情報理工学部 情報理工学科 教授

木村 朝子

1996年、大阪大学基礎工学部を卒業。修士・博士課程を経て2000年、同大学基礎工学研究科助手に就任。2001年、アメリカのMayo Clinic, Biomedical Imaging Resource LaboratoryでSpecial Project Associateとして研究に従事。2003年、立命館大学理工学部助教授に。2004年、情報理工学部助教授となり、現在同学科教授。

パワフルな先輩研究者が研究姿勢のお手本

#02

ヒューマンインターフェースから
バーチャルリアリティまで

大学入学時には「こんなことを研究したい」と決めていたわけではありませんでした。基礎工学部を選んだのは、得意の理系学部の中でもとりわけ学問のバラエティに富んでいそうだという理由からでした。自分の研究テーマを選ぶ時になって、なんとなく「おもしろそう」と選んだのが、ヒューマンインターフェース(HI)。それが結果的に、修士課程、博士課程と研究を続けるテーマとなりました。
博士号を取得後、バーチャルリアリティ(VR)を研究する先生から助言を受けたことで、HIに加えてVRの研究も始めました。研究の方向が定まった転機は、立命館大学に着任し、現在特別招聘教授である田村秀行先生と共同研究を始めたことです。田村先生は、VRの中でも「複合現実感」(MR)という分野で日本の第一人者です。田村先生のご提案で「MRとHIを一緒に研究しよう」ということになり、一緒に「リアリティメディア研究室」を立ち上げました。今では、MRとHIの両方が私の専門分野になっています。

研究者の母がロールモデル

両親も、姉も、そして祖父も研究者という研究者一家に育った私は、当たり前のように「私も将来は研究者になる」と思っていました。
幼い頃から両親の研究室に遊びに行き、研究という仕事、研究室に先生や学生がいる風景をとても身近に感じていました。幼いながらに心に残っているのは、「研究室」というコミュニティがとても楽しそうだったこと。理系の研究室にはどこか家庭的な雰囲気があります。先生と学生、また学生同士が仲良く、互いに敬意を払いながら研究している姿を見て、「居心地よさそうだな」と思ったものでした。
何より一番のロールモデルになったのは、母です。研究者として働く母を見て、「女性が仕事を続けるには、研究者も良さそうだ」と、わからないながらも思うようになりました。また進路に迷った時には、母は心強いアドバイザーでもありました。いつもかけてくれた言葉は、「何事もやってみないとわからないから、将来を心配し過ぎないほうがいい」ということ。「結婚も、出産も、仕事も、『もしこうなったらどうしよう』と想像すれば、不安になるけれど、結局は想像した通りにはならないもの。どんな結果になっても、最後は何とかなるから大丈夫よ」と励ましてくれました。母の若い頃は、女性が働くこと自体、私の世代より、ましてや今よりもっとハードルが高かったはずです。それを乗り越えてきた母の言葉にいつも背中を押され、自分の歩を進めることができました。今日に至るまでには、私もさまざまな選択をしてきましたが、今でも母の姿勢が判断基準のベースになっています。

刺激し合える仲間をつくってほしい

もう一人、私のキャリアを語る上で欠くことのできない存在が、田村先生です。当時から多くの人を巻き込みながら、パワフルに大きなプロジェクトを動かしておられました。明確にゴールを見すえて「この目的のためにはこれをすべき」といったことを瞬時に考え、リーダーシップを取ってプロジェクトをプランニングする姿を間近に見ながら一緒に研究したことが、今の私自身の仕事の仕方にも大きく影響しています。
研究者を志す学生に伝えたいのは、「今やるべきことを一生懸命すること」と「少し上のレベルにチャレンジすること」。「自分には難しい」と思うことでも、託されたことに一生懸命取り組めば、たとえうまくいかなくても得られるものがあるし、世界の見え方も変わってきます。
またさまざまなコミュニティに積極的に参加してネットワークを広げることも大切です。研究には新規性が求められますが、一人の人間が思いつくことは限られています。研究過程では、指導教官や上司などに相談してアドバイスをもらったり、学会で発表して他の研究者から広く意見をもらうことも欠かせません。学生時代には特に学内外のさまざまな場所で活動し、刺激し合える仲間をたくさんつくってください。