパス創思館付近 2018年09月
【立命館とのご関係】 立命館大学・大学院 教職員
俺たちの福山市
いまちゃん さん
元旦に友達と山に登りました。ここの地域は広島豪雨でも被害を受けました。今は綺麗に復興しており、少し安心しました。
【撮影年月、撮影場所】 蔵王山 2020年01月
鹿のいる島
いとうまい さん
スポ健の同級生たちと卒業旅行で訪れました。この日は潮が引いていて、比較的鳥居の近くまで歩いて行くことができました。
【撮影年月、撮影場所】 広島県 2014年03月
【立命館とのご関係】 立命館大学・大学院 教職員
【立命館とのご関係】 立命館大学・大学院 教職員
WarmHeart
立命館中高 さん
立命館中高では、2011年夏、有志で支援活動に参加した生徒が主体となって文化祭企画として「折り鶴アート企画」を全校で実施しました。翌年3月には活動報告と支援イベントとして「第1回WarmHeart」を生徒主体で実施しました。ハートマークは参加者が花びらにメッセージを書いて、そのあとの春休みに生徒会の石巻訪問で現地の小学校に届けました。
WarmHeartも毎年形を変えながらも継続して開催していて、昨年はRIVIOが主体となりオンラインと併用し実施いたしました。 【撮影年月、撮影場所】 立命館中高(深草キャンパス) 2012年03月
【立命館とのご関係】 立命館中学校・高等学校 教職員
WarmHeartも毎年形を変えながらも継続して開催していて、昨年はRIVIOが主体となりオンラインと併用し実施いたしました。 【撮影年月、撮影場所】 立命館中高(深草キャンパス) 2012年03月
【立命館とのご関係】 立命館中学校・高等学校 教職員
復興の夜明けを待つ熊本城
MOCCOS さん
熊本地震で傷ついた熊本城を宿泊したホテルから撮影しました。傷つきながらも力強くそびえ、復興の夜明けを待つ姿に勇気づけられました。
(2020年6月撮影) 【撮影年月、撮影場所】 熊本KKRホテル部屋より 2020年06月
【立命館とのご関係】 立命館大学・大学院 教職員
(2020年6月撮影) 【撮影年月、撮影場所】 熊本KKRホテル部屋より 2020年06月
【立命館とのご関係】 立命館大学・大学院 教職員
大槌町の黄色い家
酒井 博忠 さん
3月19日にコメを持って盛岡市から宮古市を経て大槌町へ向かいました。宮古市磯鶏、津軽石、山田町、船越、浪板、吉里吉里と全ての浜、集落が大変な被害を受けていました。あまりの状況にシャッターを切れなかったのですが、峠を越えて大槌の町に入った時、壊滅状況の中にある黄色い壁の家を見てやっと写した1枚です。
【撮影年月、撮影場所】 大槌町 2011年03月19日
【立命館とのご関係】 立命館大学・大学院 校友(卒業・修了生)
【立命館とのご関係】 立命館大学・大学院 校友(卒業・修了生)
2011.3.11当日
職員S さん
2011年3月11日剣道部の後輩の和歌山県白浜市での合宿に向かっていた車の中で地震が起こった。その時は気づかず会場についたときに警報がなり、練習を急遽中断し、高台に避難してくれと誘導された。写真は体育館の道路を挟んで目の前の海である。高台で地元の人から知らされてわかったが、地震の影響で潮が引いていた様子である(潮が引くと津波の前兆ということらしい)。そのあと宿舎に戻りテレビをつけて事の重大さを思い知ることになった。
【撮影年月、撮影場所】 和歌山県白浜市 2011年03月
神戸でラグビーワールドカップ
ねぎ さん
2019年に行われたラグビーワールドカップの写真です。
ノエビアスタジアムで行われたロシア対アイルランド戦は日本人だけでなくいろいろな国の方々が観戦に来ていました。試合後はまさにノーサイドわいわい楽しい雰囲気でいっぱいでした!
震災からこんな国際色豊かなイベントができるようになってさすが神戸! 【撮影年月、撮影場所】 ノエビアスタジアム神戸 2019年10月
【立命館とのご関係】 立命館大学・大学院 校友(卒業・修了生)
ノエビアスタジアムで行われたロシア対アイルランド戦は日本人だけでなくいろいろな国の方々が観戦に来ていました。試合後はまさにノーサイドわいわい楽しい雰囲気でいっぱいでした!
震災からこんな国際色豊かなイベントができるようになってさすが神戸! 【撮影年月、撮影場所】 ノエビアスタジアム神戸 2019年10月
【立命館とのご関係】 立命館大学・大学院 校友(卒業・修了生)
尾道から見るしまなみ海道
事務室職員 さん
広島県尾道市にある千光寺というお寺の高台から撮影しました。写真左手に尾道大橋が写っています。地元が四国の香川県なのですが、香川の隣県である愛媛県には、昔からよく訪れた縁のある土地でした。そんな愛媛につながる「しまなみ海道」の入口を旅先で見ることができたので、なんとなく撮影した1枚です。
【撮影年月、撮影場所】 広島県尾道市 2013年09月
【立命館とのご関係】 立命館大学・大学院 教職員
【立命館とのご関係】 立命館大学・大学院 教職員
周囲に広がる鮮やかな木々
匿名 さん
東北地方に行った際に立ち寄った鳴子峡の風景です。ちょうど秋が深まりはじめる時期で、色とりどりに広がる木々がそれぞれ表情を持っているかのように感じ、とても印象に残っています。
【撮影年月、撮影場所】 宮城県 2019年11月
復興のホイッスル
芳野 尚吾 さん
震災から9年後の2020年3月、釜石の中でもここ「鵜住居町」を初めて訪れた。震災後東北沿岸の様々な地域を訪れたが、スポーツが復興のシンボルの1つとなっている場所を訪れるのは、初めてであった。前年(2019年)にはラグビーW杯の会場として、多くの人が観戦し、歓声が上がっていた姿を想像しながら、誰もいないスタジアムを眺めていた。今度はここで試合開始のホイッスルを生で見てみたいと、強く感じた。
【撮影年月、撮影場所】 釜石鵜住居復興スタジアム 2020年03月
【立命館とのご関係】 立命館大学・大学院 校友(卒業・修了生)
【立命館とのご関係】 立命館大学・大学院 校友(卒業・修了生)
ビニール手袋包みのおにぎり
茨城県人 さん
2011年8月、当時大学生だった私は、原発事故により仮設住宅で生活を送っている方々との交流・支援を行うボランティアに参加しました。メンバーは全国各地から集まった学生約20名で、地域の集会所のような施設を借りて共同生活をしていました。[br]写真はある日の昼食です。食材も物資も潤沢で無かったため、おにぎりを包むラップの代わりにビニール手袋で代用しました。その日は仮設住宅に暮らす子供たちとお昼を一緒に食べていて、ビニール袋に入ったおにぎりを見て笑っていたのが印象に残っています。
【撮影年月、撮影場所】 福島県会津若松市 2011年08月
いつも勇気づけてくれる街
y さん
私自身は震災当時のことは幼かったため覚えていませんが、神戸に住む祖父母が被災したため、当時のことをよく聞く機会もあり、物心がついた頃から神戸の街に特別な思いを抱くようになりました。何度も訪れた復興を遂げた街並みを見渡すことができるこのスポットは私にとってまた頑張ろうと思える大事な場所です。
【撮影年月、撮影場所】 神戸 2020年01月
川古の大楠
SH さん
令和元年8月、九州の広範囲に強い雨域にかかり、佐賀県・長崎県・福岡県を中心に大雨となりました。写真は、佐賀県武雄市にある川古の大楠です。樹齢3000年以上で国の天然記念物にも認定されています。私自身、今年から佐賀県で働くということもあり今年の夏に見てきました。大雨にも負けず何年もの間、佐賀県を見守ってきた大木に心を奪われました。川古の大楠のように、どんなことにも強く立ち向か痛いと思いました。
【撮影年月、撮影場所】 佐賀県武雄市 2020年07月14日
東遊園地
KS さん
神戸に遊びに行き、東遊園地にも寄った。昔この辺りで働いていて、この公園は同僚とお弁当を食べたりした思い出の場所。こうやって今もなお、公園はわたしたちに震災のことを語り続けているのだろうと思う。
【撮影年月、撮影場所】 神戸市中央区 2020年02月
【立命館とのご関係】 立命館大学・大学院 教職員
【立命館とのご関係】 立命館大学・大学院 教職員
14:48に降りる予定だった
ありがとう上海会場 さん
当時は友人と電車に乗っていました。横転するかと思うくらい左右に大きく揺れた後、止まりました。数十分は車内に閉じ込められていましたが、乗客は皆落ち着いていました。やがて外へ避難することになり、車両の先頭から梯子を使って線路に下り、乗客皆で歩いて駅へ向かいました。[br]翌日からドバイ・アイスランド・ロンドンを巡る一人旅へ出かけたのですが、どの国でも東日本大震災のニュースばかりやっていました。私は日本人ということで現地人から多くの励ましの声をもらいました。
【撮影年月、撮影場所】 東京都港区 JR線路上 2011年03月11日
【立命館とのご関係】 立命館大学・大学院 教職員
【立命館とのご関係】 立命館大学・大学院 教職員
志津川湾の朝日
M さん
6年間、一緒に被災地と関わり続けてきた友人と、ふたりで宿泊したホテルからの景色です。6年前はまだ二人とも高校生で、当時「いつか泊まれたらいいね」と話していた願望がついに叶い、感動しました。この日は前日から朝日を見ようと約束して、早起きしました。
【撮影年月、撮影場所】 ホテル観洋(南三陸町) 2021年03月2日
【立命館とのご関係】 立命館大学・大学院 学生
【立命館とのご関係】 立命館大学・大学院 学生
請戸漁港から見た福島第一原発
TK さん
この写真は2018年度チャレンジふくしま塾に参加した際に撮影したものです。請戸漁港は視認できるほど福島第一原発に近く、数年間立ち入ることさえ難しい場所でした。津波の影響で漁港の設備は流され、漁港後背地は更地になっている等、復旧は遅れているようでした。しかし、そのような困難な状況の中でも「浪江町の復興は請戸漁港から」と書かれた旗を掲げ、漁港復興工事を進めている方々の姿が強く記憶に残っています。
【撮影年月、撮影場所】 請戸港 2018年08月
【立命館とのご関係】 立命館大学・大学院 学生
【立命館とのご関係】 立命館大学・大学院 学生
碁石海岸観光まつりステージ
元BKC学生オフィス職員 さん
2014年4月から2018年10月に在籍した期間、毎年5月には碁石海岸観光まつりにてパフォーマンス披露を行うクラブ・サークルのみなさんとともに大船渡市を訪れました。年々、会場の盛り上がりや会場の一体感は高まっていき、地元の方々や来場者の方々、参加した学生のみなさんの生き生きとした様子がとても感動的で今でも印象に残っています。
【撮影年月、撮影場所】 碁石海岸レストハウス前大型車駐車場 2017年05月
【立命館とのご関係】 立命館大学・大学院 教職員
【立命館とのご関係】 立命館大学・大学院 教職員
震災遺構として生き続ける荒浜小学校
中村 優希 さん
東日本大震災で震度6弱の地震の被害を受けた仙台市立荒浜小学校。甚大な被害を受け2016年に閉校したが、その後津波の脅威を後世に伝える遺構として一般公開されている。昨年夏に訪問し見学した。当時の凄まじい光景を校舎の中に入って見学が出来る。震災当時、屋上に避難した人、約400人が救助されたという。屋上から仙台湾を眺めて、当時の姿を想像し、今も行方がわからない人がいると思うと、身の引き締まる思いがする。自然には勝てないが、この爪痕は決して忘れてはならない。
【撮影年月、撮影場所】 震災遺構 仙台市立荒浜小学校 2020年08月
【立命館とのご関係】 立命館大学・大学院 教職員
【立命館とのご関係】 立命館大学・大学院 教職員
展望台からみた大槌町
MK さん
立命館大学の学生たちと2011年の年末に岩手県の大槌町に災害ボランティアに伺いました。この時、ご自宅が津波の被害にあい避難所生活も経験された若い女性の大槌町民の方と立命館大学生たちが同じグループとなり災害ボランティア活動の合間に展望台に上がって撮影した写真です。
穏やかな海の風景を見ながら、津波がくる前の町のことを教えていただき、何気ない日常や親しんだ町の風景、大切に保管していた思い出の品々も、ある日なにもかも無くなだてしまう現実に触れた時でした。 【撮影年月、撮影場所】 岩手県 大槌町 仙台市立荒浜小学校 2011年12月
【立命館とのご関係】 立命館宇治中学校・高等学校 教職員
穏やかな海の風景を見ながら、津波がくる前の町のことを教えていただき、何気ない日常や親しんだ町の風景、大切に保管していた思い出の品々も、ある日なにもかも無くなだてしまう現実に触れた時でした。 【撮影年月、撮影場所】 岩手県 大槌町 仙台市立荒浜小学校 2011年12月
【立命館とのご関係】 立命館宇治中学校・高等学校 教職員
地元の港
野和田 啓登 さん
平成30年豪雨災害の後、初めて帰省した際に撮影。土砂災害の現場を次々と目の当たりにし、衝撃を受けた。この写真は地元の港であり、当たり前だと思っていた風景を残しておきたいと思い撮影したもの。
【撮影年月、撮影場所】 広島県呉市 2019年01月
【立命館とのご関係】 立命館大学・大学院 校友(卒業・修了生)
【立命館とのご関係】 立命館大学・大学院 校友(卒業・修了生)
希望の旗
岩井 宏樹 さん
ODENSE1号建設地の重茂漁港の人たちが掲げていた大漁旗。この時掲げていた本当の理由は分からないが、復興を目指す強い意志を感じ感動した
【撮影年月、撮影場所】 宮古市重茂 2011年11月
【立命館とのご関係】 立命館大学・大学院 校友(卒業・修了生)
【立命館とのご関係】 立命館大学・大学院 校友(卒業・修了生)
神戸ルミナリエ
らんまる さん
当時付き合っていた現在の妻と神戸ルミナリエを見に行った。神戸ルミナリエといえば震災復興のシンボルだが、今では街並みも綺麗に再生され、震災直後の阪神高速道路が倒壊していた衝撃的な光景の面影は無くなった。地震は我々から多くのものを奪っていくが、中には人々が力を合わせれば取り戻せるものもある。2020年度は新型コロナの影響で中止となったが、人々へ復興への希望を与える存在として今後も続いて欲しいと思う。
【撮影年月、撮影場所】 神戸 2013年12月
福島原発廃炉が進捗せずも 水力発電所は 電力を供給し続ける
h-nakano さん
2017年度 復興支援事業「東北応援ツアー 福島県コース」に参加した時の一枚です。
リアルな現場ではなく、風評被害=見えないもの を見る という趣旨のツアー。
東京駅の設計者 辰野金吾氏が、1918年に監修した 赤レンガ作りの水力発電所の猪苗代第二発電所を見学。
磐梯山から猪苗代湖までの高低差を利用した、12箇所の水力発電所のひとつです。
安全な水力発電所は、大正時代から東京に電力を供給していた。
福島原発廃炉が進捗せずも、水力発電所は、電力を供給し続ける。 【撮影年月、撮影場所】 福島県猪苗代第二発電所 2017年09月30日
【立命館とのご関係】 立命館大学・大学院 校友(卒業・修了生)
リアルな現場ではなく、風評被害=見えないもの を見る という趣旨のツアー。
東京駅の設計者 辰野金吾氏が、1918年に監修した 赤レンガ作りの水力発電所の猪苗代第二発電所を見学。
磐梯山から猪苗代湖までの高低差を利用した、12箇所の水力発電所のひとつです。
安全な水力発電所は、大正時代から東京に電力を供給していた。
福島原発廃炉が進捗せずも、水力発電所は、電力を供給し続ける。 【撮影年月、撮影場所】 福島県猪苗代第二発電所 2017年09月30日
【立命館とのご関係】 立命館大学・大学院 校友(卒業・修了生)
三鉄はいつもそばに「キット、夢かなう」
今中 智幸 さん
立命館大学校友会復興支援特別委員として、携わらせていただいたことによって、現地の生の声、その時々の風景を体感させていただきましたので、その中の一枚を決まるのは至難の業でした。そこで選んだのは三陸鉄道の写真です。主に岩手を担当させていた私にとって、震災のみならずいろんな災害等苦難を経ても、復活し走り続けていくところは、三鉄が如何に地域に溶け込み、生活の一部となっているんだなと感じました。
【撮影年月、撮影場所】 三陸鉄道 譜代駅 2017年09月
【立命館とのご関係】 立命館大学・大学院 校友(卒業・修了生)
【立命館とのご関係】 立命館大学・大学院 校友(卒業・修了生)
明日はくる
後方支援スタッフ派遣第2便 さん
災害復興支援室の後方支援スタッフ派遣第2便に引率者として同行しました。この写真は、大槌町の年越しカウントダウンイベントを学生とともにサポートした翌日、2012年の初日の出を前に撮影したものです。深い哀しみのなか、犠牲となった家族や友人の分も、前を向き、明日に向かって強く生きる現地の方々の姿に我々が力をもらったことを今でも思い出します。「自分たちにできることがある、自分たちがやらなければいけない」そんな思いがこの1枚になったと記憶しています。
【撮影年月、撮影場所】 大槌町の高台 2012年01月
衣笠キャンパスにODENSEが出現
廣井 徹 さん
「お茶っこができねえ」という現地の声に応えて、簡易集会所「ODENSE」(方言でいらっしゃい)は、建築都市デザインの学生たちが、現地の協力を得て、岩手県宮古市重茂に建設されました。当時は小規模の仮設住宅群には集会所もなく、住民の孤立化を招き、孤独死の遠因となるという課題を解決するものでした。この経験を現地に足をはこべなかった学生、教職員にも伝えるべく、BKC、衣笠でも縮小サイズの模型を展示し、一人でも多くの人に現地に足をはこぶキッカケになればと思っていました。
指導教員の宗本准教授(当時)と広報課の川口くん(故人)が、学生のがんばりをどう表現するかを熱く議論をしていたのが懐かしいです。 【撮影年月、撮影場所】 衣笠キャンパス 2013年04月
【立命館とのご関係】 立命館大学・大学院 教職員
指導教員の宗本准教授(当時)と広報課の川口くん(故人)が、学生のがんばりをどう表現するかを熱く議論をしていたのが懐かしいです。 【撮影年月、撮影場所】 衣笠キャンパス 2013年04月
【立命館とのご関係】 立命館大学・大学院 教職員
熊本地震から1ヵ月
旧別府市民 さん
熊本地震で震度6の大きな揺れを経験したAPU。その1ヵ月後にキャンパスから撮影した別府湾です。
【撮影年月、撮影場所】 APU(立命館アジア太平洋大学)キャンパス 2016年05月
【立命館とのご関係】 立命館大学・大学院 教職員
【立命館とのご関係】 立命館大学・大学院 教職員
震災から4年後の楢葉町の景色
清水 晴菜 さん
私が高校2年生の時に高校の取り組みで楢葉町の仮設住宅を回ったり、楢葉町の様子を見学させていただく機会がありました。この写真は高台から楢葉町を見下ろした様子です。高台にある柵には元々の楢葉町の写真が貼ってあり、現在の様子と比べられるようになっていました。震災から4年経過していたため、町はある程度元通りになっていると考えていた私はこの景色を見て衝撃を受けました。震災前にあった建物のほとんどは無くなっていて、新しい建物もあまりできていないという現状を見て、自然の怖さ・偉大さ、自分自身の無力さを痛感しました。当時建築の分野への進学を希望していた私はこの時に土木の分野に進学することを決意しました。
【撮影年月、撮影場所】 福島県楢葉町 2015年12月
【立命館とのご関係】 立命館大学・大学院 学生
【立命館とのご関係】 立命館大学・大学院 学生
自然の脅威との出会い
金田 拓真 さん
高校3年生の春、当時いた高校の先生から誘われて宮城県南三陸町を訪問した時の写真です。
「想像を超える高さの津波が来た」と語り部の方から語られてもイマイチ実感がわきませんでした。
この日、津波の爪痕がはっきり残る「高野会館」を訪れたときに初めて自分の想像を超える津波の高さと脅威を目の当たりにしました。
もし自分が震災の時に現場にいたとしたら、想像できない津波を甘くみて避難しなかったかもしれないです。
そう考えたとき、私はこの場で呆然と立ち尽くしてしまいました。
南三陸町への訪問は自分自身に「防災の大切さ」を痛感させました。 【撮影年月、撮影場所】 宮城県南三陸町「高野会館」 2015年07月
【立命館とのご関係】 立命館大学・大学院 学生
「想像を超える高さの津波が来た」と語り部の方から語られてもイマイチ実感がわきませんでした。
この日、津波の爪痕がはっきり残る「高野会館」を訪れたときに初めて自分の想像を超える津波の高さと脅威を目の当たりにしました。
もし自分が震災の時に現場にいたとしたら、想像できない津波を甘くみて避難しなかったかもしれないです。
そう考えたとき、私はこの場で呆然と立ち尽くしてしまいました。
南三陸町への訪問は自分自身に「防災の大切さ」を痛感させました。 【撮影年月、撮影場所】 宮城県南三陸町「高野会館」 2015年07月
【立命館とのご関係】 立命館大学・大学院 学生
福島の春
Zhu Keren さん
2019年5月12日、オリンピックボランティアに当選しました。私は福島訓練場にいきました。福島が2011年の後に、どれぐらい復興しましたか、外国人として興味があったからです。
トレーニングの時は、福島の人たちのおかげで楽しく過ごせました。トレーニング終わったあとも、親切にしてもらいました。お姉さんのような優しい人に、近くの信夫山に連れていってもらいました。
そして、福島の春を見ました。
道路の電子看板がまだ放射線量の表示をしていましたが、この素晴らしい景色は、私の想像し被災地のイメージを全く変えました。
5月12日は中国四川大地震の記念日です。国籍を問わず、写真のようにみんなが幸せに暮らせることを願っています。 【撮影年月、撮影場所】 信夫山 2019年05月
【立命館とのご関係】 立命館大学・大学院 学生
トレーニングの時は、福島の人たちのおかげで楽しく過ごせました。トレーニング終わったあとも、親切にしてもらいました。お姉さんのような優しい人に、近くの信夫山に連れていってもらいました。
そして、福島の春を見ました。
道路の電子看板がまだ放射線量の表示をしていましたが、この素晴らしい景色は、私の想像し被災地のイメージを全く変えました。
5月12日は中国四川大地震の記念日です。国籍を問わず、写真のようにみんなが幸せに暮らせることを願っています。 【撮影年月、撮影場所】 信夫山 2019年05月
【立命館とのご関係】 立命館大学・大学院 学生
何もない風景が私に訴える
かずお さん
「天災は忘れた頃にやってくる」寺田寅彦が『天災と日本人』で警鐘を鳴らした有名な言葉だ。
津波が町を飲み込んだ映像を見たあの日のことを忘れることはできない。
「自然災害に備えなければ」と思いながらも、どこか、ひとごとのように思ってしまう(思いたくなる)弱い心をむなしく思う。初めて福島を訪れた2017年、その時にわたしは、ひとごとから自分ごとへと少し近づいた気がした。その瞬間がこの風景である。
この草で覆われた地には、かつて家があり、町があり、多くの人が暮らしていたと聞き、目頭を押さえた。
「天災は忘れた頃にやってくる」だから、忘れなければいい。これからも、あの日を忘れず、伝え続ける。 【撮影年月、撮影場所】 浪江町 2017年12月
津波が町を飲み込んだ映像を見たあの日のことを忘れることはできない。
「自然災害に備えなければ」と思いながらも、どこか、ひとごとのように思ってしまう(思いたくなる)弱い心をむなしく思う。初めて福島を訪れた2017年、その時にわたしは、ひとごとから自分ごとへと少し近づいた気がした。その瞬間がこの風景である。
この草で覆われた地には、かつて家があり、町があり、多くの人が暮らしていたと聞き、目頭を押さえた。
「天災は忘れた頃にやってくる」だから、忘れなければいい。これからも、あの日を忘れず、伝え続ける。 【撮影年月、撮影場所】 浪江町 2017年12月
飛騨のまち
Yisui さん
韓国人の親友が日本に遊びに来た際に、飛騨高山に旅行に行きました。古い街並みと日本の原風景がとても新鮮で印象的でした。親友もとても喜んでいました。
この風景を後世にもずっと残していって欲しいです。 【撮影年月、撮影場所】 飛騨高山 2019年05月
【立命館とのご関係】 立命館大学・大学院 校友(卒業・修了生)
この風景を後世にもずっと残していって欲しいです。 【撮影年月、撮影場所】 飛騨高山 2019年05月
【立命館とのご関係】 立命館大学・大学院 校友(卒業・修了生)
背中を押してくれたあの日、あの場所
長江 楓香 さん
令和2年7月豪雨災害にて被災した熊本県八代市での1枚です。この地域は元々自然豊かで写真のように山と川が目の前に迫るとても景色の綺麗な場所です。
ただ、私がこの場所を訪れたのは災害ボランティアとして活動するためでした。被災後の坂本町しか私は知りません。だからいつかこの町が再生して、また笑顔が溢れる日のことを願い、笑顔で写真を撮りました。
そして私はこの経験を経た後、被災された様々な方への手助けになれればと考え、現在私は同じく豪雨災害で被災した人吉市で災害支援活動に携わっています。今後も誰かの笑顔のためにできることをやっていきたい、そんな風に考えさせてくれた想い出の、あの日と私の写真です。 【撮影年月、撮影場所】 熊本県八代市坂本町坂本 2020年12月
【立命館とのご関係】 立命館大学・大学院 学生
ただ、私がこの場所を訪れたのは災害ボランティアとして活動するためでした。被災後の坂本町しか私は知りません。だからいつかこの町が再生して、また笑顔が溢れる日のことを願い、笑顔で写真を撮りました。
そして私はこの経験を経た後、被災された様々な方への手助けになれればと考え、現在私は同じく豪雨災害で被災した人吉市で災害支援活動に携わっています。今後も誰かの笑顔のためにできることをやっていきたい、そんな風に考えさせてくれた想い出の、あの日と私の写真です。 【撮影年月、撮影場所】 熊本県八代市坂本町坂本 2020年12月
【立命館とのご関係】 立命館大学・大学院 学生
南三陸町に立つ東アジアの学生たち
キャンパスアジアのなかまたち さん
2013年夏、文学部のキャンパスアジアプログラムに参加する日本・中国・韓国の学生が、東日本大地震の被災地研修を行った。震災から2年あまり、自国のメディアではさまざまな情報がある中で、中韓の留学生たちは石巻市、南三陸町、大船渡市を訪れ、各地域の被災の状況、復興の状況を目の当たりにした。かつてあった豊かな生活の跡がいたるところにのこる南三陸町、その防災対策庁舎の前ではみな言葉を失いました。研修期間中、被災されたボランティアガイド、海外出身者、自治体関係者のお話を聞き、東北に来る意義、この時期の日本で学ぶことの意味、自分の目で見て、現地の声を聞いて、自分で考えることの重要さを学んだと思います。
【撮影年月、撮影場所】 南三陸町 2013年08月
東北の元気の源!
岸本 京 さん
8年前、東北震災取材を行うため、宮城県を訪れました。
その年はなんと楽天イーグルスが優勝した年でした。写真はその時、優勝を記念して球場が開放されていた時に撮ったものです。
取材先は高校にて、津波に流された缶詰を自分たちの手で洗い、復興商品として売る姿に感銘を受け、当時高校生だった私は話を聞きに行きました。「ずっと下を見ていたけど、地元の球団の優勝は誇りだ。英雄だ!」話を聞く人みんなそう口を揃えたのを今でも鮮明に覚えています。
今年は、マー君が楽天に帰ってきます。我が母校出身辰巳選手も楽天イーグルスです。みんなで、東北の元気を応援しましょう! 【撮影年月、撮影場所】 楽天イーグルス球場 2013年10月
【立命館とのご関係】 立命館大学・大学院 校友(卒業・修了生)
8年前、東北震災取材を行うため、宮城県を訪れました。
その年はなんと楽天イーグルスが優勝した年でした。写真はその時、優勝を記念して球場が開放されていた時に撮ったものです。
取材先は高校にて、津波に流された缶詰を自分たちの手で洗い、復興商品として売る姿に感銘を受け、当時高校生だった私は話を聞きに行きました。「ずっと下を見ていたけど、地元の球団の優勝は誇りだ。英雄だ!」話を聞く人みんなそう口を揃えたのを今でも鮮明に覚えています。
今年は、マー君が楽天に帰ってきます。我が母校出身辰巳選手も楽天イーグルスです。みんなで、東北の元気を応援しましょう! 【撮影年月、撮影場所】 楽天イーグルス球場 2013年10月
【立命館とのご関係】 立命館大学・大学院 校友(卒業・修了生)
おまつり前のワクワク感
yoko さん
2012年から立命館大学の学生が毎年お世話になっている岩手県大船渡市盛町で、例年8月6・7日に実施されている「盛町灯ろう七夕まつり」の準備中の1枚です。商店街を吹き抜ける風を受けた竹飾りが「ざぁっ」と音を立ててなびいている様子が、おまつりを楽しみにしている自分の気持ちと重なって見えました。 【撮影年月、撮影場所】 岩手県大船渡市盛町 2019年08月
【立命館とのご関係】 立命館大学・大学院 教職員
2012年から立命館大学の学生が毎年お世話になっている岩手県大船渡市盛町で、例年8月6・7日に実施されている「盛町灯ろう七夕まつり」の準備中の1枚です。商店街を吹き抜ける風を受けた竹飾りが「ざぁっ」と音を立ててなびいている様子が、おまつりを楽しみにしている自分の気持ちと重なって見えました。 【撮影年月、撮影場所】 岩手県大船渡市盛町 2019年08月
【立命館とのご関係】 立命館大学・大学院 教職員
熊本の復興を願って
髙木 さくら さん
2016年、熊本地震発生時、私は大分県で働いていた。夜中に大きな揺れを感じ、咄嗟に机の下に身を隠したことを思い出す。
その後1ヶ月ほどは幾度となく余震が続いた。避難バッグを車に積んで、いざという時はすぐにマンションから身一つで飛び出せるようにしていた。
県内の復興だけでなく、甚大な被害が出た熊本の一日でも早い復興を願って、大分の街にはそこら中にくまモンがいた。九州全体で支え合って復興していこうという強い意志を感じた。 【撮影年月、撮影場所】 大分県 2016年08月
【立命館とのご関係】 立命館大学・大学院 教職員
2016年、熊本地震発生時、私は大分県で働いていた。夜中に大きな揺れを感じ、咄嗟に机の下に身を隠したことを思い出す。
その後1ヶ月ほどは幾度となく余震が続いた。避難バッグを車に積んで、いざという時はすぐにマンションから身一つで飛び出せるようにしていた。
県内の復興だけでなく、甚大な被害が出た熊本の一日でも早い復興を願って、大分の街にはそこら中にくまモンがいた。九州全体で支え合って復興していこうという強い意志を感じた。 【撮影年月、撮影場所】 大分県 2016年08月
【立命館とのご関係】 立命館大学・大学院 教職員
フェリーからの風景
匿名 さん
観光で訪れた際の風景です。
あいにくの天気でしたが、宮島を満喫しました! 【撮影年月、撮影場所】 広島 2017年05月
観光で訪れた際の風景です。
あいにくの天気でしたが、宮島を満喫しました! 【撮影年月、撮影場所】 広島 2017年05月
教訓
しょうちゃん さん
大阪北部地震が発生した翌日、OICの教員研究室にて撮影しました。施設整備業務を担う者として、この写真を見返す度に身が引き締まる思いです。 【撮影年月、撮影場所】 OIC 2018年06月
【立命館とのご関係】 立命館大学・大学院 教職員
大阪北部地震が発生した翌日、OICの教員研究室にて撮影しました。施設整備業務を担う者として、この写真を見返す度に身が引き締まる思いです。 【撮影年月、撮影場所】 OIC 2018年06月
【立命館とのご関係】 立命館大学・大学院 教職員
当たり前ではない日常
匿名希望 さん
先日神戸に娘と訪れた際の写真です。
阪神・淡路大震災がおきた時、私は当時5歳だったのですが、住んでいたマンションがとても揺れたこと、両親がこれまで見たことないほどに動揺していたことを今でも覚えています。
先日訪れたときにはとても高いビルが並んでおり、娘が遊べる公園を探すのも苦労しましたが、1995年にはこれらのビルが倒壊するほどの災害が起きたことは娘にもしっかり伝えていこうと思います。 【撮影年月、撮影場所】兵庫県神戸市 2020年07月
先日神戸に娘と訪れた際の写真です。
阪神・淡路大震災がおきた時、私は当時5歳だったのですが、住んでいたマンションがとても揺れたこと、両親がこれまで見たことないほどに動揺していたことを今でも覚えています。
先日訪れたときにはとても高いビルが並んでおり、娘が遊べる公園を探すのも苦労しましたが、1995年にはこれらのビルが倒壊するほどの災害が起きたことは娘にもしっかり伝えていこうと思います。 【撮影年月、撮影場所】兵庫県神戸市 2020年07月
首里城
まこと さん
2013年1月に沖縄の首里城を訪問した時の写真です。
その幻想的な美しさに心を奪われました。
あの美しい輝きをぜひ取り戻してほしいと思います。 【撮影年月、撮影場所】首里城 2013年01月
2013年1月に沖縄の首里城を訪問した時の写真です。
その幻想的な美しさに心を奪われました。
あの美しい輝きをぜひ取り戻してほしいと思います。 【撮影年月、撮影場所】首里城 2013年01月
牡蠣養殖の発祥地の墓地
宮城の石屋ランディ米田 さん
宮城県の海岸部にある墓地は、漁船・自家用車・家屋が津波の波で押し寄せ、多大の被害を受けました。
宮城県内で石屋をしております事で、各地の墓地で作業をしましたが、この墓地では多くの方にお手伝いに来ていただき、大変感謝しております。
牡蠣の懸垂養殖発祥の浜でもあり、思い出も多く有ります。 【撮影年月、撮影場所】 宮城県石巻市萩の浜 2011年08月11日
【立命館とのご関係】 立命館大学・大学院 校友(卒業・修了生)
宮城県の海岸部にある墓地は、漁船・自家用車・家屋が津波の波で押し寄せ、多大の被害を受けました。
宮城県内で石屋をしております事で、各地の墓地で作業をしましたが、この墓地では多くの方にお手伝いに来ていただき、大変感謝しております。
牡蠣の懸垂養殖発祥の浜でもあり、思い出も多く有ります。 【撮影年月、撮影場所】 宮城県石巻市萩の浜 2011年08月11日
【立命館とのご関係】 立命館大学・大学院 校友(卒業・修了生)
多くの人が集まる神戸
Mg さん
この写真は神戸ルミナリエの写真です。この時に初めて私はルミナリエを見に行ったのですが、イルミネーションがとても綺麗でとても人が多く、賑わっていました。神戸に人が多いことは当たり前だと思っていましたが、被災地と考えるととても凄い事だなと感動したのを覚えています。 【撮影年月、撮影場所】 神戸市 2013年12月
この写真は神戸ルミナリエの写真です。この時に初めて私はルミナリエを見に行ったのですが、イルミネーションがとても綺麗でとても人が多く、賑わっていました。神戸に人が多いことは当たり前だと思っていましたが、被災地と考えるととても凄い事だなと感動したのを覚えています。 【撮影年月、撮影場所】 神戸市 2013年12月
春待つ日和山にて
すみす さん
東日本大震災から六年経った、二回生の春休み、実際にこの目で見てみたいと思い立ち、宮城県石巻市を訪れた。現地で目の当たりにした光景は、想像とは違うものだった。街は至る所で大規模な工事の真っ最中だった。少し街を歩き、街が一望できる日和山に登った。あの日、津波が遡上した旧北上川周辺から工事の音が市内に響き渡り、復興の足音のようにも聞こえた。桜の木は大きな蕾をつけていた。春はもうすぐなのかなと思った。 【撮影年月、撮影場所】 宮城県石巻市 日和山公園 2017年03月
東日本大震災から六年経った、二回生の春休み、実際にこの目で見てみたいと思い立ち、宮城県石巻市を訪れた。現地で目の当たりにした光景は、想像とは違うものだった。街は至る所で大規模な工事の真っ最中だった。少し街を歩き、街が一望できる日和山に登った。あの日、津波が遡上した旧北上川周辺から工事の音が市内に響き渡り、復興の足音のようにも聞こえた。桜の木は大きな蕾をつけていた。春はもうすぐなのかなと思った。 【撮影年月、撮影場所】 宮城県石巻市 日和山公園 2017年03月
変わっていく場所、変わらない場所
匿名希望 さん
2011年の夏に前々職の仕事で岩手県の沿岸部を訪れた初めての場所が、陸前高田市でした。「マイヤ」と書かれた大きな看板があるスーパーが当時は残っており、その前あたりでボランティアのお弁当を渡すために山間部から車を走らせました。それ以降、岩手県とご縁があり毎回通うようになったのが陸前高田市です。撮影したときは久しぶりに訪れた時で街の風景が変わっており、その中でこの一本松が変わらずにあったため撮影しました。 【撮影年月、撮影場所】岩手県陸前高田市 2017年05月
2011年の夏に前々職の仕事で岩手県の沿岸部を訪れた初めての場所が、陸前高田市でした。「マイヤ」と書かれた大きな看板があるスーパーが当時は残っており、その前あたりでボランティアのお弁当を渡すために山間部から車を走らせました。それ以降、岩手県とご縁があり毎回通うようになったのが陸前高田市です。撮影したときは久しぶりに訪れた時で街の風景が変わっており、その中でこの一本松が変わらずにあったため撮影しました。 【撮影年月、撮影場所】岩手県陸前高田市 2017年05月
いのちのつどいEVENT
EVENT
研究RESEARCH
RESEARCH
立命館大学の災害・防災に関する研究活動をご紹介します
+ もっと見る
ー 閉じる