グローバル教養学部 准教授 (インタビュー当時)

廣野 美和

1999年、慶應義塾大学を卒業後、同大学院を修了。2007年、オーストラリア国立大学で博士課程を修了後、2008年、イギリスのノッティンガム大学に赴任。約7年間を過ごした後、2015年立命館大学国際関係学部に着任。2019年から現職。

研究も仕事も人生も楽しむ。だから困難も乗り越えられる

#28

アジアに対する見方が一転その衝撃が研究の原点

もともと興味を持っていた中国の国際関係について、「研究したい」とはっきり意識したのは大学4回生の時でした。高校までの歴史の授業では、19世紀、西洋からアジアに「主権国家」や「国際法」などの概念がもたらされ、近代化していったと習ってきました。ところが大学の授業で学んだのは、アジアの国々はただ従属的に受け入れたのではなく、その内側で起こっていたさまざまなダイナミズムの中で西洋化の波も受け止め、自ら変容を遂げていったことでした。そこでアジアに対する見方が一転した体験が、研究の道へ進む第一歩でした。
修士課程2回生の時、交換留学で1年間オーストラリア国立大学(ANU)へ。最初は英語に苦しみましたが、後に夫となる人やかけがえのない友人との出会いもありました。また研究においても、学術分野に縛られず、中国の国際関係について理論と実証の両面から追究できる環境で、研究指針を見定めることができました。「ここで研究を続けたい」。そんな気持ちが膨らみ、修士課程を修了後再び渡豪。ANUの博士課程に進学しました。

知りたいのは現地の人々がどう考えているか

一貫して関心を持っているのは、国際社会における「強者」が、自分たちの論理で「弱者」である国々を「文明化(civilizing)」しようとした時、受け手はそれをどう認識するのか。現在は、かつて「弱者」だった中国が近年自らのアイデンティティを「大国」に変え、今度は強者の立場で東南アジアやアフリカに援助・投資していることに注目しています。そうした中国の動向に賛否両論がありますが、重要なのはそれらを受け入れる人々がどう考えているのかです。私は現地の人々の認識を捉えるため、カンボジアやインドネシア、ネパール、リベリアなどに足を運び、現地調査を行ってきました。現実は多様性に富んでおり、文献に書かれていることとはまるで違う事実にぶつかることも少なくありません。そうした現地でしかわからないことを調べるのがフィールドワークのおもしろいところです。
2008年にはイギリスのノッティンガム大学に職を得て、渡英しました。フィールドワークで世界の様々な場所に行き、子どもも出産し、研究も生活も充実していましたが、転機は突然訪れました。国の移民政策によって、国外に退去しなければならなくなり、生活の基盤も仕事も失うことになったのです。折しも見つけた立命館大学の求人公募に応募し、2015年、イギリスから京都にやってきました。

「できる」と信じ楽しんで続けてほしい

現在は研究活動に加えて大学の講義、さらにはグローバル教養学部の副学部長として学部運営にも携わっています。新しいことに挑戦できるまたとない機会で、楽しみながら勤しんでいます。大学教員が自分の天職だと思う瞬間は様々ありますが、やはり、教えた学生・生徒の成長を目の前で見るのは本当に特別です。高大連携プログラムで高校生を前に講義をした時、教えたことを目を見張る勢いで吸収し、伸びていく生徒たちを見て、改めて「未来を育てる」喜びを実感しました。現在は、附属校生と学部生を伴ってネパールに赴き、現地で学ぶ海外研修プログラムを計画しています。受講生たちがどう成長するのか、今から胸が躍ります。
研究者を志す人の中には、将来結婚や子育てなどと両立できるか不安に思っている人がいるかもしれません。確かに体力ぎりぎりの時もありますが、子どもに活力をもらっていることも事実です。子どもに研究について話すことが自分の糧になるし、また親が夢中で仕事をする姿を見せることが、子どもにとってもいいキャリア教育になると思うからです。
一人ひとりが個別の課題を追究する研究者は、研究をどのように発展させていくか、自分でマネジメントしなければなりません。私は常に5年後の目指す姿を思い描き、それを指針とするようにしています。できるかできないか、未来は誰にもわかりません。けれど「できない」と思った瞬間に「できない」ことが決まってしまいます。「できない」を決めるのは自分自身なのです。皆さんには「できる」という気持ちを大切に、楽しんで続けてほしいと思っています。