産業社会学部 教授

岡田 まり

1988年、同志社大学文学研究科修士課程を修了。1992年、ワシントン大学ソーシャルワーク研究科修士課程を修了後、1996年、コロンビア大学教育学研究科博士課程修了(教育学博士)。帰国後、1998年より花園大学社会福祉学部専任講師を経て、2001年、立命館大学に着任。京都府住宅審議会委員、京都市社会福祉審議会委員、京田辺市男女共同参画審議会委員、公益社団法人葵橋ファミリークリニック理事なども歴任。

続けてきたからこそ実感できる醍醐味がある

#24

専門性を鍛えるため福祉教育の進んだアメリカへ

両親共にケースワーカーで、幼い頃から私にとって福祉の仕事は、とても身近なものでした。いつしかケースワーカー(ソーシャルワーカー)を志すようになり、大学で社会福祉学を専攻。卒業後は母親と同じく病院のケースワーカーになるつもりでしたが、現場に出るには力不足だと感じ、もう少し専門性を身につけようと大学院に進学しました。
今思えば岐路だったのは、修士課程を終えた後、文化交流プログラムに参加し、アメリカで1年間を過ごしたこと。現地で社会福祉に携わるさまざまな人と出会う中で、「日本より社会福祉学の教育が進んでいるアメリカで学びたい」という気持ちがわいてきました。帰国後、すぐに準備をして翌年には再び渡米。ワシントン大学の修士課程に進学しました。
アメリカの大学院での学びは、質・量ともに日本にいた頃とは比べものにならないほど厳しく、濃密でした。授業では毎回、数本の論文や書籍を読み込んで臨むのが当たり前。レポートの課題もひんぱんで、2年の間にずいぶん鍛えられました。また現場実習も豊富にありました。アルコールや薬物の依存症専門の病院で実習を経験し、依存症の問題にも関心が広がったことから、コロンビア大学の博士課程へ。4年間、健康教育学についても専門性を深めました。

福祉の現場に役立つこと研究の目的を忘れない

アメリカで博士号を取得し、帰国したのは1996年のことです。今度こそ現場で働くつもりでしたが、あいにく声をかけてくれた病院は遠方で、そこで働くには京都を離れなければなりませんでした。その頃、家族が重い病気に罹り、看病を手伝う必要もあって、断念。花園大学で専任講師の職を得たことで、研究者としての道を歩むことになりました。
以来、アメリカで学んだ健康教育や精神保健領域の社会福祉、ソーシャルワークを専門に、理論と実践を研究しています。近年注力しているのが、専門職を支援するスーパービジョンに関する研究です。過酷な福祉の現場でストレスを感じたり、正解のない仕事に燃え尽きてしまう方は少なくありません。福祉の現場にスーパービジョンを定着させることで、「支援する人」を支え、力づけることができれば、ひいては福祉サービスの受け手である当事者の方々に寄与することもできます。そのためにスーパービジョンを実践するための研修プログラムを開発、実践するとともに、その効果を検証しています。何より大切にしているのは、現場のソーシャルワーカーや福祉サービスを必要としている人の役に立つこと。スーパービジョンの研修を実施し、受講した方から「よくわかった」「聴いて良かった」といった声を聞くと、やりがいを感じます。

重責も「新しいチャレンジ」と前向きに取り組む

家族の看病や出産・子育て、そして親の介護と、これまで家庭のさまざまな事情と両立させながら仕事を続けてきました。子どもが小さい頃は、公的な福祉サービスを活用することはもちろん、健在だった両親や、親しい近所の方にも助けてもらいました。人に恵まれたこと、加えて身近に研究仲間でもある社会福祉の専門家がいて、相談やアドバイスを受けられたことにも支えられました。その経験から、フォーマルな制度やサービスの充実は必要ですが、それだけでなく、身近にあるインフォーマルな支援も重要だと感じています。
立命館大学に着任して20年、現在は、研究部の副部長を務めています。また行政機関の審議会委員などを引き受けることも増えてきました。重責ではありますが、「新しいことへのチャレンジ」だと前向きに捉えて取り組んでいます。
学生の皆さんに伝えたいのは、「続けることの大切さ」です。おもしろい仕事に就ければ幸せですが、その「おもしろさ」は、すぐ実感できることばかりではありません。時には苦しい修行期間を頑張り抜いた先、知識や技量が身について初めて味わえる醍醐味もあります。研究する上でも、簡単に無理だと決めつけず、限りない可能性を見つけてほしいと願っています。