WAKABAYASHI Kosuke
僕の研究テーマは「法と心理学」全般といえますが、中心的な関心は「評議」と呼ばれる刑事裁判のプロセスです。裁判自体がこのプロセスに集約されると言っても過言ではありません。
簡単に言うと、刑事裁判の「判決(有罪か無罪か)」と「量刑(刑の重さ)」を決める手続きを意味します。日本の裁判員制度では、この「評議」を市民(裁判員)6名と裁判官3名とで議論して決める方式が採られています。ただし、この人数比(2対1)が、一体なぜこの比率なのかについては理由がありません。もっと良い評議の人数比率があるかもしれないし、また「もっと良い評議」とは、どのような評議なのかという点も同時に考えなければなりません。
つまり人が集団で物事を決める時に、最も良い環境は何かということが僕の研究の中心にあります。同時に、集団で、みんなで決めるということが、結果として社会や人にどのような意味や影響を与えるのかも研究関心になります。
どこにでもいる普通の大学生だったと思います。僕個人で自慢できる大学生活はあまりなく、むしろ周囲や世界の出来事の方が記憶に残っていますね。
大学入学は2001年で、その年に9.11が起こり、世界について改めて考えることになりました。国内は不景気で、小泉内閣時代に「構造改革」が叫ばれていました。今思えば意味深な言葉ですけど、当時はあまり深く考えてはいなかったです。PCを大学生個人が持つようになり、インターネットの利用も当たり前になっていました。世界中の人と繋がれる(と謳われるも大体は身近な人と交流する)基盤が出来ていました。就職氷河期でもあり、景気が良くなる見通しもなく(大学生の僕が知る由もなく)、「働く」こと自体を色々と考えていたと思います。うーん。やはり普通の大学生でしたね。唯一違うのは本当に働かずに大学院に入ったことでしょうか。
ただ大学時代の友人とは今でも仲が良いです。多感な時期に、世の中の事をわからないながらに、色々語り合った友人との思い出が今でも僕の人生を意味付けています。
これもあまり自慢できる話ではないですが、最初から「法と心理学」に興味があったわけではありません。今でも笑い話的に学生に話したりしますが、僕は3回生の終わりぐらいに卒論研究の進捗に悩んでいました。そこでゼミコンパの際に、指導教員のS先生に「卒論のテーマは何をやったらいいですか?」と相談したところ「じゃあお前は目撃証言をやれ」と言われたのがきっかけです。それが現在の研究と仕事になっています。
法と心理学では、まず法学と心理学の共通の問題を見つけることも重要です。大学院に進学してからは、心理学だけでなく司法の色々な問題を勉強し知ることになりました。丁度その頃に、司法制度改革という先述の小泉内閣が進めた構造改革の一つが動いていました。それが裁判員制度という形で司法制度の大きな転換となります。その時期に、たまたま法心理学という極めてマイナーな研究をしていたというのが僕の実際だと思います。
高い目標を持って総合心理学部(または大学)に来る方も多いと思います。
それは素直に素晴らしいことだと思っています。
ただ「何となく大学に」という人も中にはいるかもしれません。
そういう人に僕は上記の理由から勝手に親近感があります(笑)。
決して焦る必要はありません。
大学に入ってから色々と考えましょう。
少なくとも僕は自分なりに大学生活を一生懸命やりましたけど、
最後まで自分で何をやるかは決められませんでした。
ただ、当時はあまり関係ないと思っていたことが、
今は意味をもって僕の人生に立ち現われてくることが多いです。
少なくとも意味があるか、ないかの線引は
その時・その状況だけの感覚かもしれません。
ですから、あまり固定的にならず流動的に考え
動くしなやかな力を大学で一緒に養ってもらえればと思います。