在学生・卒業生の活躍

在学生・卒業生インタビュー

やりがいのあることを仕事にしよう!

藤江 隼平 さん

興味に沿って猛進した学生時代

Q: 教授・研究職を目指すきっかけは何でしょうか?

大学入学当初は教員か、海外で働いていた父親の影響でWHOを目指すか、その二つで迷っていました。授業で空いていた前の席に座っていたら、たまたま田畑先生に顔と名前を覚えてもらい、WHOに行くなら研究ができないといけないと聞き、その時に研究の必要性を感じました。2回生になって家光先生を紹介され、また、研究をしていく中で、スポ健の先生たちの仕事をする姿が楽しそうで、興味が出てきました。

 

 

Q: 大学時代に挑戦したことはありますか?

ひたすら研究をするか、友達と遊ぶかの学生生活でした。平日は授業が終わった後に夜21時、22時まで研究していました。辛いと思ったことはなく、それがとても自分のやり甲斐でした。

学会発表は国内で2回生の9月に初めて挑戦し、3回生のときに初めて国際学会で発表しました。初めてのことが多く、刺激があって楽しかったですね。

研究は一人じゃできないので、他大学(筑波大学、早稲田大学、ミズーリ大学等)や研究所と連携して行ったこともありました。

 

Q:大学院時代はどのように過ごされたのでしょうか?

博士課程後期課程時に月20万ほどの研究奨励金という、いわゆる給料を貰いながら研究ができる日本学術振興会特別研究員の採用を目指していました。立命館の場合は、日本学術振興会特別研究員に採用されると学費も全額免除になるので、修士課程のときはそれを目指してひたすら研究をしていました。

一方で、博士課程のときはモチベーションが低くなった時期もありました。無事に日本学術振興会特別研究員にも採用されたことで、1つの大きな目標を達成してしまい、順調すぎて面白みがなかったんです。このまま同じ環境にいると時間の無駄になると思い、環境を変えるために通常3年のところを2年で早期修了し、その後渡米を決断しました。

 

Q: 研究者としての目標はなんでしょうか?

細胞培養、ヒト実験、動物実験などの幅広い研究を強みにし、高いインパクトファクターの雑誌に掲載されることを目指したいです。今までは5前後だったが、これからは10以上の雑誌を目指したいです。また、細胞培養を越えて遺伝子組換えの分野にも取り組みたいです。

 

Q:アメリカ時代の経験は?

学部生から博士課程までに培われた研究に対する自信が徹底的に打ちのめされました。自分は「これほどできる」というのが「これしかできない」という感覚になりました。食事・文化・言語と様々な面でメンタルが辛く、しかし、別件で連絡していた家光先生に「いつでも帰っておいで」と言ってもらえたことで吹っ切れました。結果を残すまで帰れないと思っていましたが、帰っていいんだと思うことができて、気持ちが楽になりました。そこからはアメリカ生活が楽しく、新しいことを学ぶのは成長を実感しました。

 

Q: アメリカと日本の決定的な違いは?

日本ではヒト実験、動物実験で検討してきましたが、アメリカでは細胞培養に挑戦してみて、実験手技が根本から違いました。また、アメリカではみんな家族を大事にしていて、17時ぐらいになると研究所にはアジア人しか残っていなかったです。晩御飯を家族みんなで食べる習慣がアメリカ特有で良いなと思いました。

 

Q: 大学時代でエンジンに火が付いた瞬間は?

一回生の頃から切磋琢磨できる仲間がいて、負けたくなかったんです。いい意味でお互いが負けず嫌いで刺激し合えました。学部生で学会に行くと他大学の先生に褒められましたが、それを指導する家光先生がすごいというニュアンスで自分自身が評価されている気がしなかったんです。自分を認知してもらいたかったので、そこからエンジンが入りました。

 

 

 

失敗しても挑戦する事が経験になる

Q:先生にとって挑戦とは?
 
僕の場合は「人生そのもの」です。僕の考えでは、人間は年を取るにつれ、いろんな経験を経て「リスクマネジメント」を取るようになると思うのですが、敢えてそれを考えずに足を踏み出すのが僕です。今までの経験から「私にはできる」「私にはできない」と判断していく事が好きじゃないです。経験を理由にしてリスクマネジメントを取ることは、僕にとって衰退の瞬間だと思います。

だから、いつまでも若く過ごしたい僕にとって挑戦とは「敢えてリスクを取ること」です。

 

Q:先生、ほんと若く見えますよね?

いやいやいや…(苦笑い)

でもこの間30歳になったばかりなのに、未だに生協のおばちゃんに「学生ですか?」って聞かれるかな〜笑

基礎演習の前日に徹夜で実験して、1時間だけ寝て授業に行けるくらいだからまだ老いてないと思う!

 

 

Q: やりたいことに出会う為に工夫したことはありますか?

なんでも興味を持ったことをやればいいと思います。途中でやめたとしても、失敗というわけではないです。自分に向いていなかったとポジティブに捉えた方がいいですね。

ただそれだけです。

 

 

努力する人は希望を語り、怠ける人は不満を語る

Q,:実は、筆者は基礎演習にて、アカデミックアドバイザーとして藤江先生と一緒に1回生を指導した経験があります。そんな僕だからこそ言えるのですが、藤江先生の「準備力」にはいつも感服しておりました。先生にとって「準備すること」はやはり研究員時代に培われてきたものなのでしょうか?

→自分で頭が良いと思ったことはありません。不器用なので時間を掛けるしかないと考えています。ただ、人より人一倍体力はあると自負しているので、その強みを活かしながら過ごしています。だから「準備」に時間をかけています。準備の段階で辛い時もありましたが、その過程において準備を怠らない人は常にポジティブで、逆に準備が不十分な人はネガティブな言葉が出ると思います。僕は準備に時間をかけることによってポジティブでいたいと思います。

 

 

 

Q:学生にどうなってほしいですか?

とにかく行動できる人になってほしいです。以前、基礎理科の授業で周りが質問しない中で質問した学生がいて、印象に残っています。頭の良し悪しは問わず、そういった行動ができる人になってほしいです。

 

 

Q:大学教員になった視点でやりたいことはありますか?

大学教員は研究と教育の両方が求められます。

その上で、研究に関しては、アメリカでの経験からモチベーションが上がっています。

ひたすら上を目指すし、泊まり込みで実験も行っていて、今は研究に燃えています。

教育面でも、いろいろ試行錯誤しています。教育が向いているか考えた時期もありましたが、学生と接するのは楽しいので、自分自身楽しみながら学生に知見を伝えていきたいです。

 

インタビュー及びプロフィールは、取材をした20215月時点の内容です。

PROFILE

藤江 隼平

立命館大学スポーツ健康科学部1期生として入学。在学中は2年生の時から毎日22時頃まで研究に打ち込み、国内外で学会発表を行なった。特に3回生時に国際学会での発表を経験し、その刺激を味わう事が現在にも続く研究へのモチベーションになっていた。2018年に博士学位取得し、2020年4月から助教として本学着任。最近は日を増すにつれて大胸筋の発達が著しいが、それだけではなく、身体も研究実績も伴う新たなる大型助教として奮闘中。
戻る