衣笠総合研究機構 歴史都市防災研究所 准教授 (インタビュー当時)

サキャ ラタ

2004年、美作大学生活科学部福祉環境デザイン学科を卒業後、2007年、京都府立大学人間環境科学研究科修士課程を修了し、2013年、京都大学大学院工学研究科博士課程を修了。同年から東京大学工学系研究科の外国人特別研究員、特任研究員を経て、2019年、東京都市大学環境学部で非常勤講師に。2020年4月から現職。

今できることを見つけ、研究を続けることが大切

#30

居住環境の向上に貢献したい

岡山県にある美作女子大学(現・美作大学)に新設される生活科学部福祉環境デザイン学科(現・社会福祉学科)に入学するため、ネパールから来日したのは1999年でした。そこで関心を持ったのが、高齢者をはじめ誰もが安全で暮らしやすい居住環境に関する研究です。折しも日本では、「バリアフリーデザイン」が登場し始めた頃。先進の知識を学び、母国の居住環境の問題解決に貢献したいと思い、進学しました。
大学院では、住居からコミュニティや都市にも目を向け、学びを広げました。博士課程ではネパールの歴史都市パタンをフィールドに、歴史や文化、社会システムの中で形成されてきたコミュニティの共同性をいかに継続し、「人々が安心・安全に暮らせるサスティナブルな都市社会」を目指せるかをテーマに研究をしました。海外研究のため、現地調査の実施およびその成果を当国だけではなく、日本をはじめ先進国にも生かす方法を模索し、頭を悩ませることも多くありました。その頃、出会った夫にも支えられ、6年をかけて博士号を取得しました。

子育てで研究が停滞するのか

2014年に結婚し、翌年5月に子どもを出産。ネパール大地震が起きたのは、臨月を迎えたときでした。家族は皆無事で、安心したのもつかの間、特任研究員として所属していた東京大学の教授より声をかけてもらい、現地調査に赴くことになったのです。生後4ヵ月の子どもを連れてネパールに赴いたのが、出産後初めてのフィールド調査でした。現地では、私が調査に出かけている間、両親、とりわけ母親が子どもの面倒を見てくれたおかげで、無事に調査を終えることができました。同時期に、立命館大学の教授らと被災地でのワークショップやインタビュー調査を行い、2019年、その成果を災害記憶の記録として書籍にまとめました。これがコミュニティ防災、災害対応マネジメントなどさまざまな研究テーマに出会うきっかけになりました。
しかし日本に戻ってからは家庭と子育てで、思うように研究できませんでした。非常勤講師を始め、国内学会発表は続けましたが、子育てに追われて研究や論文執筆の時間は限られる上に、非常勤講師では科研費などの公的な研究助成を申請することもできません。「私のキャリアは、もう終わりだ」と、絶望的な気持ちになったこともありました。立命館大学歴史都市防災研究所への赴任を打診されたのは、そんな時です。夫と離れて暮らすことに最初は迷いもありましたが、家族に背中を押され、赴任を決意。2020年4月、子どもと二人、京都にやってきました。

諦めずに続けることが大事

赴任したのは、コロナ禍の只中。保育園も見つけられない中で、ありがたかったのは、立命館大学に保育園があったことです。それに加えて、テレワークになった夫のサポートにも助けられ、研究生活を軌道に乗せることができました。
子どもが小学生になった今は、以前より時間の融通も可能になり、研究と研究所の業務に忙しい毎日を送っています。当研究所主催のユネスコ・チェア「文化遺産と危機管理」国際研修では、ユネスコ・コ・チェア・プロフェッサーおよび国際研修のコーディネーターとして日本の文化遺産防災学を世界に伝え、国際貢献する役割を務めています。
また、個人研究においてもネパールの歴史的建造物や周辺伝統的空間およびそれらの継承の秘訣である管理システムを災害時に生かす方策を研究しています。研究成果をネパールに還元することに加え、ネパール人研究者として、正しいネパールの知見を日本に発信する役割も果たすべく、使命感を持って研究に取り組んでいます。
多くの女性研究者が、まさに今からキャリアを築いていこうという時に結婚や出産・子育てに直面します。その間サポートを受けられず、自分が取り残された気持ちになることもあります。皆さんに伝えたいのは、焦らず、決して諦めずに続けること。私が本学への赴任を決めたのも、学会発表や小論文の執筆、書籍の編集など、今できることを見つけ、辞めずに研究を続けたからでした。必ずチャンスが来る。そう信じて、自分自身の研究課題を追求し続けてほしいと思います。