将来の目標は外交官。自身のバックグラウンドとJDPの4年間で培った独自の異文化経験と対話力を活かし、国を越えた架け橋になりたい。

井上 琳太郎 さん
アメリカン大学・立命館大学国際連携学科 4回生

立命館大学とアメリカン大学で2年間ずつ学ぶ国際連携学科のジョイント・ディグリー・プログラム(JDP)。4回生の井上さんに、大きく成長したJDPでの4年間の経験と将来の目標についてお話を伺いました。

国際連携学科(JDP)を志望した理由を教えてください。

井上私がJDPを志望した理由は、4年間で2つの大学の共同学位を取得できるという極めてユニークな機会と、ワシントンDCという国際政治の中心地で2年間、国際関係学(IR)を学べる点に強く惹かれたからです。

私は10歳の時に家族でニュージーランド(NZ)へ移住し、高校卒業まで現地の学校に通いました。多感な時期を英語環境で過ごしたため、大学でも英語で提供されるプログラムを希望しつつ、同時に自分のルーツである日本ともう一度深くつながり、経験したいという思いがありました。NZで培った欧米文化への理解や語学力を維持したいという思いもあり、欧米と日本の文化が完璧なバランスで共存するこのプログラムは、まさに理想的でした。

また、ワシントンDCに2年間身を置ける環境も魅力的でした。日本でもNZでもない新たな環境で、自分の実力や人間力がどこまで通用するのか試したかったのです。当初は政治にそれほど強い関心はありませんでしたが、米国の首都で国際関係を学ぶうちに好奇心がさらに掻き立てられました。

充実した大学生活とは、4年間の授業内での学びと、授業外での実践的な経験が融合してこそ得られるものだと考えていました。その点、JDPは、各分野の第一線で活躍してきた専門家による世界トップレベルの講義を受けられるだけでなく、学んだスキルをさらに発展させ、実践で活かせる素晴らしい環境が日米それぞれで整っています。立命館とアメリカン大学(AU)という2つの素晴らしい名門大学から最高峰の学位を授与されるJDPは、私の学問的関心と将来の夢のすべてを満たす進学先でした。

立命館大学での最初の1年半の学修で印象に残っている授業や取り組みについて教えてください

井上立命館大学での最初の1年半は、その後の充実した学部生活を支える強固な基礎を築く期間となりました。授業では経済学、国際関係論、政治学などの基礎理論に重点が置かれており、これらの導入科目のおかげで、その後のAUでの発展的な講義にもスムーズに移行することができました。

授業の中で最も印象に残っているのは「オープンゼミナール大会」でのプレゼンテーションです。JDPの学生は1回生からこの大会に参加することが認められており、国際関係学部の3回生・4回生に混じりながら私は1回生でこの大会に参加しました。

チームメイトのJDP4回生の先輩からのサポートのもと、私たちのグループは「バービー人形の歴史とその影響」というテーマで発表を行いました。研究内容自体も非常に興味深いものでしたが、この共同プロジェクトから得た最大の収穫は、課題へのアプローチ方法と「いかに伝えるか」というプレゼンテーションの手法でした。これからの3年間で自分たちが歩む道をすでに経験し、アメリカでの2年間の学びを終えたJDP 4回生の先輩方から直接学べたことは、計り知れない価値がありました。

発表当日、他の学生たちがリクルートスーツを着て発表する中、私たちは(バービーのテーマに合わせて)全員で鮮やかなピンクの服を着て臨みました。これは、「型にとらわれずに考え、行動する」という姿勢を肌で感じる象徴的な経験となりました。また、「与えられた経験をどう活かすかは自分次第である」という教訓も得ましたし、このプロジェクトをきっかけにあらゆる経験を最大限に深めようとする習慣が身につきました。

JDPの同期と参加したオープンゼミナール大会JDPの同期と参加したオープンゼミナール大会

2回生の夏から2年間学んだアメリカン大学での授業はいかがでしたか?

井上アメリカン大学(AU)での授業は、徹底した「ディスカッション中心」のスタイルでした。立命館での学びと比較して、AUのカリキュラムは単に理論を理解するだけでなく、抽象的な学術概念と現実世界への応用とのギャップをどう埋めるか、という点に焦点が当てられていました。学生は常に自身の意見を述べることや、プレゼンテーションを主導することを求められるため、能動的に授業に関わることが不可欠な環境でした。

また、AUのSchool of International Service(SIS)は全米トップクラスの国際関係学を学べる学部であるため、集まる学生たちも非常に知識豊富で、情熱的、そして多様性に富んでいます。そこに集まる全く異なる人生経験を通じて世界観を培ってきた仲間たちの意見を聴くことで、驚くほど深いレベルでの意見交換が可能になります。

例えば、「21世紀の国境と移民」に関する講義では、ミネソタ州出身のクラスメートが、ICE(アメリカ移民・関税執行局)による取り締まりの対象となったコミュニティを草の根で支援する自身の父親の活動について共有してくれました。彼女のリアルで切実な現実に根ざした視点は、教科書に書かれている内容に圧倒的な深みを与えてくれました。同様に「米・中・日関係」を分析する講義では、台湾からの交換留学生の隣に座りました。彼が育った独自の政治的・教育的環境に基づく生の見解は、私たちが分析していた戦略的概念に計り知れない重みとニュアンスをもたらしてくれました。

このように、AUでの2年間は多様なバックグラウンドが建設的に衝突し合う環境を私に提供してくれました。こうした議論を切り抜け、自身の考えを明確に伝え、対立する視点を統合していく経験を通じて、私はより有能で発信力のある、志を持ったグローバル・コミュニケーターへと成長することができたと確信しています。

アメリカでの2年間の生活はいかがでしたか?

井上アメリカ滞在中の私のテーマは、「ワシントンDCでの限られた時間を最大限に活かすこと」でした。すでにニュージーランドでの海外生活経験があったため、言語や文化的な壁はほとんどありませんでした。だからこそ、単なる「留学生」として2年間を過ごすのではなく、現地の学生と同じ目線で生活したいと考えました。

この目標を果たすため、私は複数の組織に飛び込みました。異国の地で、自分一人の力でどこまでやれるか挑戦したかったのです。大学のクラブサッカーチームへの参加、フラタニティ(米国の男子学生を中心とした学生団体)への加入、カフェでのアルバイト、全米桜祭りでのグッドウィル・アンバサダー(親善大使)としての活動、そして在米日本国大使館での外交イベントの運営サポートなど、多方面に活動を広げました。結果として、DCの人々と真のつながりを築き、この地でしかできない唯一無二の経験を積むことができました。

全米桜祭りでは、文化使節としてDCの街を巡り、地域コミュニティへ日米関係の歴史や重要性を伝える役割を果たしました。この活動を通じて、大使館関係者やDC市議会、現地の学校、高齢者施設、ビジネスリーダーなど、幅広い分野の方々とつながることができました。さらに、アメリカン大学内での桜の植樹式ではスピーチ担当にも選ばれました。私たちが植えた桜が日米の強固な二国間関係の象徴となり、その物理的な軌跡を自身のキャンパスに残す一端を担えたことは、大きな誇りであり光栄な経験でした。

これらすべての活動の中でも、フラタニティへの加入は私のDC生活に最も大きな影響を与えました。フラタニティとは、学内外でソーシャルイベントなどを主催する男子学生組織で、一言で言えば「大規模な友人グループ」であり「第二の我が家」のような存在です。在籍中、私は複数の執行部役員を務め、現役生が関心のある分野で働くOB(卒業生)とつながりを持てるよう、新たに「Alumni Relations(卒業生連携担当)」という役職を自ら立ち上げたりもしました。

DCでの2年間を通じて得た最大の学びは、「Just Do It」の精神です。この濃密な2年間、あらゆることに挑戦したからこそ、数え切れないほどの機会を楽しみ、掴み取ることができました。主体的に機会を追い求めたことで、DCの環境に瞬時に溶け込み、時間を1分1秒無駄にせず活用できましたし、多くの試行錯誤と経験を経て、自分の情熱、強み、そして弱みを深く理解することができました。2年間のアメリカ生活を「悔いなし」と言い切って去れることを、心から嬉しく思っています。

AUクラブサッカーAUクラブサッカー

自身が一番成長したと感じるのはどのような部分ですか?

井上JDPを通じて私が最も成長したと感じるのは「コミュニケーション能力」です。

8年間のNZ生活を終えて日本に戻った当初、私は日本文化への再適応に非常に苦労しました。言葉は話せても、文化的なニュアンスや日本での経験が不足していたのです。今思えば当然のことですが、新しい環境に馴染むためには、自分の視点を変え、行動を適応させる必要がありました。

当初はNZの友人のように日本の学生とうまく打ち解けることができず、過去8年間のスタイルを貫くべきか、それとも視点を変えて日本文化に完全に浸るべきか(最終的には後者を選びましたが)、という葛藤を抱えていました。この日本への移行期の苦労は、私の大学生活の中で最も過酷であり、同時に自分を定義づける決定的な瞬間となりました。最初にこの壁にぶつかったからこそ、その後の学生生活をより柔軟に、そして成熟した視点を持って乗り越えることができたと感じています。

その後、ワシントンDCに渡ってアメリカの文化に溶け込むことは遥かにスムーズでした。関心事やバックグラウンド、文化がNZで慣れ親しんだものと似ていたからです。しかし、その僅かな環境の違いがあったからこそ、現地の人々とつながりやすく、同時に自分ならではの独自の視点を提供することができました。

また、DCでの2年間という限られた時間が、私をあらゆる面でより積極的かつ外交的に変えてくれました。DCで活躍する日本の専門家の方々や、フラタニティのOB、大学の仲間たちに自ら進んでアプローチし、親善大使に選ばれた経験は、プロフェッショナルでありながらも人間味のある、共感豊かなコミュニケーション力を磨く機会となりました。

こうした成長から得た最大の気づきは、「優れたコミュニケーションの本質は、相手を深く理解することにある」ということです。国際関係においてもコミュニケーションにおいても、核心は相手の「なぜ(WHY)」を紐解くことにあります。相手がその視点を持つに至った理由を掴むことで、対話をよりスムーズかつ効果的に進めることができます。

JDPでの4年間は、自ら発信し、周囲に働きかけることで、人生のあらゆる側面で大きな恩恵を受けられることを証明してくれる最高の環境でした。授業でのディスカッションからネットワーキングに至るまで、コミュニケーションスキルは私のJDPでの学生生活を成功に導く不可欠な役割を果たしてくれました。

AUにおける親善大使桜植樹イベントでのスピーチAUにおける親善大使桜植樹イベントでのスピーチ

将来の目標を聞かせてください。

井上私の将来の目標は、外交官として外務省(MOFA)で働くことです。ワシントンDCに滞在中、在米日本国大使館の外交官の方々と交流し、共に業務に携わる貴重な機会に恵まれ、国、そして現地の日系人社会を代表して最前線で職務を全うする姿を間近で拝見し、深い感銘を受けました。

日本国内で生活していると、外交の日々の影響が直接見えたり感じられたりしにくいかもしれませんが、外交官の方々は日本が世界とどのように繋がり、どのように評価されるかを左右する極めて重要な役割を担っています。ハイレベルな二国間交渉から草の根の文化イベントに至るまで、日本の国際的なプレゼンスのほぼすべての側面が外務省というパイプを通じて形作られています。

私のコアとなる強みは、多様な文化や異なるバックグラウンドを持つ人々と柔軟に意思疎通を図れる能力です。世界中の多様なアクターの行動や視点の背景にある「なぜ」を紐解くことに、私は心から情熱を注いでいます。

今後は、自身のバックグラウンドとJDPで培った独自の異文化経験を最大限に活かし、国や組織を越えてアイデアや利益を結びつける架け橋になりたいと考えていますし、外交官という職業こそが、私の国際関係学への情熱とコミュニケーション能力を活かし、世界の舞台で国に奉仕するという名誉ある使命をシームレスに体現できる道であると確信しています。

山田大使と桜祭り親善大使のメンバー山田大使と桜祭り親善大使のメンバー

国際関係学部、JDPを志望する受験生へメッセージをお願いします。

井上私が立命館大学に入学した当初は自分の進むべき具体的な道を狭く絞り込んでいたわけではありませんでした。新入生の時点で将来のキャリアや進路の希望が完全に決まっていなくても全く問題ありませんし、焦りや不安を覚える必要はありません。これからの4年間、この充実した学修環境が皆さんを真の情熱や自分ならではの強みの発見へと自然に導いてくれます。

同時に、大学の4年間は驚くほどあっという間に過ぎ去ります。瞬きをしていれば、すぐに終わってしまいます。意識的に自分自身に挑戦し、目の前に訪れるユニークな機会のすべてを全力で掴み取ってください。主体的に踏み出した最初の一歩が、将来どこへ繋がっているかは誰にも予測できません。経験を最大化し、ネットワークを広げ、自信を持って未知の世界へ一歩を踏み出してください。

2026年6月更新

MORE INTERVIEWS