立命館小学校

体育コンプレックスを考える

私は、小学校時代、体育の成績が五段階評価の「1」だったことがありました。実際、とび箱も逆上がりも側転も人並みにできたことがありませんでした。

辛かったのは、当時の(昭和的)「団体戦」。二重跳びを50回飛ぶこと。これを「できない人の数が多いクラスが負け」という、競争をさせられていました。案の定、クラスで二重跳びを50回飛べないのは私だけ。そうなると、私が二重跳びを頑張っているところに、クラスのみんなが周りで「がんばれがんばれ」と応援してくれるわけです・・・。応援してくれるのはありがたいし、飛べない私が悪いのもわかるし、頑張ったらできるようになるのもわかるけど、とにかく辛い時間でした。そんな経験によって、私の中には「体育コンプレックス」が根付いてしまっていました。

primary2/blog/detail/img/20220614-1

最近、そんな話を体育の先生としていた時、「その後、スポーツはしてますか。運動は好きですか」と聞かれました。うーん、確かに高校からずっとテニスやジョギングや筋トレや水泳・・・、常に何かやってきたし、特に問題なくできてるし、スポーツ観戦も大好き。「運動嫌いにならなかったのはなぜですか」という先生の質問、すごく大事な観点だと思いました。体育コンプレックスは拭えてないけど、運動嫌いというわけでもないのはなぜ?

・・・ということを考えていたところ、体育の授業を見ていて気付かされることがありました。この授業では、ミニラグビーのようなゲームを繰り返すのですが、その合間にチームでの作戦会議をもちます。何度も作戦を考えてゲームを繰り返す中で、それぞれの子どもの得意不得意のようなものがうまく噛み合ったり、作戦がうまく得点に結びついたりするパターンもでてきます。あ、これなら私の小学校時代でも、楽しめたかも!と思いました。

それはおそらく、この授業が、「これができないとダメ」というアプローチではなくて、「できることで参加しつつ、工夫と試行錯誤の中でできるようになることを増やす」というアプローチだからなんだと思います。素早く走ることも、上手にパスを投げることも、作戦会議でアイデアを出すのも、仲間に声をかけるのも、チームへの貢献としては同じこと。それぞれに出せる力を出し合って、お互いからの刺激を受けながら、チームとして技能を伸ばしていく。私も、そんな環境で小学校体育を経験してみたかったです。

今でこそ、自分の体育コンプレックスは「昭和時代の体育のせいだ!」なんて言えますが、そうなるまでずいぶん時間がかかりました。これを機会に私の体育コンプレックスはもう解消しておこうと思います。

校長 堀江未来