映像学部 准教授

谷 慶子

大阪芸術大学時代に脚本家を志す。卒業後、東映京都撮影に入所。スクリプターとして数々の映画・テレビドラマの制作に携わる。2003年、「タイ・ブレーカー」で第29回城戸賞に準入賞。以後、脚本家としても精力的に活動。2015年、立命館大学に赴任。脚本執筆を継続しながら教育にも尽力。

映画・ドラマの現場で経験したすべてが脚本家としての今に生きている

#17

脚本家を目指しながらスクリプターとして活躍

美術関係の仕事をしていた父親の影響で、映画美術に関心を持ち、芸術大学に進学。そこで出会ったのが、映画の仕事の中でも「脚本」でした。3回生の時、課題で映画を制作した際に脚本を担当。教鞭を取っておられた映画監督で脚本家の中島貞夫先生から熱のこもった指導を受け、初めて長編脚本を執筆しました。それが学内のコンクールで脚本賞を受賞したことで芽生えたのが、「脚本を書くのって、おもしろいな」という思いです。「将来のことはわからない。でも好きなことを一生懸命やれば、何かにつながっていくんじゃないか」。そんな思いで脚本家を志しました。
『現場』を勉強することが、脚本を書く上゙も役に立つ」と中島先生に勧められ、卒業後は東映京都撮影所に入所。スクリプターとしてキャリアをスタートさせました。スクリプターとは、撮影現場で撮影するカットを記録・管理する役割のこと。撮影はシーン順、カット順には進みません。例えば前のカットでグラスに満杯だったビールが、次のカットで突然半分になっていたらつながりません。そうならないよう各カットの内容を記録し、整合性を保つよう撮影を管理するのが大きな役割です。撮影や編集などすべての制作工程を把握していなければ務まりません。その上、撮影が始まるとほとんど休みはなく、早朝から深夜、時には翌朝まで作業に追われることも多い過酷な仕事です。体力的にも精神的にも大変だったけれど、ドラマ作りを身を持って学ぶ日々は、本当に楽しいものでした。

1年がかりで執筆した脚本が著名な賞に入賞

スクリプターとしてドラマ作りに携わって得た一番の財産は、俳優、映画監督、技術スタッフなど、「本物」といわれるプロとの出会いです。一流の人々の仕事ぶりや作品に対する姿勢を間近に見て、時には撮影の合間に話を聞く中で、制作のノウハウを知る以上に多くのことを学びました。
キャリアが5〜6年経った頃からは、「このシーン、どう思う?」と監督などに意見を求められたり、脚本の修正を依頼されたりするようになりました。そうして目をかけてくださったプロデューサーの一人に勧められ、1年がかりで執筆したのが、「タイ・ブレーカー」と題した脚本です。それが新人脚本家の登竜門といわれる第29回「城戸賞」で準入賞したのを機に、脚本の依頼が増えていきました。
脚本家として大きな転機となったのは、2015年のこと。脚本の仕事が増えるにつれてスクリプターの仕事との両立が難しくなってきた矢先、立命館大学映像学部で教えるチャンスをいただいたのです。そこで思い切ってスクリプターの仕事を減らし、大学教員として学生に教えながら、脚本の執筆に力を注ぐことを決意しました。

脚本執筆とともに学生への指導にもやりがい

現在は、映像学部で脚本や映画製作について指導しながら、映画やテレビドラマの脚本を手がけています。大学で脚本家を志してから、25年以上の月日が流れましたが、これまでの時間に無駄など一つもありません。経験を積んだ分だけ、多くの共感を呼ぶ物語を書くことができると思っています。またスクリプターとして通算280本近くの制作現場を経験し、脚本に書かれた言葉がどのように映像化されるのかを熟知していることも、今、大いに役に立っています。
また本学に赴任してからは、学生の指導にも新たなやりがいを感じるようになりました。これまで実践してきたことを言語化し、教えることを通して、私自身が理解を深めたり、新たに発見したりすることもあります。何より学生が指導の意図を理解し、脚本を書くおもしろさを感じてくれた時は、自分のことのように嬉しいです。
今後は脚本執筆を続けながら映画製作の現場を目指す若い人材を育てることにも力を注ぎたいと考えています。一方、いつか自分の脚本で長編映画を監督するのも夢の一つです。
皆で力を合わせて映画やドラマを作る。そんな現場が大好きだから、寝る時間もないほど忙しくても夢中で打ち込み、力を磨いてくることができました。学生にも誰にも負けないくらい「好きだ」と思えるものを見つけてほしい。それがきっと将来につながっていくと信じています。